昔話
さて、いよいよランへの挑戦者を決める大会が始まる。
既に参加希望者は打ち切られており、興味本位の連中も含めて多くの挑戦者がその時を待っていた。
その中には、他国からの刺客も含まれていた。
しかしアルカナ王国に属さない、他国の密偵達は既に諦めていた。
相手の防諜は完璧であり、結局一人も拉致監禁できなかったからだ。
それが何を意味するかと言えば、アルカナ王国の組織力は周辺諸国の総力をはるかに上回っているということである。
そのアルカナ王国が絶対の自信をもって推すのは銀鬼拳ランであり、そのランが一番戦い易いであろう取り決めで大会が催される。
それも、国家の運命を左右するエッケザックスを賞品として。
もはや結果は見えたも同然であろう。
「……大変申し訳ないが」
竜に滅ぼされた南側諸国の密偵を取り仕切る者たち。
アルカナに搾取されている北側諸国の密偵を取り仕切る者たち。
諸国の代表者が集まって、密談を開いていた。
なお、その内容は陰謀を張り巡らせている、というほどのものではなかった。
「我ら北側は、上からの指示により撤退させていただく」
誰もがわかり切っていたことを、北から南へ伝えるだけだった。
既に滅ぼされた南側は諦められないが、当座は問題ない北側はあきらめが早かった。
ひいき目抜きに、双方の国家群は全力でアルカナを陥れようとした。
しかし切り札たちがでるまでもなく、テンペラの里やマジャン、秘境の住人たちがそれを防いでいた。
挑戦したが無理だった。であれば相手が優しい顔をしている間に、さっさと引き下がるに限る。
こちらの搦め手をすべて防ぎ切った相手が、逆にこちらへ搦め手を仕掛けてくれば、それこそ相手のやりたい放題である。
しかも、相手には強大な武力があり、その上で竜との交渉もできる。
さらに言えば、天槍ヴァジュラによる自然災害に見せかけた制裁さえ可能だった。
そんな相手を怒らせるような真似は、滅亡していない国には不可能だった。
「南側には、ぜひ奮戦していただきたい」
幸いと言っていいのかわからないが、アルカナ王国は捕らえた密偵を開放すると、北側諸国へ通達してきていた。
怒ってないよ、というアピールであろう。
「……お待ちいただきたい」
十人ほどが長い机を挟んで、話をしている。
その暗い部屋の中で、南側の密偵のうち一人がその通達へ異議を申し立てた。
「大会が開催されてからでも、まだ機会はあるはず」
「あいにくだが……すでに動かせる人員が枯渇している。そちらも同様で、この場にいる面々以外には、五人もいないはず」
機会はあるかもしれないが、動かせる人間がいない。
誰をどうさらうとしても、必要最低限の人数に届いていない。
つまりは、手詰まり。仮に上層部から強行するように言われても、何もできないだけだった。
「よって、祖国から人員を引っ張ってこなければ、我らはなにもできない。その祖国から帰還命令がでた。それだけの話ではないか?」
北側の面々は、悔しそうにしている南側へ冷ややかな視線を向けていた。
北側と南側では、今回の作戦の重要性は著しく異なっている。
にもかかわらず、北側諸国の上層部は足並みをそろえてくれた。はっきり言って、ここまで協調性の高い作戦は初めてで、全員が感謝と感動を覚えたほどである。
それだけ北側の上層部も重く考えているということであり、同時にそれで失敗をしたのなら現場の力不足と言わざるを得なかった。
流石に、十種類以上の希少魔法の使い手を大量に雇用して、こちらへよこしてください、とは言えないわけであるし。
「だが……! だが、我らには、何がなんでも神剣を持ち帰るという使命が……!」
「それはそちら側の命令であって、我ら側への命令ではない。まさか貴国の上層部には、他国への命令権が存在するのか? あいにくだが、我らが従うのは各々の祖国だけだ」
そもそも北側諸国は、南側の要求を呑む必要性が無い。
外交とは単純に、国力によって発言力が相対的に変化する。
北側のどんな弱小国も、滅亡した南側よりは圧倒的に優位だった。
なにせアルカナ王国とドミノ帝国が両国の間に立ちふさがっている。
これを越えないと、残っている兵士を送り込むこともできない。
そして当然、兵力を空輸できるのはアルカナとドミノと、オセオだけである。
お前ら、俺を怒らせるとどうなるかわかってるんだろうなあ。
は? どうなるんだ? お前らに何が出来るの?
