対等
バアスは山水へ心酔していた。
実際のところ、山水は彼にとって理想像であるので、心酔するに足ると言っていいだろう。
だからこそ、山水が貴族にへりくだっている現状に不満を抱き、それを正すために戦う所存だった。
その一方で山水は、昔のことを思い出していた。
王都近くの学園で、学園長が講義していたことを懐かしんでいた。
あの時ドゥーウェもブロワも未婚で、ファンに至っては産まれてもいなかった。
『彼は炎の壁ではなく、炎の鎧を作ろうとしました』
『彼は燃え死にました』
意義のある講義だった。
学びの本質を伝える、正しい授業だった。
それこそが、目の前の彼に欠けているものだった。
「貴方はここに来て、何を学びましたか?」
「剣術を、だ」
「そうですか」
バアスは先日と違う己を見せようとしていた。
つまりは、攻撃の選択肢の豊富さである。
だからこそ、あえて使い慣れていない、小さめの剣を持って臨んでいた。
相手は技量ではるか高みにいる山水。
ほぼ裸に近い、防具を身に着けていない彼に、馬さえ断ち切るほどの剣は不要だった。
防御を穿つのではなく、回避をさせないこと。
それを理解している彼は、その上で上段に構えていた。
一番得意なのは、上段からの振り下ろし。
だからこそ、それをぶつけるつもりだった。
相手は山水、腰を据えて戦う。
間合いを慎重に測り、自分の間合いに入るところを狙う。
相手が格上だからこそ、単純に戦う。彼の戦術、戦略は極めて正しかった。
自分の優位を把握しているからこそ、自分との相対的な差を把握しているからこそ、バアスは考えて戦おうとしていた。
「……貴方は、自分が強くなったと思っていますか?」
「ああ」
中段に構えている山水は、静かに間合いを詰めていく。
その胸中を、バアスは想像できずにいた。
「違いますよ」
山水はバアスを否定する。
バアスは山水の元で、正しい剣術を学んでいた。
彼へ直接指導した門下生は、山水の教えを正しく伝えていた。
バアスは熱心に、真摯にそれを受け取っていた。
だからこそ、バアスは弱くなった。
機を得た、と判断することさえなく、山水は中段のまま一気に間合いを詰めていった。
そして、そのままためらいなく木刀の切っ先を突き込む。
それを見て、バアスは上段のまま身動きが取れなくなっていた。
想定外の行動に対して、彼は得意な振り下ろしができなかった。
このまま無防備な特攻を行う山水へ振り下ろせば、バアスは頭をカチ割ることができてしまう。
そんなことが頭によぎらないほどに、バアスは困惑してしまった。
まさか、山水が木刀とはいえ……。
「がはッ」
自分の喉へ、刺突をするわけがない、と。
寸止めではなく、突き込んでいた。
山水はバアスの急所を捉え、致命傷になり得る一撃を加えていた。
エッケザックスの主を決める戦いを控えていた、バアスへ重いケガを与えていた。
「甘い」
そして、山水は追撃を加えていた。
剣術ですらない、荒々しい攻撃。
まるで野球の様に木刀を横に振りかぶって、喉を抑えているバアスの頭を強くたたいていた。
「貴方は強くなどなっていない」
大柄なバアスが、小柄な山水から受けた『打撃』。
それは致命傷ではないが、大きく残るケガだった
「貴方は、弱くなったのです」
信じられない、と頭と喉を抑えるバアス。
その彼へ、山水は静かに語り掛けていた。
「別に、変なことを教えてクセを付けさせたわけではありませんよ。さすがにそんなことをすれば、貴方は気づいていたはずです」
木の根が走る地面に転がっているバアスの剣を拾い、山水は腰を下ろして話始める。
「貴方は新しい戦い方を習い始め、今もそれを行おうとしていた。それが何を意味するのか、貴方は深く考えなかった」
「……が、ご」
「貴方は慣れていない戦い方に切り替えたことで、結果的に弱くなったのですよ」
手早く言えば、付け焼刃の戦い方。
新しい武器に変えたことも含めて、練度が不足しすぎていた。
「つまりは、未熟ということ」
「ぐ……」
「もちろん、貴方が躊躇することも分かっていました」
だましたのか、裏切ったのか。
バアスは、見当はずれな憎悪を山水へ向けていた。
「言ったはずですよ、貴方は甘いと」
鉄の剣で切りかかりながら、自分への攻撃は甘いはずだと。
山水なら優しく自分を優しく倒してくれると、甘く見積もりすぎていた。
「考えて戦うときは、徹底して考える。考えない時は、徹底して考えない。中途半端では、こうして体が硬直してしまう」
「ご……」
「ええ、わかります。一番大事なことですが……貴方はこのまま、王都での試合に参加せずに終わってもらいます」
終わってもらう。
別に殺すわけではない。
そこまでする理由は、誰にもないからだ。
「ぐ……」
「私を呪いますか?」
「あ……」
「そうでしょうね、とても当たり前のことです」
おそらく、正式にエッケザックスの所有者が決まれば、もう二度と機会はない。
