相違
本日、コミカライズ最新話が公開です。
よろしくお願いします。
短い時間は過ぎていく。
多くの交通手段が生まれたアルカナ王国ではあるが、完全な部外者がそれを利用することはできない。
であれば、王都で行われる神剣の継承者を決める戦いへ参加するには、ソペードからは早めの出立が必要だった。
であれば。
バアスが山水の邸を出る日も、おおむねはわかることだった。
「先に言っておきますが」
稽古の終わった日暮れ時、山水とバアスは人気のない森で対峙していた。
傾いた太陽の赤い光が、山水の横顔を照らしている。
その表情は、食客を相手にしているものにしては、やや堅い。
「私はソペードの剣、ソペードに害となるものは斬ります」
先日の実験の真意を語る。
犯罪者ではあっても、悪ではなかった農奴たち。
その彼らを、憎くもないのに斬り散らした。
山水は必要なら、何人でも斬る。
それは、バアスも知っている。いや、知らされていた。
「その上で、お言葉を選んでいただきたい。私は貴方を斬りたいわけではないので」
山水はバアスの立場を察していたが、知ろうとしないようにしていた。
知れば、切らずに済ませることはできないのだから。
「……わかった。だが、今の俺の立場を言わないなら、別にいいだろう」
「もちろんです。私にとってはそれこそが、一番大事なことですからね」
ソペードの剣。
私にとっては。
その言葉が、バアスにとっては辛かった。
「アンタは……アルカナ王国最強の剣士だという」
「ええ、そうです」
「俺はアンタと戦って勝って、そのまま神剣エッケザックスの主に名乗りを上げるつもりだった。アンタより弱いはずの、ランという小娘と戦って勝つことで」
それは問題ないことだった。
一応、表向きは、ランに挑み勝利した者はバトラブに取り立てられることになっているのだから。
「……元々俺は、ある国の兵士だった。その国では魔力を多く宿す者が、魔法が上手なものが取り立てられて、剣では敵なしだった俺は冷や飯食いだった」
彼は己の境遇を語る。
優れた才をもち、武勲を挙げながらも、決して厚遇されなかった自分の半生を。
「そんなある日だ、俺を含めて多くの剣士が、ある若い将に集められた。そいつは俺たちをほめたたえ、格段の厚遇をするので配下になって欲しいと言った」
機会を得たのだろう。
彼はその時、希望を抱いていたはずだ。
「そして、俺たちはその将に従った。ソイツは俺たちを戦場に連れて行って、何が何だかわからんが、魔法使いの部隊に突っ込ませた。もちろん、剣の間合いで俺が後れを取るわけもない。護衛を蹴散らして、そのまま魔力が多いだけの卑怯者をぶった切った」
それは武勲だった。
大勲章だった。
「だが……出世したのは、その将だけだった。俺たちは兵士のままで、周りの連中もその若い将だけを褒めていた。そのあげく、若い将は俺たちに何を渡したと思う?」
「金一封、というところですか?」
「ああ、そうだ。普通の兵士の十倍の給金『だけ』を渡して、今後も自分に仕えて欲しいとほざきやがった。自分だけ出世して、俺たちをそのままこき使うつもりだった」
悲しい行き違い、というには余りにも双方の価値観はズレていた。
「俺は、俺たちはそいつをぶちのめした。後はまあ、色々だ」
事前に明確な報酬を決めておけば、面倒なことにはならなかった。
少なくとも、その場で断られる程度に収まっていただろう。
剣士側はともかく、雇用する側ははっきりと告げるべきだったのだ。
「……それからしばらくして、俺の故郷が竜に焼かれた。まああれだ……胸がすく想いだったぜ。今までさんざん偉そうにしていた貴族様や王様が、ビビりながら逃げ出して、どこにも行けなくて蹲っているんだからな」
暗い感情だったが、それに関しては素直に認めていた。
「竜を撃退したアルカナ王国と八種神宝のことを聞いたときは、これだと思った。本当の力を出せるようになったエッケザックスは、魔法なんざ使えなくても竜を斬れるっていうしな」
「ええ、そうらしいですね」
「サイガってやつが引退するって言って、エッケザックスの使い手を決めるって話があったときは、本当に嬉しかった」
バアスは自分が期待されると思っていたのだろう。
だが実際には、そうではないようだった。
