虎口
「……あの」
「ぬ?」
「なぜ私は貴方と一緒に空に浮かんでいるんでしょうか」
「むろん、稽古の為である」
今更だが、トリッジとスイボクでは宿している気血の種類が違う。
なのでトリッジへ稽古をつけるとしたら、それこそ剣か宝貝の使い方ぐらいだと思っていた。
山水がスイボクからどんな指導を受けていたのか、それは山水自身が散々語っている。
朝から晩まで、特に何の変哲もない木刀を振り続けるのみ。それを五百年繰り返して、今の山水があるのだ。
だからこそ、変な話だが、トリッジは普通の稽古を想像していた。
何かの宝貝を渡されて、その宝貝の使い方を練習するとか、必勝法を授けてもらうとか、そんな感じだった。
にもかかわらず、宝貝を大八州からいくつか持ってきたと思ったら、そのまま雲に乗って移動中である。
なぜ場所を移動する必要があるのか、トリッジには見当もつかなかった。
「サンスイから聞いたところ、スイボク殿の稽古は基本に忠実なものだと……」
「それで勝てると思っているのか?」
逆に聞き返された。
確かに一度戦った身としては、悪血を活性化させた者と真っ向から戦うことは無謀に思えた。
だからこそスイボクを頼ったのだが、そのスイボクをして普通の鍛錬で勝てるようにはできないらしい。
「……で、ですが、その……」
「言いたいことはわかる。どこでどう修行をするとしても、そう大きな差があるわけもないとな」
「……はい」
山で修業しようが街中で修業しようが、努力の期間や修行の内容が同じなら、大きな違いはない。
仙人の場合はその限りではないのかもしれないが、あいにくトリッジはそうではない。
「まあ畳の水練という言葉もあるが、お主は戦うのであるし、戦う相手は凶憑きの類。であれば、ランの元へ行くべきなのであろうな」
「……では、どこへ?」
「なに、もうすぐ着く」
とても楽しそうなスイボク。
彼はトリッジへ宝貝の服を着せたうえで、雲の上にのせて移動させていた。
目指す修行の地は、もうすぐそこであった。
「今お主が着ている服は宝貝でな、名は『火鼠の衣』という。着ている者の体質を、仙人に限りなく近づける効果を持つ」
「……老いない、と言うことですか?」
「いや、その逆じゃな。老い以外の体質を模倣できる」
「ああ、溺れないとか、寒さを感じないとかですか?」
山水が不老長寿を明かしたのは、およそ五年ほど前の話である。
しかしそれ以前から、山水の異常な体質は有名だった。
夏の暑い日に一切汗をかかず、火の上に立たせても燃えない。
冬の寒い日に一切寒がらず、水に沈めても溺れない。
自然と一体化する体質を獲得していた彼は、そういう意味でも超人だった。
「然り。現にこうして高所でも息苦しくあるまい?」
「……え、ええ」
確かに高所特有の苦しさはないが、それでも宙に浮かされている不安さはぬぐえない。
魔法による飛行よりもむしろ安全だとは聞いているが、まともな地面や床がないのは心理的に負担だった。
「それなりに高度な宝貝でな、儂には作れん。まあ仙人が使うものではないし、使っても意味がないしのう」
「そ、そうですね」
聞くだに高等な宝貝であるが、自分が使う武器防具以外の宝貝には興味がなさそうなスイボクには無用な道具だった。
というか、微妙に使いどころがわからない。防寒具などには便利そうだが、それは普通の防寒具でもよさそうである。
「で、では、なぜ私にこれを?」
「これを着て戦うのでな、今から慣れて置けと言うことである。それに、今ちょうど到着した修行の地でも、これがなくば生きていけんぞ」
「それは」
それは、一体どういう意味ですか。
そう聞こうとしたトリッジは、突如落下し始めた。
雲を突き抜けて、そのまま真下へ落ちていく。
「ど、どういうことですかああああ!」
慌てて空中でもがくトリッジ。
彼は火の魔法を操ることができるが、ブロワほどに才気あふれた使い手と言うわけではない。
よって、魔法で飛行することも、減速することもできないのだ。
目の前には、同じ速度で落下しているスイボクがいた。
その彼へ、先ほどとは違う意味で『どういうことですか』と尋ねるしかなかった。
いや、ただの悲鳴だったのかもしれない。
「うむ、眼下を見るがよい。そこが修行の地である」
「ひ、ひいいい! し、下なんて見えません!」
「ほう、ではお主はレインを諦めるのか?」
「諦めるわけないじゃないですか! 見ればいいんでしょう、下を!」
会話がつながっていない気がしたが、それでもトリッジは下へ目を向けた。
自由落下故の風圧が目を閉ざすはずが、火鼠の衣によって一切支障なく目を開けていられた。
そこには、広大な海があった。
気づいていなかったが、そこは陸地ではなく海だった。
見渡す限りの大海原、それが視界のすべてを埋め尽くしていた。
「……島?」
いや、その青い海の中に、自分たちの落下する先に、ポツンと小さな島があった。
