進路
山水に打ち負かされたバアスは、山水の門下生たちが稽古しているところを見ていた。
よくよく考えて見つめてみれば、冷静になって考えてみれば、山水の指導を客観視できる。
山水はバアスを含めた門下生におかしなことを教えたわけではないが、逆に言って飛びぬけて効果的な修業を付けているわけではない。
山水の門下が強いのは、もともと山水に弟子入りした者たちがバアス同様に強かったからであり、その上で山水から長い時間指導を受けたからだ。
逆に言えば、バアスはこの稽古場ですら最弱ということだろう。
アルカナ王国が自信をもって推薦しているランが、山水以外より劣るわけもない。
そう、バアスの野心は、山水以外にも勝てていないという現実を思い知った時点で、既に終わっていたのだ。
「……俺は、こんなもんか」
「まあそんなものだ」
黄昏るバアスのわきに立つのは、貴族の男性だった。
バアスから見れば父にも見えるほどの年齢差があり、相応の威厳があった。
「なんだ、アンタ」
「いやなに、サンスイ殿に打ちのめされた男がいると聞いてな」
いやらしい、悪戯な笑みを浮かべる貴人。
それは悪ふざけをしているようで、若さを感じさせる。
「あの御仁は名を売りすぎた上に、挑むものを律義に自ら迎え撃つ。それゆえに、もはや直接挑むものなど久しく見なかった」
「……そうか」
「あの御仁に倒されるのは恥ではないぞ。それどころか、挑んだことが自慢になるほどだ」
そう言われると、悪い気はしない。
負けた傷をほじくり返されていい気分にはなれないが、その一方でサンスイが賞賛されれば嬉しくなってしまう。
それは今も変わってはいない。
「強かったか?」
「ああ……あの人が最強なんだな……遠すぎる」
「その通りだ。あの場で指導を受けている者たちもなかなかだが、更にその上には近衛兵やそれに匹敵する実力者がいる。その彼らでさえ狂戦士であるランには勝てず、そのランさえ下に置くのがサンスイ殿だ」
「……やっぱり、ランはそれだけ強いのか?」
「そういうことだ、サンスイ殿が実力を認める程度にはな」
正直に言えば、祭我に一歩劣るところはある。
周囲がそう思っているし、本人も感じているだろう。
だがそれでも、祭我の体を考えれば、引き継ぐ相手は必要だろう。
そういう意味では、適当な相手と言える。
「……」
「悔しいか?」
「……」
喉の痛みではない理由で、バアスは頷いた。
「ははは……ぐうの音も出ないか」
この辺りが、山水の指導者としての強みであろう。
己の腕力に覚えがあり、それによって戦場を駆けた者を、技術で屈服させたうえで重いケガを負わせない。
相手に至らなさを認めさせることこそ、山水が大事にしていることである。
「さて、お前の身の上はおおむね見当がつく」
「……」
「面白くないか? だがな、阿呆な貴族はどこにでもいる。それに不満を持つ輩などどこにでもいる」
「……貴族はクズだ」
「ははは! 学のない輩にもクズはいるだろうに」
「お前は違うとでも?」
「それはこちらのセリフだ」
楽しそうにしているのは、最初からちょっかいをかけるつもりだったからだろう。
想いあがっていた若人が、現実を前に挫折しているところを見るのは気分がいいし、それへ説教をするのは更に気分がいい。
自分に責任が及ばないのなら、最高に気分がいい。
「サンスイ殿やランほどに図抜けた強さは不要だとしても、ある程度は強くなければならん。兵士なら弱ければ死ぬし、そこまでいかんでもそれなりに強さはいるのだ」
「貴族も強い、とでもいうのか? 命をかけているのか?」
「かけているとも。まあ……前線で戦うわけではないのだから、違うと言われればそこまであるがな」
「なら、剣士の方が強いし、偉いはずだ」
「エッケザックスさえあればな」
「……」
「真の力を開放したエッケザックスさえなければ、少々強い剣士など数で潰せる。そんなことぐらい、わかっているだろうに」
強い方がエライ、というのは一種の真理だ。
であれば、多くの兵士を動かせる貴人の方が、個人でしかない剣士よりも偉いのだろう。
それを剣士は認めたくないだろうが、逆に貴人はそうだとわかっていることだ。
「……」
「とはいえだ、そちらが不満に思っていることは、本来我らにとって脅威なのだ」
「どういう意味だ……」