という、残酷な地政学が現場にも反映されている。
そもそも、現場が上層部の命令に反することなどできないわけで。
北側が一番恐れているのは、甘い顔をしているアルカナが怒ることなわけで。
「わかっているのか?!」
「何がだ」
「竜が増えれば、そちらにも攻め込んでくるのだぞ?!」
「そうかもしれないな。それで? それを私に言ってどうする」
この場で熱い青春ごっこをしても、人員が復活するわけではない。
二十人に満たない人数で、いったいどんな任務が達成できるというのだ。
「私たちが貴殿らへ協力していたのは、人類を救うという大義ではなく、滅亡した国家への慈悲でもない。単に、上層部からの命令があったからだ。それが解除された今、貴殿らとともに作戦をするつもりはない」
「滅亡した国家への、慈悲だと?」
南側諸国の密偵達は、その言葉に憤慨していた。
まだ国民も国主も生き残っている、それで滅亡扱いされてはたまらない。
「いったい何様だ!」
「何様、というのならそちらだろう。我らはただ去るだけだ、そちらの活動を妨害する意図はないし、アルカナへ情報を売るつもりもない。まあもっとも……いや、失礼」
どうせもう、誰も何もできはしない。
失笑しつつ、北側の密偵達は部屋を出ていこうとした。
「では、武運を祈る」
「待てと言っている!」
見当違いな憎悪を向けながら、南側の密偵が叫んでいた。
それは竜に滅ぼされた国々の民全員の叫びであり、嘆願だった。
「未だに! アルカナの国境には竜に追いやられた民たちが、助けを求めて震えつつ過ごしている! それを救える、唯一の機会が今なのだ!」
おそらくではあるが、アルカナ王国はエッケザックスを他国に盗まれても、そこまで問題ではない。
盗まれたエッケザックスが使われて、竜やその僕が被害を受けたとしても、アルカナはそこまで困らないからだ。
むしろ、自分がそこまで痛まずに他国が竜と戦争してくれるのなら、逆にありがたいのかもしれない。
とはいえ、なくしたくない、独占を続けたいのは当たり前だ。
あくまでも機会を設けただけで、譲る気はさらさらないのだろう。
「どうか、どうか……」
頭を長机にたたきつける。
その上で、悲鳴のように叫んでいた。
「どうか、我らを見捨てないでくれ!」
本気だった。
本気での命乞いだった。
憎悪から一瞬にして切り替わったのは、それだけ彼らが切羽詰まっているからに他ならない。
「……」
それをみて、北側の密偵達は互いの顔を見る。
そして、頷いた。
「そうか、では失礼する」
そのまま、部屋を出ていこうとする。
なにせ全員が諜報員、命乞いは飽きるほど見てきた。
そういう相手としか接したことが無いので、ある意味では当然だろう。
まさに、業務的な処理だった。
「待て!」
それでも、南側の面々はあきらめることができない。
全員が北側の一人一人に縋りつく。
決してこの手を放してなるか、と力を込めていた。
「……往生際の悪い」
しかし、それを見ても北側は本心から鬱陶しそうだった。
この場で自分たちに縋るぐらいなら、アルカナへ縋った方がまだ可能性があるだろうに。
「放していただきたい」
「いいや、放さぬとも!」
「既に作戦は失敗した、あとはそちらが選出した戦士を信じるしかないのでは?」
「勝てるわけがないだろう!」
おそらく、バアスが聞けば憤慨するであろう、国家の命運をかけて戦う戦士への侮辱だった。
しかし、それに対して誰も何も思わない。
なにせ会戦以外での魔法が、どれだけ希少魔法に劣るのかを全員が見てきたのだ。
まして、テンペラの里でも最強とされたランが、どれだけの化け物かなど考えたくもない。
「……それで? 貴殿の言葉を借りるなら、我らがどう頑張っても『勝てるわけがないだろうが』」
「お前に、お前たちに、何が分かる!」
もはや、論理的な回答ではない。
「いきなり現れた竜によって、父祖から受け継いできた国土を奪われ、追いやられた我らの気持ちなど!」
だが、それでも、心の内を解き放った言葉だった。
「善き王が治めた、善き民が暮らした、我らの故郷は突然奪われたのだ! なんの正当性もなく、ただ強大な暴力によって略奪されたのだ!」
