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地味な剣聖はそれでも最強です  作者: 明石六郎
はじめてのおつかい
454/497

喧騒

本日、コミカライズが更新されます。

どうかよろしくお願いします

「あ、あ、あああああああ……」


 しばらくして、ようやくアクリルは四人に気づいていた。

 その上で、しばらく椅子の上で頭をひねっていた。

 山水以外の三人は家紋のある服を着ているので、流石に不審者ではないと判断したらしく、知り合いの中の誰なのかを思い出そうとしているらしい。


「ああああああ……! ああ! ドゥーウェとハピネだ! あと、シュン君のお友達の二人! そうでしょ!」

「十年ぐらいあっていなかったけど、変わらないわねアクリル」

「もうちょっと成長しても良かったんじゃないの、アクリル……」

「二人とも大人になっちゃって!」


 椅子に座ったまま、二人の方を向くアクリル。

 なお、その手は相変わらず絵を描いていた。

 筆に迷いはなく、ひたすら高速で描き続けている。


「特にドゥーウェ! 骨盤からして、子供が生まれたんだ! 凄いね!」

「あら、ありがとう」

「よっぽど心が広い旦那さんが見つかったんだね! あのお父さんとお兄さんをどうにかできるうえで、顔が良くて生まれが良くて、しかもドゥーウェが好きだなんて、それこそ奇跡みたいな男の人だね!」

「うふふ、自慢の夫よ」


 何気なく、悪気なく、とんでもなく酷いことを言うアクリル。

 しかしドゥーウェは悪気が無いからか、明らかに誉め言葉として受け取っている。


「なんで立っている姿を見ただけで骨盤が分かるのよ……」

「そりゃあ、見ればわかるって。何のために練習したのかわからないじゃん」


 ハピネは服を着ているドゥーウェの骨盤を、『透視』するように読み取ったことに驚いていた。

 巫女道や仙術のような希少魔法の使い手ならともかく、彼女は普通に魔力を宿しているだけである。

 にもかかわらず、立って歩いている姿だけで読み取るなどあり得ない。


「動物や人間の骨や筋肉を模写しているとね、そのうち立って歩いている人を見るだけで、その人の骨がどんな『姿勢』なのかわかるようになるんだ。それこそ、コルセットを着ていてもね」

「それ、絵を描くうえで重要なの?」

「大事だよ! 骨や筋肉、内臓を模写したおかげで、私の腕は滅茶苦茶向上したもん!」


 とても誇らしげに笑う彼女からは、絵への深いこだわりが感じ取れた。


「もちろん写実だけが絵じゃないけどね、やっぱり骨格が分かっていると立体感が出るんだ。それに筋肉が分かっていると、動きが絵の中に表せるんだよ!」

「……絵で?」

「見たものを平面にして、そのまま絵に描いてもダメなんだよ! 見たものを立体のまま、一枚の紙に絵として表現する! それが絵画の基本にして奥義なんだよ!」


 熱い芸術家魂。

 なお、モデルの少年たち。


「白い紙という平面に、奥行きを持たせる。たった一枚の静止画に、時間の流れを感じさせる。それは作品に世界を宿らせるということなんだ!」


 熱い画家魂。

 なお、描きたい世界。


「作者は現実を越えて、感情を表現をする! それは人間の寿命を超えて、確かな形を後世に残すってことなんだ! そう、私の想いを、顔も知らない誰かに伝えるってことなんだよ!」


 なお、伝えたい感情。

 善意や悪意を越えて、明らかに醜怪だった。

 作者も醜怪であることは認めているので、邪悪ではないのかもしれない。


「……なあ山水、お前はこういうのどう思う?」

「どうって」

「なんていうか、少年愛もそうだけど、男色系」

「……おい、祭我。お前もしかして、同性愛は人間特有の活動だとでも思っているのか?」

「……違うの?」

「お前は人間を何だと思っているんだ。人が人を愛することは、とても自然なことなんだぞ」


 部屋に飾られている、同性愛を描いた絵画。

 それが余りにも上質なため、目をそむけたくなる祭我。

 しかし、山水の言葉は祭我の常識を打ち破るものだった。 


「同性愛は野生動物にもみられる、自然な行動だ。人間特有でも何でもない、ありふれたものだ」

「そうだよ~~ほら、これはライオンの雄同士の……」

「自然って何だろう……」


 ライオンへ変身する妻がいるので、そこは見ないふりをすることにした祭我。

 どうやら野生とは、祭我の想像を超えて複雑らしい。


「ごほん……ただ、性的志向は人それぞれかと」


 私的な発言をしていたことに気づき、自粛する山水。

 これを嫌うのも自由だが、これを描くのも自由だ。(モデルの雇用形式による)

