殺意
五百年で気力の寿命を迎えた山水。
その彼の延命を求めて、ブロワとレインは王都に滞在している三人の長老にあっていた。
普通は逆だと思うのだが、状況が。
「サンスイが解脱……あのサンスイがのう……儂は師として嬉しい」
神を除けば、唯一最初の山水を知るスイボク。
仙人として、己の弟子が俗世への未練を断ち切るほどに成長したことに、一種の感銘を受けていた。
「阿呆が。妻と娘を置いて未練を断つなど、バカにするにもほどがあろう。己のことしか見えておらん、未熟の証左。まさに自己満足、武をもって身を建てたこと、それなりの弟子をとったことで前が見えなくなっているだけであろう」
修業がそれなりに成功していることを認めたうえで、それがまだ未熟な段階だとカチョウは断じた。
俗人でさえ引き留めたがっているのだ、仙人から見れば論外である。
「俺もそう思うがなあ、解脱する手前の仙人やら天狗やらを無理に引き留めても、死んでるのと変わらんだろう?」
誰よりも年長者である大天狗は、誰よりも仙人や天狗を見送ってきた男である。
当然、その妨害もしたことはある。そして、それが無意味だと知った。
「俺の宝貝なら解脱の妨害自体はできるが、数年と持たずに枯れ木の様に朽ちていくぞ」
「そうですか……」
解脱とは、己の人生に満足したということ。
もう十分やり切って、満ち足りたということ。
そして、もうやる気が無いということでもある。
そんな人間へ無理に延命を施しても、さほど意味が無いということだろう。
つくづく迷惑な男である。
「スイボク、お主は弟子にどんな修業を課したのだ。解脱が早ければいいというものではないぞ」
「はい、すみませんカチョウ師匠……」
「よいか、親になり夫になったのなら、一人の男として責務を果たすべきなのだ。手前勝手に満足して解脱するなど、それこそ迷惑千万! 森の中でこもっているのとはわけが違うのだぞ」
とても真っ当なことを言うカチョウ。
そう、山水は貴族であり夫であり父親であり、武芸指南役である。
多くの役割りを抱えている状態で、いきなり解脱されては自殺と変わらないだろう。
世を儚んで自殺するならまだしも、未練を切って解脱するなど論外である。
「どうせお前のことだ、なんの考えもなく俗世へ送り出したのであろう。俗世へ送り出すならば、それなりの準備をしておくべきだったのではないか」
「はい……」
「確かにサンスイはよくできた弟子だ、お前が信じて送り出すこともわかる。だが、親として送り出したのなら、その辺りの心得もだな……」
カチョウからの説教が止まらない。
スイボクは自分に非があると認めた場合、とんでもなく素直になるので受け入れている。
相手が自分の直接の師なので、なおのことだ。
「おい、カチョウ。弟子へ今更口酸っぱく指導してどうする。四千年ぐらい遅いぞ」
とはいえ、現状ではスイボクへカチョウが説教をしてもどうなるものでもない。
大天狗が言うように、今更厳しくしても四千年ぐらい遅い。
「う」
「ぬ」
「まあ俺もこの間兄弟子から色々言われたが、そっちはそっちで一万年以上遅いが、年寄りの長話に若人を付き合わせるな。悪い癖だぞ」
三人ともどうかと思うところがあるが、精神的に老成が薄い大天狗の方が、結果的にブロワとレインにやさしかった。
「とはいえだ、これだけ若くてきれいな嫁がいて、幼い子供が二人もいて、それで未練がないってのは、処置の難しいところだな」
ブロワへの気遣いが間違っている気もするが、言っていることは尤もである。
若い嫁と幼い娘がいたら、普通は死んでたまるかと思うだろう。俗人はそう思うはずだし、仙人も天狗もそう思っている。
「多分だが……ロイドやガリュウってのと戦ったのが、けっこう大きいんだろうな」
大天狗は分析していく。
山水を追い詰めて、しかし勝ちきれなかった俗人二人。
彼らと戦って、満足のいく結果になった。
それが、彼の心を薄めてしまったのかもしれない。
「満足のいく弟子、満足のいく戦い。満足、満ち足りる、不足なし。仙人が解脱するには十分な理由だ」
「な、何とかなりませんか?」
「おねがいします!」
「もう一回ロイドやほかの迅鉄道の使い手と戦っても、二番煎じだな。全く新しい敵、ってのもいないだろう。正直、俺は知らないな」
