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地味な剣聖はそれでも最強です  作者: 明石六郎
はじめてのおつかい
458/497

退職

 ディスイヤとは、悪徳の横行する土地である。

 それは民間だけではなく、政府側にも当然のようにあくどい仕事をするものが多い。

 悪行を公認している領地で、犯罪を監視する分野に多くの予算が当てられているのは、やや皮肉に思えることだった。


 ともかく、『ディスイヤ』の政府が要人の誘拐を始めれば、抵抗することは難しいだろう。

 なにせ要人警護を担当している者たちが、率先してその要人をさらうのだから。

 今まで自分たちを守っていた者たちが、突如として牙をむく。

 それは想定を超えた、最悪の事態であった。


 あるものは食事や酒に薬を混ぜられ、あるものは寝込みを襲われ、あるものは移動中に全く別の目的地へ輸送(・・)された。

 なにせ身内全員が裏切るのである、こんな簡単な話はなかった。おそらく、ディスイヤ史上最も簡単で重要な作戦だったに違いない。


「どういうことだ!」


 ディスイヤ家に属する者たちは、ささやかなランプだけが照らす、古びた木造建築の中に押し込められていた。

 鼻には湿り気のある木の臭い、カビの臭いがつき、お世辞にも快適とはいいがたかった。

 広くはあるのだが、天井は低く、しかし肌寒い部屋。そんな中で、子供たちが涙を流していた。

 気弱な婦人たちも、これから何が起きるのかわからずにおびえ、ただ愛する者たちにしがみついている。


「親戚全員が、ディスイヤ全員が、ここに押し込められているぞ! なんでこんなことになっている!」


 中年の男性が、心底不愉快そうに怒鳴っていた。

 今にも暴力を振るいそうな剣幕に、子供たちも婦人たちもさらにおびえてしまう。

 そして、誰も彼の問いに答える者はいない。

 誰もが、なぜ自分たちがここに押し込められているのか、想像もできなかったのだ。


 実際、アルカナ王国は超大国である。

 その中でも四大貴族であるディスイヤ家の人間を、殺さずに全員拘束して一か所に集めるなどありえない。

 一体どんな勢力なら、裏仕事に長けているディスイヤの防備を潜り抜けることができるのか。

 その防備そのものが裏切ったとは思わない彼らは、ありもしない外敵に憤慨しつつおびえていた。


「まさか、オセオか?! 旧世界の怪物が、今更アルカナへ攻め込んできたのか?!」


 比較的、現実的な脅威を口にする。


「いや、他の四大貴族……王家か?」


 これもまた、ありえないとは言い切れなかった。

 少なくとも、大八州や秘境、マジャンよりは大いに可能性があった。


「代官どもはなにをやっているのだ!」


 なるほど、それなりには正しい主張だった。


「全権を与えてやっているというのに、我らをこうも危険にさらすなど! 戻り次第、連中は全員首だ! 代々厚遇してやったというのに、ここまで無能だとは思わなかったぞ!」