 アクリルのアトリエがこういう場所だと知った上で、招かれてもいないのにやってきたわけであるし。


「それから……貴方がサンスイ?」

「はい」

「シュン君が言ってた! 二十歳以上年下の女の子と結婚したり、拾った赤ちゃんを娘にしたり、若作りしてそれを黙っていたりしたんだって?」

「……そうですね」

「あと! 悪党を全員首だけ切って殺したり、竜を骨と鱗と内臓と血液で切り分けたり、人骨で出来た剣をもっているって!」

「……はい」


 猛烈に興味を持たれている山水だが、文章にすると自分の酷さが際立つ。

 目の前の彼女の奇行を、決して咎めることはできなかった。

 

「私、大八州や秘境に興味があるんだ! 案内してよ!」

「っていうか、アクリル。これから大事な話をするから、絵を描くのを止めなさいよ」

「やだ」


 常識的なことを言うハピネだが、常識が通じる相手ならわざわざこの四人で訪れることはなかったわけで。


「お祖父ちゃんが言ってたもの。お祖父ちゃんが現役の間は、好きなだけ好きなようにしていいって。だから私は、あと三十年は好きに生きるんだもん!」


 山水は目頭を押さえた。

 あの老体を支えていた春や廟舞は、普段どんな思いを抱えていたのだろう。

 唯一の後継者候補が、あの老体を三十年も酷使するつもりだったとは。


 不老長寿の体に至った山水には、老いに抗い政務をこなす老体の哀愁は共感さえ許されない。

 ただ、涙をこらえるのみである。

 どれだけ強くとも、神の宝を持っていても、決してどうにもできないこの現実。

 果たして老体は、この孫娘へどんな思いで『自分が現役の間は好きにしていい』と言ったのだろうか。

 この胸の痛みは、正に人間特有の感情であるに違いない。

 彼女の言葉は、どんな名画よりも山水の心を揺さぶっていた。


「ほらほら、こんな絵だって描いちゃうもんね~~」


 相変わらず、彼女の手は絵筆を走らせている。

 その一方で、彼女の右足は、絨毯の上に置かれた白紙の上を滑っていた。


 絵を描くなと言われたにも関わらず、足の指に自分の汗を滴らせ、そのままネズミの絵を描いていた。

 それも、とんでもなく上手である。


「凄いわね、今にも動き出しそうだわ」

「でしょでしょ、私は足でも絵が描けるって気づいたんだよ!」


 ドゥーウェは褒めているが、確かにもう褒めるしかない。

 まさに神域。山水やスイボク、カチョウや大天狗のような、人間の枠を逸脱した境地に達していた。

 精神的にも技量的にも、俗人を大きく超えている。


「人間は暗闇の中でも絵が描けるし、口でも絵が描けるし、右手と左手で別の絵を描けるし、体液を滴らせた足の指でも絵が描ける! 人間の可能性は、無限大なんだよ!」


 その無限大の可能性を、同性愛や少年愛を描くことに捧げている才女。

 おそらく普通の人類は、彼女と同じ生物だと思われたくないに違いない。

 自分の特技を、人間の可能性だと断じることだけは間違っているだろう。


「ふへへへ……ほら、あの男の子たちも、あなた達が来たことで、更なる新鮮な羞恥に震え、それに負けまいとしている……かわいい! 健気さが更に倍でドン!」


 爆発する気色悪さだった。

 褒めるか呆れるしかない。


「そのお祖父ちゃん、現当主様が倒れたのよ」

「……え?」


 そこでようやく、彼女は筆を止めた。


「お祖父ちゃんが、倒れたの?」

「そうよ。だから私たちは、後継者である貴女を呼びに来たの」

「なんでそんな大事なことを、もっと早く言わないの?!」


 目に見えて大慌てのアクリル。

 その常識的な反応を見て、山水も祭我も、ようやく彼女がまともだと安心していた。


「お祖父ちゃんが倒れたって……どこで?! お見舞いに行かないと!」

