今後
古いものを捨てたディスイヤ一行は、この離島へやってきた『屋形船』へ乗り込む。
大八州の船頭が操作する大型船は、ゆっくりと浮上し離脱していく。
「私たちの新しい船出だね!」
「そんないいもんじゃないだろ、お前も残ったらどうだ?」
「酷い! 私を殺す気?! そこが素敵だよね、シュン君の魅力だよね、本気の殺意!」
春にしがみついているアクリルは、船の端から眼下の島を眺めていた。
「二人とも、そろそろ私の術が届かなくなるぞ」
その脇で、ある程度距離をとっている廟舞は、自分の酔血が及ばなくなったことを伝える。
すると、それまで何事もなかった掘っ立て小屋から、大量の貴族たちが溢れてくる。
「見て、アレはお父さんとお母さんだよ! シュン君にとっても、義理の両親だよ! あ、アレは私の弟やお兄ちゃんだよ! ほら、わかる?」
「お前どういう神経しているんだ」
「みんな、私たちに手を振ってるよ! 応えてあげようよ! ほら、手を振って!」
「お前天才的に酷いな……」
「やだなあ、私は天才的なんじゃなくて、天才なんだってば」
貴族たちは離れていく船に向かって駆け出そうとするが、しかし途中で足を止めてしまう。
仕方あるまい。その島は砂浜など一切ない、断崖絶壁に囲まれている小さな島なのだから。
専用の道具があれば、専門家なら、海面に降りることはできるだろう。
もしも訓練を受けた凄腕の魔法使いがいるのなら、飛行してここへ追い付けたかもしれない。
「ねえシュン君……カッケー……私ね、絶対幸せになるよ。お父さんやお母さん、親戚のみんなの分も……」
「お前ずぶといってレベルじゃないぞ」
「当主代行が不幸にならないと、誰も納得しないと思うな」
「私、絶対に幸せになって見せるもん! えへ!」
右京だってもうちょっと罪悪感があったのだが、彼女は心底からなんとも思っていないらしい。
人を人とも思わぬ、親戚さえも人と思わぬぞんざいさは、政治家として必要な資質かもしれない。
泣いて馬謖を斬るというが、彼女はまったく気にせず親族の命運を断っていた。
偽善どころではなく、無邪気なほどの邪悪だった。
「あのね、あの島は元々、遠洋へ漁業に行く漁師たちの休憩する場所だったんだ」
「ほう」
「へえ」
「でもね、あんな高いところまで行って、その後降りるのが面倒だって、誰も立ち寄らなくなったんだ。怪我人どころか死人も出たらしいしね」
「ふむふむ」
「なるほど」
「私はあんな島に価値なんてないと思ってたんだけど、お祖父ちゃんは言ってたんだ。何時か、役に立つときが来るかもしれない。この世界には、永遠に無価値なものは無いんだって……」
「良いことをおっしゃるな、流石ご老体」
「うむうむ、実に心へ響く」
「親戚を隔離するには、この上ないよね。降りたり登ったりするのが面倒っていうのが、こんなにも意味を持つなんて……お祖父ちゃんの言っていたことは、本当だったんだよ」
「それじゃあ無価値だって捨てられたお前の親戚はどうなんだ?」
「まあ有効活用ではあるな、ごみを捨てるという意味では。でも不法投棄な気もする」
「大丈夫、私が正規の法律に則って、正しく流刑にしただけだから! 違法性は一切ないよ」
「ディスイヤに来て何度も思ったが、違法性が一切ない方が、非合法よりずっと怖いな」
「だから、そのディスイヤの人間に、その危機感が無いのが馬鹿だねって話だろう?」
だんだん小さくなっていく島。
その島の上でもがいている人たちも、だんだん小さくなっていく。
「ああ、ごみが見えなくなったね!」
「嬉しそうに言うなよ……突き落とすぞ」
「もういいだろ、戻るぞ」
損失に背を向けて、三人は屋形船の室内に入った。
その中にいるのは、沈痛な面持ちの代官たちや、その側近だった。
今回の行動に後悔はないが、それでも幼少のころから付き合いのあった主を、島流しにしたことへ後悔があるのだろう。
それに関しては、廟舞も春も感じ入るものがある。
仮にアクリルをこの船から突き落としたら、同じような気分になるに違いない。
彼女の今後の発言によっては、二人もその決断を下すかもしれない。
「みんな、そんなに気にしなくてもいいよ。大事なのは、『これから』のことよりも、『今』と『今まで』なんだから」