切り立った崖とごつごつとした岩肌、そして背の低い植物だけが転々と生い茂っている、小さな島が見えた。
「……違う!」
そして、それが普通の島ではないと気づく。
その島の、赤い岩にまぎれてわかりにくかったが、穴にたまっている『赤い水』から煙が噴き出していた。
「か、火山島?!」
「然りである。これより、火山の火口で修業を行うぞ」
「な、な、何でですか?!」
「ほう、レインを諦めるのか?」
「諦めるわけないじゃないですか! 火山の中だろうが地獄の底だろうが、覚悟はできていますよ!」
「その意気だ、決して撤回するなよ?」
挑発気に笑いながら、スイボクは空中で姿勢を整える。同時に術を用いて、トリッジの体勢も整えていた。
二人は自由落下とは思えないほど、空中で両足を地面に向けながら降りていく。
「ソペードは武門の名家……撤回するわけがありません!」
「うむうむ」
吐いた唾は吞めぬとばかりに、冷や汗をかきながらも恐怖に耐えるトリッジ。
その健気さをほほえましく見つめながら、スイボクは頷いていた。
そして、二人はついに火口へ入っていく。
火山性の気体が満ちており、熱量や窒息以前に毒素で死ぬはずの世界。
冷えて固まった『表面』ではなく、その内側に潜む星の真の姿。それが露出している、稀有な一点。
活火山の火口、その中に二人は減速しながら降り立った。
「ふ、不思議な感覚です。ものすごい熱を感じるのに、熱くないというか……」
「俗人はそう感じるか? 何にせよ、死なぬならそれが一番である。火鼠の衣は、効果を発揮しているようであるな」
溶けている岩石、液体の岩石、つまりは溶岩。
沸騰し高熱を発する溶岩、その上に立つ二人は、当然のように生存している。
「こ、ここで何をするんですか?」
スイボクの術によって、溶岩の上に立っているトリッジ。
おっかなびっくり、おどおどしながら訪ねる彼へ、スイボクは意地悪く笑いながら答えていた。
「決まっている、ここで儂の術から逃げるだけじゃ」
「ええ?!」
「とはいえ、お主は魔法を使ってはならん。魔力は仙術を乱すのでな」
「で、ではどうやって戦えば?」
「戦えとは言っておらん。逃げろと言っている」
ふわりと浮かんだスイボクは、そのままトリッジの手が届かない場所で静止する。
大地の赤い炎に照らされる彼は、圧倒的な威厳をもって若き俗人を見下ろしていた。
「地動法を修めている仙人にとり、火山の中こそ最大に術を発揮できる場所である。原初の力がほとばしるこの地において、星の血潮は我が手足の如し」
四方八方から、火柱が立ち上った。
いや、溶岩が柱となって天へ昇っていくと言っていいのだろう。
足元も地獄、周囲も地獄、頭上には最強の仙人。
如何に自分が燃えず溶けず、窒息することがないとしても、相手に殺意がないとしても。
この場所は、まさに地獄だった。
「知っているか? 獅子は狩をするのはもっぱら雌であるという」
足がすくむトリッジへ、スイボクは挑発気に語っていた。
「では雄獅子は何をするのか? その爪と牙は何をするためにあるのか?」
火への恐怖、大地への恐怖、強者への恐怖。
とても原始的な恐怖に追い詰められている若人へ、ここにいる原点を問う。
「己の雌を、他の雄にやらぬために使うのだ」
「!」
「お主が儂の修業を全うしたところで、カゼインとやらに真っ向から勝てる保証はできん。レインに好まれるかと問われれば、全く関係ないと言わざるを得ん。むしろ嫌われるやもしれん」
スイボクはレインを知っている。
強さや逞しさを好んでいない、優しい少女だと知っている。
「花を選び、口説き文句を考え、愛を囁くほうが良いのかもしれん。あるいは、そんなことは儂に言われるまでもないかもしれんな?」
「……」
「それでも、儂の元に来たのはなぜだ?」
「情けなかったからです!」
トリッジは、拳を握りしめて叫んでいた。
「私は、俺は! 自分がこんなに弱いとは思ってもいなかった! サンスイや貴方にならともかく、同じソペードの、年下の小僧っこに負けるとは思ってもいなかった! 手も足も出なかった!」
周囲には溶岩の柱が、文字通り噴出している。
水柱ならぬ溶岩柱が、頭を上げた蛇のようにトリッジへ狙いを定めている。
「レインの前でカッコ悪いとこを見せてしまったし、このままじゃあみっともなくて家に帰れない!」
世界最強の男へ、なぜ強さを求めるのかを、再度叫んでいた。
「俺を強くしてください! スイボクさん!」
惚れた女に好かれることよりも、まずは惚れた女を守れる強さを。
子孫を残したいという本能だけではない、男の意地が少年を突き動かしていた。
「よく言った」
なんという、愛おしい愚かしさ。
スイボクは笑い、請け負った。
「では、命は要らんのだな!」
「はい、いりません!」
「では行くぞ! 地道法、怒竜鱗!」
四方八方の煮えたぎる柱から、しぶきを上げて赤い弾丸が放たれる。
それは正に、赤い雨であり嵐であり、凄絶なる攻撃であった。




