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地味な剣聖はそれでも最強です  作者: 明石六郎
はじめてのおつかい
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混乱

「なんでご老体が……」


 ディスイヤの切り札、考える男、浮世春。多くの二つ名を持つ、最も恐れられる神の戦士。

 世界最強たるスイボクに、唯一確実に勝てるとされるパンドラの完全適合者。


「俺のせいだ……俺が不運を寄せて……」


 しかしその彼にとって、ディスイヤの当主は主従を超えて実祖父よりも慕う相手だった。

 

「死にたい……」


 その老体が危篤、とくれば落ち込むのは仕方がなかった。

 椅子に座り、顔を抑え、涙を流しながら悲しみに暮れていた。

 一切治療や回復に関する力を持たない彼は、大切な恩人の危機に何もできなかった。


「俺が死ぬべきだったんだ……俺が、俺が死ねばよかったんだ……」


 その彼の相方、現当主の左右の腕とされる掛軸廟舞は……。


「ご老体……やっぱりご無理がたたって……」


 その隣の椅子に座って、同じように落ち込んでいた。

 律義なことに、姿勢も全く同じである。


「ご高齢だったのに、政務をこなしていたからこんなことに……せめて私が力になっていれば……」

「俺なんかよりも、ご老体の方が生きるべきだったんだ……なんで俺が生きているんだ……」


 現在、ディスイヤの当主は王都の処置室に運び込まれ、近衛兵が方々を走り回って飛び回って集めてきた医者たちによって治療を受けている。

 しかし、この世界最高の医療をもってしても、高齢の老人を完治させるのは難しかった。

 そんなことは、それこそこの二人こそが一番よく知っていることだった。


「そんなに落ち込むなよ二人とも、きっとよくなるって。パレットだっているんだし、みんな頑張ってるんだし」


 その一方で、パレットと一緒に王都へ訪れていた正蔵は二人を元気づけていた。

 上手く慰めることはできていないが、何とか二人を安心させようと一生懸命だった。


「死にかけてた祭我だってよくなったんだから、お爺ちゃんだってよくなるよ」

「……ご老体、私がもっと労わっていれば……」

「俺が代われるなら代わるのに……」


 その言葉が届いているかはわからない。

 それでも正蔵は二人へ声をかけ続けていた。


「で、どうなんだ山水」

「ここからでも感知できるんだろう?」


 その一方で、居合わせていた右京と祭我は、大天狗を連れてきた山水へ訪ねていた。

 二人とも平静とはいいがたいが、流石に廟舞や春よりは冷静だった。

 最悪のことも覚悟した表情で、山水からの返事を待っていた。


「とても気配が弱っています。処置は行われていますが、順調とはいいがたいですね」


 山水はその気配察知能力により、修行時代からいくつもの『寿命』を見てきた。

 決して不幸なことではなく、生命を全うした証である。

 だがその一方で、その天寿を皆が引き留めたがっていることこそ、彼の価値と言えるのだろう。

 山水自身、まだディスイヤの老体には生きていてほしいと思っていた。

 それが、当人の意思を無視した、勝手な願いだと分かっていても。


 山水はディスイヤの老体から、その人生の哲学を聞いている。

 日和ったと、人生を後悔したと、途中で投げ出すことなく全うしたいと。

 最後の最後まで、現役にしがみつき、利益にしがみつき、悪しき妖怪として人生を終えたいと言っていた。

 その言葉は山水の魂を揺さぶっていた。潔くも美しく、尊厳というものを感じさせる信念が宿っていた。

 老骨に鞭を打ち続けた貴族が、その人生を終えるのは、まさに今なのではないか。

 戦って抗って、立ち向かって這いずって。その果てに力尽きることを理想とするのなら。

 いっそ、死なせて楽にしてあげるべきなのではないか。


「ですが、それでも、皆様が全力を尽くしています。決して、死なせはしません」


 しかし、それは悲しい結論だ。

 国家に生涯を尽くした老人の最後が、助かる筈でも処置を受けず、ただ見送られるだけと言うのは。

 まるで彼が用済みで、役に立たなくなったので捨てられたようではないか。


「ディスイヤの老体が倒れたとは本当か?」


 彼に価値があることを認めるように、現職の国王とグラス王子、そしてソペードの現当主も現れた。

 とても慌てた様子の三人は、事情を冷静に説明できるであろう山水へ、速やかな説明を求めていた。


「現在大八州の仙人と、秘境の天狗と巫女道、そしてカプトの現当主様とパレット様が治療にあたっております」


 結果として、処置室の内側を含めれば、この場には主だったものが全員そろっていることになる。

 それだけ、アルカナ王国にとって、ディスイヤの老体は重要な人物だったということであり、彼が倒れたことは大事件と言うことだった。


「ディスイヤの当主は高齢でしたからな」


 とても短い言葉で、ソペードの当主は現状を受け入れていた。

 老獪で老練な貴族も、何時かは寿命を迎える。さも妖怪じみた雰囲気を纏っていても、山水やスイボクのような長命者とは違う。

 何時かは死ぬ、それは仕方がない。ただそれは、いつも突然なのだ。


「彼には、私も若いころから世話になっていた……私の父も、祖父も、彼に支えられていた。できれば息子も支えてほしかったのだが、やはり無理がたたったのか……申し訳ない気持ちだ」


