茶会
王都にて、アルカナ王国四大貴族の、現役の当主たちが集まって茶を飲んでいた。
もちろん、それが心地よいものであるわけがない。
形はともかく、アルカナ王国にとって悩みの種は幾分か減った。
それは為政者たちとしては、とてもありがたい話である。
いったん開拓地にノアで送り込めば、少なくとも向こう百年はアルカナに対して敵対行動はとらないだろう。
「心が痛むことだった」
「ええ、違いありません」
バトラブとカプトの当主は、ともに心の痛む仕事を始めていた。あるいは終わらせていた。
政治家が一度始めたことは、わざわざ止めようとしない限り、何時までも続いていく。
そしてその公共事業が何代にわたって続いたとしても、その汚名は始めた者だけに押し付けられるのだ。
「とはいえ、これにて私たちが汚名を背負って引退すれば、次代に責任は引き継がれますまい」
「これで、多くの臣民が納得することはありますまいが……それでも、形でも責任をとらねば、他の者に示しがつきませんからな……」
バトラブもカプトも、祭我とパレットへ代を変わることになっていた。
最後の仕事が汚れ仕事なのも、その汚れ仕事を押し付けないためである。
「そのとおりだ」
「どうした、ソペードの。お主にしては殊勝じゃな、てっきり負け犬など焼き払えばよいとでもいうかと思ったが」
ディスイヤの老体がソペードの当主をからかう。
なるほど、今までのソペードなら、そう言っていたかもしれない。
「分をわきまえているだけだ。今回の一件、我らソペードの暴走が原因であることは周知の事実。そのソペードの責任者が、背筋を伸ばしてふんぞり返れば、友人家族を失った者たちは誰も納得すまい」
もちろんそれは表向きの暴走ではあるけれども。
卑屈になったところで死んだ人間が生き返るわけではないけれども。
どうせ心の中では舌を出しているに違いないと思われても。
それでも、戦争を引き起こしたものは、相応に振舞わねばならない。
それが礼儀というものなのだ。
「……いっそ身を引いた方が楽でしょうに」
この場で一番安心できる後継者を持つカプトの当主は、ソペードの当主へ憐れみの目を向けていた。
責任をとって引退するのならまだしも、今まで横柄に振舞っていた男が背筋を曲げて衆目にさらし続ける。
つまりは、蔑まれることで周囲の溜飲を下げる。そんな役割だった。それはそれで、責任の取り方かもしれない。
自分を捨て石にして次代に汚れ仕事を残さないことも、出来るだけマシな地盤を取り戻してから次代へ託すことも、どちらも政治家としてはとても正しい。
「私も父もその判断を分家にゆだねた。その結果が継続なのだ、生き恥をさらすべきだろう」
結果が同じでも、過程が違えば評価も違う。
一切相談なくソペードの当主を継続するのなら、当主の座に固執していると思われても仕方がない。
しかし分家たちに進退をゆだねた結果なら、少なくともソペード内での評価はマシになるだろう。
これで今までのように強権を振るえば、それこそ内戦に発展しかねない。
「カカカ、陛下も退位なさるようであるし、五人中四人が職を辞すれば混乱しよう。もともと一番若いのであるし、お主ぐらいは残ってくれねばなあ」
他の者が隠居していく姿をずっと見ていた老人は、強がりの空虚な笑いをしながら残ることを肯定した。
ディスイヤ以外の全員が交代しては、国政面でも混乱が起きる。
それは老人の負担が大幅に増すことを意味していた。なるほど、老体には荷が勝ちすぎるだろう。
「ご老体、申し上げておきますが……」
「ああ、うむ。どうせ新しい陛下へ偉そうなことは言わん、ということであろう? 安心せい、その点は心得ておる。それにまあ、声が小さいのなら小さいなりにやりようはある。大事なことは、アルカナ王国に五つの声があることじゃしな」
誰よりも長く国家を支えた老人の言葉を、他の三人は無言で肯定していた。
「まあそれはそれとして、先日の試合は大いに盛り上がったのう」
いったん区切って、明るい話に切り替える。
現状そこまで悪くないのであるし、あえて気を滅入らせることはない。
いつでも誰でも、心に余裕が無ければ建設的な仕事はできないのだ。
「ええ、おっしゃる通りです。ランもよくやってくれましたが、やはり最後の選手がよくやってくれました。あれならば、厚遇しても非難の声はありますまい」
バトラブの当主は、自分の陣営に組み込んだ男のことを褒めていた。
公的な場ではなく、この場での賞賛である。それが心からの称賛であることに、疑いはない。
