失敗
北側における上の話がまとまった。
あまり好ましい話ではないが、南側の剣士にエッケザックスを譲る形にしたいらしい。
既に占領されている国の剣士なら、竜も先制攻撃のしようがないというものだ。
それなりの発言力が生じてしまうが、どのみち最強の剣が一本あったところで復興ができるわけもないので、多少は譲ってやるということになった。
問題は、ランをいかにして排除するかである。
自制を学んだ狂戦士に、アルカナが用意した条件で勝てるわけがない。
であれば、弱みを握って辞退させるしかない。
しかしそれは相手もわかっていることであり、テンペラの里から出てきた男衆は全員一か所に集められていた。
要人が止まる宿を借り切り、更にその周囲に兵隊が詰めている。
とてもわかりやすく護っており、これを突破するのは困難に思えた。
ほぼ絶対的な安全圏が確保されており、そこを護る十分な戦力が用意されている。
その状況で、既に組織力が現われている。強力に守ろうとして、それを維持できている。
一番簡単で一番確実な、実力による強行突破ができない。
それは手が限られている現状を端的に表していた。
「アレか」
「わかりやすいな……」
堅牢な宿に泊まっている相手をさらうのはほぼ不可能。
であれば、その宿を出る時を狙うのが上策である。
しかし、定期的に交代で外出する、というのはなんとも分かりやすい罠だった。
なにせテンペラの里の面々は全員が筋骨隆々で、それがわかりやすい独特の民族衣装を着ていた。
現在は真昼の雑踏にまぎれているが、周囲に革の鎧を着た兵士たちがいることで、少し注意すればすぐにわかる。
「軟禁に近い状態だ、出たいという気持ちは当然だろう。だがだとしても……」
「些か露骨に過ぎる……彼らには空を飛ぶ道具もあるというのに」
「しかし、他に手がないことも事実だ」
北側だろうと南側だろうと、この周辺一帯には魔法と法術と呪術しかない。
今でこそアルカナ王国にはほぼすべての希少魔法と、その血統が集結しつつあるが、それはアルカナに限った話である。
周辺にはそんなおかしな話はない。
そうなると、どうしても打てる手が限られてしまう。
攻撃や防御という基本はどうにかなるのだが、索敵にせよ拉致にせよ侵入にせよ、そう多くの手段があるわけではない。
そう、どれだけの国家が協力しているとしても、希少魔法は『希少』であり、どうしてもそろえることはできない。
手が限られているからこそ、相手の誘いにも乗らざるを得ない。
それが罠だとしても、それを乗り越えて餌に食いつき奪うのだ。
「……相手はどちらも酒曲拳か」
「一定範囲内の相手を昏倒させる術の使い手ですね」
「同系統の使い手ならともかく、一般の兵士にも効いてしまうのだったな」
「問題は……距離だな。距離さえ間違わねば……問題はない」
情報の収集は、それなりに困難を極めた。
なにせ相手は十もの希少魔法を宿す集団である。彼らの術を見た者は多いのだが、何が何だかわからないと戸惑う者も多かった。
しかし、例外的に四つの拳法に関しては情報収集が容易で、精度も大分高かった。
酒曲拳、霧影拳、爆毒拳、四器拳。
これらは以前に、アルカナ王国の学園で公開授業により説明されていた。
それに関しては諸国も調べていたので、ほぼ問題なかったのである。
「周囲に霧影拳の使い手はいるとおもうか?」
「わからん……だが、周囲に不自然な空間はないぞ」
「いない、と考えるのは無理があるが……しかし、警戒しだせばキリがない」
「……我らはもとより捨て石、やるしかあるまい」
※
「まったく……面倒な話だぜ」
「違いねえ」
現在酒曲拳の使い手二人は、周囲に普通の兵士を護衛として伴いつつ、王都を散策していた。
もちろん相手の奇襲を誘う意味もあるのだが、それよりもなによりも、気分転換の意味が大きい。
如何に優遇されようと、宿に押し込められて楽しいわけがない。
当然飽き飽きして、表へ出たくなるものである。
「拉致しようとしてくる密偵なんぞ、俺らが投げて絞め殺してやるのになあ」
「おうおう、その通りだぜまったく」
まして、テンペラの里の面々は全員が武道家。
先日戦争の経験も積んだ、一流の戦闘集団である。
彼らが調子に乗るのもある意味当然で、憤慨するのも当然だった。
ごく一部の男たちは、それなりに危機感や緊張感を持っている。
だがそれは一部であり、全員が徹底して危機感を保っているわけではない。
いうなれば隙であり、穴だった。常在戦場からは程遠い、間の抜けた考えである。
護衛対象の二人がそんなふうなので、周囲の兵士たちも気が抜けがちだった。
任務の大切さはわかっているのだが、相手が貴人ではなく兵士であり、しかも連日特に手ごたえもなく護衛をしていたからである。
もしや、無駄に終わるのではないか。
ただむさい男二人のそばを歩いて、それで終わりではないか。
姿勢よく歩いている兵士たちではあるが、その脳内はあいまいだった。
訓練は十分に受けているので、仮に敵がいきなり現れても、直ぐに体勢を整えて護衛対象を守るだろう。
だがそれは、まず相手に出てきてもらわねば成立しない状態でもあった。
(配置は済んだな)
(いつでも行けます)
獲物の不意を突き、気付かせぬまま倒し、そのまま浚っていく。
まさに原初の狩猟、野生の戦いともいうべき『実戦』の世界では、その気のゆるみは致命的であった。
まさか王都の白昼に堂々と、周囲に多くの人影がある状況で、大の大人二人をさらおうとするわけがない。
そんな先入観を突くように、『彼ら』は配置されていた。
