絨毯
「そうか、遂に俺が戦場で魔法を使う時が来たのか……!」
国家防衛の要、隣国に近い要塞都市で彼は敵を待ち構えていた。
「まさか今日いきなり攻め込んでくるなんて、すごい急いできたんだな!」
もちろん、敵が攻め込んできたことを知らせたのが今日というだけで、それまでに接近の報は結構あった。
とにかく、敵が完全に国境を越えて、こちらに大義名分を与えるのを待っていたのだ。
そして、これ以上近づかれると、正蔵の魔法の巻き添えを食う、という段階で彼に情報がもたらされたのである。
危険物に情報を与えてはいけない。カプトの英断である。
彼は最前線となるであろう要塞都市に送り込まれていたが、しかし何も聞かされていなかった。
「いやあ、俺がいて良かったなあ!」
適当な理由でここに来るように言われて、それでのんびりしていただけである。
そして要塞都市の市民たちも、まさか街でぶらぶらしている男がカプトの切り札だとは思わなかっただろう。
「お姉さま、あいつ全然気づいてませんよ」
「想像していたよりも数段バカでしたよ」
「この街のあわただしい空気にも、全然気づかなかったですよ」
「三人とも、そろそろ黙りなさい」
三つ子とその姉の四姉妹、風の魔法使いである彼女たちは、彼の補助を担当していた。
もちろん実戦は初めてだったが、それでも訓練は何度もしている。
そして、この四人はもうすぐ戦争だと聞かされていた。
「こんなバカが世界を亡ぼすなんて……」
「こんなバカを空へ飛ばさないといけないなんて……」
「こんなバカの補助をしないといけないなんて……」
「黙りなさい。ウェス、サウス、ノウス、これから仕事なのよ!」
やる気満々な正蔵の事も心配だが、自分の妹たちも心配である。
これから幾千幾万もの命を無慈悲に耕すというのに、その辺りの緊張感で長姉であるイストは胃に穴が開きそうだった。
「ご、ご安心ください! このセントが命に変えましても貴女方の事をお守りいたします!」
「え、それは嬉しいけど……ショウゾウの事はいいの?」
「……正直、死ねばいいって思ってます」
聖騎士、法術使い、セント。
風の四姉妹同様に、正蔵の補助を担当する使い手である。
女性の身ではあるが、戦闘に優れた法術使いである。
そして、正蔵の事をあまりよく思っていない。
「落せばいいんですよ、傷だらけの愚者なんて」
「そんなこと言わないの。そんなことして、ショウゾウが魔法を使ったらこの国は終わりよ?」
「そうですけども……」
「とにかく行きましょう。いつものように、六人で空を飛ぶのよ」
※
「おい、そろそろ見えてくるってよ」
「ようやく戦争ができるってもんだ」
「ああ、土産もたくさん手に入れないとな」
人間は群れる生き物である。端的に言って、周りの人間がそれを正当化すれば、昨日までの自分と変わらない民間人も虐殺できる。
だって、国が違うから。だって、敵だから。だって、異民族だから。
一つ理由があれば、二つ理由があれば、人は簡単に虐殺者になることができる。
「ああ、これで俺達もこれからは楽な暮らしができるんだなあ」
「今まで辛かったもんなあ」
「新しい陛下万々歳だぜ!」
そして、彼らには夢があった。
この戦争で名を上げて、取り立ててもらう。
もしかしたら貴族になって、家族に楽をさせられるかもしれない。
努力だってした。
大量に生み出された武器や使い捨ての魔法道具は、訓練で危険性も周知されたし使い方もわかっていた。
彼らは限られた時間の中で、しかし十分な訓練を行っていた。
間違えて味方や自分に向かって攻撃魔法を使うとか、回復の法術を敵に使うとか、そうしたことは一切ない。
彼らは優れた装備で身を固めて、万全の戦いをするつもりだった。
もちろん、装備が良ければ勝てると決まったわけではない。そもそも反乱軍も、当初は旧政権の軍に劣っていたのだ。
しかし、装備が大きいアドバンテージであることは事実。全軍の歩兵達が、一国の精鋭部隊さえも超える武装をしているのならば、それは兵士たちの練度の不足を補って余りある。
もっというならば、これから向かう要塞都市の、その全ての兵士が十分な訓練を日常的に受けているわけでもない。
