決意
これは、ディスイヤの当主が倒れるしばらく前の話である。
新しい国王が戴冠するということで、風姿右京は王都へ訪れていた。
それは仮にも王家の切り札としてやってきた右京が、次の国王の指揮下に入るという契約の更新を意味している。
しかしその一方で、右京は既にある程度の覚悟をもっていた。
「何度か顔を見せていると思うが……グラス・アルカナ、私の跡取りだ」
「グラス殿下、お久しぶりです」
王城の応接室で話をしている三人は、全員が緊張の面持ちだった。
とてもではないが、一つの勢力に属するものが、ただ挨拶をするような空気ではない。
まるでこれから、一戦を交えるかのような、そんな雰囲気さえ漂っていた。
「ああ、姉上がお世話になっているな」
「いえいえ、妻には世話になりっぱなしでして……」
義弟と義兄の関係であるが、上下関係は露骨だった。
右京が下手に出ており、加えてグラスが上であろうとしているので上手くいっているが、現国王はやや不安だった。
まさか息子が無茶なことを言い出して、せっかく友好な関係になっている相手を怒らせないだろうか、という不安である。
「そうだったな、そちらは革命で無茶な粛清をして国政もままならず、結果我が国へ攻め込んだほどだったな」
「ええ、おっしゃる通りです。こうして迎えていただいたアルカナ王国には、感謝の言葉もありません」
その一方で、グラスもやや困惑していた。
普段の右京を知っているだけに、本当のことだとしてもこうして下手に出続けるとは思っていなかった。
「その上で、前回の戦争です。オセオへの作戦を立案し、指揮したのはこの私。王家の切り札として厚遇を受けながら、大きな損害を出す結果になってしまいました」
他の切り札たちは、あくまでも戦闘員である。
次期当主だった祭我でさえ、あの作戦ではただ指示通りに動くばかりだった。
しかし右京は、作戦を組み立てた側である。
その右京が、ソペードの当主同様に責任を感じるのは当然だろう。
「ソペードやカプト、バトラブの当主様たちが責任をとっているのに、自分だけ今まで通りというのは余りにも筋が通りません」
そう言って、心底から申し訳なさそうに頭を下げていた。
「私が手元に置いている、五つの神宝をアルカナ王家に献上いたします」
そして、出た言葉はとても重いものだった。
はっきり言って、右京の個人としての価値を、ほとんど差し出したようなものだった。
「もちろん、使えとおっしゃるのであれば、いつでも参上し使用いたします。ですが、今後は神宝をすべてアルカナの王都に置き、その運用もグラス殿下にお任せするべきかと愚考しております」
逆に言えば、それだけ申し訳ないと思っている証拠であり、同時に責任をとったともいえることだった。これ以上要求のしようが無いほど、最大限の謝罪を示している。
「……い、いいのかね? 特にエリクサーは、君の生命線だろうに」
「良いんです。大天狗もそうですが、エリクサーがなくとも生きて見せますよ」
右京は帝国の皇帝であるが、どこまで行っても属国でしかない。
だが建国して間もない現状で、右京の失態を国家に背負わせれば、それこそ滅亡するかもしれない。
であれば、個人の資産を差し出すしかないのだ。
「……本当は、もっと早くこうするべきでした。期待されていると勘違いして調子に乗った男には、神の宝は重すぎたのです」
右京の価値が神宝なのだとしたら、他人へ引き継いでも問題はない。
表向きの切り札は右京としても、いざとなれば他の者が使っても支障はない。
むしろ個人に依らない分、後々のことを考えれば有利に働くだろう。
「……そうかね、そこまで責任を感じていたのかね」
「感じるべきです。確かに戦争では武勲を挙げましたが、だとしてもアルカナ王国の臣民が、兵士が、多く命を落とした。それは取り返せるものではありません」
「そ、そうか……」
この上ない宝を献上されて、喜ぶべきであるグラスは、しかし顔を引きつらせていた。
そんな息子に気づくことなく、現職の国王は義理の息子を気遣っていた。
「君の独断ではなく、私たち全員の許可をした上での作戦だった。そうは思わないのかね?」
「だとしても、だからこそ、私にも責任はありましょう。帝政だからこそ、初代として後世に責任の取り方を示すべきです」
「そこまでか……そうだな、君はそういう男だった……」
五年前とは状況が違う。
ドミノは大分復興していたし、竜からの被害もなく、何よりも諸国から才人が集まっている。
八種神宝をアルカナへ献上しても、即座に国家が破たんするということはなかった。
「ドミノ帝国は、あくまでもアルカナ王国の下。属国の皇帝からの初めての貢物として、新しい国王陛下には受け取っていただきたく存じます」
※
「完全に予想外だった……」
アルカナ王国の国王は、代々ある病を抱えている。
それは広大なアルカナ王国を、王家の元に統一するという野心そのものだった。
現状王家と四大貴族は、国土を五等分して統治している。
もちろん王家が一番上ではあるのだが、その差は微々たるものだ。
国王であるにもかかわらず、王家であるにもかかわらず、五分の一しか統治していない。
国外へ出るには、どうしても四大貴族の領地を通らなければならない。
そんな『屈辱』を受けて、王家が不満を感じないわけがない。
「まさか、いきなり五つ全部をよこしてくるとは……」