「剣士が、武人が重用される時代になるはずだった。今まで偉そうな顔をしていた連中が、俺にへりくだってくるはずだった。どうか神剣を得て、竜を討ってくれと頼みこんでくるはずだった」
アルカナ王都で何が起きているのか、彼は知っているようだった。
それはまさに、誰もが彼に期待していない証明だった。
「最強の神剣を使う、最強の剣士は誰なのか。それを決める大会のはずだった、なのに!」
誰もランへ挑戦する剣士に関して、深く考えてなどいない。
自分が抱えている剣士をぶつけることさえ不真面目で、いかにしてランを陥れるかしか考えていない。
「始まったのは、蛇やクモみたいな、陰湿な日影の争いだ! 誰も剣士のことを考えてねえ!」
剣士が評価されるはずだ。
剣士が評価されなければならない。
剣士が評価されないわけがない。
剣士が評価されないのはおかしい。
「それにだ! 本当に最強の剣士であるアンタが、参加さえしない! それが、最強の神剣の主を決める戦いなんて、茶番もいいところだ!」
バアスは苛立っていた。
山水のことを認めているからこそ、苛立っていた。
「アンタは欲しくないのか! 最強の剣士の証が! 双右腕とエッケザックスの二つを揃えて、無双の剣士になりたくないのか!」
山水のことを認めて尊敬しているが、山水のことを良く知らないが故の発言だった。
「なりたいはずだ!」
それは、山水こそがエッケザックスの主にふさわしいと思っている男の叫びだった。
「アンタは最強の剣士だ! そのアンタが……なんで貴族にこびへつらう!」
「それは」
「アンタは、本当に最強の剣士だ! 俺は……アンタのような強さが欲しかった、なのに!」
嘘偽りない、本当の言葉。
バアスは山水に叫んでいるが、その表情を読み取れない。
山水に叫んでいるというよりは、間違っている世界へ叫んでいるのかもしれない。
「そのアンタが……なんで、貴族に媚を売るんだよ! アンタが竜を斬ったんだろう?! アンタがこの国を守ったんだろう?! だったら……!」
目の前には、最強がいる。
剣士の誰もが憧れる強さを手にしている、竜さえ武勲にする『最強』がいる。
その最強はしかし、バアスの理想から余りにも遠かった。
「アンタは、貴族から媚を売られるべきだ! 普段から偉ぶっている奴らを逆に媚びへつらわせ、それを笑いながら馬鹿にしてやるべきだ!」
強いなら、偉そうに振舞うべきだ。
「……私は」
「俺がエッケザックスを手に入れても、アンタがそんなんじゃあ、俺も他の剣士も! 誰も偉ぶれないだろうが! アンタは一番なんだぞ、そのアンタは他の剣士のためにも、無礼で失礼で、なんでも我儘じゃなきゃダメだろうが!」
山水は、誰もに慕われる剣士であるようにふるまっていた。
バアスは、誰もに気を使わせる剣士になりたかった。
それは、どうしても相いれないことだった。
「アンタは間違っている! ソペードのことも……」
「そこから先は、口にしないでいただきたい」
山水は、黙らせた。
そこから先を言わせれば、それこそ殺すしかなくなる。
「……理解はできます。貴方は名声や地位を求めて、エッケザックスの所有者を決める戦いに臨みたかったのでしょう。そういう意味では、残念な内容だと思っています」
「……」
「ですが、今回の戦いは個人の名誉ではなく、国家の存亡をかけた戦いです。それを行うに当たって、打てる手は全て打つのは当然ではないですか?」
とてもではないが、バアスが望んでいる言葉ではなかった。
そんなことは山水も分かっているが、だとしても言わねばならない。
「貴方が負ければ、国民は全員死ぬ。そんな賭けを、貴族や王族に強いるのですか」
「それが当然だ! 俺たちだって、命をかけている! その俺たちのことを、他の何よりも優先するべきだ!」
「それは残酷でしょう」
「王都で起きていることのどこに、最強がある?!」
「……そのことですが」
趣旨に反することだとはわかっているが、山水はそれでもあえて口にしていた。
「貴方は蛇やクモのような、日影の戦いと言いましたね」
「だからなんだ! 大会そっちのけで、剣士なんか忘れて、後ろ暗いことをしているだけだろうが! 陰湿な貴族と、貴族に使われている卑怯者たちの……」
「蛇やクモに謝ってください」
蛇やクモを悪の代表のように語ったバアスへ、露骨に不機嫌そうな山水は訂正を求めていた。
「蛇やクモの何が悪いのですか」
