陳謝
飴と鞭という言葉がある。
甘い言葉や報酬、頑張った場合に与える褒美などが飴。
叱咤や懲罰、頑張らなかった場合に下す断罪などが鞭。
しかし、それだけでは不十分である。
頑張ったら褒めてあげて報酬を渡す、頑張らなかったら怒鳴りつける。
もう一つ、考えるべきことがある。
「皆、よく頑張ってくれた。先の戦争からの復興も順調であり、民衆も元の生活を取り戻しつつあるようだ」
「民衆の尽力もさることながら、貴族として義務を果たした結果だ。ソペードの当主として、感謝する。そして」
ソペードの分家、あるいはウィン家を含めたソペードの派閥に属する貴族たち。先日の戦争によって命を落とした貴人の遺族。
彼らはソペードの本家に集められていた。
戦災からの復興を祝ったものであり……。
「すまなかった」
「もうしわけない」
国王に対しても強硬姿勢を崩さない、ソペードの当主と先代からの、謝罪だった。
「今回の戦争に、貴殿らの落ち度は一切ない。すべては我らソペードの当主、及びアルカナ王国の首脳陣が外交の失敗をした結果だ」
「今回の不始末、言葉で詫びて済むものではない。如何なる処分でも受ける覚悟だ」
一応、アルカナ王国は安定した。
非常事態にお家騒動などあり得ないが、一旦安定すればお家騒動は許される。
正しく言えば、責任の所在を明らかにしなければならない。
謝罪とは、非を認める行為である。
悪いことをした、責任をとる、判断を任せる、そういうことである。
だからこそ、謝罪とは偉い人間ほど難しい。自分に非があることを認めたがらず、誰かに押し付けたがる。誰も自分を罰せないからこそ、自分で自分を罰することが無い。
だが、謝罪は禊でもある。
今回の一件は、誰がどう考えたところで外交の失敗であり、少なくとも地方領主たちには何の非もない。
であれば、善悪の是非はともかく、諸外国と交渉を行う首脳陣に責任があるのは明らかだ。
そして、被害を受けたのは国家全体。
仮に当主たちが非を認めなかったとしても、領民たちが忘れたとしても、ソペードに属する貴族たちは不満に思うだろう。
外交の失敗で国土は焼かれ、多くの死傷者がでたのだ。
権威や特権、武力で黙らされても、心には暗いものがたまっていくだろう。
「当主の座を降り、別の者にゆだねることも受け入れる」
「領地や財産に関しても同様だ、如何なる沙汰にも文句は言わぬ」
そもそも、後々に禍根を残しかねない。
当主なら失敗をしても誤魔化すことが慣例となれば、子孫たちにも迷惑をかけることになる。
なによりも、普段から横柄に振舞っている自分たちが、実際にはただ恥知らずなだけだと思われることに耐えられなかった。
きちんと謝罪し、断罪されたかったのだ。
「……当主様、先代様」
ゆだねられた周囲の貴族たちは、互いの顔を見合う。
その上で、断罪の内容を決める。
「細かい内容は置いておくとしまして……まずは我らの損失に補償を。生存した兵士への報酬や、兵士の遺族への見舞金もお願いします」
最低限、必要なことだけをまず言う。
その点に関しては、議論の余地すらない。
二人の責任者は、それを聞いても眉一つ動かさない。
「加えて、今回の責任の所在を、書面に残していただきたい」
これも、たいして問題ではない。
「あとはそうですな……次の代に関しましては、今後次第ということでお願いしたい」
最大の問題は、今現在アルカナ王国に援助をしている大八州や秘境は、現在の最高権力者に仕えている山水とだけ繋がっているということである。
どちらも悠久の時を生きる仙人や天狗の集まりであり、他には一切替えが効かない。
「それで足りないと思われるのであれば、今後少々の融通を利かせていただければ、と思いますな」
少々時期が悪かったとはいえ、今回の旅で強力な人脈をスイボクから引き継いだ山水。ある意味では、マジャンの王子だったトオンに立場が近いのだ。
その彼はソペードという組織に対して恩義を感じているのではなく、ドゥーウェをはじめとするソペードの本家に対して恩義を感じている。
仮に他の誰かがソペードの当主を引き継いだところで、どうしても山水への命令系統は間接的になってしまう。