そして、なんとも王家にとって不満なことに、それで国家は長く順調だったのである。
国家の利益を第一に、各々の家を第二に、最後に他の家の利益を考える。そうした綺麗事を、歴代の当主たちは徹底してきたのである。
だからこそ王家がどう言っても、四大貴族の当主たちは現状維持を続けるべきだと反対してきたのである。
今の国家体制で上手くいってきたのだから、これからもそうするべきだ。
そう言えば格好はつくが、王家は相変わらず国家の五分の一しか治めていない。
それが建国以来続いてしまったのである。
「てっきり、エリクサーだけは手元に残すと思っていたのに……」
そうした鬱屈を抱えるからこそ、王家は代々跡取りに『お前は統一してくれ。ただし、国家に有益な形で』という願いを託し続けてきたのだ。
当然、グラス・アルカナもそれを託されていたし、本人もそのつもりだった。
その第一歩として、ドミノの保有している神宝をいくつか差し出させて、権威を強めるつもりだったのだ。
本人が認めたように、前回の戦争による被害には右京にも責任があり、右京だけ罰を受けないのには問題があったからだ。
なので、先制として神宝を要求しようとしたところ、逆に全部差し出されてしまった。
「……なぜ敗北感を感じているんだ」
こうなると、これ以上ドミノに何かを要求することはできない。
五つ揃えば一国よりも価値があるであろう、八種神宝を差し出されてしまったのだから。
そして、こうも思ってしまう。
仮にグラスが八種神宝を五つ持っていたとして、戦争で被害を受けた責任として、全部を差し出せるだろうかと。
交渉して代替案を出して、一つか二つは手元に置きたがるのではないだろうか。
例え全部を差し出さなければならない状況になっても、自分から全部を差し出せるだろうか。
「……いや、一国を背負う皇帝だ。それぐらいの器量が無ければ務まらないのだろう」
ここで、右京はバカだなと思わないところが、彼の教育が行き届いている証であろう。
相手を下に見た方が精神的には楽だが、そんなことをしても現実も自分も変化はない。
右京は正真正銘自分の配下ではあるが、尊敬できる面があるのだと思える器量はあった。
実際、自分の失態を失態と思わぬ恥知らずや、失敗に気づかない大間抜けより頼もしい。
いざというときは神宝を彼に使わせてもいいし、他の誰かに使わせてもいい。
悪いことは何も起きていない。敗北感が、敗北感で収まっているのなら問題ではない。
「その器量が、自分にも必要だな……」
だがグラスは、自分の卑しさや器量の小ささを感じてしまった。
みっともない弁明や、情けない醜態、同情を誘う演技。それらを期待していた、というのは事実だ。
神から宝を授かった英雄が、竜殺しの勇者が、民衆から支持されている皇帝が、自分の正当な要求を前にどんな無様を晒すのか。
それを思い描いてにやけていたのは、誤魔化せないことだ。
「みっともないのは俺の方か……」
王城のバルコニーに出て、空を仰ぐ。そこには天界、大八州が存在していた。
もしもそこを動かしている仙人がその気になれば、このまま王都を押しつぶせるだろう。
それが、今のアルカナの現状だ。
確かに周辺一帯を支配している状況だが、決して楽観できるものではない。
マジャンやドミノはともかく、大八州やオセオなど、潜在的な脅威は多い。
「今、この国には突出した力が集い過ぎている。その上で、各家に分散してしまっている」
あくまでも支配しているのは、この周辺の文化圏だけであり、しかもオセオと二分している。
今のところは均衡が保たれており、今後もあえて竜と戦争になるとは考えにくい状態である。
しかしそれは、絶対的な均衡ではない。些細な変化で、一気に悪い方向へ転がりかねない。
世界最強の男であるスイボクと違い、周辺世界でさえ脅威は多い。
何時かは戦争へ発展することが避けられないとしても、それを遠ざけることや、それに備えることはできる。
いや、それこそが今の時代の王になる、グラスの使命と言えるだろう。
問題は如何にして、どのような方法で。
後世へ、よき地盤、よき土台、よき前提を残せるかであろう。
正解は誰にも分らない。それこそ、未来を予知でき、あり得た可能性さえ認識できた、絶滅種である万年亀にしかわかるまい。
わからないからこそ、信じる未来へ進むしかない。そして、グラスは決めていた。
一国の王として、国家の力をすべて背負う。即ち国家の統一、権力の集中である。
「内戦をこそ憂うべきであり、四大貴族から王家へ逆らう力をそぎ落とすべきだ」
古来より、大国が滅ぶのは外患ではなく内憂である。
旧ドミノ帝国同様に政治が腐敗して民衆がうっ憤をため込む場合もさることながら、ヤモンドの様に中央政権が力を失うことで群雄割拠を引き起こされることも多いのだ。
もちろん王家だけで広大なアルカナ王国すべての領地を治めるというのは無謀であるし、領地を運営するには軍隊が必要である。
貴族からすべての兵力を奪う、というのは国益に反しすぎているのだ。はっきり言って、貴族全体を敵に回すに等しいし、そもそも王家にそこまでの力はない。
だが、今のアルカナ王国の有力者たちは、統治力と直結しない強大な戦力を保有している。
「八種神宝と各種の強力な宝貝、切り札を頂点とする神の力を授かった戦士たち。その全員を王家が直接管理する!」
それが彼の描いた、新しい国家の姿だった。




