対等
山水は軽身功を使い、失神したバアスを背負って森を出た。
屋敷で待っていた門下生とともに応急処置を施すと、彼を寝かせる。
山水がやったことではあるのだが、やはり頭の怪我は恐ろしい。翌日には法術使いに治してもらうべきだろう。
「お前にしては荒いな」
山水を待っていたブロワは、ファンを抱きかかえながらそう口にした。
なお、待っていたと言っても宵の口なので、さっぱり待っていない。
「まあな」
「とはいえ、こうなるとは思っていた。むしろ、このまま気分良く送り出すのかと思っていたぞ」
「結構迷ったんだが……やっぱり情が移ってなあ」
国家の存亡がかかっている状況で、男が意地を通すのは無理がありすぎる。
どうあっても、彼はろくなことにならなかった。
乱戦で後ろから斬られるか、真正面から順当に力負けするか、いずれにせよ不本意な結果になっただろう。
だがそれでも、それはそれで男の人生だったとは思うのだが。
「バアスはどんな理由であれ、正々堂々にこだわっていた。それはそれでいいことだし、俺としては好ましいことだよ」
散々乏したが、正々堂々戦うのが好きな力自慢のほうが、陰湿に日陰で暗殺や拉致などを行う輩よりは好ましい。
それにつぶしだって効く。単純な腕力と大柄さは、どの業界でも求められるものだろう。
「それにしても……剣の才能にあふれる一方で、魔法の才能がない男が貴族にあこがれるのか」
「まあ、お前にしてみれば失笑ものだろうな」
「失笑どころか、あきれるばかりだ。私の半生を聞いたら、どんな顔をするんだろうな」
ブロワは十分な教育を受けることができる貴族の生まれであり、剣と魔法の才能が両立し、さらには顔立ちもよかった。
女性の身でありながら近衛兵になることさえあり得た、恵まれた少女と言っていいのだろう。
なお、生まれた家は貧乏だった模様。
「こう言っては何だが、魔法と剣の才能があっても、ただそれだけでいい人生が送れるものではないのだが……」
「そういう点も含めて、エッケザックスさえあれば、と思ったんだろう」
ブロワには満点の才能があった。
それでも幼少のころから厳しい訓練を課され、そのうえで我儘姫の護衛だった。
「愚かとは言わないさ。ただ……彼は普通だ。優れた資質を持っているし、それを他人から評価してほしいと思っていた。だからこそ、誰よりも高みを目指した」
山水はバアスの人生を想っていた。
別に珍しくない、何もなかった人生を。
「ただ、彼には自分しかいなかった。もしも彼に不幸があるとすれば、出会いに恵まれなかったことだろう」
山水の門下生たちは、山水のことを多く知っている。
本人がもう隠していないこともそうだが、彼ら自身不思議に思っていたのだ。
なぜここまで強い男が、いままでただの護衛に収まっていたのかと。
ここまで強いのなら、軍隊に所属して出世することもできただろうに。
山水が強いこと自体は当主たちも知っていたが、ここまでの強さを持っていると知ったのは数年後、近衛兵と戦った時だ。
山水は手を抜いたわけではないが、護衛に甘んじていたともいえるだろう。
「彼には大切にしたい家族も、対等な友人も、尊敬する師匠も、信頼できる雇用主にも出会えなかった。だから、一番になることしか考えられなかった」
山水は、そっけなく、しかしブロワの腰に手を回した。
子供の姿なのでしまらないが、それでも愛情を表現している。
稚拙な表現ではあるが、ブロワはまんざらでもなさそうな顔をしていた。
「自分が一番になることしか考えていないから、それができない状況に不満を感じてしまう。もしも彼に自分以外があれば、少々の不満があっても我慢できただろうに」
望むすべてが叶うわけではないし、望むすべてが叶っても幸せになるわけではない。
自分が本当に望んでいることは、自分自身でもわからない。
それはスイボクでさえそうだったのだ。
