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夫妻

 結果として、旧世界の怪物によって滅亡させられた辺境の町を丸々一つもらえることになった井上志波。

 労役としてその町を復興させることになったが、まあ些細なことであろう。

 少なくとも開拓地と言う名の緑の地獄へ送られるよりは大いにマシであるし、資材なども都合してもらえることになった。


 井上の妻も娘も、あるいは町の人々も、志波と鏡が留守にしている間に暴行を受けていたとか拉致されたとか、そんなことは一切なかった。

 二人が避難所へ戻った時、そこにはいつもと変わらない人々がいた。


「遅いんだよ! このバカ旦那が!」


 いつもと変わらない、妻が井上を迎えていた。


「すまん……」

「アンタ、死んだ父ちゃんと危ない真似はしないって約束しただろ! なんでこんな時に女房と娘を置いて、若いのを連れてどっかへ行ったんだい! てっきり若い女の尻でも追いかけにいったのかと思ったよ!」

 

 ある意味まっとうなことを言われてしまう。

 なるほど、どつかれても文句は言えまい。


「こら、クソ親父! かわいい娘をこんなきったないところに置いて、自分は娘の男を連れて旅行か?! アタシの体になにかあったらどうするんだい! 帰ってきたからって、父ちゃんの分の飯はないからね!」


