没頭
「すみませんでした」
山水は素直なので、嫁や娘の憤慨に対して素直に謝っていた。
なお、それを見ているバアスは、素直に謝ればなんでも許してもらえるわけではないのだな、と納得していた。
身をもって実例を証明する、教育者の鏡である。反面教師ともいう。
「サンスイ、そこの剣士は?」
「はい、スイボク師匠。こちらはバアスさんと言いまして、私の邸で暮らしている食客です。よろしければ、しばらく彼の相手をしていただけませんか?」
「ああ、家族の機嫌を取らねばな。そういうことなら請け合おう、家族で仲良くな」
「はい、師匠! ……ブロワ、レイン、ちょっとファンの所にいこうか?」
双方ともに、脳を戦闘用に改良した師弟である。お互い事情が分かっていることもあって、話が早い。
山水は怒っている娘と妻へへりくだりながら、別室へ去っていく。
その姿は、ある意味山水らしかった。なお、最強の剣士らしくはない。
「サンスイが面倒を見ている食客か……」
その一方で、山水が紹介したスイボクという男はニコニコと笑っていた。
顔の形こそ大分違うが、全体的な雰囲気は山水によく似ていた。
スイボクの影響を受けて、山水が似ていったのだろうと察しはつく。
「改めて、儂はスイボク。サンスイに剣術と仙術を教えた師であり、ここにおられるカチョウの弟子である」
「……バアスだ」
「よく鍛えている剣士は儂も好きだぞ。サンスイが戻るまでは儂のそばにいるがよい!」
山水はこの国に所属する剣士の中では最強だという。
その彼が世界で一番強いのではないか、と思ったことはあった。
それを山水の門下に言ったところ、この国に所属していないだけで、もっと強い剣士がいるという。
それが、山水の師であるスイボクだという。目の前にいる少年のような男が、世界で一番強い剣士。
「早速だが……見分を広めようではないか」
「スイボクよ、儂の話はまだ終わっておらんぞ。サンスイの問題が片付いたのであれば……」
「おいカチョウ、バアスって奴の邪魔すんな。どうせお互い千年は生きるんだから、後にしろ」
「ですが、大天狗……」
「弟子を育てている仙人に向かって、今更なんだ! 元をただせばお前とその同期の仙人が、やりたい放題させたのが原因だろうが! 何だったら、俺がこの場でお前に同期全員分の指導をしてやるぞ!」
世界最強の仙人を育てた、人類史上最も弟子の育成を失敗した男へ説教が始まる。
なお、四千年単位の模様。
「あ、お前ら二人はもういけ。この爺さんの相手は大爺に任せろ、人生を無駄遣いするなよ? 今が一番楽しいんだからな」
「お、大天狗……」
「おらおら、年長者の言うことには従え。フウケイの奴だってなあ、お前には色々思うところはあったみたいだぞ?!」
見た目は少年たちが戯れているようだが、実際には千年万年単位で生きている男たち。未練を断ち切れずにいる、わりとどうしようもない男たちである。
彼らはバアスの邪魔にならないように、遠くへ去っていった。
「では、バアスよ」
「お、おう……」
「どうだ、当代のエッケザックス所有者に会いたくはないか?」
いきなり、なんとも魅力的な言葉が出てきた。
明らかにバアスは顔色が変わり、それを見てスイボクも笑っていた。
「なに、恥じるな恥じるな! 男子たるもの、一度は最強の剣に憧れるものであろう!」
「……アンタの弟子に負かされて、説教されたよ」
「我が弟子は強かったか?」
「ああ……魔法を使わないなら、俺は世界で一番強いつもりだった。だが実際には、この国一番の剣士どころか、その門下にも負けてばっかりで……」
「そうしょぼくれるな。萎びるにはまだまだ若いであろう!」
ばしばし、とスイボクはバアスの背を叩いていた。
その表情には、世界最強としての自負が満ちている一方で、元気になって欲しいという思いやりが満ちている。
「少なくとも、儂に弟子入りした時のサンスイに比べれば、お主は大分マシであるぞ」
「……そうなのか?」
「うむ、アレは酷かった……ははは」
軽快に笑いつつ、スイボクは案内を始める。目指すは修練場、エッケザックスの主が剣の稽古をしているところだった。
「そうか……アンタの弟子になったから、あんなに強くなれたのか?」
「そうだな、儂が稽古をつけたからだ。だがそう引け目に感じることはないぞ、強くなろうと思えば誰でも強くなれる」