「王都よ。表にノアを止めているから、すぐに行きましょう」

「わかったわ! 絵を描いている場合じゃないし! あなた達、もういいわ! この絵はあきらめるから、お金を受け取って帰りなさい!」


 当主の危篤というよりは、身内の危篤に対する反応だった。

 彼女は道具を放り出して、そのまま走り出す。

 ほぼ、全裸で。


「ちょっと、アクリル?! 着替えなさいよ!」

「お祖父ちゃんが倒れたのよ、おしゃれしている場合じゃないわ!」

「その格好で王都に行くの?! 貴女ほとんど裸じゃない! っていうか、なんでそもそも裸なの?!」

「家の中で、裸で何が悪いのよ!」


 その言葉は正しいが、それなら家の外へ裸で向かうのは間違っている。


「とにかく、着替えて!」

「服なんてないわよ!」

「なんで?!」

「そういうのは、お祖父ちゃんが迎えに来るとき、用意してくれているもの!」


 あり得ない解答に、ハピネは絶句するしかなかった。

 お祖父ちゃんが服を用意してくれる、という言葉をこの状況で聞くことになるとは思わなかった。


「とにかく、走るわよ!」

「とにかく、服を着なさいよ!」


 まさに、奇行。

 確かに幼いころには、恥じらいもなく肌を晒す時期がある。

 だが、アクリルはどう見ても違うわけで。

 このまま家を出れば、確実に犯罪だった。

 痴女であるし、わいせつだった。


「おじいちゃあああああああん! まっててねええええ!」


 絶叫して走り出した彼女は、そのまま扉を開けて出ていった。

 出て行ってしまった。


「……サイガ、追いかけるわよ!」

「あ、ああ!」

「サンスイ、捕まえなさい」

「いえ、奥様。その必要はないかと……」


 扉を開けて、一行はアクリルを追った。

 そして、そのしばらく先で、転んでいる彼女を見つけていた。


「わ、わき腹ががあああああああ……」

「普段運動なさらない方が、いきなり走るのはよくありませんよ」


 急な運動で苦痛を訴える彼女の肉体。

 精神は超人でも、肉体はただの運動不足の女性。

 山水は投山によって彼女の体を軽くして、そのまま背負った。


「奥様、ノアに替えの服はあるかと。無かったとしてもノアで王都に向かってから、そこで服を調達してもよろしいかと」

「そうね、それじゃあ一旦ノアに行きましょうか」

「お、おじいちゃあああん……」


 こうして、絵を描いている場合ではないが服を着ている場合ではあるアクリルは、王都へと運搬されていった。



「カッケー! シュン君! お祖父ちゃんは?!」


 風呂に入って絵具を落として、更に服を着たアクリル。

 彼女は廟舞と春がいる、祖父の寝かされている部屋へ入ってきた。


「お嬢様……ご老体は、その……命は取り留めたけど……意識が戻らなくて」


 カッケーと呼ばれた掛軸廟舞は、棺桶の中で埋められ更に口に竹の管を咥えさせられている老人を前に座っていた。

 老人にとどめを刺しているようにしか見えないのだが、棺桶の中で埋めることも、口に竹を咥えさせることも、どちらも延命処置であった。


「お嬢様……ご老体は、まだ生きていらっしゃる……頑張っているんだ……!」


 うつむいて祈る『考える男』。

 無心で、ただもう一度の会話を望む彼は、一重に願いを神に託していた。


「俺は……何もできない……」

「シュン君……」


 春にとっても廟舞にとっても、ディスイヤの当主はかけがえのない人だった。

 その彼が年齢というどうしようもないものによって、どうしようもなく最後の時を迎えようとしている。

 仮に意識を取り戻したとして、自分たちとまた話をしてくれるだろうか。

 二人はどこまでも、失意に沈んでいた。

 