少なくとも、バアスが現役の内に、そんな機会が巡ってくることはない。
「ではなぜ、そんな大事な試合を控えている身で、わざわざソペードまで来て私と戦おうとしたのですか?」
山水は、回答のわかっていることを訪ねていた。
誰がどう考えても、エッケザックスの使い手になることと、山水と戦うことは背反する。
「……」
バアスは、その言葉に答えることができなかった。
言葉が出せないこととは無関係に、自分の思っていたことが恥知らずだとわかっていたからだ。
「私と戦って、そのまま死ぬかもしれない」
山水は、当たり前のことを言う。
「私に勝つことが出来ても、今のように重いケガを負うかもしれない」
当たり前すぎて、考えないなどあり得ないことを言う。
「私と戦う前に、他の誰かに殺されるかもしれない。もちろん警戒していたはずです、夜襲を仕掛けてきたぐらいですからね」
バアスが忘れかけていた、山水が敵だという現実を突きつける。
「これを想定していたかはわかりませんが、私に挑むことで参加資格が無くなるかもしれない、ということはどうですか?」
山水はアルカナ王国の貴族である。
その彼を殺そうとすれば、王国にとって犯罪者であろう。
仮にもバトラブの切り札に迎え入れるかを決める戦いに、そんな犯罪者を参加させる理由がない。
「……」
「最初に、貴方が何をしたかったのか。それはわかります」
「……」
「貴方は、応援してほしかったのでは?」
「……」
「故郷の人々に、小細工をやめて自分を応援してほしかったのでは?」
「……」
「自分を信じてもらって、正々堂々ランに挑むことを許して欲しかったのでは?」
それは、彼の最初の予定だった。
新しい主であるランよりも強いという山水に勝つことで、自分の強さを故郷の人間に見せたかったのだ。
自分のことを、信じて欲しかったのだ。
「そして、私の元で修業をするうちに、私や私の門下生から応援されたくなったのではないですか?」
「……」
バアスは、力なく頷いていた。
「それは、無理です。貴方が今どんな立場なのかはわからないことにしておきますが、私ともめ事を起こした貴方を故郷の人が迎えることはないし、バトラブに取り入りたいということになっている貴方を私や門下生が応援できるわけがない」
喉を突かれた。
頭を叩かれた。
試合に出られなくされた。
そこから、ようやく話が始まる。
そうしないと、バアスは話もできない。
他人の意見を聞くことができないからだ。
「なによりも……貴方ではランに辿り着くこともできない」
「……」
「私が貴方に一番知って欲しかったことは、貴方の身の丈です。貴方には剣の才能がありますし、場数も踏んでいるのでしょう。ですがその程度では、国家の存亡がかかった戦いに身を投じることはできない」
バアスには才能がある。
バアスには経験がある。
バアスには実績がある。
それは全部本当だが、そんな剣士は世界にいくらでもいる。
バアスが自分に自信があるとしても、彼に並ぶ実力者は沢山いるのだ。
それどころか、彼の上さえいくらでもいる。
「私の門下の中にさえ、貴方と同等の体格と経験を持つ剣士はいる。私のような者を考えるまでもなく、貴方より強い剣士などいくらでもいて、そうした彼らでさえランには及ばない」
山水が感じて欲しかったのは、世界の広さだった。
「それでも、何とかしなければならない。だからこそ、周辺の国々は日影の戦いを行っている。それは決して手抜きでも卑怯でもありません。必死で、全力で、最善を尽くしているだけです。少々立派な体格をしているだけの貴方に、国家の命運をゆだねることなどできないのです」
普通の人間には、何のとりえもない。そういう意味では、バアスは恵まれている。だが、特別に恵まれているわけではない。
特別に強くもなく、特別に巧くもなく、特別に才能があるわけでもない自分のことを知って欲しかった。
「……」
「私が大勢の農奴を相手に戦うところは見たはずです。貴方にアレができますか?」
「……」
「多くの参加者が予測されることもあって、ランと戦う百人を厳選する予選は、全員が一度に戦う乱戦です。それは貴方が想定しているように、一般参加者を周辺諸国から送り込まれている兵士たちが倒すだけの戦いです」
「……」
「それを、貴方は突破できるのですか?」
「……」
「私はできます。ですが、私から多少習っただけの貴方では、絶対に勝ち残れない」
山水が大勢を相手に立ち回るところを見て、バアスは無邪気にも興奮し感動していた。
だが山水はバアスに、怖気づいてほしかったのだ。
自分には無理だと、察して悟って、あきらめて欲しかったのだ。
「お」
バアスの声が戻ってきた。
呼吸は荒いが、なんとか喋れる。
「おれは……まちがって、いるのか?」
山水に手酷いケガを負わされたことがつらくて。
いわれのない暴力でも何でもない、山水が当たり前のことをしているとわかっていてもつらくて。
そんな、軟弱な自分がつらかった。