旧世界のことさえ知っている大天狗が、まったく新しい敵を知らない。
そうなれば、いよいよ何も思いつかないだろう。
「そうなると、別方面から攻めるしかないな。二人とも、山水が剣術や戦闘以外で好きなこと、好きなものはあったか?」
「……」
「……」
「ああ、無いのか。じゃあしょうがねえな」
ブロワもレインも、山水のことを思い出そうとする。
思い出そうとするのだが、特に何も思いつかない。
それを見て、大天狗は山水が無趣味だと見抜いていた。
珍しい話ではない、たいていの仙人や天狗はそういうものだからだ。
「もう無理だな」
「そんなことを言わないでください!」
「おねがいします!」
「そうはいってもなあ……嫁と娘が特に好きなものを思いつかないなら、それはもう生きてても仕方ないだろう?」
まあそうかもしれないが、嫁も娘も悪くないだろう。
この場合、悪いのは山水である。
「……パパの好きなもの……パパの好きなもの」
「砂漠とか火山に行ってみたいとか言っていたようなきが……」
「極端な自然環境に身を置きたいのか? すぐ終わるぞ」
「そうだ、パパは二ホンのご飯が結構好きだったよ!」
「そうだったな! 結構好きだったな!」
「結構じゃダメなんだが……っていうか、ダヌアで都合がつくんだろう? 執着につながらないと思うぞ」
考えれば考えるほど、山水は面白くない男だった。
淡白で天然で、剣術が好きで妙に律儀で、変に偏執的なところもある。
そういう剣士としてスイボクに育てられたのだが、本当に雑念が無さすぎる。
「……大天狗、食欲があるのなら『赤粥』でも食わせてやれば、しばらくは持つのでは?」
「ん? ああ、そう言えばサンスイの奴は飲まず食わずだったな。スイボク、お前は赤粥を食わせたことがあるか?」
「あの……さすがに作れないのですが。錬丹法の中でも、ことさらに難しい術ですよね」
山水を独自の理論で、五百年間絶食で育てていたスイボク。
絶食で『育てる』とはこれ如何に。育てるという言葉を考え直さねばなるまい。
ともあれ、赤粥なる料理を食ったことが無いのなら、新鮮な刺激になり得た。
「スイボク、お主できない術があったのか?!」
「お前にも不可能があったのか……」
「戦いに関係ない術は、覚えていないので……」
なお、スイボクに不可能があることに、大天狗と大仙人は驚いていた。
およそ不可能はないかにみえる、絶対強者。
言われてみれば、確かに不要な術ではある。習得していなくても、そこまで不思議ではない。
「あ、あの……その、赤粥とやらを食べれば、サンスイはよくなるんですか?」
「何度も食べると新鮮味が落ちるんで根治は無理だが、最初の一回は大幅に気力がよみがえる。そうだな……五十年は持つだろう」
「十分です! むしろちょうどいいです!」
「本当だよ! やったね、ブロワお姉ちゃん!」
どうやら蟠桃や人参果同様に、仙人や天狗の暮らす土地ではたまに出されるものらしい。
それゆえに通常なら効果が見込めるものではないが、スイボクの元で絶食していた山水には有効だった。
人生万事塞翁が馬である。
「ダヌアがあるなら簡単に出せるぞ。まああいつは嫌がるだろうが」
「そうなんですか?」
「なんで?」
「業を修めた仙人や天狗以外が食うと死ぬからだ」
金丹もそうだったが、仙人や天狗は自分たちしか食えないものを作りすぎである。
よく考えれば蟠桃も人参果も、食べ過ぎると死ぬ。
薬効が強すぎる弊害だとしても、もはや殺人兵器である。
「よかったね!」
「ああ、五十年なら文句なんてないな!」
「ぬ?」
喜ぶ二人をよそに、スイボクは何かに気づいた。
山水へ指導を行った彼は、当然の様に気配を感じ続けている。
山水とは比べ物にならないほどの広い範囲で、何が起きているのか把握し続けているのだ。
「ああ、そこの二人」
「なんですか?」
「なんですか?」
「サンスイの奴、何やら気力がよみがえったぞ」
※
老獪な怪物、ディスイヤの当主。
その彼からの素直な愚痴を聞くことで、確かに得る物はあった。
「いやあ、実にいいお話でしたね!」
バアスではなく、山水の方が、であるが。
もちろんバアスも貴族への印象が変わっていたが、山水の方は生まれ変わったかのようだった。