つまり、兵士たちの総合的な水準は、ドミノ王国の者たちの方が高かった。
ある意味当然である。勝算があるからこそ、侵略戦争という博打に出たのだ。
皇帝は言った。これは正義の戦いであると。
アルカナ王国は多くの亡命貴族たちが持ち出した国富を、自分たちのものにしていると。
それを新しいドミノが取り返そうとしているだけなのに、けっして応じないと。
だからこそ、新しいドミノの力を見せるのだと。
「いよいよだな!」
「ああ、いよいよだ!」
「俺達の人生はこれからだ!」
もちろん、そんな演説を信じてるものばかりではない。
しかし、新しい指導者は多くの力をくれた。
今までの指導者と違い、明確に目標とそのための道筋をくれた。
そう、彼らは希望を見出したのだ。
もう汗水たらして、自分が食べるわけでもない麦を育てることはない。
これからは自分達が勝利者であり簒奪者になるのだ。
この世界最強の歩兵隊、それは客観的な事実だった。
しかし、それはあくまでも歩兵隊の『最強』でしかない。
彼らは餌場である要塞都市を望む平原を歩いていたのだが、その内の誰かが空を見上げていた。
「なんだアレ」
それが、彼の最後の言葉だった。
上空数千メートル。人間が呼吸することも困難な空の彼方から、世界最強の魔法使いによる、一方的な、そしてこの世界初の『絨毯爆撃』が行われたのだから。
※
「いやあ、空はいいなあ!」
風や火を下に向けて放ち、それによって推進して空を舞う。それはとても高等な技術である。
しかし、当然人知を越えた馬鹿魔力の持ち主である正蔵に、それはできない。自分の魔力に対して、自分の体重が軽すぎるのだ。
仮に、彼が巨大なゴーレムなどと共に飛翔するならば、それは結果的に帳尻が会うかもしれないが、そんな巨大なゴーレムは何処にも存在しない。
「なんで自分で飛んでるわけでもないのに楽しそうなんだろう……」
「高山病にならないように気を使ってるのにねえ」
「ほんと、馬鹿は気楽でいいよね」
「イスト殿、どうだろうか、このまま落すのは」
「止めなさい」
先人の知恵とは偉大なものである。
かつて黒い髪に黒い眼をした魔法使いがいた。
彼は上空から土魔法を使用することによって、敵陣地を一方的に攻撃するという構想だ。
土魔法の攻撃手段は、つまり質量の攻撃。
上から下へ攻撃することによって、その威力は増す、と言うものだった。
事実、城壁で敵を撃退するときには、土魔法は通常以上の活躍を見せていた。
原理は正しかったが、問題が二つ生じた。
一つは空を飛ぶ魔法使いは、土魔法で攻撃できないということだ。
もう一つは、射程距離。相手が攻撃できない距離は、こちらも攻撃ができないということだ。
「それにしても、この高さから見ると人間もアリみたいだねえ」
「ノミかな、ハエかな?」
「まあこれから潰されるわけだけど」
正蔵は一人では空を飛べない。それなら風の魔法使いを複数付けて、彼らに飛ばせればいい。
それ自体は、発案者の魔法使いも実行していたことだった。
四人の風の魔法使いによって、連携させればいい。空を飛ぶことは難しいが、難しいだけだ。カプト家の力をもってすれば不可能ではないし、むしろ容易だ。
雷の魔法が使えるとか、戦闘の経験が豊富だとか、そんなことを考える必要はない。
千人のうち九百九十人に魔法の素質があるのだから、その中で選りすぐり育ててしまえばいい。
その程度には時間があり、その程度にはカプト家にも力がある。
「さあ、侵略者共に鉄槌をくれてやりましょう!」
「あのね……そういうことをするのは彼の仕事よ」
そして、ここには常人の一万倍以上の射程を誇る魔法使いがいる。
背中を刺される心配のない、完全な上空。雲を見下ろす高度で、一人の魔法使いが殲滅の為の魔法を使おうとしていた。
「水と土を混ぜ、それを風と炎で暖める」
無駄で無意味の極みだった。
一人の魔法使いが、四つの属性を全て同時に使うなど、絶対にありえない。
何故なら、まず一つの属性を極めることが困難であり、四つの魔法すべて極めるなど生涯を奉げてもあり得ない。