「……それは、どういう意味だ?」
「儂も目が曇っていたと思うが……」
スイボクは、ゆっくりと歩きながら話していく。
「世界で一番強いとは、唯一無二のことであると思っていた。絶対の真理、何物にも否定されることが無い、と思っていた」
「違うのか?」
「つまらんだろう、そんな最強は」
そういいながら、スイボクは自嘲する。
「お前が最強になりたいのは、最強にならないと死ぬからか? 違うであろう、それだけの体があれば、どこでも好きなように生きられるはず。わざわざサンスイの所に行く必要はなかろう」
「……」
「小さい山の大将では満足できん、街のチンピラに偉ぶるだけでは満足できん、そういう男は儂も好きだ」
「……そうだな、俺はそういうのじゃないな」
「好き勝手したくて強くなりたいのか? 逆であろう? 強くなって、ちやほやされたいのであろう?」
まず強くなりたくて。
その成果を皆に認めて欲しかったのだ。
「好きなことで強くなれ、その道で一番になれば十分最強の男として、周囲から重宝されるであろう」
「そんな簡単な話じゃないんだろう? そんなことはさんざん、アンタの弟子から教えられたよ」
「簡単だと面白くなかろう」
軽く笑う。
それは成し遂げた、自分が目指す者になれた男故の、精神的な余裕だろう。
「最近、説教されてばかりだ。今まで俺に偉そうなことを言ってきた奴は、全員黙らせてきたからな……強い奴にあってばっかりだからか」
「違うぞ、お主が話を聞こうという姿勢になっているからだ」
自嘲するバアスへ、スイボクは引け目に感じることはないと語る。
それは確かな成長だとほめていた。
「本当に話を聞きたくないのなら、誰に何を言われても聞き流せばよかろう」
「……そうだな。そこをつけ込まれたってのに……」
「いったん腰を据えろ。学びたい、と思った時が学び時だぞ」
※
ほどなくして、そこに辿り着いた。
二人の剣士が真剣に打ち合っている、とても神聖な空気の漂う静謐に満ちた空間。
それを見守るのは、白い椅子に座った優雅な印象のあるお腹の大きい女性と、壁に立てかけられている一本の剣。
一枚の絵画の様に、美しい者だけがその場所に存在していた。
場違いさを感じる。
精悍な男と、健康的な美しさのある少女が、木刀を手に対峙している。
双方が真剣に勝ちたいと思っていることが、わずかに動く木刀の切っ先だけで伝わってくる。
これが稽古だとわかるのだが、稽古であっても勝ちたいからこそ、互いのことしか見えていない。
動けないまま、時間が過ぎていく。
そこに、自分が足を踏み入れていいのだろうか。
「あら、スイボク様」
「うむ、なかなか熱心なようであるな」
「ええ、まるで子供みたい。可愛いわねえ」
そこへ遠慮なくスイボクは踏み込んでいく。
しかし、バアスはあくまでも二人の剣士に見入る。
二人とも、立ち姿が美しい。
顔がいいのもそうなのだが、体つきが整っていることもそうなのだが、姿勢がいい。
貴族のお稽古や、チンピラの『殺せればいい』という剣とは趣が違う。
明らかに、一対一の剣士と向き合って、勝利するための『構え』だった。
「もうすぐお父さんになるのに……本当に、はしゃいで」
「笑って許すとは、器量があるのう」
「ええ、だって女ですもの」
「ふははは、敵わんなあ」
スイボクと女性は笑い合っている。
おそらく実際に、笑って済ませるような話なのだろう。
きっと、これはただの試合で、何もかかっていないのだ。
勝ったところで金銭が動くわけではないし、誰かが褒めてくれるわけではないし、最強の神剣が手に入るわけでもない。命のやり取りさえ、一切発生していないのだろう。
ただ、負けたくない。
本当に、それだけが二人の間に満ちている。
それがバアスには、とても素晴らしく見えた。
「止めます? もうずっとあんな感じなんですけど」
「止めたいところであるな、あまりいいこととは言えん。だが、あんなに楽しそうにしている二人へ、年寄りが偉そうなことを言っては白けるだけであろう?」
「それじゃあもう少しだけ、待ってあげましょうか」
如何に決闘とはいえ、互いのことにだけ集中するのはいいことではない。
お互いの脳髄が、忘我のままに互いだけを見ている。