最強に挑み、打ちのめされる。そんな当たり前のことで、こうも無様な自分がつらい。
「おれは、よわいのか?」
山水は木刀で、子供の姿だった。
その彼に、とても当たり前の理由で負けた。
八百長だったわけではなく、実力で劣っていたから負けた。当たり前のことなのに、つらかった。
貴族を相手に、わざと負けるように言われた時よりつらかった。
「おれは……あんたみたいになりたかった……」
「そうですか」
「アンタみたいに、つよくなりたかった」
声がかすれているのは、喉が潰れているからなのだろうか。
「しあいにでることも、あんたはゆるしてくれないのか」
「言ったはずですよ。試合に出たいのなら、私のことを忘れて挑むべきだと」
やはり、甘いのだ。
「私が農奴を殺すところを見ても、自分は殺されないと思ったのですか?」
「……」
バアスは頷いた。
「命を賭して戦った対価への不満を暴力で示したにもかかわらず、対価を示せないくせに、私へ我儘を言うのですね」
バアスは震えた。
「私は貴方が弱いと思ったことはありません。貴方には十分に才能があり、鍛錬も十分です。決闘慣れしていないだけで、もうしばらく稽古を積めば、先ほどほどの無様をさらすこともないでしょう」
山水はバアスを肯定する。
決して間違ってはいないのだと。
「魔力を宿している貴方が魔法を覚えていないのは、苦手だからなのか嫌いだからなのか、それとも美学か。それはわかりませんが、純粋に剣士として生きようとする姿勢を間違っているとは言えません」
先日この世界へきた日本人ほど、どうしようもないわけではない。
彼はちゃんと自分の力と自分の意志で、この世界を生きてきたのだ。
不器用なりに剣を振るってきた彼を、山水は可愛いと思ったのだ。
「ですが、他の生き方を、他の人々を侮辱する権利はありません」
剣士としての最強を追求することはいい。
だが、他の最強を追及している、他の戦い方を軽蔑することは間違っている。
それは魔法を苦手とする、劣等感の裏返しに過ぎない。
別の流儀で生きている者へ、自分の流儀を強いることほど、浅ましく卑しいことはない。
自分が有利な条件を強いて、それを正々堂々とは笑わせる。
結局、自分が勝ちたいだけなのだ。現に対等の条件で負けても、バアスは失意に沈んでいる。
「貴方が侮辱した人たちは、各々のやり方で命をかけている。貴方が剣に己を見出したように、他の人々も必死で己なりに頑張っている。それを否定することは、貴方の未熟でしかない」
剣士として生きるのはいい。謀略とは無縁で生きるのもいい。魔法に頼らない最強を追求するのもいい。
だが、他の最強と比較してはいけない。
自分一人で生きてきて、剣一筋だったとしても、他の人々にそれを強いるのはおかしい。
まして、多くの国民の命がかかっているのなら。
「貴方が兵士であることを投げ出したことはどうでもいいことです。ですが、貴方が嫌でたまらなかったことを、投げ出さずに頑張ってきた人がいる、貴族に使われることを我慢していた人たちがいる。その彼らを信じている貴族がいる。その彼らは、もう貴方とは違う道を歩いている」
考えてみれば、矛盾ではないだろうか。
実績を評価されたい一方で、成り上がりたいと思うのは。
今まで頑張っていた者を差し置いて、実力があるというだけでのし上がるのは。
「未練を断ちなさい。貴方が彼らの元を去った時に、彼らも貴方のことを忘れたのだから」
兵士であることをやめた時点で、その国の一番になることを諦めた。
状況が変わったからと言って、何事もなかったかのようにその国から評価されようとするのは間違っている。
「……うう」
日が暮れ切った空には、星が輝いている。
雲はほとんどなく、森を照らすほどの満天の星空だった。
それでも、大男は濡れていた。
「貴方は自分の失敗からしか学ばない。それでは取り返しがつかないことが起きた時には、余りにも遅すぎる」
どう言いつくろっても、山水はバアスから挑戦権を奪っていた。
結果としてどうなっていたのかはわからないが、バアスにとっては大一番になるはずだった。
何事も経験というが、経験してからでは遅く、想像すればわかることがある。
そして、本当の終わりを、バアスは迎えたわけではなかった。
「社会から評価されたいのであれば、社会が求めているものを知るべきです。社会へ気を使わず、社会から気を使われたいだけならば、貴方は剣士でも武人でもない。それはただの乱暴者です」
山水は、バアスに未来を語っていた。決して甘くないやり方で。
「貴方は確かに機会を失いました。ですが、貴方の全てを失ったわけではない」
しかしそれは仕方がない。
剣は口で語るものではないとしても。
剣で語り合うならば、それは喪失を覚悟するべきだ。
「貴方の好きな最強が、どうすればこの社会で受け入れてもらえるのか。今後も剣士として生きていきたいのなら、貴方自身がそれを考えなければならない」