沈んでいる代官たちへ、明るく話しかけるアクリル。
「たとえばお祖父ちゃんだって、もう働けないじゃない。でも、誰もお祖父ちゃんを殺そうとか捨てようとか言ってないよね? 今から心を入れ替えて働くかもしれない、そうでなくても今まで通りに外貨を稼ぐあの人たちの『これから』よりも、お祖父ちゃんの『今まで』を大事に思っているからなんだよ」
まったく説得力がないことを、切々と語っていく。
「カッケー、昔私に話してくれたよね。切り札たちは、故郷だと普通の人だったって。この世界に来てから、一生懸命頑張るようになったって」
「ああ、言ったな」
「新しい土地や国に行って、そこで大活躍する物語はたくさんあるって。今まで故郷で何もしてこなかったことを悔いて、新天地で奮い立つんだって」
「ああ、私もその口だ」
「それってさ、自分勝手だよね?」
それはそうかもしれないが、こいつが言うと船から海に落としたくなる。
それはこの場の全員が、心の中によぎらせた、暗い誘惑だった。
だがそっちの方が、世界にとってはいいことなのではないだろうか。
後で『あの時海に落としておけば』とか悔いないだろうか。
「だってさ、その人を育てた故郷の人とか、迷惑をかけられた人には、何の関係もないじゃない。なんで故郷で頑張らないのとか、なんで今まで頑張らなかったのとか、今まで迷惑をかけた分返済しろとか奉仕しろとか、絶対思っているよね」
そう、彼女こそまさに、今まで何もしてこなかった女である。
もちろん、まったく何も、というわけではない。だが、老体に依存していた親族の一人でしかない。
本当は、彼女だってあの島に残ってしかるべきだったはずである。
なんでシレっと安全地帯で、自分のことを棚に上げて、ご高説を垂れているのだろうか。
やはり海に落として魚の餌にするべきではないだろうか。
「ということで、今まで何にもしてこなかった私が、当主代行をしているのはおかしいよね。なので、私は当主代行を返上し、普通のディスイヤに戻りま~~~す!」
奇妙な、陽気なポーズ。
それと共に発表された爆弾発言に、誰もが身を固めていた。
確かにこいつが当主代行なのはおかしいが、だからと言っていきなり返上するのはおかしい。
まだ親族を追放しただけで、何もしていないのに。
「お、お待ちください、当主代行……いえ、お嬢様」
「なに?」
代官の中でも、特に年長者である男性が挙手をした。
確かに会話の流れからすれば正しいが、彼女の全体的な指針が読めない。
何が何だか、凡人には読めない。異常者の論法は、とても不親切だった。
「もしや、親族の方を追放するためだけに、当主代行に就任されたので?」
「うん、そうだよ? 流石に当主代行じゃないと、追放できないしね」
「で、では、この後は? ディスイヤの当主の座は?」
「ああ、もちろん空位だよ。私とお祖父ちゃんしかいないしね、ディスイヤ。じゃあ当主要らなくない?」
「そ、それはそうですが……」
無茶苦茶すぎる論法だった。
確かに適正な者は一人もいないが、不適正な人間が一人いるだけなので、逆に当主は不要だった。
「では代官の皆さんにディスイヤ家の人間として、私は提案をいたします。ディスイヤの構造を、改革しましょう。具体的には、ディスイヤ全体の意思決定を、代官の皆さんと私による合議制にいたしましょう」
その言葉に、どよめきさえ起きなかった。
空に浮かんでいる船の上で、誰もが感電したように硬直していた。
「ソペードも今はそうらしいし、ディスイヤもそれにしましょう、そうしましょう。私は政治に参加しますが、それはあくまでも皆さんと同じ一票を持つだけの議員としてです。多数決に従って領地全体を統治しつつ、国政にも皆さんの言葉をお伝えいたします」
言われてみればそうするべきか、と考え始めた。
少なくとも今彼女を当主に据えるよりは、よほど現実的に思える。
「私たちディスイヤ領地には、三つの選択肢があります。一つは王家に領地を献上すること、次いで私が無理矢理当主になること、最後に私の提案した合議制。細かいところは後日話し合うとして、大まか三つのどれかになります」
説明をする気になったからか、すらすらするする、反論の余地も確認の必要もない、理路整然とした説明が始まっていた。