 娘からも罵倒される。

 それもそうだろう、確かに鏡は置いて行ったほうがよかったかもしれない。


「そ、そのなんだ……すまん」


 正直いろいろと言いたいことはあるのだが、妻と娘が無事だったというだけで安心しており、とりあえず黙ってしまう。

 実際、気が気でなかったわけであるし。


「なんか肌の艶もいいしねえ……いいもんでも食ってたんだろう! こっちが少ないメシで我慢してたってのに!」


 蟠桃による治療の関係もあって、志波の体は大分みずみずしくなっていた。

 その点を、年齢相応の老いを迎えている妻に指摘されると、反論の余地は一切ない。

 実際、蟠桃はこの世の物とも思えぬ味であったし。


「そ、そのなんだ……うむ、まあ待て」

「そうですよ、おかみさん。ちょっと待ってくださいよ」

「カガミ! アンタがどうして旦那を止めなかったんだい!」

「そうだよカガミ! どうせ父ちゃんが『一山当てて家族に美味いもん食わせてやろうぜ』とか言い出したんだろう!?」


 そして、文章にされると確かに大体合っていた。

 この緊急事態に対して、やることが大胆と言うか考えがなさすぎる。

 庶民感覚、というものは大抵正しい。すくなくとも、鏡は自分が熱くなっていたというかイカれていたというか、そういう精神状態になっていたことを悔いていた。


 戦争で故郷を追い出されてしまった、わかる。

 家族や町のみんなを何とかしなければ、わかる。

 伝説の剣をゲットして竜をやっつけよう、わからない。


 うむ、正気ではない。

 家族がこんなことを言いだしたら、それこそ心配になるだろう。

 そう考えると、志波も志波で、大分頭がおかしい。


 妻と娘のために、大会に出場して名前を売って、雇用してもらおう。

 なお、現在の職業は大工。やはりまともではない。

 成功したからいいものの、なんで大工が家族を養うために他国の武芸大会に参加するのか。


「まあ落ち着いてくれ、二人とも……実はだな……」


 志波は説明を開始した。

 伝説の剣を賭けた大会に出場して、武勇を認められて、それで大貴族様に雇ってもらえたと。

 これで町のみんなも大丈夫だと。


「……頭は大丈夫かい」

「どっかに行ったと思ったら、頭の病気かい……困った父ちゃんだ」


 普通に流された。

 確かに文章にすると無茶苦茶である。

 実に頼もしい、二人はまともだった。


「で、カガミ。父ちゃんはどこで頭をぶつけてきたんだい?」

「いえ、その……頭をぶつけたのは本当ですけど、そこは重要じゃなくてですね……おかみさん、本当に志波さんは一山当てたんですよ」

「……どうしよう、母ちゃん。親父もこいつももう駄目だよ……竜が怖くて、頭が駄目になっちまったよ……」

「ああ、しょうがない男たちだねえ……こういう時程、女が頑張らなくちゃダメなのさ」


 しばらくの寸劇をしていると、井上一家のテントへ町の面々が集まってきた。


「親方ぁ、カプトの連中が黙って俺らについて来いって言ってますぜ!」

「シバさん、本当に勝っちまったんだなあ……アンタすげえや」

「行先はアルカナだってさ。すげえなあ……流石シバさんだ!」


 今までも、避難所から一つの共同体が引き抜かれていくことはままあった。

 アルカナに仕官した元領主が、領民を引き連れていくこと。

 あるいはディスイヤの上客だった豪商が、北側のどこかへ貴族として移住するときに従業員たちを連れていくこと。

 とにかく、ここよりは条件がいい場所へ案内される。それは一種の羨望だった。

 まさに天から垂らされた蜘蛛の糸と言っていいだろう。

 それが志波の働きによって、彼の暮らしていた町の住民にも順番が回ってきたということだった。


「……」

「……」


 話を聞いて、互いを見合わせる母と娘。


「流石わたしの父ちゃんだよ!」

「本当だねえ、母ちゃん!」


 調子がいい、とは正にこのことであろう。

 志波も鏡も、互いの顔を見合うしかなかった。


「いいんですか、志波さん……」

「良くはないが、悪くもない。そうだろう、鏡」

「だったらもうちょっと嬉しそうな顔をするべきでは……」

「だが実際、無茶だったというか、年甲斐もなかったことは事実だしな……」


 結果が良ければいい、という物ではないのだと志波はよく知っている。


「家族だけでも助けたかった……だが、思いのほか太っ腹だったな……」


 もうすでに死んでいる、妻の父親のことを志波は思い出していた。

 うまくいったからいいじゃないですか、という自分のことを、金づちで殴打してくるそんな男だった。

 その彼と約束をしたのだ、娘を幸せにすると。


「あんなんでも、俺の妻で俺の娘だ。それを見捨てるようなら、他に何をしたって最低だろう」

「……そうですね」



 移住そのものに関しては、特に問題がなかった。

 なにせ元々避難してきたのである、ある意味引っ越しの途中のようなものだ。

 荷物は多くないし、誰もがひと固まりになっているので障害もない。

 なによりも、移動用の船が空を飛ぶし、荷物を運んでくれる兵隊も多かった。

 今までがそうであったように、アルカナ王国への移住は順調だった。


「ウチの子を頼みます」

「どうか、どうかこの子だけは……!」


 その一方で、志波の町の人々へ赤ん坊や子供を託す、近くの町の親戚たちもいた。

 これから避難所の彼らがどこへ行くとしても、アルカナ王国より条件がいいとは思えない。

 厳密には志波の町の住人ではない子供たちだが、しかしそれを見逃す程度にはアルカナの将兵も寛容だった。

 とはいえ、それも限度がある。

 あまりにも目に余れば、その場合は流石に手を出さざるを得ないだろう。


 そうした光景を眺めながら、既に船へ乗り込んでいる志波や鏡は世界の無情を呪っていた。

 これ以上の結果を出せなかった、自分の町の人間を救えればそれでよかった。


「後悔してますか、志波さん」

「後悔というか、力不足だな……やっぱりハッピーエンドが良かったんだろう」


 悪くない結果は、やはり悪くないというだけで、最上の結果ではなかった。

 最悪には程遠いが、やはり気分がいい結果ではない。


「なにをごちゃごちゃ言ってんだい、他人様のことなんて気にしている場合かね!」


 そんな二人を背後から怒鳴りつけるのは、やはり志波の妻だった。

 当然ながら彼女のほうがこの世界に適応している。

 まず自分、あるいは家族。他のことは『残念ですね』で終わり。

 一地方の領主ならばその一地方に対して、一国の君主ならば一国に対して、責任を感じるべき(・・)であるが、大工の妻がこの南側諸国全体の民に対して『助けられなくてごめんなさい』と思うわけがない。