 怒鳴っている中年男性は、高名な料理人だった。

 気性が荒いことで有名だが、その一方で調理の腕は確実なものであり、多くの著名な食通をうならせてきた。

 多くの弟子を抱えてもおり、自らの店を構えている者も少なくない。


「身辺警護などという、誰でもできる仕事がこうも杜撰だとは! 衛兵も全員首にしてやる!」


 その一方で、他の多くの職種に就いている者がそうであるように、ありていに言って他業種に理解がなかった。

 包丁職人には敬意を払う、ソムリエには敬意を払う、漁師にも農家にも敬意は払うし感謝もする。

 自分の仕事に直結する仕事には、最大限の敬意を払う。

 しかし、関係ない仕事には興味を示さない。

 才能がある者、抜きんでている者は評価する、評価に値する。

 しかし、そうではない者には、とても冷酷で薄情だった。


「……おい!」


 しかし、誰がどう怒鳴りつけたところで、この状況は一切変わらない。


「誰かおらんのか!」


 周りには親戚一同がそろっている。

 しかし、親戚へ声をかけることはない。自分が命じるのは、下々の者と決まっている。

 だが、誰もいない。ディスイヤの者しか、この場にはいなかった。

 命令を聞く誰かは、この場にはいなかったのだ。


「なぜいない!」


 一部の者たちは、己の命運を察していた。

 一体何者が自分たちをこうして集めたとしても、自分たちに好意的なものではなく、まして対価を求めているものではないと。

 身代金目的の誘拐などではなく、自分たちを全員殺すとかそういうものだ。


「嫌だ……いやだ、いやだ! どうしてこうなってしまったんだ!」


 ガラス細工を生業にしている若い男性が、悲鳴を上げた。


「ディスイヤへの復讐だ! ディスイヤの恥部、暗部への憤りだ! 無関係な我らを集めて殺して、当主様への報復にするんだ!」


 彼は誰が(・・)ではなく、なぜ(・・)に目を向けていた。

 其方の方が、よほど今後の処遇に影響するからだろう。


「賭け事で負けた者か、人買いにあった者か、抗争で負けた悪党か、それともそれともそれとも! ああ、思い当たるものばかりだ!」


 ディスイヤは貴族であるが、同時に悪徳商人の総元締めでもある。

 金のある者が、金のない者の尊厳を弄ぶ、下劣で低俗な遊び場を管理してもいる。

 ディスイヤは、恨まれて当然の家なのだ。


「お門違いだ、我らは全然関係ないのに! 我らはただ芸術に邁進しているだけなのに!」


 そんな家に生まれてしまった不運を呪う。

 一切罪を犯していない自分が、この先受けるであろう苦痛とその先の死を呪う。

 自分は善良で、自分は高潔で、自分は模範的な芸術家だというのに。なぜ暴力によって殺されなければならないのか。


「……おい! とっと出て来い!」


 誰かが、閉ざされている木の扉をたたいた。

 金属製の武器で叩けば壊せそうであるが、流石に人間が体当たりをしたぐらいで壊せそうでもない。

 しかし、その向こうに誰かがいると信じて、あるいはこのまま無為に過ごすことを怖れて。


「金が欲しいのか! それならいくらでもやる!」


 もしかしてもしかしてもしかして。

 実は、これでおしまいなのではないか。

 実は、これがおしまいなのではないか。

 実はここから何かをされるというわけではなく、ただひたすらこの何もない部屋に閉じ込めておしまいにするのではないか。


「それとも領地か?! なんでもくれてやるから、とっとと出せ!」


 この中に自分たちを閉じ込めて、そのまま放置するつもりなのではないか。

 水も食料もなく、ただ広くて何もない空間に押し込めて、それでおしまいにするつもりなのではないか。

 ただそれだけのことが、どんな拷問よりも恐ろしく感じられた。

 そして……。



「え?」


 

 小さな疑問の声が、余裕に満ちた驚きが、その部屋で不思議と響いていた。


「まさか皆さん、この状況がまだよくわかっていないのかしら。そこまで愚かなのだとしたら、いよいよ私も悲しいな~~」


 ばたんと、壁の一面が倒れた。

 まるで舞台装置のように、隠されていた部屋が解放されていた。

 そこにいるのは、たった三人の若い男女。

 アクリル・ディスイヤと浮世春、掛軸廟舞。

 その三人が、まるで黒幕のように現れていた。


「アクリル……?」


 彼女の父が、それに気づいた。

 今までは確認する気もなかったのだが、アクリルはこの部屋にいなかった。

 そして、よくよく考えれば当主もこの場にいなかった。


「どうも親戚の皆さん、お久しぶりです。アクリル・ディスイヤ、ディスイヤ家の当主を代行しております」


 誰もが、その言葉を聞いても動けなかった。

 いや、彼女が当主を代行するというのは、ある意味では自然なことだ。

 彼女が次期当主というのは、誰もが知っていることだったのだから。

 ただ、どうでもいいと思っていた。自分にお鉢が回ってこなければ、それでいいと思っていたのだ。


「まあ皆さん、混乱しているでしょうし。一応ご説明を、と。ほら、手紙書いても読んでくださらないでしょう?」


 空白の笑みだった。

 彼女は笑っているが、喜んではいなかった。


「当主代行の権限によって、皆さん全員をディスイヤ領地より追放の上、財産もすべて没収。以後ディスイヤの名を名乗ることも許しません」


 その彼女が口にした言葉は、とても空虚だった。

 流暢な発音ではあったが、棒読みに近い感覚だった。


「あ、追放というのはですね。これから追放します、という意味じゃないんです。もう追放しています。ここはディスイヤの西にある島で、アルカナ王国の領海ですけど、本土まで遠いです」


