表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
地味な剣聖はそれでも最強です  作者: 明石六郎
はじめてのおつかい
457/497

投票

 ディスイヤ家当主の名前で、ディスイヤを名乗るすべての者たちへ手紙が届けられた。

 それは一族の招集を命じた物であり、とても重要な案件なので全員が王都へ来るようにとのことだった。


 もしかしたら。

 王都でなければ、話は違ったかもしれない。

 ディスイヤ領内だったなら、だれか一人ぐらいは応じていたかもしれない。

 しかし、大八州への密航を禁じるという目的でディスイヤを名乗るほとんどの者たちは領内におり、よって王都へ赴くことは面倒だった。

 ノアによる運航も、まさかすべての家をめぐるものではない。


 よって、来いと言われたがわざわざ行きたくはない。

 その程度の理由で、誰もが代官を派遣していた。

 そう、代官である。


 現当主の下で、実質的な政務を取り仕切ってきた者たち。

 人によっては、父や祖父の代からそれを引き継いできていた。

 まさに、ディスイヤを代々支えてきた文官たち。

 彼らの表情は、一様に重い。


 ディスイヤの当主が呼び出したにもかかわらず、誰も応じていない。

 そんないつものことを、あの老体がどれだけ悲しむのだろうか。

 その表情を思い出すだけで、彼らの心は暗黒が支配するのだ。


『今度の劇では、あの若い役者を使いたい。まだまだ粗削りだが、これからが期待できる』

『あの劇場も、そろそろ改修を行いたいですね。歴史ある建築物ですが、そろそろ痛みが酷い……』

『建築家へ相談するか。これからのディスイヤにふさわしい、新しい創作がほしいな』

『……はあ、ご老体も狭量なことだ。マジャンの品々はともかく、大八州や秘境に関しては禁じるなど』

『文化を忘れては、人の心は貧しくなるばかりだ。銭感情にしか興味がないご老体には、それがわかっていない』

『自由な文化交流こそが、文明国の証だ。周辺諸国の主になった我らがそんなようでは、いずれ多くの文化が後れを取るでしょう』


 一事が万事だ。

 誰もが政務を他人事だと思っている。


『当主様からの招集? お前に任せる』

『なに、いつもの小言だろう。報告をしなくてもいいぞ、行ってこい』

『どうせ誰でもできる『まつりごと』だろう? 私が赴くようなことではない』

『そんなくだらないことを一々耳に入れるな。私は忙しいのだ』

『そんなことよりも、なんとかソペードへ潜入するルートはないか?』

『剣聖殿にお会いしたい。何か情報はないか? 何、手紙? どうでもいいことだ』

『なんとか、浮世絵の一枚でも持ち帰ってくれ。カネはいくら使ってもいいぞ』


 誰もが、膿んでいた。

 全権を任せられるなど、本来なら男子として喜ぶべきことなのだろう。

 だが、まるで嬉しくなかった。心には空虚さだけがあった。

 それでも頑張れるのは、当主が踏ん張っているから。

 側近である外国人である二人がそうであるように、老体を支えることだけが政務をこなす理由になっていた。


 そうして、いつもの面々が王都にあるディスイヤの邸に集まる。

 誰もが老体に謝罪をしようとして。


「どうも、皆さん。よく集まってくださいました」


 ぺこりと一礼をしたのは、いつもの二人とアクリル・ディスイヤだった。

 ごくまれに、本当にごくまれに顔を出していた、ディスイヤの後継者として指名されていた女性。

 その彼女が、一応ちゃんとした格好をして、二人にはさまれて挨拶をしていた。


 その状況を見て、誰もが何かを察していた。

 長命者ではないがゆえに、老い相応に天命を待っていた彼の身に何が起きたのかを察していた。


「本日王都へ来ていただいたのは他でもありません、現当主であるお祖父さまがお倒れになりました。息はあるのですが、意識は戻っておりません」


 虚脱、という言葉がふさわしかった。

 王都に集まった代官たちの中には、膝から崩れ落ちるものさえいた。

 代々彼に仕えていた者の中には、泣き崩れるものも珍しくない。


 来るものが来てしまった、訪れるものが訪れた。

 老体が一人で支えてきた、一つの家が崩壊するのだと思っていた。

 老体の寿命と同時に、この家も天寿を全うするのだと思っていた。

 後継者である女性が立ったところで、誰も踏ん張れないと思っていた。


「この王都に集まっていただいたのは、当主様が王都でお休みになっているからこそ。意識は戻っておりませんが、後程ご挨拶をなさってください」


 彼は信念を全うした。

 彼は己の矜持を貫いた。