特に突飛な武器ではなく、携帯できる小型のクロスボウで狙いを定めている。
裏仕事の男たちにとって一番大事なことは、攻撃が当たって効果を発揮するまで相手に気付かせないことだ。
ネズミを後ろから丸呑みにする蛇の如く、先手で初手を打ち王手とする。
そこに攻防だとか駆け引きだとか、崩しだとか牽制だとかは一切存在しない。
当然、卑怯ではある。
だが同時に、熟練を要する技でもある。
如何に雑踏の中とはいえ、複数の男たちがクロスボウを『きちんと構えて』狙いを定めていれば、周囲が気付いて悲鳴を上げて、対象に警戒されてしまうだろう。
であれば当然、クロスボウを正しい持ち方で構え、狙いを定めることはしない。
極めて狙いにくい持ち方で、反動によってぶれやすい体勢で、しかし雑踏に当てることなく命中させねばならない。
「そういやあ、ランの試合形式は聞いたか? 決まったらしいじゃねえか」
「ああ、まず百人に絞って、その百人を相手に百人組手らしいな」
「普通なら百人を相手に戦うなんざ、体力がいくらあっても足りないだろうが……」
「アイツ底なしだもんなあ……」
用意した矢には、『致死量』の十倍以上の痺れ薬が塗ってある。
致死量、というのだからもはや毒薬に思えるだろうが、さにあらず。
たいていの薬には致死量が存在し、痺れ薬であっても量が多すぎれば命の危機に至る。
よって、致死量の十倍を超える痺れ薬というのは、決して誇張ではない。
なぜそこまでの痺れ薬を用意しているのかと言えば、相手がバントウなる万能薬を服用しているからであろう。
あらかじめ食べておけば、体が毒を受けても治してしまうらしい。
この情報が真実だとして、それを服用している男を拘束するには、その万能薬でも治しきれないだけの薬を打ち込むしかない。
「まったく、まじめにエッケザックスの使い手になりたがっている奴はかわいそうだぜ」
「誰でも使える竜を殺せる剣、実際には最強の使い手しか所有できないってのはなあ……」
(今だ!)
訓練した者なら聞き分けられる、高い音程の小さい音。
それを合図にして、四方八方から矢が射かけられた。
それらは狙いを外すことなく、すべて護衛の兵士と酒曲拳の二人に命中していた。
「……あ?」
「……え?」
二人は互いの腹部に命中していた、前触れなく『出現』していたそれを見て驚愕する。
まさか、今、この時に自分たちが狙われるなんて。
そんな思考が脳裏をよぎっていた。
兵士たちも同様である。
全員が、己たちに命中していたそれを見て、唖然として……絶叫していた。
「て、敵襲!」
「あ、暗殺者だ! 暗殺者が近くにいるぞ!」
「いや、密偵だ! テンペラの里の二人を拘束するつもりだ!」
「構えろ! 近くにいるはずだ!」
(どういうことだ?!)
(逃げろ、作戦は失敗だ!)
そう、矢は命中していた。
おそらく、蟠桃を食していても体が動かなくなるであろうそれを受けて、しかし全員が健在だった。
それは、見るからに明らかだった。
放たれた矢は、確かに命中した。しかし体に刺ささるどころか、服に当たって地面に落ちていた。
何が起きたのか、考えるよりも早く密偵たちは退避を選んでいた。
おそらく希少魔法の『なにか』があったのだろう、と察しつつ。
兵士たちの絶叫によって逃げようとする群衆に紛れて、一目散に逃げだそうとした。
「きゃ、きゃあああ!」
「な、なんだああ?!」
「ひ、ひいいい!?」
そして、その場に倒れた。
めまいがする、地面がわからない、平衡感覚が狂っている。
手足を動かすことはできても、まともに立ち上がることができない。
這うことさえまともにできない。
(こ、これは酒曲拳?!)
(ばかな、十分距離はとっていたはず!)
(伏兵がいたのか?! だがどこに隠れていたのだ!)
もちろん、標的となった酒曲拳の使い手たちが、エッケザックスによって術の範囲を広げていたというわけではない。
ただ単に酒曲拳の伏兵が、周囲の群衆をまとめて転倒させていただけである。
問題は、どこに隠れていたのか、ということであろう。
「はいはい、すみませんねえ……」
「もうちょっとしたら、術を解除しますからねえっと」
「おい、一応言っておくけど、女子供でもちゃんと確認しろよ?」
「わかってるよ!」
十人ほどの酒曲拳の使い手たちは、術を最大範囲で展開しながら倒れた民衆の『手』を確認していた。
手を見れば相手が何を習得しているのかすぐにわかる、とは言わないまでも、流石にクロスボウを練習した形跡は見て取れる。
熟練であればあるほど、発見は容易だった。
「おっ、ここにいたぞ。縛っておくぜ」
「ただのクロスボウ好きかもしれないから、優しくな~~」
「おい、矢は何本あった? その数は最低限いるだろ」
「遠くから狙った場合、もう逃げてるんじゃないか?」
有無を言わさず拘束されていく中で、彼らは視界を変えることができていた。
酒曲拳によって前後不覚になっている彼らは、それでも空の青の中に異物を発見していた。
そう……そこには、霧影拳によって隠されていた、石の船が浮かんでいた。
「お前ら、ざまねえなあ?」
「矢ぐらいよけられるとか言ってたくせによう」
「う、うるせえ!」
「次はぜったいよけてやるよ!」
(や……やはり、罠だったのか!)
(だがなぜだ……なぜ、矢が刺さらなかったのだ?!)
自分たちの作戦は失敗した。
それを遠くから見ている他国の兵士たちが確認して、別の手を考えるだろう。
そういう意味では、無駄な失敗ではない。
だが、だからこそ考えてしまう。
今回の作戦に、一体どんな術や道具が使われていたのかを。