熱血
天動法や地動法を極めているスイボクにとって、自然災害は手足のようなものである。
活火山の火口という、大地の力が露出している地形では、それこそ絶大な力を行使できる。
それは剣士としてだけではなく、仙人としても極まっているスイボクゆえの強さだった。
「地動法、怒竜鱗!」
大地に秘められた、原初の炎が弾丸となって殺到する。
負けてなるものか、という意気込みが吹いて飛ぶようだった。
まさに自然の猛威が、人間の体に殺到する。
「目を閉じるな!」
スイボクの『指導』は余りにも厳しい。
視界を埋め尽くしてくる赤い塊を前に、トリッジは思わず目を閉じ、腕で顔を守ってしまった。
「誰が受けろと言った!」
熱さ、重さが全身にぶつかってくる。
宝貝の守りによって苦痛につながることはないが、それでも前を見ることさえままならない。
「動け、あがけ! 耐えるな、忍ぶな! 待つな、止まるな!」
地動法、泡沫。
煮えたぎる足場が、突如として膨れ上がる。
それはまるで地面が盛り上がっているようで、大地が膨張しているようで、トリッジは立つこともままならぬまま転がっていく。
溶岩の『泡』が破裂し、その内側からやはり赤い弾丸が飛び散った。
溶岩の水面で転がっているトリッジへ、容赦なく降り注がれていく。
「あ、熱い!」
「命など要らぬと言ったはずだ! とっとと立て!」
地動法、昇竜。
溶岩が柱となってトリッジを噛み、そのまま押し上げていく。
それはただ天を目指すのではなく、生きた蛇のようにのたうち回り、抵抗もできずに動きを止めているトリッジをもてあそんでいく。
「本能の為に本能を超えろ! 女の為に炎を克服するのだ!」
まるで吐き出されたかのように、トリッジは空中で放り出された。
受け身もとれぬままに、煮えたぎる溶岩の水面へ落下する。
スイボクの術によるものか、宝貝によるものか、痛みはあるがけがはない。
「わ、わかっています!」
溶岩に手のひらをつけて、何とか起き上がる。
泥のように柔らかく、砂の様に粘性が低く、しかし土の様に足場となる。
奇妙な感触の大地で踏ん張って、何とか走り出す。
「そうだ! 走れ! 進め! 両の脚で前を目指せ!」
地動法、裂果。
果実ほどの大きさの、冷えた岩石が射出され、トリッジの眼前で静止した。
それが次の瞬間どうなるのか、それを察しただけで足がすくみそうになる。
「カゼインを前にしても、そうしているのか!」
「カゼイン?!」
「怨敵を前にしても、怖いからと目を閉じるのかと聞いている!」
叱咤を受けて、トリッジは前に転がりながら回避する。
トリッジがいたその場で、冷えた岩石の内側から溶岩がはじけ飛ぶ。
それを逃れるも、更に四方八方を包囲していく『裂果』。
「うぐぅ?!」
逃げ場が塞がれ、トリッジは足を止めてしまう。
右を見ても左を見ても、上を見ても下を見ても、無数の裂果が配置されている。
意地悪だ、と言いたいところだ。だが、指導を望んだものとして、命など要らぬと言った言葉は呑み込めない。
「目を開けているだけが、見ているということではないぞ! よく見ろ! どの岩が破裂するのかを観察しろ!」
あえて意図を告げる。時を無駄に出来ぬと、急げ焦れと、世界最強の男が叫んだ。
「応!」
まさに、目の前で破裂しかけている裂果を前にして、トリッジは斜めに走る。
裂果の合間を縫って、なんとか難を逃れる。
その先にもまた、当然のように破裂寸前の裂果が配置されていた。
誘導されている。
それを理解しながら、それでも破裂寸前の裂果から逃れる。
走って走って、なんとか回避していく。
「そうだ! たとえ目の前が槍衾だとしても! すべてが同時に襲い来るわけではない! 前を見ろ、活路を探れ! 前に進みながら、どこへ進むのかを探れ! 相手を見るとはそういうことだ!」
逃げた先にある破裂寸前の裂果が、一つから二つに増える。
二つから三つへ、三つから四つへ。
「た、退路が……いや、活路が無い?!」
「よく見ろと言っている! どれが破裂するのかを探るだけなど、それこそ草を食む獣でもできる! 雌を欲する雄ならば、その機のずれを読め! 先に割れるもの、後に割れるものを選ぶのだ! お前が、お前が探るのだ!」
時間差での破裂。
当然あえてであろうが、裂果の破裂が一定の時間ではなく緩急が付き始めた。