加えて、一人の魔法使いが異なる属性の魔法を同時に使うと、半分以下に出力が落ちる。同時に使う属性が増えれば増えるほど、魔法は発動しているのかわからないほど弱くなる。
なによりも、水と火を合わせて熱湯にするより、水と土を合わせて泥にするより、火と風で熱風にするより、風と土で砂嵐を作るより、普通に単独の属性で攻撃する方が威力が高いのだ。
「……凄い」
「これが最強の魔法使いの力……」
「でたらめだよ、こんなの」
「皆さん、熱くないですか?」
「ええ、大丈夫」
法術使いが、光の壁によって術者たちを守る。
前方数百メートル先に、煮えたぎる泥の塊という、余りにもおぞましいものが出現していた。
水の沸点は気圧によって変化するが、それも風の魔法によって補われている。
いいや、圧力鍋の中の様に、通常の沸点を越える温度を液体のままで留めていた。
それ自体は、複数の魔法使いが揃えば実現できることだった。
問題は、その大きさだった。規模が、尋常の域を超えている。
上空にいる彼女たちの視界を遮るほどに、目の前の『殺意の塊』は巨大だった。
大きい山、或いは小さい島ほどに巨大な、熱された泥の塊。
「よし、落ちろ」
彼が人生で初めて使用する、明確な『戦術級攻撃魔法』だった。
世界最強の魔法使いである彼は、皮肉にも規模の大きい魔法を使う時ほど繊細なコントロールが可能だった。
彼は自分の射程範囲の中で、他の魔法使いがそうするように、自分で作った魔法の混合物を落下させる。
巨大な塊も、しかし落下していけばどんどん小さく見えていく。
しかし、決して、真下にいる『黒い点』より小さくなることはない。
地面に着弾し土の部分がバラバラに崩れ、その熱湯を周囲にぶちまけ、周囲に蒸気を巻きながら洗い流していく。それでも、土塊の部分は黒い点より大きかった。
「全然実感がわかないな……」
そんなことを、最強の魔法使いは言う。
そして、それは真実だった。
今の魔法で数百人が潰され、数千人が熱湯で焼けただれ、数万からなる軍勢の半数が恐慌状態になっているなど、実感がわくわけもない。
「イスト、高度下げるか?」
「馬鹿なこと言わないでください! 反撃されますよ!」
制空権という絶対的なアドバンテージ。
手の届かないところから一方的に攻撃できるという、理想的な攻撃優位。
位置エネルギーを、運動エネルギーに変換して威力を増すことができる。
「いや、なんていうか……実感がなさ過ぎて……」
「いいからもっと攻撃してください!」
「ああ、うん……じゃあ次は氷でも出すか。なんか熱いし」
そう言って最強の魔法使いは目の前に手をかざす。
すると、無数の氷塊が生み出され、それこそ気象現象の様に降り注いでいく。
つまり、雹である。雨あられと降り注ぐ、人間を殺すには十分すぎる大きさの雹。
それが数千数万以上の数として大地に降り注いでいく。
「よしよし、それじゃあ雷も行ってみるか! 雷雨ってもんを見せてやるぜ!」
※
「ぎゃああああああ!」
誰もが上を見ていなかった。誰もが前を見ていた。
だからこそ、敵が上にいることさえ気づかなかった。
そして、殆どの兵士たちが横から攻撃されたと思い込んでいた。
何故なら上から攻撃された、というよりは泥の塊の直撃を受けた者たちは下敷きになり即死し、そこから広がった熱湯を浴びた者たちは『横』から攻撃されたと思ったからだ。
そうでなくとも、上空から何の前触れもなく巨大な熱湯と泥の山が降ってきて、それで事態を把握できるわけもない。
飛行機、爆撃機、という発想がない彼らにとって、上空から魔法を落としてきたとは考えられなかった。
なによりも、そんなことを考える余裕がなかった。
彼らが着ている防具は、最高級の防具ではある。
しかし、それは戦闘用の物であって、大量の熱湯から身を守る防護服ではない。
人間を殺すのに、態々鉄を切るほどの熱は必要ない。それこそ熱湯で十分なのだ。
全身の皮膚の大部分に深刻な火傷を負えば、それは致命傷になる。
「く、くそ……なんだ、どこに敵がいる?!」
彼らは哀しいことに、烏合の衆だった。
確かに戦闘はできるが、いったん崩れるとどこまでも壊れていく。
士気が高くとも練度が低い。それはつまり、全体としての動きを個人が理解していないということである。