 むしろ、そう感じるほうが不健全であろう、なんでそんなことを一々気に病むのだ。

 そんなことよりも、明日のご飯を心配するべきである。

 この時代の民衆は、まず明日飯が食えるのかが定かではないのだから。


「だいたい、アンタ兵隊さんになるんだって?」

「……今更か」

「それだったら止めてたよ」


 大げさ目にため息を吐くのは、やはり自分の夫が兵隊になることが好ましくないらしい。


「そうだろうな……」

「そうだろうな、じゃないよ。止められるのがわかっていたから、黙って出ていったんだろう?」

「お前たちを、このまま避難地に置くわけにはいかなかった」

「それならいっそ、私らを抱えて密入国でもなんでもすればいいじゃないか」

「今回のことが失敗したら、そうしていたかもな……」

「兵隊なんて、ろくなもんじゃないよ」


 兵隊という職業に、露骨な忌避感があった。

 やや不自然に感じられるのはなぜだろうか。

 日本人の女性ならともかく、この世界の女性にしてはやや普通ではない気がする。

 鏡はやや首をかしげていた。


「何か嫌なことがあったんですか?」

「ああ……俺の義兄にあたる人が、大工が嫌だと言って逃げ出して、兵隊になってそのまま死んだらしい」

「……そんなことがあったんですか」

「俺の義父に当たる人は、それはもう……わかりやすい職人気質の親方だったからな。そりゃあ逃げると、昔の俺は納得したもんだ」


 むしろ、昔の志波が良く逃げなかったものだ、ということかもしれない。


「あの人に比べれば、俺なんて穏やかなもんだぞ。あのひと、マジで喧嘩っ早かったからな」

「マジですか」

「マジだ」

「なにこそこそしているんだい!」


 志波と鏡の内緒話に対して、志波の妻は怒鳴りつけていた。


「どうにかなんないのかい? 他の仕事にしてもらうとかさ」

「俺にそれを決める権利はない」

「まったく……少しは落ち着いたかと思ったらとんでもないことをしたもんだよ」


 彼女はとても模範的な女性だった。

 志波も鏡も、彼女の言葉にはぐうの音も出ない。


「そりゃあ死んだ私の父ちゃんだって、散々ケンカをしたもんさ。だけどねえ、いざ兵隊が攻めてくるとか、山賊が来るとか、嵐が来るとか、そういうときはおとなしくしていたもんだし逃げ出したよ」


 それは、とても強かな姿勢だった。まさに強い人間の言葉だった。


「開拓地に送られるのが何だってんだい、それこそ大工の出番じゃないか。飯が少なかろうが、病気になろうが、家族はそろって耐え忍ぶもんじゃないのかい?」


 病めるときも健やかなるときも、という言葉は本来そういう意味であろう。


「アンタらが二人してどっか行ったとき、私も娘もどれだけ心細かったことか……これからさき、何度そんな気分にさせるんだい!」


 彼女は危機感をもって、正しく怒鳴っていた。


「……そういうな。俺はそれでも、お前や娘に楽をしてほしかったんだ」

「旦那を鉄火場に送り出して、楽ができるほど私は肝が据わってないよ! この馬鹿タレが!」


 その夫婦喧嘩をみて、鏡は思うのだ。

 志波が何を見捨てでも守りたいと思った感情は、決して一方通行ではなかったのだと。


「カガミ……!」

「げ!」

「なにがげよ! こっちがげと言いたいわ! まったく!」


 それは、自分にも言えることだった。

 それは、確かに最上ではないが、悪くない結果だった。

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