成長
結局、トオンとランの試合は決着がつかなかった。
互いににらみ合いしばらく硬直した結果、精魂が尽きて互いに剣を下ろした。
機を測りあったため、動いた方が先に負けるという状況に陥った。
そして、時間切れというわけである。
「またにらみ合うなんて……これって浮気なのかしら?」
「ははは……私は君一筋だよ」
緊張からくる疲労と発汗で、トオンもランも見るからに疲れ切っていた。
どうやら、二人がこうなるのは初めてではないらしい。
ドゥーウェからの皮肉にも、トオンは短く弁解するだけだった。
「二人とも、機の読み合いや間の探り合いに没頭しすぎであるな」
バアスからしてみれば、ここまで拮抗したにらみ合いなど見たことが無かったのだが、スイボクからすると叱責の対象らしい。
「先の先をとることは確かに武人として一つの段階ではあるが、それをとることしか考えていないのは阿呆であるぞ。これが決闘を模した試合であるから良いものを、本番でこんな見合いをすればどうなるか」
世界最強の男は、二人の剣士へダメ出しをする。
「先の先だけが技ではないし、機でもない。むしろ、先の先を狙ってくる相手を受け流す器量を身につけよ。先の先で技を終わらせてしまえば、同程度の相手とは拮抗してそのままである」
人間の体は、長時間動くと当然疲れる。
だが、まったく動かないままだと短時間でも消耗する。
筋肉もさることながら、関節にも負担がかかる。
剣という道具を手に持っていれば、なおのことであろう。
「なまじ相手のことを知っているからこそ、申し合わせたかのように見合ってしまう。変な癖がついた、ということであるな」
「返す言葉もない……」
「負けたくない、という想いを御せているつもりだったのだが……」
「忘我に至ることに甘んじるな。それは思考の放棄、背を刺されるだけである。考えることを捨ててはならんぞ。極限の集中を、戦いの最中だけでも己が物とせよ」
スイボクはキツイことを言っている。
二人が目指している境地に達しているからこそであろうが、なかなか酷なこと言う。
現時点に満足し、そこで胡坐をかくなということだろう。
「サンスイと貴方は、これが何時も普通にこなせるのか……」
「それは当然であろう、五百年かけて育てたのだぞ? それこそ年季が違う」
己の中の悪血を御せるようになったランだが、それでも道の過酷さにうんざりしていた。
それでも折れるつもりはないのだが、なかなかしんどかった。
だがつらい日々の継続こそが、修業だとは今の彼女はわかっている。
「サンスイ殿には、いかにしてこれを学ばせたのですか?」
トオンは興味を持って訪ねる。
非常に今更だが、山水は素振りに五百年費やした。
それは本来瞑想中でなければできない周囲の感知を、戦闘中でも睡眠中でも行えるようにするためだったと聞いている。
それとこれに、どんな関係があるのだろうか。
「サンスイには命への執着を薄れさせた」
さらっと、とんでもないことを言い出した。
流石にドゥーウェも驚いている。バアスはもっと驚いている。
「ある意味仙人らしいのだが、サンスイの我執が薄いのは、単にそういう性格になるよう育てたからだ」
なお、スイボクも結構後悔している顔をしている。
「アレは儂同様に、常に周囲の気配を感じているからな。生死が取り立てて珍しくなく、ただ自然なことだと学んでいっただけなのだ。結果的に、自分のことがどうでもよくなった」
野に生きる仙人としては正しい。
なお、家庭を持つ男としては。
「よって、戦闘中に勝利へ執着してもいない。無いわけではないだろうが、常人俗人より薄い。なのでまあ……お主ら俗人がそういう方向で剣術と仙術の一致を目指すことはないぞ」
真似しちゃだめだよ。
仙術の修業は過酷なので、専門家に立ち会ってもらいましょう。
なお、結果。たったの五百年で解脱寸前です。
「……その、なんだ。勝つことに心を置き過ぎてはいかんぞ」
「置かなすぎるのも問題ね……スイボク様」
「ぬ……」
ドゥーウェのもっともすぎる言葉には、スイボクも返す言葉が無い。
ある意味当然なのだが、山水がこういう性格なのは、全てこの男に起因する。
「自分のことを軽く見ているから、自分の子供のことを最後まで見届けなくていい……武人としてはありかもしれないけれど……それで特に意味もなく死なれたら、女はどうしようもないわ。そう思うでしょう、トオン」