そもそも彼らは侵略に来た、勝ちに来た、奪いに来たのである。これが防衛戦争であり、家族を守るための戦いなら、まだ逃げようとは思わなかっただろう。
「なんだよこれ……」
「畜生、畜生!」
そもそも、どこに敵がいるのかもわからない。
敵がいれば憎むことができた。しかし、憎む相手などどこにもいないのだ。
小隊長、中隊長、或いは軍全体の指揮官も、この状況を把握できない。軍のど真ん中に巨大な山が出現し、湖ほどの熱湯がぶちまけられた。
「あわてるな、これが敵の攻撃であることは明らかだ!」
「まずは馬を落ち着かせろ、それから陣形を整えろ!」
「今の一撃で終わりと思うな! まだ来るぞ!」
それでも、なんとか隊列を整えようとする。そして、次の攻撃に備えようとする。
自分達が攻撃されていることは分かった。だとすれば、それに対処しなければならない。
自分達は他国へ侵略しに来たのだ、攻撃されても当然である。
そう思って、何とか軍隊としての体を保とうとしていた。しかし、それも無駄に終わる。
空から降り注ぐ巨大な雹。それは気象現象の一つといえばそれまでだが、明らかに晴天の空から無数の雹が狙いすませて落ちてくるなどあってはならない。
これは明らかに攻撃だった。間違いなく、上に敵がいる。
「風の魔法使いが、氷の魔法の巻物を使っているのか?!」
誰かが、正当に近い発言をしていた。
幸いというべきか、氷の塊はあくまでもただの打撃でしかない。
もちろんその威力は非常に高いが、国宝級の鎧や兜なら耐えることはできる。
問題は、全く痛みを受けないほどではないということだ。
「ぎゃあああああ!」
「いでぇ、いでぇよおお!」
「死ぬ、殺される!」
人間の頭の半分ほどの大きさの氷の塊が、それこそ雨の様に降り注いでくる。
仮に、要塞の中に立てこもっていたとしても、屋根を突き破って中の人間を攻撃するであろう、氷の脅威。
それが、森でも街中でもなく、平原で起きている。
それが、即死できない威力で続いている。
もはや彼らは軍隊ではなく、災害を受けた被災者だった。
彼らに決定的な不運があったとすれば、それは空を飛ぶことができる魔法使いが一人もいなかったことだろう。
そもそも、攻撃魔法を使用できる巻物はあっても、空を飛ぶための巻物は存在しない。
何故なら、空を飛ぶということはとても繊細な作業だからだ。誰が使っても一定の効果を発揮する巻物なんかで、姿勢の制御や離陸、着陸をこなせるわけもない。
全員が魔法使いである、という破格の歩兵達も、しかし相手が上空にいては反撃などできない。
そして、空を飛ぶことができる魔法使いがいたとしても、降り注ぐ雹の弾丸の中を上空へ飛ぶことなどできるわけもない。
つまり彼らに不運も不幸もない。そんな確率論など成立しない。
この戦場に現れた時点で、全員死ぬことは決まっていた。
カプトが興部正蔵という最強の魔法使いを完成させたことによって、とっくにこの戦争は負けている。
歩兵の装備だとか軍全体の指揮だとか、武将の采配や戦争の意味だとか、そんなものは何の意味もない。
そう、当たり前のことだ。爆撃機に勝てる歩兵など存在しないのだから。
だから意味がない。何の意味もない。彼らは全員死ぬ。有象無象となって耕されていく。
この戦場の誰もが、どこにいる誰なのかを認識されることもなく、そもそも何時全滅したのかを観測されることもない。確かめる術を持たないし、確かめる気もない。
敵がいた『あたり』を、『塗りつぶす』ように、『生き残り』がいないように、『残骸』が残らないように『耕して』いくだけだ。
カプトの爆撃機は、かつてこの世界で死んでいった魔法使いの理想を実現していた。
「これが、私達の戦果……」
「私達、アルカナ王国を守ったんだよね?」
「これが、戦争なの?」
「これが、不毛の農夫の力……」
「傷だらけの愚者……」
「……やっぱ実感わかないな、これ」
眼下の阿鼻叫喚も、しかし上空ではまるで分らなかった。
分かることがあるとすれば、地上に存在していた無数の『点』が、地形ごとかき混ぜられていたということだろう。
次回から剣聖に視点が戻ります。