いくら何でも、素直過ぎないだろうか。
「……正直、アンタのことが分からない」
山水はバアスを連れて、家族や先人たちの所へ向かっている。
その道中で、バアスは山水へ訪ねていた。
常人からすれば、山水の人間性が今一わからないのだろう。
「俺にやたら甘いし、そのくせ弱っちい農民を首切りの見本にする。爺さんみたいに説教臭いこともあるし、今はガキみたいに素直だ」
自分を殺そうとする相手を諭すこともあるし、特に憎くもなければ悪質でもなさそうな相手を大量に嬲り殺すこともある。
やたら説得力のある講義をする一方で、他人から影響も受ける。
それらは相反するように思えた。
「……私に興味が出ましたか?」
「ああ」
「良いことです。興味や疑問とは、観察力や警戒心を養うには必要なこと。疑心暗鬼は考え物ですが、素直に質問できるのならいいことです」
相手の手の内を読むには、まず相手のことを知ろうとしなければならない。
それは相手を軽く見ることも、重く見ることも許されない。
等身大の相手を、素直に知ろうとしなければならない。
「もちろん、相手も騙そうとしてくるでしょうが、それを含めて戦闘の妙ですね」
「……そうだな、俺はアンタにのせられた」
「素直すぎるのも、凝りすぎるのもよくありません。ゆっくり学んでいけばいいことです」
「それで、アンタはどういうやつなんだ?」
歩く二人。
その会話の調子は、常に一定だった。
「貴方もよく知っているでしょう? 人殺しですよ」
それを聞いても、今一バアスには伝わらなかった。
その『人殺し』という言葉に、どんな意味があるのかわからない。
どうしても、共感ができない。
「私は人を殺すために研鑽を積んだ、最強の剣士。人を殺すのが得意で、それを評価されたのです」
それでも、山水はゆったりと語っていく。
「そんな私を厚遇する人々は、私にどんなことを期待していると思いますか?」
「……剣の指導とか、戦争とかか?」
「ええ、そうです。剣の指導と、戦うことですね。どちらも私の大切な仕事です」
決して同列に扱えないことを、しかし等しく語っている。
「私は剣の指導が好きです。剣に生きる貴方のような人を強くしたいと思っていますし、剣に興味がない人でも剣に触れる機会を作れればと思っています」
「……」
「戦うことも好きですよ。ですが、私はどちらも相手を選べないのです」
所詮宮仕え。
誰へ剣を教えて、誰へ剣を向けるのか。
その最終的な決定権は、山水にない。
むしろ、ある方が問題だろう。山水程の強さを持つ男が、誰へ剣を教えて、誰を殺すのか自分で決めていては。
「でもアンタは、俺へ剣を教えてくれてるだろう?」
「それは貴方の立場が曖昧だからですよ。私は誰にでも剣を教えたいですが、敵に教えることは許されません。同様に、切れと言われた相手を切らないこともできません」
「……断ったら、どうなるんだ?」
「私はどうにもなりませんよ。相手が竜だったとしても、他に四人ほどどうにかできる人がいますからね。もちろん、アルカナ王国に限った話ですが」
今の山水は貴族である。
だからこそ、バアスが危惧しているようなことにはならない。
命令を無視したところで、殺されたりすることはない。
「私以外の人が殺すだけです」
「……だろうな」
「そして、私以外の人が死ぬだけです」
変な言い方だが、山水が斬る相手は山水に斬られるために生きているわけではない。
よって、山水が斬らなくても他の誰かが殺すのだろう。
それは戦うということであり、危険を伴うことだった。
なによりも、民衆へ被害が生じる。山水が戦えばすぐに終わる戦いも、他の誰かでは手間取って、被害が拡大してしまう。
如何に山水が最強でも、失われた命は戻らない。
「私は最強です。その私が戦った方が、アルカナ王国としては利益になる。アルカナ王国は、私が効率的に殺人をすることを期待しているのですよ。私はそれに応えているだけです」
「……それが、出世するってことなのか?」
「当たり前でしょう? 私が自分の意志で切る相手を決めていたら、それこそ皆さんが怖がってしまいますよ」
「アンタ……嫌だとは思わないのか? 農奴の反乱なんて、アンタが楽しく戦える相手じゃないだろう。そりゃあ俺だったら、簡単な仕事だって思うかもしれないけどよ……アンタはそうじゃないだろう?」