これでは、周囲の状況への理解が落ちる。
背中から刺されることを考えていないとしても、地の利というものを忘れては良いとは言えない。
なによりも、ただの我慢比べになってしまう。集中を持続させることもまた、一つの実力ではある。しかし、それにだけ傾倒しては、やはりいいことではないのだ。
だが、ドゥーウェが言うように、本当に真剣勝負である。
お互いに勝ちたくて仕方がない、そんな楽しい一瞬を、周囲が勝手に終わらせるのは忍びない。
「それで、どうだエッケザックス。新しい主は」
「うむ、良い剣士だ。我はそう思う」
剣から人の形に転じたエッケザックスは、スイボクからの質問に答えていた。
かつて自分を振るい、そして捨てた男へ穏やかに語る。
「問題は、我を使う機会がめっきり減っているということじゃ……せっかく竜がいるのに」
「なに、何度も振られては神剣の名が泣こう」
エッケザックス、その名を聞いてバアスは少女を見る。
そこにいるのが、そこにあるのが、求めた最強なのだと身を震わせていた。
手を伸ばせば、そこには最強の剣がある。
「それで、そこの男は?」
「ああ、サンスイの食客だ」
「ああ……なるほど」
自らへの視線を感じてエッケザックスは得意げに笑う。
そこいらのチンピラや、国難を救いたいと願う刺客に欲されるよりは、ただひとえに己の強さを求めている男に使われたいのは当然だ。
「剣士よ、名は?」
「……バアスだ」
「そうか、バアスか。我は神剣エッケザックス、最強の神剣エッケザックスである」
そんなバアスを見て、悪戯っぽくドゥーウェが尋ねてみた。
「どう、バアス。そのエッケザックスを使って、スイボク様に挑んでみる?」
そこまでねちっこくない。
普段の彼女からしてみれば、あり得ないほどに安い挑発だった。
それでも、バアスは頭の中が赤くなる。
もしも、今この場で、最強の神剣を手に入れることができれば。
もしも、その剣で世界最強の剣士に勝つことができれば。
もしも、世界を脅かしている竜を切ることができれば。
もしかしたら、自分は英雄になれるのではないだろうか。
「……やめておく」
「あら、どうして?」
「神剣を抱きしめて寝るなんて、ごめんだ」
「……そう、貴方は賢いわね」
ドゥーウェは夫を眺めながら、素直に心の底から褒めていた。
それはあざけりではなく、正しい賢者への称賛だった。
「余りいじめんでほしいな、ドゥーウェ殿よ」
「あら、ごめんなさいね。スイボク様なら、それぐらいなんでもないでしょう?」
結局、今神剣を得ることが出来ても。
それは他の誰かでもそれが出来るということで。
誰かに神剣を奪われないように、怯えながら過ごす。
そんな日々は、バアスには無理だった。少なくとも、そこまで切羽詰まってはいない。
あるいは、最強の神剣を得て最強の剣士になったとしても、今の自分の状況を失うのだとしたら、それは好ましくないと思ったのかもしれない。
もしくは、卑しいと思ったのかもしれない。
最強の剣を得た後も、切磋琢磨している剣士。
最強の剣を置いて、ただ研鑽している剣士。
それはまさに最強の剣士、今の自分が描く理想の剣士であり……。
「無論、なんのこともないぞ」
自分へさんざん説教をした山水よりも、さらに強いスイボクに、最強の剣を手に入れただけで簡単に勝てる、そんな未来を否定したかったのかもしれない。
「……俺は、小さい剣が嫌いだ。隠し武器とかも、卑怯だと思ってきた」
スイボクが言うように、卑怯なことを嫌う美意識がバアスには備わっていた。
「俺は体が大きいが、それでも必死にやってきた。そんな俺を、小さい武器で殺そうとしてくる奴は多かった。復讐しようって奴もいたが、たいてい卑怯者だった。俺を殺して名を挙げようとする輩だった。俺は、そんな奴らみたいになりたくない」
今のバアスは、『最強の剣士』を知っている。
最強の剣なんかなくても、最強の剣を持っている相手が敵でも、まったく脅威と思わず堂々とする剣士を知っている。
知っているからこそ、正しい選択ができる。
「俺は……違うんだ」
目の前には、今も対峙している二人がいる。
周囲の喧騒に聞き耳を立てることもなく、ただの試合に没頭している二人がいる。
その二人のように、しびれる試合が出来たらいい。そう思ってしまっていた。