なんの偽りもない、被害者たちの本音だった。
「お前たちもいずれ、竜に追いやられる! その時後悔しても遅いのだぞ!」
すべてを奪われた者は、未だ奪われていない者へ叫んでいた。
そう思って、叫んでいたのだ。
「ほう」
「お前たちに、我らの気持ちが分かるか?!」
運命とは、時として恐ろしいものである。
南側、北側と別れていても、実際には別の国々をまとめただけである。
ある一人の男に対して、ある一人の男がたまたま縋りついた。
それは運命の皮肉を現わしている。
「もちろん、わかるとも」
「……は?」
「確か貴殿は、ジグソー王国の方だったな?」
現在アルカナ王国には、諸国から才人が集まっている。
同様に他の国でも、別の国の出身者を取り立てることはある。
「私はもともと、ピース皇国の出身だ」
「な……?!」
絶句していた。
その場の、その部屋の男たちは、余りに皮肉な状況に言葉を失っていた。
それは北側だけではなく、南側も同様だった。
「そうだ、ジグソーが十年前に滅ぼしたピースの民だ」
「う、あ……」
「で、なんだって?」
被害者に対して、無関係な男が尋ねる。
「善き王が治める善き民が暮らしていた私の祖国を滅ぼし、祖先から受け継いできた私たちの土地を奪い、なんの正当性もなく私たちを強大な武力によって追い散らした、ジグソー王国の密偵を取り仕切るお方が私に対して何だと?」
「そ、それは……」
「お前たちもいつか、いきなり現れた侵略者によって、故郷を奪われるだったか? ああ、わかるとも、お前たちが教えてくれたことだからな」
南側の密偵、ジグソー王国の密偵は、力なく手を放していた。
「では私も同じことを言おうか? お前たちもいつか、いきなり現れた侵略者によって故郷を奪われるぞ」
それは呪いの言葉だった。
既に成就している、残酷な呪いの言葉だった。
「ああ、失礼。もう侵略者は現れているのだったな、では我らの気持ちもわかってもらったのかな?」
「も、もう……」
「うん?」
「もう、十年も前の話だ……」
「……!」
その言葉を聞いたとき、彼は足を滑らせた。
鉄板が仕込まれた靴のつま先を、ついうっかり、たまたまそこにいた誰かさんの顔に当ててしまっていた。
いやはや、足元に注意しないのは危険である。
「おっと」
密偵にあるまじきことだった。
靴に血がべったりとついていれば、どうしても目立ってしまう。
この靴はもう処分するしかなかった。
「はっはっは……失礼失礼。ですが貴殿も悪いのですよ? 立っている人間の近くに顔など置くのですから」
彼は私情を挟んでいない。
彼は全力で新しい祖国の為に奮戦したし、その部下たちも同様だった。
ただ力が及ばなかっただけ、他意など一切ない。
それは今も同じだった。
「大丈夫ですよ、何も気になさらなくても」
北側の密偵は、にっこりと笑う。
艱難辛苦の運命が待つ国民へ、無念の報告しかできない無力な男へ、満面の笑みを浮かべて見せていた。
「他のどの国はともかく、ジグソーの民はお強いのですから」
憎悪など欠片もない、慈愛さえ感じる笑みだった。
「十年もすれば、昔のことだと思えるようになるのでしょう?」
さて、どうでもいいことではあるが。
十年前という最近の出来事に限らず、半年かそこら前の大規模な侵略にも限らず。
なわばりの奪い合い、とは別段珍しくもない。
よほど辺鄙な島国だとしても、その狭い島の中で縄張りを奪い合う。
それは別に人間に限った話ですらない。動物として、とても当たり前の話だった。
仙人や天狗の、『こうあるべき』という価値観に則って言うのなら。
弱くて負けた方が追い出されて、強くて勝った方が土地を得るのは当たり前というだろう。
つまりは、よくあることである。
誰が泣いて叫んでも、飢えても乾いても、絶望の中で死んだとしても、それは本当によくあることでしかない。
強くなければ、何も守れない。
世界最強である必要はないが、その土地を守れるだけの強さが無ければ、その土地で生きていくことはできないのだ。
「それでは、御達者で」