理屈はわかるが、山水の感情に沿うとは思えない。
嫌なのではないだろうか。
「誰もが、搾取されるために生まれてくるわけではありません」
「……」
「そういう意味では、反乱した農奴も正当な理由があります。彼らは搾取してくる相手へ、正しく怒りを向けている。武器を手に立ち上がり、支配へ立ち向かう権利がある」
「……」
「武器を手に、兵士を殺した。その上で、集団で決起する。そんな彼らを殺して楽しむ趣味はありませんが、殺すこと自体はためらいませんよ。そんなことをすれば殺されて当然です。相手が私なので理不尽に感じるでしょうが、普通ですよ、普通」
声の調子は平常だった。
殺すように命じられた相手は、山水の理屈から言って殺されるべき人間だった。殺されても文句の言えない行為に、手を染めた相手だった。
「人間というのは不思議なものでしてね、追い出されて逃げた先では、今までよりもいい暮らしが出来るはずだと希望を抱くのですよ。迷惑な話だとは思いませんか、逃げた先にも人の営みがあるのに」
その言葉には、何やら重い意味が込められている気がした。少し、恥ずかしそうだった。
「期待が外れれば、不満はたまるでしょう。些細なきっかけで反乱につながることは、誰もが分かることです。ですが、それを許せば真面目に働いている人が報われない」
邪悪ではないとしても、害悪ならば切らねばならない。
暴力で意見を通そうとするのなら、それより強い暴力で切り伏せるのみ。
「彼らには立ち上がる理由があるように、こちらには寝かしつける理由がある。そこに楽しいとか、そんな理由は不要です」
「……楽しくなくても、仕事ならしないと駄目なのか」
「他人に命じられるまま、人を斬りたくない。そんな貴方は、宮仕えに向いていないのかもしれません」
それはそれで、自分の責任で剣を振るという姿勢である。
無頼のまま孤剣に生きる、それもまた山水からすれば眩しいほどに尊い。
「ですが、人は変わることもあります。ディスイヤの切り札である浮世春という男は、本来立身出世など好みません。ですが、先ほどのご老人を支えるために、嫌でも他人から嫌われ疎まれ恐れられる仕事についています。貴方も形にこだわらず、尊敬できる人が見つかったのなら、その人に忠義を誓えばいいのではないですか?」
この人のためなら、好まぬ剣を振るえる。
そういう相手が見つからないのなら、あえて主義を捨てることもない。
山水は、そう言っていた。
「……まあ色々誤魔化しましたが、私が反乱した人々を使って、貴人へ釘を刺したことも事実です。それは軽蔑されることであり、言い訳の余地はありません。目の前で生首の切断面など見せられて、いい気分になることもないと思いますし」
「じゃあなんでやったんだよ……」
「言っても分からず、実際に見たがる人がいるんですよ。中には、私を困らせてやろうとして、無理に見たがる方もいるのです」
少し考えればわかることだが、それでも考えなしに実行を求める声はある。
それを断るぐらいなら、言われる前に動いた方がいいとでも思ったのだろう。
実演できる、絶対の自信があってのことだが。
「学ぶということは、自分をしっかりと持つことでもあります。言われたこと、見たこと、それらが自分にとってどういう意味を持つのか、咀嚼して呑み込まねばなりません。真似したいのか、マネしたくないのか。あるいは敵として現れた何者かへの参考にするのか。ただそういうこともあるのだ、と知識にするのか。いずれにせよ、素直さは必要です」
「……さっきの話は、素直にいいと思ったわけだ」
「ええ、とても良かったです」
バアスは、とりあえず山水のそばにいたかった。
これが敬意なのか興味なのか、それはまだわからない。
しかし、こんな機会はそうそうないのだろう。
だからこそ、まずはそばにいたかった。話が聞きたかった。
「さあ、私の師匠を紹介しますね」
※
「ということで、ディスイヤのご老体から生きる気力を学んだんだよ!」
「サンスイ、お前を今殺したい」
「パパ、最低」
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よろしくお願いします。