「なんの不満もない人生などありえない。必ず意のままにならないことがあって、それでもみんな生きている。彼はその不満に耐えられない程度には強く、不満を解消できるほどには強くなかった」
我慢ができる、というのは強さでもあり弱さでもある。
周囲から押し付けられる要求に流されることが弱さか、それに耐えて生きていくことは強さか。
いずれにせよ、バアスは我慢する理由がなかった。
「俺はレインを育てるために護衛になった。逆に言えば当時はそれで満足していたし、レインを教育してくれるのならそれで不満はなかった。ソペードに対して思うところがなかったわけじゃないが、それはレインを育てるためになら我慢できた」
特別なことではない。
ブロワも実家のために、努力して得た力を我儘姫の護衛として活用していた。
それは決して、楽でもなければ面白くもないし、安全からも程遠かった。
「彼には、なんとなく偉い人になりたいという目標だけがあった。それを実現できるエッケザックスを知って、色々思うところあって俺のところへ来たが……彼にとっては楽しかったようだ」
バアスは、山水が最強と認めた。
バアスは山水になら、最強の剣を譲ってもいいと思っていたのだ。
それは忠義や慕う気持ちに近いものがあった。
バアスにとって、山水は大事な人になっていたのだ。
「本当は、ブロワの言うように、何も知らないふりをして送り出すべきだった。だが、惜しいと思った」
山水は、本当にバアスをかわいいと思っていたのだ。
「だが、まさかバアスをランに勝たせるわけもないし、俺の下で過ごしていたことを公表させるわけにもいかなかった」
「だから、倒したと」
山水の門下生たちは、山水の葛藤を理解していた。
最強の剣を求める男の野心を、山水は止めたいようで止めたくないとも思っていた。
誰だって夢を見るし、その夢を実現するために頑張る。
それは人間らしいことであり、山水やスイボクが好む人間性だ。
卑しさに逃げなかった、誇り高き益荒男を夢の手前で打ちのめす。
それを躊躇しないようなら、山水の門下生は彼を慕わない。
「彼は男のロマンが通らない世界を嘆いていたが、男のロマンだけが通る社会ほど理不尽なものはない。逆に全体の利益だけが必要とされる社会もまた、ろくなものじゃない。結局は状況があるだけだ」
「状況……まあそうだな」
価値観を同じくする剣士が決闘をするのなら、バアスはきっと満足することができただろう。
だが世界は複雑で、目的を達成するための手段として、多くの戦いが存在している。
王都で行われている、普段通りの生活を装う日陰の戦い。
戦場で行われる、大多数の人間が完全武装でぶつかり合う戦い。
それら、国家の利益をかけた戦いに、男のロマンを持ち込むほうがおかしい。
「まあ、俺や師匠はそんなことを考えていないわけだが」
「無茶苦茶な話だな……」
「師匠が作った最強に垣根はない。相手が不意を打ってこようと対処する、不意を打たれるのは未熟と断じてな。相手が完全武装で多数でも全滅させる、武装や人数に屈するのは未熟と断じてな。もちろん、相手が剣術だけで挑んでくれば、こっちも剣術だけで対応する。剣で挑んでくる相手に仙術を使うのは未熟だからな」
それをいくらでも実演できる山水に対して、門下生たちもブロワもドン引きしていた。
理屈から言えば、バアスが求めたものはそれだろう。だが実現しているものが論理的に説明して実証すると、逆に卑怯だと思ってしまう。
「師匠にしてみれば……対等の条件を強いること自体が卑怯なのだろうな。自分の得意とする条件でなければ勝てないのなら、それは最強からほど遠いと……」
「いや、どんな条件でも勝ってくるほうが卑怯だと思うぞ」
対等とは何だろうか。
確かに多くの条件が存在し、多くの戦い方を誰もが模索している。
そのすべてに、木刀一本と希少魔法だけで立ち回り、常に勝ち決して負けない。
それは理想でありながら、敵に回った場合は絶望だ。
どんな相手にも対等の条件で完勝できるのなら、それは対等ではないのではないだろうか。