「……いや、それは」
「まさか貴方は、獲物へ音もなく忍び寄る蛇や、見えない糸で獲物をからめとるクモを、卑怯で卑劣だとでも思っているのですか?」
「そ、そうだ! 正面から正々堂々挑めば良いだろうが!」
「普通の肉食動物は音を消して風下から襲い掛かるものですよ。もちろん同じ動物同士なら、縄張り争いや雌の奪い合いで正面から戦うこともありますが……野生の世界に正々堂々なんて言葉はありませんよ」
一種の慣用句として、蛇やクモのことを持ち出したのだろうが、仙人には余り受けがよくなかった。
「貴方がエッケザックスを求める気持ちも、不遇を抜けたい気持ちもわかります。ですが、私には関係がない」
暮れていく日が、一際まぶしくなった。
そのまま太陽はゆっくりと沈み、空に浮かぶ雲だけをわずかに染めて、消えていく。
「……私は貴方に剣を教えることはできますが、貴方の理想に共鳴することはできません」
「なんでだ! 貴族に弱みでも握られているのか?!」
「私は、今の環境に満足しているからです」
「嘘だ! そんなわけがない!」
「貴方も分かっているはずですよ、私が楽しく日々を過ごしていることを」
楽しいことばかりではないが、それでも楽しいことの方が大きい。
妻がいて、娘たちがいて、慕ってくれる剣士がいて、貴族さえ足を運んでくれる。
そんな夢のような、素晴らしい環境の中で、ゆっくりと日常を送れる。
「……駄目だ! アンタがそんなんじゃあ、他の剣士はどうすればいいんだ!」
「私にこだわらなければいいだけです。貴方は私のことを忘れて、己の道を進めばいい」
「俺はアンタと一緒に、アンタの弟子と一緒に上を目指したいんだ!」
「……返事はしたはずですよ」
夕から夜に変わっていく刹那、山水の姿は変わっていく。
子どもになった山水を見ても、バアスは驚かない。
そんなことは、もう知っていることだからだ。
「私は貴方のことを可愛い弟子だと思っています。ですが、私の弟子は貴方だけではないし、貴方が私の弟子であると公言することは許せません。公的には、貴方はあくまでも食客です」
「それは……!」
「先の戦争で私の名誉を守ってくれたのは、私自身の働きではなく門下生たちの働きでした。その彼らの武名を汚すことは、私が許さない。貴方が私を、アルカナから離反させようとするのなら、それは……」
バアスは、緊迫した空気の中で剣を抜いた。
普段から使っていた大剣ではなく、片手でもある程度取り回しができる、彼にしてみれば小さめの剣だった。
もはや、交渉は無意味だった。
戦えば、結果は見えている。
だが、それでも引き下がれなかった。
「こればっかりは……いくらアンタが口で言っても、諦められない」
「……取り返しのつかないことになりますね」
山水は腰に帯びていた木刀を抜いた。
「……舐めてるのか?」
「何がですか?」
「いくらアンタでも、子供のまま、木刀で」
バアスは、両手で上段に構える。
「今の俺に、勝てるのか?」
暗い中では、山水の表情は読めない。
だが、少なくとも、著しい表情の変化があるようには見えなかった。
しかしその一方で、わずかな明かりの中で、山水が残酷な表情をしているように見えた。
「強者は無礼や失礼をするべきだ、と言ったのは貴方では?」
「それは……!」
「貴方は強者云々とは無関係に、他人から一方的に尊重されたいだけです」
取返しのつかないことになる。
山水は最後になるかもしれない指導で、バアスを打ちのめすつもりだった。
「貴方が本当に憧れているのは私ではなく、貴方が嫌っている貴族の方です」
「ちがう、俺は本当に……!」
「貴族の様に他人へ横柄に振舞い、しかもそれを許されたい。それも、貴方が好む剣の延長で」
山水は、功名心を否定しない。
それはとても動物的な考えで、人間特有の感情でも何でもない。
社会性の動物だからこそ、群れの中で優位に立ちたがるのは自然だ。
それは別にいい。強くなることで、そういう身分になりたいのも当たり前だ。
だが、それを否定するのは醜い。
「強者として、先達としてお教えしましょう。貴方の身の程を」
そして、なによりも……。
自分が上に立ちたいのに、山水を巻き込もうとする、その心の弱さを。
「そして、手遅れを」
金丹の術が切れたぐらいで、木刀を装備したぐらいで、劣勢になるわけもない絶対的な最強を。