 まるで世間話だった。

 まるで他人事だった。

 目の前にいる親族の命運を、なんとも思っていないようだった。


「なにか、質問のあるお方は、どうぞ挙手を」


 ニコニコしながら、返答を促していた。

 しばし茫然とする。

 しかし、ある事実に思い至った一人の男が、憤りながら前に進んだ。


「ふざけんな、小娘が!」


 まるで炎のような怒気だった。

 目の前のうら若き女性へ、本気の怒りと憎しみを向けていた。


「ディスイヤを名乗るなってんなら、いくらでも適当な名前を名乗ってやる。だがなあ、ここが本土から遠いだと? だったらとっとと俺を帰せ!」


 彼には誇りがあった。

 彼には信念があった。

 彼には仕事があった。

 自分は、これをするために生まれてきたのだと、そう言い切れる仕事があったのだ。


「俺の店に帰せ! 俺の料理を待っている客が、たくさんいるんだよ!」

「ああ、ご安心ください。もうないですから」


 アクリルは、空虚な目で補足説明を行った。


「貴方のお店は、もうないです。さっき言ったじゃないですか、財産は全部没収したって。貴方のお店も没収して、もう更地ですよ」


 とても簡潔で、わかりやすい説明だった。


「ご安心ください、ご予約していただいたお客様には、きちんと謝罪のお手紙を送らせていただきました。皆さま、とても残念そうでしたよ」


 薄暗い明かりの中で、彼女の顔はきちんとは見えない。

 しかしそれが効果となって、彼女が人間ではなく亡霊であるかのように見せていた。


「もう二度と、貴方の料理が食べられないんですもの」


 アクリルが、何をしたいのかはわからない。その動機はわからない。

 だが、やってしまったことは、もうわかってしまっていた。


「ふ、ふざけんなあああああ!」


 彼はやや太っていた。

 しかしそれは、己の料理の味見をしているだけのことであり、決して不摂生によるものではない。

 彼の腕は太く、女性を殴れば簡単に殺せそうであった。


「おや、暴力はよくないな」


 掛軸廟舞。

 彼女は誰に命じられたわけでもなく、アクリルへ殴り掛かった男性の顔を殴っていた。


「女性に手を上げるのは、優雅さに欠けるよ。はっきり言って、恰好が悪い」

「あ、あががががが……!」


 言うまでもないが、廟舞はディスイヤ領地最強の戦士である。

 元々運動神経が良かったこともあって、鍛錬を積んだ彼女は普通に強い。

 少なくとも体術の素人如き、普通に殴って殴り倒せないことはない。


「な?!」


 その彼女は、とても有名である。

 春と共にディスイヤの当主の両脇を守る、若き両腕とされる女性だった。

 決して、目上の人間へ勝手なことをする女性ではない。


 だからこそ、誰もが驚いていた。

 まさに飼い犬に手を噛まれたかのような、驚愕の表情がそこにあった。

 彼女はディスイヤに忠実な、ディスイヤを守る兵士だったはずだ。

 間違っても、ディスイヤの人間を殴ることはないはずだ。


 まるで天地がひっくり返ったかのような、そんな感覚を覚えた。

 自分たちが信じていた常識が、覆っていくのを感じていた。


「ねえカッケー、見てよ。伯父さまがとても無様でみっともないわ」

「この状況で愛称はやめてくれないか、お嬢様。いや、当主代行様」

「いいじゃん、そんなことはどうだって。もうちょっと話をして、あとは置いて帰るだけなんだから」


 自分たちが悪いことをした、とは思っていない彼らは、現実を疑っていた。


「あ、アクリル……?」

「あら、お父様」

「お前は、アクリルなのかい?」

「ええ、貴方の娘のアクリル・ディスイヤですよ」

「なんでこんなことをする? いや、こんなことをして、許されるとでも思っているのか?!」

「許されると思っているのではありません。許されているんです」