「俺は……死にたい……俺は、死ぬべきなんだ……」


「シュン君……」


 アクリルの顔を伝って、しずくが床に落ちた。


「尊い……」


 アクリルの鼻血が、噴き出して止まらない。


「尊い……尊い!」


 その鼻血を人差し指に着けて、着たばかりの服へ繊細な絵を高速で描いていく。

 それは愛する人が、嘆き悲しむ姿であり……。


「はっ、しまった! ダメダメ、絵を描いている場合じゃない!」


 鼻血を袖で拭って、そのまま祈る手を取っていた。


「シュン君!」

「お嬢様……」

「結婚しよう!」


 廟舞も春も、何が何だかわからなかった。


「結婚して、一緒にディスイヤを守ろう!」

「あ、ああ……そういう……」

「私何人でも産むよ! 最低でも二十人は産むよ! 子供をたくさん作って、みんなでディスイヤを守ろうよ!」


 私欲だけではない、この世を去ろうとする祖父への敬愛があった。

 およそ欲望と克己心しかない彼女が、本心から後継者としての使命を感じさせていた。


「お嬢様……」

「シュン君!」

「それは、確かにご老体がおっしゃっていたことだ……」


 ディスイヤの当主は、孫娘に未来を託していた。

 他に託す相手がいないからこそ、どうしようもなく彼女を心配していた。

 彼女を支えてくれる、彼女が好いてくれる人を求めていた。


「だったら……! 私と結婚しようよ!」

 

 奇跡のような男だったのだ、浮世春は。

 アクリルがほれ込んだ、恋をした一人の男なのだ。

 孫の様に思っていた春と、彼女が結婚することを老体は望んでいた。


「……死にたい」


 そして、春は嫌がっていた。


「お嬢様と結婚するなんて……死にたい……! 死なせてくれ……!」


 死ぬほど、嫌がっていた。


「お嬢様と結婚するぐらいなら、死んだ方がましだ……!」

「死んじゃだめだよ!」

「死なせてくれ……!」

「死ぬのはだめだって、お祖父ちゃんに言ってたじゃん!」

「そういう問題じゃない……お嬢様とキスするとか、本当に嫌なんだ……!」


「お嬢様も春も落ち着け、ご老体の前だぞ」


 しんみりとした雰囲気を台無しにされた廟舞は、いつものように二人をとりなす。


「はぁ……お嬢様、この場で求婚して脅すなど不謹慎ですよ。春が困るなんて当たり前じゃないですか」

「脅しじゃないって! 本気だって! 私はいつでも本気だって!」

「殺してくれ……苦しめていいから殺してくれ……」


 どうしてあの時、神は自分を死なせてくれなかったのだろうか。

 浮世春は、改めて世の無常を呪った。


「ご老体より先に死んで、地獄で待つ……お嬢様は、地獄には後で来てくれ……」

「春、先走って殉死するな! とにかくお嬢様も……ああ、もういい! 黙れ!」

「黙れって何よ! カッケーのファッション変態! 中途半端! 似非百合! 偽物! 贋作お姉さまキャラ作り! 大根役者!」


 そして、意識のもうろうとしている老人もまた、何時ものように騒がしい三人の声を聞いて、苦悶の表情を浮かべていた。


「ガチの狂人に、咎められる謂れはない! とにかく二人とも、病室から出るぞ!」

「変態道を馬鹿にしてるんだよ、そういう姿勢は! ね、シュン君!」

「こっちに話を振るな……お前と一緒に扱われたくない……死にたい……」

「どっちも狂人だ! とにかく出るぞ、こんなことでご老体の寿命を縮めたら、それこそ僕は自分を呪う!」


 髪を銀色に燃やして、廟舞は二人の首を掴んで出ていった。


「私はもう当主なんだよ! だったら二人を好きにしていいんだよね?!」

「良いわけあるか! 僕はお前を叱る側なんだからな!」

「俺は死にたい……なんでよりにもよって……お前と結婚するぐらいなら、パンドラと結婚……いや、そっちも地獄だな」


 割と、いつもの三人であった。

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