 欲深で好色で、大貴族の立場を利用して多くの悪を成してきた老人が、ついに人生を終えるのだ。

 その彼の最期を看取りたい。それが最後の献身だと、誰もが思っていた。


 どうせ、これから王家がディスイヤをつぶす。

 それに誰も抗わない。誰もが面倒な仕事を放り出して、適当な余生を過ごすのだろう。

 もう十分な財産があるのだ、態々働く意味がない。

 今まで専横が許されてきた悪党たちも、王家によって容赦なくつぶされる。

 悪徳が支配したディスイヤは、健全に生まれ変わる。それはもはや、自分たちが守ってきたディスイヤでもなんでもないのだ。


「お祖父ちゃんは」


 誰もが引退後の人生に思いをはせる中。

 アクリルは意図して砕けた言い方をした。


「お祖父ちゃんは、偉大な政治家であり商人だった」


 てっきり、自分が後継者になるので、皆で支えてくださいとでもいうのかと思っていた。

 それに応じるものは、一人もいないのだろうと思っていた。

 それが、明らかに違う空気に変わっていた。


「だけど、お祖父ちゃんは大失敗をした。それはお祖父ちゃんが認めていたし、みんなも知っていることでしょう?」


 そう。

 そもそもおかしいのだ。

 なぜ老体は、当主であり誰も逆らうことがなかったのに、親戚の勝手を許していたのか。

 それは、彼の罪悪感によるものに他ならない。


「代官のみんな。お祖父ちゃんが各家に派遣してしまった、乗っ取ろうとしてしまった結果だよ」


 元々、ディスイヤは芸術家色の強い家系だった。

 老体が当主に就任した当時でも、相応に文化へ傾倒する者が多かったのだ。

 だが、それを決定的にしてしまったのは、他でもない新しく当主になったばかりの彼なのだ。


 権力を掌握し、好き勝手に政治を行いたい。

 分家の発言力を奪い、誰に気を使うことなく好きなように剛腕を振るいたい。

 そのために彼は、自分の手足となる有能な文官を各地に入り込ませて、実質的な政務を乗っ取ったのである。


「『貴族の仕事が面倒だなあ、好きなことだけやっていたいなあ』『それでは私たちが代わりにやりますよ』『やったあ!』」


 自分以外の者から、政治能力を奪う。骨抜きにし、芸術漬けにしてしまう。

 長期政権を実現するために、彼は努力を惜しまなかった。

 それは正しく成功し、現在に至っている。


 若く野心に燃えていた彼は、根本的なことを忘れていた。

 自分が永遠に生きるわけではないし、永遠に政務を楽しめるわけでもないのだと。

 人間はいつか死ぬし、人間はいつか疲れて嫌になってしまうのだと。


 体と心が老い衰え、楽しかった仕事が面倒になって、誰かに任せて隠居しようかと思った時。

 彼は気づいたのだ、自分が意図して引き起こした結果が、どれだけ取り返しのつかない状態を生んだのかを。


「お祖父ちゃんは、後悔して罪悪感にとらわれた。自業自得だと思ったし、自分の親戚は悪くないと思った。だから強硬手段にでることがなかった」


 やろうと思えば、なんでもできたのだ。

 だが、どうしてもやろうと思うことができなかった。

 自分の意図したとおりに成功してしまったからこそ、彼らを切り捨てることができなかったのだ。

 ぶんなぐってでも、ぶちのめしてでも、矯正させるべきだと思っていたのに、穏やかな手段で説得することしかできなかったのだ。


「ねえ、代官のみんな」


 誰もが、悟っていた。

 なぜ彼女を老体が後継者に指名したのか、悟っていた。


「みんな本当に、全部が全部、お祖父ちゃんが悪いと思っている?」


 彼女がこれから何をしようとしているのか、自分たちに何を命じようとしているのか、理解してしまっていた。


「仮にお祖父ちゃんが甘やかした結果だとして、五十年も六十年も生きている大人が、何時までも当主の教育が悪かったで許されると思う?」


 理解してしまえば、奮い立ってしまう。


「これから領地がどうなるとしても、王家には任せられないことがあると思うよね?」


 心の中で蓋をしていた、苛立ちや不満、激情が燃え立つのを感じていた。

 そう、王家がディスイヤの領地を没収するとして。

 今までのディスイヤを解体するとして。

 目の前の彼女が正式に当主になるかどうかはともかく、この場の面々が最後にやらなければならないことは、あまりにもはっきりしている。


「では皆さん!」


 覚悟も決意も情熱もない声が、ただ楽しそうなだけの声が全員の耳に入った。


「お祖父ちゃんが倒れちゃったので、当主の代理が必要だと思います! ディスイヤ家の中で、当主の仕事を代行したい人は、立候補してくださいね! 推薦でもいいですよ~~」