 しかしそれは、彼らの認識の方が現実に則していなかっただけのことである。


「王家にも他の四大貴族にも、私がディスイヤの当主代理になることは通達していますし、今回の件も許可されていますし」


 ちゃんと手続きは終えている、と彼女は語る。

 だとすればこの星に、彼らの味方は存在しないということだった。


「ふざ、けるな……!」


 廟舞に殴られた男が、なんとか立ち上がろうとする。


「俺は知らないし、認めていない……許していない! お前がディスイヤの当主代行だと? 何の話だ!」


 この場にはディスイヤの全員が集まっていると言っていい。

 そんな大ごとになっていれば、話題に上がっていたはずだ。

 当主代行という役職に彼女が座っていることがおかしい、そんな話は聞いていない。

 誰も、誰も知らないのだ。


「お祖父ちゃんがね、倒れちゃったの。もうお年だから仕方ないけど、悲しいよねえ?」


 素で返していた。


「お祖父ちゃんが私を後継者にするって言ってたから、私がみんなとお話しして、これだけはちゃんとしようってことになったの」


 奇人は、貴人へ語っていた。


「お祖父ちゃんが失敗しちゃった、ディスイヤの人たちの始末だけはつけようねってなったの」


 この場の面々以外が求めていたことを、彼女はなしていた。

 ただし、一切の躊躇も罪悪感もなく。


「みんなみたいなゴミは、ちゃんと損切しようねってなったの」


 芸術家にして商人、悪徳にして領主。

 四大貴族であるディスイヤの塊が、そこにいた。


「ごみ……?」

「お父さんもみんなも、とんでもないバカだよね。ここまでされるほど悪いことをしているなんて、ちっとも思ってないんだもん」

「ゴミって、どういうことだ?」

「捨てるしかないものって、ゴミじゃないの?」


 ねえ、シュン君。

 首をかしげながら、アクリルは春へ訪ねていた。


「そうだな」

「そうだな、だと?!」


 浮世春。

 ディスイヤの切り札であり、当主が最もかわいがっていた男。

 その彼が、当主の親族へのゴミ扱い。


 あまりにも不義理、あまりにも不忠。

 それは今まで黙っていた面々を、大いに怒らせるものだった。


「貴様! ディスイヤの切り札でありながら、ディスイヤを裏切るのか?! それがお前を厚遇した、当主様の血を継ぐ我らへの態度なのか!」

「……何をごちゃごちゃと。お前たちが普通にしてりゃあこうならなかったはずだろうが?」


 敵意、殺意、害意。

 目の前の男の不満そうな顔を見て、誰もが黙って一歩下がった。


「その当主様が、どれだけお前たちに失望してきたと思っている? 当主様が来いと言った時に来て、当主様がやれと言ったことをやっていれば、こんなことにならずに済んだんだ。こんなことをせずに済んだんだよ!」


 彼らは勘違いしている。

 当主の血を継いでいる者たちは勘違いをしている。


 切り札と当主は、決して家と家の関係ではない。

 個人と個人での信頼関係、主従でありながら尊重し合ってきたからこその、絶対的な忠誠心。

 同じ家に生まれようが、同じ血を流していようが、当主をないがしろにしてきた面々へ義理を感じることはない。


「き、貴様など、貴様など、人を殺すのが取り柄の異常者だろうが! そのお前が、我らディスイヤに、優れたる作り手になんという暴言を吐くのだ!」

「そうだ! 政務など誰でもできること、代官どもの仕事であろうが! なぜ我らの貴重な時間を、そんなくだらないことに使わねばならん!」

「選ばれし者、才ある者のみに許された技巧をもって、その名声をとどろかせる我らこそ真のディスイヤ、真の貴人だ!」


 思ったことを口にする。正直である。傲慢で自己主張が激しい。

 それは、相手を選ばねばならない。


来い(・・)