「例えばだ、今お前が私に殴り掛かってきて、殺そうとしたとしよう。どうなる?」
「殺せる……そんなことはしないがな」
「その通りだ。だが、よほど腹立たしければ違うだろう? 私もそれなりに腕はたつつもりだが、お前と戦って勝てるほどではない」
仮に勝つことができたとしても、決して面白いものではないだろう。
貴族が怪我をしている剣士と喧嘩をしても、なんの自慢にもならない。
ただ痛い思いをして、冷ややかな目で見られるだけだ。
「お前に嫌な思いをさせた貴族はどうだか知らないが、結局のところ一番気にしなければならないのは、常にそこだ。己の配下や周辺には、裏切られぬように気を使わねばならない」
「ふん……気を使っている奴なんて見たことが無いぞ」
「それはそうだろう。程度の低い貴族は、程度の低い雑兵と同じく気品も礼節も、危機意識もないものだ」
同じ貴族扱いされるのも嫌な、何も考えていない相手というのはいる。
そういう輩のことを、貴族の男性もよく知っているようだった。
「どんなに横柄な態度をとってもカネさえ払えば、剣士気取りは尻尾を振って大喜びだとな」
「そんな奴を、殴ってやったよ」
「ははは! 弱い上に頭も悪い貴族だったな」
カネを払っているうちは安心で安全、自分へ噛みついてくることはない。
そんな風に考えているのは、人間を頭がいいと買いかぶりすぎである。
「自分のことを頭がいいと思っている輩ほど、自分の守りをおろそかにする。不測の事態というものを軽く考えている証拠だ」
「……」
「自分は頭がいい、自分は気前がいい、自分は公正で公平で、皆に愛され尊敬される偉大な男だ。そう思う輩ほど、他人の神経を逆撫でする」
バアスは以前の若い将を思い出していた。
確かにいつでも自信満々で、自分たちへ給金を渡すときも尊大だった。
これだけ払っているのだから、自分に感謝しないわけがない、という顔だった。
殴られた時も、なぜ殴られたのか理解できない、信じられないという顔だった。
「くっくっく……お前もそうだが、その貴族もそういう男だったようだな」
「……お前は違うとでも?」
「私は違うとも、なにせここはサンスイ殿の邸だ。仮にお前が殴り掛かってきても、サンスイ殿が止めてくれるとも」
「……近くにいないぞ?」
「あの方は常に周囲へ気を巡らせている。何かあれば、というよりも、何も起きる前に止めてくださる」
「……ずいぶん信頼しているな」
「当たり前だ。あの方はそれだけの傑物だ」
バアスは納得することにした。
確かに山水には、そういうこともできるような気もする。
「そういう、自分は頭がいいと思っている輩ほど、段階を踏むことを嫌がる。お前を雇ったのも、単にお前がそれなりに腕が立つとか、そういう噂を聞いた程度なのだろう。大方奇襲部隊に使われたのだろうが、作戦のかなめをただ雇っただけの男に任せるとはな……」
「魔法使いの部隊に突っ込まされた」
「それは……正気を疑うな」
ここでようやく、貴族はバアスへ同情を示していた。
想像以上に彼がおかれていた状況が、とても悪いものだったと理解したようである。
「魔法の才能がある者を集めた部隊への奇襲か……さぞ腕の立つ護衛が配置されていたのであろうし、魔法使いたちも万全だったのだろう……」
「ああ、そうだった……護衛の連中は、装備も良くて……」
「サンスイ殿やサイガ殿あたりなら誰が何人いても物の数ではないが、普通の剣士には荷が勝ちすぎるな……。奇襲だとしても、騎兵の方が良かったと思うが」
「全員、歩兵だった」
「隠密性を優先したのだろうが……お前たちは生きた心地がしなかったであろう」
そうだった。
誰もが生きた心地がしなかった。
魔法の才能がある者が、集団になって魔法を使う。
それは人間ではない者にさえ有効で、軽装備の人間には死の海へ飛び込むようなものだった。
それだけの任務を果たして、給金が十倍では追い付くものではない。
「……俺たちは、剣士だった。槍で殺されるのも仕方がないが、魔法で殺されるのはごめんだった」
「いや、わかるとも。火の魔法で殺された者の死体を見れば、ああなりたいとは思えぬさ」
場数を踏んでいるであろう貴族は、うむうむと頷いていた。
「大方、お前を使った貴族は、自分の作戦通りにいったのだから怖がっているはずもない、とでも思っていたのだろう」