 老人は大っぴらに己の信念を語ることはなかったが、それでも誰もが彼の意思を察していた。

 誰がどう考えても、大貴族の当主を勤め続けるには老齢が過ぎた。

 いくら後継者が立たないとしても、代理人に表舞台を任せるべきだったのだ。

 それでも彼は、当主としての仕事を自分でこなし続けてきたのだ。

 それが国家への奉仕でなくて、なんだというのだろうか。


「やはり、賢人の水銀は使っていないのか?」

「はい、当人が以前に断っておりましたので……」

「そうか……いや、これ以上無理は言えまい」


 政敵が倒れたともいえる状況である。

 ソペードが自粛している現状では、改革を妨げる最大の障害ともいえるのがディスイヤの老人だった。

 その彼が余りにも都合よく倒れたことを、しかしグラスはまったく喜んでいなかった。


 やり方は違えども、彼は常に国益を考え続けてきたのだ。

 父にとってさえ大先輩であり、自分も彼から多くを学ばねばならなかったのだ。

 全面的に尊敬しているわけではないが、真似できないとも思っていたのだ。

 少なくともグラスは、自分の配下である老人が倒れたことを、手放しで喜べるほど汚れていなかった。

 喜ぶべきだとは思っていたが、若さゆえにそれを恥だと思っていた。


 山水はそれを気配で感じ取っていたが、それは祭我にも右京にもわかることだった。

 それほどに、演技とは思えない無念さが、グラスの表情に表れていたのだから。

 右京がそうであるように、感情がわかりやすいというのは国家の頂点に必要な資質だった。


「おっしゃるとおりかと」

「ただ快復を願うのみです」


 祭我も右京も、彼の反応を見て同調していた。

 

「ビョウブとシュンはどうしている?」

「あそこで……」

「ああ、うむ、そうか……」


 一番奮い立たねばならぬ側近中の側近が、殉死しそうな雰囲気を出していることをみて、その忠誠心を理解するグラス。

 しかしその一方で、ただ悲しみ心配するわけにはいかないのが、一国の王になるべき男の宿命だった。


「では、サイガ。お前に頼みがある」

「はっ」

「ディスイヤ領地に向かい、アクリル・ディスイヤへ現状を伝えてくれ」


 本当は、ディスイヤの人間である春や廟舞に命じるべきなのだろう。

 だが嘆き悲しんでいる側近へ、仕事をしろとは王子にも言えなかった。


「アクリル……ディスイヤ、ですか?」

「そうだ、ご老体が後継者に指名していた孫娘だ。面識がないのなら、ハピネやドゥーウェを連れていけ。こうなっては、ご老体に続投を願うのは酷だろう。次の当主を早急に立てねばならん」


 本来、この場は現職の国王が仕切るべきなのだろう。

 だがしかし、戴冠を目前にした若き王子が、やはり次の大貴族へ適切な指示を出しているのなら、あえて水を差すことはなかった。

 きちんと礼儀や筋道を弁えた指示をしている次代の王を見て、安堵の笑みを浮かべていた。


「それを抜きにしても、当主が危篤になっていることは伝えるべきだろう」

「わかり……承知いたしました、殿下。ではすぐに向かいます」

「ああ、頼んだぞ」


 ドミノで粛清を起こした右京は知っている。

 現職の貴族で実務を担うものが混乱すると、どれだけ内政に影響が出るのかを。

 グラスの判断は適切だった。貴族の当主が倒れたのなら可能な限り速やかに、代理や後継者を立てねばならないのである。

 ここでわけのわからない理屈を立てて、政敵のいない間に国政を進めようとするのなら、それこそ誰もが愛想を尽かせていただろう。


「……いや、俺が言うことではないか」


 それを実際にやって、実際に混乱させた自分を思い出す。

 私怨で国を乱しに乱した、暴君である自分の所業を思い出す。

 そうならなかった、ごく普通の対応に羨望を抱く。

 国益のためにこうするべき、ということを実行できる、若き王子をまぶしく見ていた。


「どうした、ウキョウ」

「いえ……これでアルカナも安泰かと」

「……何をわけのわからないことを言っている」


 一国を治める皇帝らしくもない、能天気なことをほざく臣下に対して呆れるグラス。

 そう、まだ何も解決していない。

 自分より少し年上の、ディスイヤの次期当主たる女性。

 アクリル・ディスイヤ。その行状を知る身としては、安心できる要素などどこにもないのだ。


「お前は姉上からアクリルのことを聞いていないのか?」

「いえ……ディスイヤのことは、あまり……」

「話して楽しい相手ではないからな……特にアクリルは、奇行が目立つ……ディスイヤの塊のような女だ」


 苦い顔をしているグラスをみて、それまで口を慎んでいたソペードの当主も動いていた。


「殿下、よろしければサンスイや妹も動かしましょうか」

「そうだな、頼む」

「では……サンスイ、城の何処かにいるドゥーウェを連れて、サイガたちと合流しディスイヤに向かえ」

「……承知しました」


 そんなにぞろぞろと行ってどうするのか、と思わないでもない。

 しかし、命令されたのであれば特に断る理由はなかった。


「……サンスイ」

「はっ」

「お前も知っての通り、聖力を伝えるカプトを除いて、王家も四大貴族もその当主たちも、特別な人間というわけではない」


 貴族が平民と比べて隔絶した力を持ち、それ故に階級社会を形成しているという物語は多い。

 実際マジャンやその周辺では、王気を宿す者だけが王位継承権を持っている。

 しかしアルカナ王国周辺では、魔法が常識と化しているためか、そういう気風はほとんどない。


「だがアクリルは、どちらかと言えばお前たち切り札に近い、傑出した才能の塊だ。というか、お前やスイボク殿に近い」

「私や、師匠にですか?」

「あるいは、妹よりもお前の方が話が合うかもしれん。とにかく頼んだぞ、サンスイ」

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