 手紙に書かれていた、重要な話が始まった。


「私、アクリル・ディスイヤは! 当主代行に立候補しま~~す!」


 ディスイヤ家の人間が一人しかない現状で、不可逆的な政策が進んでいってしまう。


「私の公約は、私とお祖父ちゃん以外のディスイヤ家の全員を、島流しにすることで~~す! もちろん、財産は全部没収しま~~す!」


 彼女は何も隠し事をしていない。

 彼女は当主の名前を騙って手紙を送ったが、老体が倒れたことを想えばやむを得ないことだった。

 そんな重要なことを手紙に書けるわけもないので、集まって代行を決めましょうというのも正しい。

 集まっていない面々が悪いし、なによりもこの場には。

 全面的に、白紙の委任状を渡されている代官が集まっている。


「子々孫々まで、隔離しちゃいます! 一生冷や飯食いです! 私のお父さんもお母さんも、妹も弟もお兄ちゃんもお姉ちゃんも、いとこもはとこもおじさんもおばちゃんも! 全員きれいさっぱり島流しです!」


 アクリル・ディスイヤが正式に当主になるかどうかはともかく、代官たちが『本当にやりたかったこと』は、王家に譲るわけにはいかなかった。


「有言実行です! 即時決行です! 今すぐ書類を作って、正式に交付しちゃいます! それが嫌な人は、立候補して反対の立場をとってくださいね!」


 世にも恐ろしい選挙公約だった。

 親戚を全員追放するなど、もはや独裁政権どころですらない。

 だがしかし、この場にディスイヤ家の人間は一人しかない。


「あ! ごめんなさ~い! 親戚のみんな、ここにいないもんね! じゃあ私だけが立候補するんだ~~、怖~~い!」


 彼女は小さい紙に、自分の名前を書いていく。

 それを全員に見せていた、見えるように開いていた。


「私は私に、清き一票を入れちゃいま~~す! 開票! 私当選!」


 あまりにも茶番だった。

 だが誰もが、それを止めることはなかった。

 彼女の行動が、彼女の行為が、ためらっていた代官たちの背を押していた。


 そう、老体は最初からこれができたはずなのだ。

 政治を誰かに任せきるとは、こういう可能性をはらんでいるのだから。

 ディスイヤ領地に点在する特定の街がそうであるように、合法的に悪事が許されてしまうのだから。

 独裁者の善意を信じて、何も疑わずに生活することほど愚かなことはない。

 一般の民衆なら仕方がないが、学のある貴族がその危機感を持たないなどあってはならない。


「あ! でもでも、私のことが気に入らない人もいるよね? 実は私の親戚の方が好きって人もいるよね? 私の命令に従いたくない人いるよね?」


 くねくねと、他人を不愉快にさせる踊りを始めるアクリル。


「怒らないから、挙手していいよ~~。怒らないけど、殺すけど」


 その彼女を肯定するように、左右を固めている春と廟舞は無言だった。

 そう、彼女が当主になるかどうかはまた別の話だが、一族の粛清だけは『ディスイヤ』がやらなければならないのだ。


「私、アイツら大嫌いだし」


 意見は一致していた。


「私ね、自分の絵は誰よりも上手だとは思っていたけど、自分で画家だとも芸術家だとも思ってないの。売ればお金になるし、実際買う人もいたけど、私は断じて本職の画家じゃない」


 感情は一致していた。


「アイツらは、自分のことを勘違いしている。勘違いしているのなら、正してあげないと駄目だよね?」


 ディスイヤが、ディスイヤを粛清する。

 老人の罪を、その手足が削ぐのだ。


「みんなこう思ってる。ディスイヤを破門されても大丈夫、自分たちには実力があるし実績があるし名声もあるんだから。政治なんかしなくてもいいし、当主に嫌われても平気だって思ってる」


 当主は命令を下すことが仕事だとして、その命令に従うかどうかは部下次第。

 部下が全員放棄すれば、どんな命令も実行されることはない。


「スポンサーやパトロンに舐めた態度とっている連中に、身の程を教えてあげたいんだ」


 つまりは。

 どんな恐ろしい命令だとしても、部下が賛同すれば実行されてしまうのだ。


「剣はペンより強いってね!」


 誰もが、無言で彼女へ礼をする。


「よかった、みんなならわかってくれるって信じてたよ! それじゃあ……皆さま。どうか、私の祖父へ見舞いをなさってください。きっと、喜ぶと思います」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