それだけではない、もはやすべての裂果が破裂の予兆を見せ始めていた。
均一ではない、わかりやすくはない。
目移りしている間に、すぐ背後の裂果が破裂した。
「熱ぅ!」
「惚けるな! 留まるな! これは稽古、戦いの模倣である! 命は要らぬ、命など要らぬ! そういう働きを見せるがよい! 武門の名家、我が弟子の主となる者よ!」
「!」
「レインめの夫になりたいのなら! 父や祖父の如く、烈火の如き奮戦をせよ! 殺すつもりで走るのだ!」
「応!」
視界の中で、少しでも破裂が遅いものを探る。
遅いものをみつければ、今度はその次にどこへ行けばいいのかを走りながら探る。
先を読み、次を読み、前を探り、活を探る。
それは戦術的思考であり、即ち心の強さだった。
「よしよし! そうだ、走れ走れ! 良いぞ、恐れを掃え! どんどん行くぞ、頭を回せ! 悪血を相手に技も体も敵うはずもなし! 然らば心で、脳で、頭で上を行け! 武人の頭領ならば、戦うために頭を回せ!」
再度の、地動法、泡沫。
水面が泡のようにふくらみ、割れていく。
不安定な足場の上で、転ばぬように走りながら、それでもトリッジは活路へ走っていく。
「お、追い付かない……追い付かない!」
「食らいつけと言っている! あきらめるなと言っている! この儂に向かって死んでもいいと言ったのだ! この試練をこそ情けと思え! ありがたく思え!」
「う、う、応!」
「それそれ、いくぞいくぞ! 仙郷花札にて千年培った、仙術の深淵を見るがいい! 地動法、赤奈落!」
「な、お、落ちる?!」
足元の『水面』が割れる。
何の前触れもなく、トリッジを深みへ落としていく。
「裂果、昇竜、火流々渦!」
落とし穴の底に着地したトリッジは、壁面から壁面へ飛び交う竜のような柱や穴の淵から落ちてくる裂果、そして足元の水面が渦を巻き始めたことに困惑する。
余りにも、畳みかけすぎている。余りの『数量』に思考が止まりかける。
「見上げるな! 口を開くな! 睨め、歯を食いしばれ! どうしたどうしたどうした! 悪血を宿すものなら、この程度に音を上げぬぞ!」
「う、ううう!」
「全部避けろとは言わん! お前が選べ! 喰らう攻撃と、喰らってはならぬ攻撃を!」
その言葉を聞いているうちに、トリッジの側面から溶岩の柱が襲い掛かる。
そのまま落とし穴の側面にたたきつけられ、そのまま溶岩の中に沈められる。
口を開ける。溶岩が入ってくる。
目を閉じる。溶岩が瞼を照らす。
手足を動かす。溶岩は流れる。
上も下も、右も左もわからない。
その上で、勢いよく押し出された。
再び、落とし穴の底へ転がされる。
「思考を止めるな! 行動を止めるな! 悪血と戦うのなら、一つの思考に囚われてはならん! 話へ耳を傾けながら、考えつつ、避けて進め!」
「お、おおおおお!」
「カゼインに負けたのであろう! 年下の小僧っ子に負けたのであろう! 悔しいからこそ、こうして我に教えを乞うているのであろう! もう繰り返すまいと、この悔しさをその小僧に味合わせたいと! こうしてここにいるのであろう!」
「応、応、応!」
「気で負けるな! すぐに立て! 奮い立て! こうしている間も、レインはカゼインとやらのそばにいるのだぞ!」
「ぶち殺してやる!」
「そうだ、殺すために励め! どんどん行くぞ! 地動法、裂果! 縮地法、織姫! 外功法、投山! 発勁法、指弾! 気功剣法、数珠帯!」
「熱っ、熱っ! いだ、いだだああああああ!」
※
「ええぐ……えっぐ……うっく……」
「やりすぎたな……すまん」
最終的にトリッジは泣いた。十二歳相応に泣いた。
いや、相手がスイボクなので、そのスイボクが興奮気味だったので、誰でも泣いていただろう。
今二人は火口からでて、島の端である崖の近くで腰を下ろしていた。
目の前には逆さまになったウミガメが、溶岩の上で煮られている。
腹を裂いて、甲羅を焼いて、肉と『ホルモン』へ火を通していた。
「さあ、ウミガメの汁物であるぞ。塩気を利かせたのでな、ぐいといけ、ぐいと」
「ううう……」
「ぬ、すまん。うむ……健気さが可愛くてのう、やりすぎた」
スイボクは四千年生きているのだが、その間性格はゆっくりと変化している。一貫して変わらないことが、修業を好むということだろう。なにせ四千年経過しても、未だに修業に夢中であるし。