そもそも山水が、他の誰かからの命令に従うのかも怪しい。
であれば、仁義に厚い当主たちに借りを作っておいて、末永く借りを返してもらった方が得だと判断していた。
もっと言えば、繊細な政治が要求される時代に、責任者になりたくないという思いもある。
特に野心がないのであれば、うまい汁を吸える今の立場に甘んじたいものである。
それに、今回の一件で他の家が代替わりをおこした、ということはない。
首脳陣全体の責任なのに、ソペードだけ代替わりというのもどうかと思われた。
「感謝する」
「及ばずながら、今後も尽力させてもらう」
償う気持ちは当然あったが、こうなるだろうとも思っていた当主と先代。
二人は申し訳ない気持ちのままで、顔を引き締めていた。
結果的に、大きい変化はなかった。
だが謝罪したことの意味は小さくない。普段から尊大な二人が傘下の貴族へ謝罪しただけでも、多少は溜飲が下がっていた。
それだけではほぼ意味はないが、金銭も積極的に出してもらえそうなので、戦後処理としては十分であろう。
これ以上やりようがない、という意味もあるのだが。
※
女は強い男が好きだ、という話がある。
まあ、弱いよりは好かれるだろう。少なくとも、健康ではあるだろうし。
実際には優しくて自分を殴らない、という前提があるうえで、定職についている男が強いならモテる。
もちろん、強い男は、男からも憧れられる。
役に立つかたたないかはおいておいて、強いというだけで憧れてしまう。
国一番の強さ、ともなれば憧れて当然である。
とはいえ、強い相手に惹かれる理由としては『いざというとき守ってくれる』という考えがあるのは事実だろう。
少なくとも、強者に対して権力者が優遇をするのなら、有事の働きを期待しているのは当然だ。
如何に理由があるとはいえ、肝心な時に不在では役立たず以前の問題である。
「この度は」
さて、童顔の剣聖である。
「大変申し訳ありませんでした」
精一杯の誠意を見せるべく、己が指導した剣士や、その主たちへ土下座している。
「アルカナ王国全体の国難にも関わらず、参戦が遅くなってしまい……本当に申し訳ありませんでした」
再三謝った身ではあるが、彼らにはまだ謝っていないので頭をこすりつけていた。
アルカナ王国最強の剣士ではあるが、ただの剣士なので謝罪はきっちりする。
「どうか、お許しください」
勇名をとどろかせる山水が、ひれ伏して許しを請う。
生徒たちにしてみれば普通の話であるが、他の面々からすれば驚きを隠せない。
普段の山水が丁寧な言葉遣いをしているのは知っていたが、まさかこうした場でもそうするとは思っていなかった。
「サンスイ殿、顔をあげてください」
「そうです、貴方が竜と戦ってくれたことは存じています」
「私の領地に攻め込もうとしていた旧世界の怪物を、貴方が葬ってくれたのです」
元々、お礼を言いに来た者も多い。
山水は事情をほぼ把握していなかったので、他の切り札たちと違って竜だけではなく旧世界の怪物たちも対処していた。
大局的には間違いだったかもしれないが、当主たちも知らなかったなら、と肯定的である。
そもそも『なんで竜を退治するのを優先したんだ!』とか『なんで指示を仰がなかったんだ!』とか言えるわけがない。
首脳陣にとっても竜を優先して倒す作戦は苦渋の決断で、指示を受けていなかった山水がそうした行動をしてもとがめる気にならなかったのだ。
「竜のブレスから私の都市を守ってくださいました……まあ建て直すことになりましたが、些細なことですよ」
「アレには驚きました、まさか切り取って大きく動かすとは」
「竜の死体が、料理の下ごしらえの様になっているのは驚きましたなあ」
今でこそ笑い話だが、当時は戦々恐々としていた。
なにせ山を切り取って軍隊を潰すわ、竜を骨と肉と血と皮と臓物に分解するわ、都市を切り抜いて別の場所へ移すわ。
ぱっと見えた範囲だけでも、超常現象の目白押しである。
これをやったのは、いったいどんな恐ろしい怪物なのか、と。
実際、山水があの戦場で使った技のほとんどは『双右腕』によるものであり、スイボクとフウケイとセルというこの世界随一の怪物たちによる武器なので正しい認識である。