「彼は実に勇敢でしたね。法術の使い手としては褒められませんが、卑しさの無い、大会の結びにふさわしい戦いでした」
カプトの当主もほめたたえる。
志波は百人目に求められる試合運びを理解したうえで、それを全うしたのだ。
家族の為に、実に責任感ある戦いだった。
「見世物というのは、ああでなければならぬよ。平時であればソペードが雇い、それをバトラブがうらやみながらも手を出さぬところじゃな」
双方が勝つことに徹する試合など、見ていて面白いものではない。
だからこそ筋書きのある試合の方が、選手も客も安心して見られることの方がおおい。
誰もが危機感や緊張感を味わいたがり、本物らしさを求めるが、本物中の本物など見たくはないのだ。
バアスですら、山水の姿には少なからず幻滅もしていたのであるし。
偽物を嫌がり本物を好むのは、どちらかというと学者の領分である。
「ああいう名勝負を武神奉納試合でも見せられれば、新しい政権も安定するじゃろうなあ」
政治を『まつりごと』ということもある。それは決して、祭と無関係ではない。
祭を成功させる、というのは他の国事の縮図である。
今回もそうだったが、大量の人間を運用して準備を行い、大量の問題ごとを解決しながら、大量の客を満足させる。
それはまさに一大事業であり、その政権の国家運営能力を問われるのだ。
ありていに言えば、祭ぐらい成功させられない政権が、巨大な国家を運営できるわけがないということであろう。
もちろん、逆ではないのだが。
※
ドゥーウェ・ソペードは、ハピネ・バトラブと瑞祭我、そしてパレット・カプトとお茶会を楽しんでいた。
その内容そのものは、彼女にとっては茶飲み話である。他の三人にとっては気楽な話ではないのだが、彼女にとっては他人事である。
「ドゥーウェ、元気そうでうれしいわ。子供も元気そうね」
ハピネの第一声は、とても定型文だった。
お世辞にも『元気そうでうれしい』という表情ではない。どちらかと言えば、何かあったらそれはそれで嫌だけど、幸せそうなのでそれはそれでむかつくという顔だった。
ドゥーウェがどれだけハピネを下に見ていたのか、それを表に出していたのかを考えれば、当然の社交辞令と言えるだろう。
「ありがとう、ハピネ。おかげで子供も私も健康よ」
だからこそ、とても幸せそうにドゥーウェが応じた時は、祭我もハピネも目をむいて驚いていた。
なにせ天上天下唯我独尊、性格が悪い女だと誰もが思っていた彼女が、下に見ている女に対して一切失礼なことを言わず、素直にお礼だけ言うなどあり得なかった。
「……ああ、ドゥーウェも母親になって、立派になったのね」
思わず涙ぐむパレット。
彼女自身はドゥーウェから小馬鹿にされることはなかったのだが、目の前で女の戦いを見せられて気分が良くなるわけもない。
その成長を見て、彼女が喜ぶのは当たり前だった。家と家の関係は複雑だとしても、やはり仲がいいのが一番である。
「どうしたの、ドゥーウェ。いつもの貴女なら、もっとこう……私のことを侮辱していたじゃない」
具体的には『ええ、愛する男の子を産むのは最高の幸せよ。貴女も早く味わえるといいわねえ』とか言っていたはずである。
「性格が良くなる仙術の薬でも処方されたの?」
「……ハピネ、私は傲慢だけれども愚かではないつもりよ」
優雅に気品をもって、ドゥーウェは紅茶を軽く飲んだ。
「誰とは言わないけれど、肝心な時に留守にしていた男のせいで、ソペードの家名も落ちたし……」
肝心な時にいなかった、と言えば山水であろう。
この場にいない、自分の配下には相変わらず上から目線である。
それは本人も認めるところではあるが、祭我としては複雑な心境であった。
「ソペードは武門の名家、自分の家以上に武勲を挙げた家に無礼な態度はとらないわ。なにより……」
ひれ伏すことこそないものの、敬意を込めた目で祭我を見ていた。
「戦争で最大の武勲を挙げた英雄と、その伴侶には敬意を払う。それは一番に優先される礼節でしょう」
ドゥーウェはこの世界に来たばかりの時の祭我を知っている。
山水に三度も挑んでその都度瞬殺された、未熟だった時の祭我の無様さを知っている。
その彼をここまで盛り立てたのは、他でもないハピネでありスナエでありツガーであり……。
つまりは、祭我の武勲とハピネは無関係ではない。よって、敬意を払うべき女性だった。
「よ、ようやく、私のことを対等に……いえ、目上に見る気になったわけね……」
