評価
結局バアスは、なんとか宿に帰り着いた。
生き残っていた密偵二人は、宿を知っているはずだったが追跡してこなかった。
手傷を負うこと自体はなかったものの、久しぶりの殺人による高揚と、奇妙な切なさを感じつつ戻ってみると……。
「血まみれ……何があった?!」
「怪我はないか?! なに、返り血?!」
「どっちにしろ、凄い量だぞ!?」
普通に、宿の護衛に咎められた。
考えてみれば当然の帰結。木刀で殴り殺したのならまだしも、鉄の剣で真っ向から両断すれば返り血を浴びるだろう。
合戦場ではあるまいに、血まみれで宿の客が帰ってきたら何事かと思って当然だ。
むしろ、よくぞここまで歩いてこれたものである。いくら王都が日陰の騙し合いが終わりかけている時期とはいえ、限度があるだろう。
山水が都合した宿が、そこそこの格がある宿だったこともあって、深夜にもかかわらず多くの従業員が慌てて現れた。
「このままでは……まずいったん、お召し物をお預かりさせていただきます」
「おい、湯を沸かせ!」
「少々お待ちください、お時間を頂きたいのです」
そこいらの安宿だとしても、こんな状態の客が入ってきたら門前払いだろう。
血まみれの客とか、風聞以前に宿が汚れる。なのでそのまま上がらせることはできなかった。
見るからに屈強な剣士、という風体もあって犯罪だとは思われなかった。
憲兵が呼ばれることもなく、ただ淡々と、バアスが宿に入っても問題ないように処置していく。
「聞いたか、あのお客はあのサンスイ様のご紹介だと!」
「へえ、あの竜殺しの!」
「それじゃあ、あの御仁も一流の剣士かい!」
それを受けている中、さほど教育の行き届いていない従業員の声が聞こえてくる。
ソペード領地ではなく王都であっても、山水の知名度は絶大らしい。
それが少し誇らしくあり、同様に嫉妬してしまう。自分も本当は、こうして民衆に畏怖される剣士になりたかったのだから。
「それじゃああの返り血も、どっかのバカの首を切り落とした証か?」
そう思っていたら、なんか話がおかしくなってきた。
「じゃあまた、ソペード邸の前に晒し首が並ぶのか……」
またってなんだろう。
「おっかねえよなあ、ズラリ並んだ大量の首……思い出すだけで震えるぜ」
「普通じゃねえよなあ、あんな真似をするなんて」
「聞いたことあるか? あの『晒し首』は首を落とす時も相手を固定しないんだってよ」
「ああ、聞いたことがあるぜ……『晒し首』に斬られたら、首が落ちるまで気づけないらしいじゃねえか……」
山水の異名の一つが晒し首だということに、地味に落ち込んでしまう。
というか、自分もその同類と思われていることが嫌だった。
何が一番嫌かと言えば、山水が農奴の反乱に対して首を落として見せたところに居合わせたので、山水はそんなことをするような奴じゃないと言えないことだろう。
「おいおい、そんなことできるもんかよ」
「いやそれがな、王都へ見物に来た豪商の方がよ、実際に剣聖が戦うところを見て興奮しなさっていたんだぜ」
「ああ、お客様はどなたも『童顔の剣聖は本物だ』とか『あれは人間業じゃない』とか『確かに五百年生きている、そうじゃないとおかしい』とかおっしゃってた」
「バトラブの切り札様がたも、一度ならず二度三度、剣聖に躾けられたとか!」
「竜でさえ料理みたいにバラバラにしたらしいぜ! 骨と肉と鱗を綺麗に分けたらしいぜ!」
実際に見たことがない話も、本当なんだろうなあと納得せざるを得ない。
切なさも高揚も、聞き耳を立てているうちにどうでもよくなってしまった。
本人に会わなくてもそんな気分になってしまうのだから、つくづく山水は格が違っていた。
※
山水は昨晩にバアスが殺人をしたということで、報告を受けていた。
流石に王都で人が死ねば、なあなあで済ませることはできない。
バアスは自分の立場をぼかしつつ、犯罪を教唆されて断ったと伝えていた。
山水はそれを信じていた。実際、誰がどう考えても、バアスには受ける旨味がない。
周囲の面々も、追い詰められた諜報員が暴走しただけだと思うだろう。本当にそれ以外の何物でもなかったのだし。
「四人に挟まれ、二人を切って逃れたと」
「まあそうだけども」
改めて言葉にすると、あまりにも陳腐な話だった。大した活躍をしていないようにとられてしまう。
実際には死んでもおかしくなかった、絶体絶命の窮地からの脱出だったのだが、山水の武勇伝とは雲泥の違いがあった。
比較対象が悪すぎる気もするが、それでももう少し修飾語が欲しいところである。
「そりゃあ一国を攻め落としたアンタに比べれば、酒場の武勇伝と大差ないだろうけどよ」
「いえいえ、そんな卑下せずに。私も剣士、狭い場所で弓に狙われることの恐ろしさはわかります」
「白々しいな……アンタなら希少魔法を使わなくても勝てるだろうに」
山水ならクロスボウで前後から狙われても、危なげもなく鮮やかに回避するだろう。
仙術を使っても問題がないのなら、縮地で間合いを詰めて終わりである。
「そんなことを言いだせばキリがありませんよ。大事なのは貴方が自分にできることを理解して、それを信じて戦ったことです。それは偶然や幸運に頼り切るものではありません」