「ははは……その通りだ。私は君のことも、お腹の子も守るともさ」
「あらあら、子供は一人で十分なの? 私の体は、そんなに魅力がないのかしら」
いちゃいちゃしつつも、常に上をとることを忘れない悪女の鏡。
そういうところも好き、というトオンも養育された環境に問題があるのではないだろうか。
「で、お前は誰だ?」
ランはバアスを見上げながら訪ねる。
新しいエッケザックスの主が、バアスを見上げてくる。
それだけで、バアスは何とも言えない気分になる。
目の前の彼女に正々堂々と挑み、正しくエッケザックスの主になれれば。
諸外国を救うためではなく、新しいバトラブの切り札になることができれば。
その誘惑は、どうしても湧き上がる。
なによりも、相手を見た目で判断してしまう。
自分の体重の、半分あるかもわからない小娘が、世界最強の剣を持っているということに腹をたてないでもない。
そうした苛立ちを断ち切って、バアスは平常に応じる。
「サンスイの所で厄介になっている、バアスというものだ」
「そうかそうか」
ランは体の節々を動かしながら、バアスの境遇を察していた。
程度はともかく、己と同じであろうと考えたのだ。だいたいあっている。
「私も昔は、無謀にもサンスイに挑んだのだ。その後ことあるごとに殺されそうになったのだぞ。はっはっは!」
「そりゃあずいぶん嫌われたもんだな……俺なんか、何度か殺しそうになったのに甘やかされてるぞ」
むしろ、スイボクの話を聞いた後では納得できるのだが。
山水は自分が殺されることをなんとも思っていない。なんとも思っていないのだから、殺されそうになっても腹を立てていないだけだ。
どうでもいいものが壊されそうになっただけなので、怒る理由が全くないのだろう。
むしろ、目の前の少女がなぜ殺されそうになっているのか、そっちの方が分からない。
「殺されそうになったというか……そうだな、さっさと殺すべきだと今でも言われている」
「そっちの方が酷いと思うんだが……」
「なに、行動で証明すればいい。私はサイガの認めた、新しいエッケザックスの主だ。何時でも挑戦は受けるぞ。もちろん、今でもな!」
その姿勢を見ただけで、バアスにはわかってしまう。
彼女がいったい誰に憧れているのかを。
親しみやすい、すぐそこにいる最強として、いつでも迎え撃つ覚悟があった。
あるいは、そうなりたいのだと。
「……そうか、後悔するなよ小娘」
「おう、その意気だぞ木偶の坊」
双方が木刀を手に、試合を始めようとしていた。
バアスは山水から頭や喉を打たれていたこともあって、お世辞にも体調は良くない。
だがそれでも、これが好機であることに変わりはない。
最強の神剣の使い手と戦える、実際に剣を交えることができる。
ここで引くようなら、それは剣士ではないだろう。
とても楽しそうに、はるかに小柄なランへ木刀を向けていた。
これから起きるのは、木刀を用いた暴力の応酬。どう言い訳をしても、怪我をさせ合う行為に他ならない。
それを知った上で楽しんでいる相手と戦えるのは、剣士としては楽しいことだ。
「いつでもこい!」
「おうとも!」
バアスが選んだ構えは、やはり上段の構えだった。
そして、迷いなく打ち込む。
何度も何度も敗れた、必勝でも最強でもない攻撃だった。
だがそれでも、特別否定されたわけではない。
一番得意で、一番練度があり、何よりも一番理のある攻撃だった。
「いい打ち込みだな!」
それを、ランはあえて普通に受けていた。
彼女自身、均衡やら拮抗やらには飽きていたのかもしれない。
とても普通に、平凡な剣を行っていた。
(あっさり受け止めた?! こいつ、どんな腕力を……いや、狂戦士だったな)
バアスはこの瞬間、いくつかの心の動きを無意識に振り切っていた。
相手を侮っていない、相手に絶対勝ちたいと思っていない。
だからこそ、心が揺るぎにくい。
固執せず、頓着せず、行動や判断が早くなる。
自分の最も得意とする技を受けられても、速やかに動作を切り替えることができていた。
「だが、小娘は小娘だ!」
「おっ」
山水から見れば遅い、不惑には遠い動作。しかし、不惑につながる姿勢。
打ち込んだ木刀と、受けた木刀。これらを鍔迫り合いの体勢に持ち込む。