 目の前の男に自分たちを皆殺しにする力があり、同時にそれをする気があると分かっているのなら。

 言いたいことを言って、相手がどう思うのかを考えながら行動しなければならない。


 考える男、浮世春。

 殺し方を考える男、浮世春。

 自殺の方法を考える男、浮世春。

 無差別に自殺を強いる鎧、パンドラの完全適合者、浮世春。


「パンドラあああああ!」


 それは、その場の全員を殺すことを意味していた。


「待て、バカ」


 その彼を、廟舞はどつく。


「僕と当主代行様を自殺させる気か」

「……来なくていい、パンドラ」

「こういう時は、僕が相手をすると言っているだろう」


 彼女は自分の頭を叩いて、耳から如意棒を取り出す。

 これ見よがしに振り回すと、警告もなく暴言を吐いた輩へ伸ばした。

 寸止めではなく、命中である。


「がっ!」

「ごっ!」

「ぐっ!」


「まったく、我らは許可を頂いていることを忘れないでほしい」


 三人に当たり、全員確実に骨が折れていた。


「殴り掛かってくれば反撃するし、挙手もなく発言をすれば黙らせる。平和的に行こうじゃないか、平和的に」

「平和だと? これのどこが平和だ!」

「これが嫌なら戦争しかないぞ、それでもいいのか? 僕は、それでいい」


 なんでこんなことになっている。

 だれもが困惑し、者によっては憤慨していた。

 自分たちは貴族であり芸術家である。

 世間の荒事とは無縁であり、懸絶した存在である。

 その自分たちが、なぜ脅かされている。自分たちはそんなことをしなくてもいいはずなのに。

 自分たち以外の誰かがやるのが当たり前なのに。


「もういいかな? みんな、入ってきて~~」


 アクリル側の部屋には、扉があった。

 そこから入ってきたのは、ディスイヤに奉公していた代官ばかりだった。

 全員が陰鬱な表情で、冷酷な視線をディスイヤたちに向けている。


「お、お前たちは……!」

「旦那様方、今まで大変お世話になりました」

「我ら一同、当主代行様の命により、皆様を拘束の上でここへお連れいたしました」


 当主代行とはいえ、縁もゆかりも薄いような小娘の命令に従った。

 今まで仕えていた主を見限ったということだった。


「な、なぜだ?!」

「なぜこんなことをする?!」

「その娘から、いくらもらったのだ!」


 もういよいよ完全に、何もできないということだった。

 なぜなら彼らは、一人では何もできないのだから。


「金銭の問題ではありません、信用の問題でもありません」


 給料はもらっている、それが継続するとも思っている。ディスイヤを名乗る者たちが、代官たちへ危害を加えるとも思っていない。

 だが、これはそれとは別の話なのだ。


「これは、尊厳の問題でございます」

「な、何をわけのわからないことを!」

「皆様は、当主様や我らのことを蔑んでおいででした」

「それは当たり前だろうが!」


 誰かが、あるいは全員が、そう思っていた。


「お前たちのどこをどう尊敬しろと言うのだ! いいか、尊敬するというのはだな、優れているものへ、素晴らしいものへ向けるものだ!」

「賭場の仕切りや農民の台帳を付けること、悪党からの賄賂を受け取ることや脱税した輩への懲罰! それのどこが素晴らしいのだ!」

「汚らわしい上に、非才凡才でもできることだろうが! 尊敬をしてほしいのなら、尊敬されることをしろ!」


 分かっている。

 それはそれで、間違ってはいない。

 この場の誰もが、その負い目を抱えている。

 しかしそれでも、成すべきことを成していないものに、そういわれるのは屈辱だ。


「我らは特別なのだ! お前たちのように、誰でもできることや汚らしいことをしている暇はない!」

「お前たちが千人いても、我ら一人にも及ばないのだ! そんなことぐらい、とっくにわかっているだろう!」

「こんなところで、こんなことをしているような人間ではないのだ! まず法術使いを呼べ! それから呪術師もだ! こ奴らに相応の報いをくれてやらねばならん!」


「嫌です」

「お断りします」

「御免です」


 開いた口がふさがらなかった。


「我らでなくても良いのなら、別の方をお雇ください」

「ええ、我らはもうお仕えしているわけではないので」

「最後のあいさつに来ただけですので。それではさようなら」


 そして、無価値と言った者たちに縋り付く。


「待て、後任へ引き継ぐまでは残るのが筋だろう!」

「行くな、最後にこいつらをどうにかしてから……!」

「おい、聞こえているんだろう! 俺を誰だと思っている!?」


 走り出そうとして、床に転がっていた。平衡感覚を失い、這いつくばってしまう。

 一人二人ではなく、ディスイヤ全員がそれに陥っていた。

 掛軸廟舞の、酒曲拳の模倣だった。


「私ね、昔からずっと不思議だったの。どうしてみんな、こんなバカなのかって」


 心底から不思議そうに、アクリルは親戚一同の前で語り始めた。


「シュン君もよく言ってるけど、ディスイヤに生まれたってただの人間なんだから、ああいう普通の人に思いっきり頭を殴られたら死んじゃうじゃない。なのにどうして、側近の人に酷いことを言えるの?」


 魔がさすことは、よくあるのだ。

 ほんの少しの苛立ちで、凶行に走ることは珍しくない。

 仮にその犯人が捕まったとしても、殺された者が生き返るわけではないのだ。


「政務を任せっきりなのも、確認もしないのもバカだと思ってたわ。だからこんな詐欺ですらない、ただの正式な手続きで全部なくしちゃうんじゃない」


 今寝転がっている彼らは、何をしてもいいと言って代官にすべてを任せていた。

 それを彼らは『全権を任せてやっているのだから、成功して当たり前』だと思っていた。

 しかし実際には『何をしてもいい、何をされても文句は言えない』ということに他ならない。


「お、お前は……お前たちは、悪党だ! たとえ何をしても、大悪党だと語られるぞ! 隠すことなどできるものか!」


 それに対して、なんとか呪いの言葉を送る。

 目の前の女を、このまま悠々と帰すことはできなかった。


「別にいいわよ。そんなことを気にしているとでも思っていたの?」


 既に奇行を知られている彼女である。

 確かに、風聞など気にしないだろう。


「大丈夫よ、伯父様たち。たとえ私が苦しんで死んだって、貴方達が味わう苦しみに比べたら大したことないわ」

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