「まあそうだけどよ……あいつらがあと五人ぐらいいれば、流石に勝ちきれなかった……」
「それを直感的に見抜けたことが、貴方の経験によるものです。誇っていいと思いますよ」
山水はバアスからの説明を聞いて、相手がどんなことを考えて行動していたのか推理して伝えていた。
それはバアスも納得できることであり、相変わらずとても分かりやすかった。
と同時に、カットを切った時の切なさが思い浮かんでしまう。
「あまり嬉しくなさそうですが、どうかしたのですか?」
「……殺した奴の中に、顔見知りがいた」
「そうですか」
「アンタにこんなことを言うのはどうかと思うが、アイツは国を守るためにあがいてたよ。それこそ、あの爺さんのようにな」
正直に言えば、見直していた。
とても難しい作戦を成功させて武勲を上げるよりも、誰がどう考えても失敗する作戦にさえ命を賭す姿が格好良かった。
最初は図々しさにあきれていたが、今にして思えば彼はただ必死なだけなのだろう。
バアスは山水と対立し、うち伏せられて自説を曲げた。
しかしそれでも、特にバアスは困っていない。へこんではいたが、特に損をしたわけではない。
だがそれはバアスが個人だからであり、カットは相手がどれだけ強大で、どれだけ失敗を重ねても、引き下がれなかったのだ。
引き下がる道など、彼の国家や国民にはなかったのだから。
「アイツも貴族なんだなあって、思ったんだ」
「敵対している相手にも敬意を抱くのはいいことです」
「それじゃああんたに聞きたいんだが……」
バアスには、国を救うための機会があった。
成功する見込みはほぼなかったが、カット本人が同じ状況なら迷わず行っただろう。
「こんな大国を相手に、死ぬと分かって突っ込む馬鹿を、蔑んで見下すか?」
「いいえ。尊敬するでしょうね、強大なものが弱いものを、特に必要もなく蹂躙する姿よりは」
山水はスイボクを思い出す。
尊敬しているし感謝しているが、尊敬していない部分もある。
というよりも、真似してはいけない面もあると思っている。
「俺もだ」
バアスは素直に、弱者への尊敬を口にできる。
だが、だからこそ迷ってもいる。
今の自分は、尊敬されるに値するのかと。
「頭の回らねえ雑兵をこき使うよりも、俺みたいな無頼の輩に縋り付く方がカッコよかった。それで、俺はどうなんだ?」
ひるがえって見るに、自分は脱走兵である。
敵前逃亡を行ったわけではないが、祖国を捨てるどころか見捨てている。
それは、周囲からどう見られているのだろうか。
目の前の山水に限った話ではない、この国で出会った人々はどう思っているのだろうか。
「故郷のために戦おうとしない俺のことは、どう思う?」
「引け目を感じていると」
「ああ」
「気にする必要はありませんよ、少なくともアルカナ王国の方は全員気にしていません。いまのこの国には、貴方のように故郷を捨てた人がたくさんいますしね」
割とひどいことを言うが、事実なので仕方がない。
武官文官を問わず、才能ある者たちをアルカナは取り立てている。
それだけ今回の戦争で傷が深かったということであり、同時に多くの才能ある者たちが祖国を見限ったということだろう。
「そいつらはいいのかよ、貴族だろう?」
「相手が竜ですからねえ……」
「……そりゃそうか」
八種神宝を抜きで竜と戦争をするなど、自殺以外の何物でもない。そんなことができるのは、スイボクやフウケイ、山水といった武を極めた仙人だけだ。
実際にそれを思い知ったアルカナ王国としては、逃げ出して受け入れを求めた才人を臆病な負け犬とは言えなかったのだ。
「それに、一部の貴族は領民ごとの移住も求めていました。そういう意味では、領民への義務を怠っていなかったとも言えます」
「そんな奴らばかりじゃないだろう?」
「貴族と言っても、領地や領民を持てない、次男などの役人をしている方も多いですからね」
「……まあそんなもんか」
「もちろん、国家や国民、国王や貴族、それらすべてを守りたいと思っている彼らを否定しません。むしろ尊敬していますよ、ただ……」
山水が思い出すのは、なんとか竜との戦争に間に合った時のことだ。
あの時は国家全体を守るために虚空を移動していたが、内心家族のことで一杯だった。
ブロワの実家やソペードの本家、王都など、家族がいる可能性の高いところへ行きたくて仕方なかった。
「守りたいものは、人それぞれですから」
「俺には、そんなものはない」
「何をおっしゃいます。貴方は貴方自身を大事に思っているでしょう」
それはナルシズムによるものではなく、自己防衛でもなく、自分の信念によるものだった。
バアスは自分の命以上に、自分の信条を重んじている。
大切なものが何もない連中とは、大違いであろう。
「貴方が国家を守りたいと思っていなかったのなら、自分の信じる道を探ればいいだけです。貴方の人生は、誰の所有物でもありません。国家に対して義理を感じておらず、大事な仲間や敬愛する上官もいないなら、貴方は貴方が思うままに動けばいい」
それは好き勝手にしていいということではなく……。
「貴方は他人へ引け目を感じるほど、薄くあいまいな人生を送っていませんよ」
自嘲しつつ、山水は勇気づけていた。
「そういうもんか」
「そういうものです」