「その通りよ、今まで無礼な真似をしてごめんなさいね」
おかしい、今更謝ったぐらいで許されるわけもないのに、なぜか嬉しくて飛び跳ねたくなっていた。
そもそも、一応対等な家格なのに、今まで下に見られていたのか。その点がまずおかしいのに、ハピネは感謝さえしかけていた。
「これがギャップ萌えか……」
祭我は劇場版のガキ大将現象を目の当たりにしていた。
なるほど、実際には普通かそれより少しマシになっただけで、今までの負債が一切なくなったわけではないのだが、過去の行状が美化されていくようですらある。
何もいいことしていないのに。
言動一つで、人間は簡単に心を揺さぶられるのだった。普段の行いが大事、というのはどこへ行ったのだろうか。
「……よく考えたら、俺もドゥーウェから特に酷いことはされてないな。むしろ、結構迷惑をかけていたような気が……」
大昔、山水はドゥーウェのことを『性格は悪いがそれだけだ』と言っていたが、今まさに山水の気持ちがハピネも祭我も共有していた。
なるほど、口が悪かっただけなら許せるのだ。
「と、とにかく……ドゥーウェ、貴女が健康な赤ちゃんを産んでよかったわ」
「ありがとう、パレット」
「……ごめんなさい、いろいろ言おうと思っていたのだけど、言葉が出なくなったわ」
色々と衝撃的過ぎて、言葉を失っていた。
おかしい、今まで最悪だったことが、正常になっただけなのに、どうしてか胸がいっぱいで言葉にならない。
「それじゃあ私から。いよいよ貴女がカプトの当主になるのね、大変だと思うけど頑張ってちょうだい」
「え、ええ……」
「サイガもね。簡単にはいかないでしょうけど、ハピネが今までの様に支えてくれると思うわ」
「お、おう……」
いよいよ代替わりである。
お世辞にも前向きな理由ではないが、それでもめでたいことに変わりはない。
今までならパレットだけ褒めて、ハピネの方はひたすらこき下ろしていたはずである。
やはりものすごく、とんでもなく違和感があった。
「多分お兄様は当分当主の椅子に縛り付けられるでしょうけど、良くも悪くも声は小さくなるから余りあてにしない方がいいわ。ディスイヤのご老体はそうでもないでしょうけど、御年だし、何かあったら……アクリルにお鉢が回るんでしょうね。それまでに、調子を掴んでいた方がいいわ」
「アクリル・ディスイヤか……」
やはり祭我は会ったことが無い相手だった。
話にはたまに出るが、やはりディスイヤに関しては話が乏しいのだ。
ハピネも好まないし、楽しい相手ではないだろう。
「アクリルって、どんな人なんだ?」
「しいて言えば、大天狗に似ているわね」
ハピネは何とも言えない表情で答えていた。
今まで祭我が出会った人物の中では、一番近いのは彼だろう。
「大天狗に?!」
「そうよ、あの子は芸術馬鹿なのよ。すごすぎて、もう人間じゃないもの」
「……凄い絵を描けるとか?」
「それは当然なんだけど、あの子って調子がいい時には同時に絵を三枚も描いちゃうのよね」
「……?」
「右手と左手と口で筆を使って絵を描くのよ、三枚同時に」
「……大道芸だな」
人格も政治家としての技量もさっぱりわからないが、とりあえず絵が上手なのはわかった。
しかし、それは一般的な意味での絵が上手とはかけ離れ過ぎている。
「っていうか、口で筆を咥えて絵を描いていたら、それこそ目の前の絵しか見えないんじゃないか?」
「あの子、目隠ししても絵が描けるもの。そんなの問題じゃないわ」
やっぱりおかしい。
確かにすごいし絵が上手なのだろうが、一般的な絵画の技術ではない。
「昔両足も使おうかと思って試したらしいけど、流石に体勢に無理があるらしいわ」
「そういう問題なのか……」
同時に平行して作業ができる、ということだろうか。
やっぱり普通の技術ではない。
「それで、アクリルって子があのご老体と変わったらどうなるんだ?」
「そうですね……わかりません。あの子はこう……協調性が無いので」
パレットは言葉を探しながら、なんとか当たり障りのない表現をしていた。
「ですが、大天狗に似ているという表現は決して誇張ではありません。協調性が無い上で、彼女は才気にあふれています。もしかしたら、とんでもないことをしでかすかも……」
「……他の人はいないんですか?」
「いたのなら、とっくに隠居しているでしょう」
「ああ、いないんだ」
もうすでに、祭我はアクリルに会うことも政治家になることも腰が引けていた。