よって、修業をつけているうちに興奮して、つい泣かせてしまった。スイボクの仙道は体育会系である。
「い、いえ……命は要らんといったのです、私は頑張ります……」
「その意気だ。うむ……儂はこのままの意気ではいかんがな」
溶岩の中の鉄分を集めて、それを皿の形や刃物の形に変える、地動法、神珍鉄。
出来立ての食器は、スイボクの性格を反映しているのか、実用性以外に飾り気が無い。
それを使って、スイボクはウミガメの肉を切ってよそった。
「その衣を着ている以上飢えることはないが、腹は減る。よく動いたのだ、よく食って寝るがよかろう」
「……はいっ……えっぐ……」
山水の指導を知っているだけに、スイボクの指導は想像を絶していた。
余りにも、山水から聞いていた指導と違い過ぎる。
「……サンスイからは、五百年、ただ森にこもって素振りだけをしていたと。一切飲み食いせず、朝から晩まで素振りをし、夜は寝ていたと聞いていました」
「然りである」
「……では、私は」
「色々と、思うところもある」
海を見る。
水平線の彼方へ沈む夕日が見える。
それは余りにも美しく壮大で、自然の偉大さと、人間の小ささを感じさせる。
なによりも、人口の明かりが無い、命の少なすぎる状況が孤独を誘う。
「儂にも師がいる。その師から、余りにも酷な修業を弟子に課したことを、とても咎められた」
「大八州の長老、カチョウ様ですね」
「然りである」
とっぷりと、日が暮れる。
空には星が輝きはじめるが、その数は少ない。
火山からは噴煙が続き、その熱と炎は天の輝きを減らしていた。
「サンスイへ、誤ったことは伝えておらぬ。仙人として、剣士として、正しいことだけを伝えた自負がある。そうでなくば、五百年でああも極まった仙人には達せぬ」
「……はい」
「しかし、人間の師としては失格であろう。神から預かった我が弟子であるが……最強にこだわるあまり、最強以外の全てをないがしろにした。もう少し……色々教えるべきだったやも知れぬな」
「スイボク殿……」
「儂にとっても、サンスイは初めての弟子であった。指導が至らぬのなら、それもやむを得ぬのかもしれぬ」
今回こうした指導も、結局は不惑に行き着く。
であれば、あえて『最短』の道を行くことはなかったのではないだろうか。
永久の時間を生きる仙人でありながら、効率に拘り過ぎたのではないか。
「サンスイが、可愛かった。うむ、本当にかわいい弟子である」
「サンスイが、可愛いですか?」
「アレを、儂の様に間違えさせたくなかった。だからこそ迷わぬように、雑念の混じらぬ修業だけを課した。しかしそれは……答えを与えすぎただけなのだろうな。惑ってこそ人生、迷ってこそ人生であろうに」
スイボクはウミガメの臓腑を掬い、火が通っていることを確認して食べた。
こうして過去の反省を弟子や愛剣に語ることさえ、あったようななかったようなものである。
おかげで、山水はエッケザックスをみてもなにも思わなかったのだ。
「そう言う意味では、この回り道の修業もまた、お主の人生を豊かにするのであろうな」
「……ま、回り道ですか?」
「然りである」
涙がひっこむほど、あり得ない話だった。
「……回り道?」
「お主、己の傷を治せる悪血持ちを相手に、穏当な手段で『殴り殺せる』と思っているのか?」
「それは……」
「確かに、試合中に死人が出ることもあろう。場合によっては、サンスイが止めても、相応の怪我を負わせ、お主の自尊心を満足させるだけの勝利を得られるやもしれん。しかしそれは、穏当な手段による試合でこそ。儂が用意できる勝算が、それほど穏当に思えるか?」
トリッジも恥は知っている。
試合で負けたのなら、闇討ちをするなどあり得ない。それをするぐらいなら、諦めた方がまだましだ。
だが、努力しても勝利ができないのなら、それは意味があるのだろうか。
「で、止めるか?」
スイボクは止めないだろうと察したうえで尋ねた。
「止めません」
トリッジ・ソペードは、武門の名家、その跡取りとして答えていた。
「それが危険であり、試合で使えないとしても」
回り道は、誤りではない。
それが実際に悪血を宿す者に勝利し得るのなら、それは決して無駄ではない。
「私は、それが欲しい」
「うむ、良い」