そして、上から下へ押し込むのではなく、膝を使って下から上へ押し上げる。
ランの力がどれだけであっても、下から上へ押されれば、体重差の関係上抵抗どころか踏みとどまることもできない。
いや、彼女は踏みとどまりもしなかった。むしろ、大きく下がっていた。
「判断が早いな……」
相手に逆らわず、大きく飛びのく。
それは無理に抵抗をした場合よりも、結果として隙が減る。
流れに逆らうことも時として必要だが、逆らっても無駄な流れはあるのだ。
彼女は自分への対抗策を知っている。
相手がどう自分を攻略しようとするのか知っている。
だが、それを相手が適切に判断するかは、相手次第である。
場合によっては、何時までも愚かな行動をとり続けることもある。
「おおお!」
出来るだけ遠間から、大柄な体格相応に長い手で木刀による突きを打つ。
それは腕が伸び切っており、切っ先に力を籠めることができない。
よって、ランは簡単に捌くことができた。
真っ直ぐに突き込んでくる木刀を、自分の木刀で横から押す。それだけで簡単にそらせる。
「しいい!」
それでも、バアスは繰り返す。
まずは、自分の理を活かす。
変な話ではない、相手が自分より小柄なことは事実だ。
であれば、間合いの理を活かした戦術を組み立てるのは当然。
勝てるかどうかはともかく、最善を尽くす。
バアスは慣れない刺突が、雑にならないように気を使いながら連続で突いていく。
「おっ、おっ、おっ……!」
だが、付け焼刃に変わりはない。
どうしてもランには通じない。
だんだんと呼吸が乱れていき、攻め手が緩んだ。
「数で来ても無駄だ!」
気功剣を用いない純粋な技量で、ランはバアスの木刀を絡める。
突き込んできたバアスの木刀は、大きく乱れてそらされた。
「こんなことで!」
木刀は軽い、バアスは体重が重い上に握力も強い。
それが意味するところは、木刀がはねられても体勢が大きく乱れず、且つ木刀を手放さずに済むということだ。
即座に体勢を整えて、ランからの追撃を受ける。
「ほお」
「こんなことで感心するな!」
ランはバアスが余裕をもって受けたことに驚いていた。
それに対してバアスはやや怒りそうになるが、それも成長の実感が上回る。
バアスはもともと強かった。
今まで孤剣に生きてきた、それで死なずに勝ち残ってきた。
不器用な生き方を貫けるだけの、剣術の才能はあったのだ。
そうした下地があったからこそ、少々の鍛錬や精神的な変化が戦闘能力の向上に直結している。
ランが勝ちに来ていないこともわかるが、以前の自分ならとっくに無様をさらしているだろう。
「おおおおおお!」
狭い間合いのままで、体力と体重を活かして打ち込んでいく。
それをランは悠々と受けていく。
その中で、バアスはなんとか攻め手を考える。
考えつつ、考えずに打つ。
「はっはっは! ずいぶん真っ直ぐな太刀筋だな! 腕や足を狙わないのか? 致命傷になるところしか狙っていないぞ?」
「だから逆によけにくいんだろうが!」
「そうだな、体幹に沿っているからな!」
山水とは違う形で、実力差が明白だった。
おそらく、単純に力負けしている。それだけではなく、反射神経でも劣っている。
そうした基本的な能力値が、小柄な彼女の方が上だった。
本気を出していないとはいえ、これが狂戦士だというのなら。
本気を出した時、自分如きでは到底及ばないのだろう。
最強の神剣を持つに値する、最強の神剣が無くても最強の剣士。
山水とはまた別の最強性がある。
だが、それでも今は。
この楽しさの中に身を置きたい。
全力で打ち込み、それを受け止められてしまう。
如何に相手に及ばないとしても、自分が強くなっていること、自分が強いことが分かるのは楽しい。
「お返しだ!」
「ぐ!」
またも鍔迫り合いになる。
そして、今度はランが全身のばねを使って押し飛ばした。
当たり前だが、背が低いランの方が下から押し上げやすい。
バアスは体重が重いが、その分一旦乱れると修正が遅い。
それは、ランがその気になれば一発打ち込める、素人でもわかるほどの好機だった。
だが彼女は中段に構える。
「どうした、もう疲れたのか?」
「……小娘が!」
言ってくれる。
悪態をつきつつ、バアスは笑っていて。
光る汗を流していた。