「そんな感じだった」
「呆れたな……自分が突っ込んで死ねばいい」
「まったくだ」
無能ではないのかもしれないが、配慮の足りない指揮官だった。
敵の思惑を読むことはあっても、自分の手勢の心境を考えたりはしない、味方に殺される人間である。
「そういう決死の部隊は、相応に時間をかけて準備するものだ。よくもまあ、そんな命令へ律義に従ったな。逆に感心したぞ」
「……そいつが、デカいことを言ったもんで」
「お前たちが逃げ出せば、そいつはお前たちをさぞ罵っただろうな」
「今にして思えば、そうしてやればよかったよ」
期待していた。
やっぱり全員が、自分の境遇に不満があって、それを何とかしたいと思っていた。
そして、大戦果を挙げたつもりだったのだ。
「同じ任務だとしてもだ、長年寝食を世話された相手から頼まれたことなら、それなりにやる気を出すこともあるだろう。だが、声をかけてきた相手が出世するため、となればなあ……逃げないと思う方が阿呆だ」
「サンスイさんは……どうなんだ?」
「あの方も、ソペードの当主様から二代にわたって厚遇をうけていた……いや、アレを厚遇と言っていいのかわからんが」
どこの馬の骨とも知れぬ子連れの浮浪者を、本家令嬢の護衛にする。
大抜擢と言っていい話だったが、実際にはアルカナ王国成立以前から修業していた最強の剣士である。
そんな事情を知らぬままに、ソペードは山水をただの護衛として扱い、彼の娘へ出来る限りの教育を行っていた。
それで山水が十分だと思っていたこともあって、両者の関係性は良好だったのだ。
「サンスイ殿の場合、やれと言われれば国一つ落とすからな。礼服にしわやシミを付けることさえなく、軍隊が相手だろうが城にこもろうが、何の問題にもならない。そんな人ではあるが、道理に反することを好むわけではない」
むしろ、そんなことを好む人間が、おとなしく仕官しているわけがない。
それこそバアスが想像するように、好き勝手に大暴れして欲するものを得ていただろう。
「サンスイ殿は、ソペードの本家に恩義を感じていた。それは長い時間をかけて築き上げたものであり、それは非道な行為を行う理由になる」
「……それは、好きに使われているってことじゃないか?」
「では、お前はサンスイ殿に、魔法使いの部隊へ突っ込めと言われたらどうする?」
「……」
「信頼されている、という気分になるだろう。本来決死隊とは、そういう風に育てるものだ。あるいは、それこそ一生遊んで暮らせるほどの額を用意するほかない。それでも逃げる時は逃げるだろうが」
無茶な作戦、危険な任務、重要な役割。
それを適当に雇った相手に押し付ける。
なるほど、無能であろう。
「……アンタは違うとでもいうか?」
「さて、どうだろうな。口で言って、信じるのか?」
「……ふん」
改めて思う。
剣を口で語るのは間違いだが……。
実証にこだわると、話し合いにならない。
「先に言っておくが、私は今のお前に何の価値も見出していない。仮にこの場でどう話が弾んでも、お前を雇うつもりはない」
「それは、こっちから願い下げだ」
「お前がそうであるように、私もお前のことなどすぐに忘れるだろう」
剣を口で語ることはできないが、剣を保証する書面は存在する。
それを書く人間に、確かな信頼があるのなら。
ただの紙切れに、確かな語りが生まれるのだ。
「だが」
「なんだ」
「私は、サンスイ殿の育てた剣士には価値があると思っている」
山水の弟子は、ただ強いだけではない。
各々が戦術的な思考を持ち、山水への忠誠心もあって初めての主も裏切らない。
勇猛であり、冷静であり、何よりも宝貝の装備をしている。
前回の戦争でもその武勇を轟かせた、屈強な精鋭たち。
「今、彼らには武芸指南役という枠しかない。しかし私に限らず、多くの領主は彼の指導を受けた、卒業を許された者たちを更に欲している」
今回、バアスへ実質的な指導をしたのは、山水ではなくその生徒だ。
山水から指導を受けた者には、たしかな指導力も引き継がれている。
「別にお前である必要はないし、別に私である必要もないが」
貴族の男は、含みを持たせながら背を向けた。
「サンスイ殿に認められる剣士を、誰も無碍に扱うことはない。それはサンスイ殿を敵に回すことだからな」