とはいえ、山水本人は腰が低い。
少々拍子抜けしつつ、彼らは礼を言っていた。
「いえ、そんなことを言わないでください」
しかし山水は知っている。
今この場にいる、生きている面々は山水に礼を言っても不思議ではないと。
しかし、この場にいない、既に死んでいる面々は自分を呪っているに違いないと。
そんなことを言い出せばキリがないのだが、山水としては申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「肝心な時に、お役に立てず……」
半数が命を落とした、山水の生徒たち
その主たちも、当然何割か命を落としている。
王都に避難していた遺族たちが、この場で山水の土下座を見ていた。
「そう卑屈にならないでください」
「貴方は確かに遅くなってしまいましたが、それでもこの国を守ってくださいました」
「貴方が不在の間も、貴方の教えを受けた剣士の方たちは皆が奮戦してくれたのですよ」
領主が死に、山水の生徒が死んだ都市でも、生き残った兵士たちは確かにいる。
その彼らは、口々に武芸指南役の武勇を称えている。
恐ろしい怪物にも勇敢に立ち向かい、最後まで戦い抜いたと。
多くの怪物を、地面に転がしていたと。
「貴方が指導した剣士たちは、誰もが忠実で礼節を持ち、勇敢で勤勉でした。その彼らをみて、貴方から直接指導を受けたい兵士や、子供へ指導をしてほしいという親は多いのです」
「もしも貴方が今回の件で心を痛めていらっしゃるのなら、どうか武芸指南役総元締めとしてのお役目を今度も果たしてください。死んだ彼らも、きっとそれを望んでいます」
「貴方の名誉は、貴方の生徒たちが守っています。どうか、彼らの為にも剣を教えてください」
結果がすべてというのであれば、山水の弟子たちは『結果』を出していた。
お世辞にも才能があるとは言えない面々が、兵士たちや領主たちから憧れられるほどの剣士になった。
そして、彼らは勇敢に散り、役目を果たした。
それは山水にとっても、誇るべきことだった。
「……はい」
そう言われてしまえば、山水も謝罪している場合ではない。
己が師から託された『剣』を伝え続ける。それこそが、あらゆる人への最高の恩返しと信じて。
「その、サンスイさん。少しお話が……」
トオンの部下である一人の剣士が、起き上がった山水へ緊張した面持ちで話しかけていた。
「俺は元々、この国の出身ではないのです。なので武芸指南役の候補からは最初から外れていたのですが……国許の者から、手紙が届きまして……」
「故郷の方から、ですか」
どんな内容なのか、あまり考えたくないところである。
少なくとも話を持ち掛けた剣士は、申し訳なさそうだった。
「エッケザックスの新しい使用者と、双右腕について教えてほしいと……」
「ランと、双右腕に関してですか? それはつまり……」
「はい、おそらく俺の故郷は竜を殺す手段を、アルカナやドミノから盗むつもりです」
ほんの少し前までは、八種神宝は『伝説の道具』程度の認識だった。
人間しかいない状況では、ちょっと強い武器やちょっと便利な道具ぐらいだったのである。
しかし、制限が解除され、本来の敵である旧世界の怪物が現れた現状、『世界』を左右する力となっている。
「オセオ側じゃなくてこっち側なんで、国土が滅びたってことはないんですが……それでも、竜におびえています。おそらく他の国々も、エッケザックスや双右腕を求めている。特に国土を失った国は、一縷の望みをかけて……」
ある意味では、旧世界の怪物たちが恐れている展開でもある。
今のところ、双右腕やスイボクを含めて、竜への対抗手段は一枚岩としてまとまっている。
だからこそ交渉も一勢力に対してで済んでおり、面倒なことはほとんどない。
だが、八種神宝が分散すれば。
双右腕と違って誰でも使える上に、竜さえも殺せるエッケザックスが別の勢力の手に堕ちれば。
それは、状況の混乱とアルカナの失墜を意味する。
「国から指示を受けていなくても、勝手にエッケザックスを狙う輩は出てくるでしょう。サイガ様が倒れた今、エッケザックスだけは神の戦士以外が持っている。ランが危ないですぜ」
世界は、新しい方向へ動き出していた。