「俺もそう思っていた。対等とは、互いの装備や体格など、勝敗を左右する条件に差がないことを意味している。しかし俺や師匠は、勝敗を左右されない境地に達している。そもそも年齢からして対等じゃないしな」
懐かしいことだが、日本の競技には学生しか出られない、つまり年齢制限がある大会があった。
山水やスイボクは、年齢制限だけは対等の相手が存在しない。
そう、結局は対等など望めない。
「それでも、俺たちに手を伸ばして、実際に届かせて見せた男がいた……うん、みんなには悪いが……フウケイさんの残したものは、本当にすごくて……俺がやらないといけないことなんて、どこにもなくて、いやはや、本当に……俺は満足で……」
「おい、死ぬな!」
話しているうちに浸ってきた山水は、ゆっくりと解脱していた。
老成した男の顔をして、自然に帰っていく。
ブロワは山水の顔のそばで、魔法の風を起こした。
不自然な魔力による風によって、山水は仙術が乱れて正気になる。
「うおっ?!」
「頼むから、そんなにあっさり満足しないでくれ……ファンが大きくなったら、お前のことなんて言えば良いんだ」
「わ、悪い……ただ、ほら、もうみんな立派になってなあ……俺がいなくてもいいかなあ、と思っちゃうと」
「思うな思うな……」
本当に、そう思われると困る。
確かに、今の状況なら山水がいなくても周囲がその穴を埋めるだろう。
山水がバアスの指導を門下生に任せたように、もうすでにスイボクの剣は俗人に引き継がれていた。
もちろん完全ではないが、それを言い出せばキリがないわけで。
「大八州には、たくさん達人がいてさ……その大八州がすぐそこにあるわけで」
「だから死ぬ理由を考えるな……楽しいことを考えろ」
「毎日楽しくて……本当に、もう満足で」
「おいこら、本当に私たちを残して死ぬな!」
家族に執着はないのか、と言いたいところである。
しかし、山水は人間ができているので、自分が家族の成長を見届けなくてもいいかなあ、と思えてしまうのだ。
自分が死んでも、ブロワもレインもファンも、そう悪いことにならないであろう。
そう信じているからこそ、安心して死んでしまうのである。
周囲からすると、本当に迷惑だった。
死んでもどうにかなるが、死なれて困らないわけではないのだ。
「はあ……バアスに構っていた時は、多少持ち直していたと思ったんだが」
「バアスのことも、大体なんとかなってしまったからなあ」
山水はバアスのことを見る。
取り返しのつかないことがある、ということを身をもって学んだ。
そして、それは精神的なことである。最初からたどり着けない目的地への旅へ、赴く前に転んだというだけのこと。
彼の今後がどうなるかはわからないが、たぶんどうにかなるだろう。
山水の門下生も、バアスのことを気に入っているからだ。
「……お前が解脱しないようする宝貝を作ってもらいたいところだが」
「ううむ」
「そんなものを作れるのなら、とっくに作っているだろうとも思ってしまうな」
「そうだな」
スイボクとセルは、共に悠久の時を生きる仙人の中でも、抜きんでて長命でありながら解脱の気配がない。
特にセルは、いまだに生きることに執着している。
スイボクは生きていたいけれども、死ぬ理由があるのなら死んでもいいとは思っている。
とはいえ、山水はもう生きていなくてもいいと思っていた。
いつ死んでもいいと思って生きてきた男が、いよいよ死ぬことになるのかもしれない。
人生の区切りを、どこかで見つけてしまったのだろう。
「ただ、そうだなあ……ずいぶん生きてきた気がするし、ずいぶん殺してきた。これでこれ以上の幸せを望むのは……」
「だから……私を幸せにすることを考えてくれ」
「……そうだな。武神奉納試合まで時間があるし、いろいろとひと段落したら、ファンやレインと一緒にいろいろするか。そっちのほうが、いろいろと刺激になるのかもな」