「一つ目を選んだ場合、皆さんはそんなに支障がありません。多分代官として、今後も土地を治めることが許されるでしょう。ですが、高確率で特区は解体されます。建国から続くディスイヤの特権、アルカナ王国の暗部にして恥部。治外法権によって守られてきた汚点が、これを機会に掃除されるでしょう」
それはいいことなのかもしれない。
しかしそれは、今までのディスイヤを否定することだった。
最悪ではないのかもしれないが、面白い話ではなかった。
「二つ目としては、一番政治的に真っ当です。他の貴族や王家にとって、一番ありがたい選択でしょう。皆さん以外、全員幸せになります。ですが、私がいきなり当主になっても、誰も納得しない。士気も治安も悪化するでしょうねえ」
それは想像するまでもなかった。
今まさに、全員がそう思っていたのだから。
「なので、皆さんには三番目をお勧めします。私は一人の領主として一地方を治める仕事を始めて、皆さんと同じように内政を行います。その働きぶりを皆さんに見せることができますし、私が下手なことをしてもその範囲に被害は収まります。私が仕事を放り出していた時は、あの島に送ればいいだけですしね」
それなりには、筋が通っていた。
確かに彼女が領主として実績を積むのは自然であるし、現当主の補佐をしてきた代官たちによる合議制ならディスイヤ領地全体の運営にも支障はない。
この場の代官たち、その配下たちには一番ありがたい選択だろう。
「ですが、それは王家がお許しになるでしょうか? ディスイヤ家の人間が一人だけとはいえ、当主が不在。しかもそのまま国政へ参加というのは……」
「既にバトラブとソペード、カプトからいい返事をいただいています。あとは皆さんから合意をいただければ、私が国政の場に参加するには十分でしょう」
「……その、国政の場にも、あくまでも代表であり当主としてではないと?」
「はい」
「……当主として判断をせず、我らの意志を代表して伝えるだけだと?」
「もちろんです」
全員、彼女を海に突き落としたくなっていた。
その思いが、最高潮に高まっていく。
「なんで今まで仕事をなさってくれなかったんですか……!」
能ある鷹は爪を隠すというが、彼女は限度を超えている。
ディスイヤの権化の如き『順法精神』には、目頭が色んな意味で熱くなる。
なんで今までやらなかったのだろうか。
なんでやろうと思ったらいきなり大成功するのだろうか。
才能とは、ここまで残酷なものなのだろうか。
「お祖父ちゃんが何にもしなくていいって言ったから」
どんなに言いつくろっても、この馬鹿が次期当主というのは変わらないわけで。
代官たちは、廟舞と春は、彼女の才覚を見抜いていた当主の苦悩を嘆いていた。
「だいたいほら、そもそも私がいきなり当主って、なんにもしてなさすぎるし。私が何かしたのって、せいぜい最初に特区が襲われた時に、十回鐘鳴らしたり後始末したぐらいだし」
一応、彼女は巻き込まれた場合には仕事をしていた。
その時にも迅速な判断で、結果的に春を救っていた。
それは、アルカナ王国全体を救っていたと言っても、過言ではないのだろう。
何気に、国家の命運はその時点で半分決まっていたのだ。
「親族を島流しにしたのも、ただごみをゴミ捨て場にまとめただけで、内政全然関係ないもん。お祖父ちゃんも言ってたけど、内政って普通のことの積み重ねだし。真面目で堅実で、面白くも楽しくもない仕事をひたすらできるって証明できないといけないよね。みんなが認めてくれるまで、二十年とか三十年とか頑張るよ」
面倒だけど頑張るよ、と彼女は言っていた。
これから何十年も費やして、当主としての器量を示していくつもりらしい。
現時点、つまりスタート地点で大失敗している気もする。
方向性は正しいが、素直過ぎる。実直に言って、もうちょっと騙す努力をしてほしい。
「あと子作り! 私がディスイヤを再興するために、沢山子供を産むんだ!」
「死にたい……」
「仕事をして、余った時間で絵を描いて、その後はベッドイン! 二十人は産むよ! 二十年間産み続けるよ!」
「殺してくれええ……」
世を儚むディスイヤの切り札。
その彼へ、誰もが同情してしまう。
なぜこうも、命を捨てようとする男の姿は、胸に突き刺さるのだろうか。




