知識
クローは四大貴族の分家筋であり、つまりはいいところの男子である。彼は彼で、当然親の庇護のもとで教育を受けている。
とはいえ親から教育を受けるのと、それ以外の他人から生活の全てを賄ってもらいつつ、その上で努力させてもらうのはまるで違う話であろう。
ましてある程度成長してから、というのは仙人の価値観からしても重く感じるべきことである。
祭我の場合はバトラブにそうした恩義があり、山水の場合は師匠であるスイボクに対してその恩義がある。
なお、山水がソペードに感じている恩義は、また別の物である。御恩と奉公という主従関係であり、レインへの教育は無償ではなく護衛という労働への対価であった。
ともかく、究極的に言えば『チートがあるので現地の有力者から特別待遇だった』という話である。
同じ日本人からすればたまったものではないが、現地の人間からすれば『特別な人間を優遇する』のはある意味当たり前で、『特別ではない人間を粗末に扱う』のも当然だった。
「本当に、ありがとうございました」
「いやいや、これは次期当主からの依頼であり、貴族としての職務。貴女が気にすることではない」
男子一同は、走り込みなどが原因なのか、色々が終わった後には就寝していた。
とはいえ、よく考えれば特に何もやっていないのは女子たちである。何をするわけでもなく大部屋で今後のことを想像しながら話し合っていると、クローが侍女を伴って現れた。
お茶と菓子が持ち込まれ、今日の講義が偏っていたことを謝罪された。
その上で、女教師とクローは穏やかに話をしていた。
「それにだ、私としては貴女に敬意を表している」
「私にですか?」
「貴女は本職の教師だろう? 既に生徒たちの親から給与を受け取れる状況ではない。にもかかわらず、生徒を保護しようとしている。それはとても尊いことだ」
クローにその気がないことは明らかだったが、それでも誰もが顔を赤くしてしまう。
勇壮な美男子が女性を褒めれば、それはどうしてもそういう目で見られてしまうのだ。
「わ、わたしは、そんな大したものでは……」
「職務に忠実な人間は信頼できる。特に、非常時でもそれが徹底できるものはな」
ふう、とため息をついた。
クローは昔のことを思い出しているようだった。
「結局のところ、人は勝手なのだ。自分が兵士の時は安全に戦う士官を求める一方で、自分が士官になれば武勲を求める。自分が命を捨てて戦うことを嫌がるくせに、他人へはそれを平気で強いる。それは仕方がないことだが、それを恥と思わないのは愚かだ」
「そ、そうですね……」
「貴女は立派だ。生徒が望んでいるかどうかはともかく、生徒にとって必要な教師であり続けている。どうか今後も、彼らの力になってあげて欲しい」
覚悟はできているつもりだったが、生徒が死ぬのは気分が良いものではなかった。
彼女が生徒を戦場に送り出したくない気持ちも、男子生徒が戦場に駆け出したい気持ちもわかる。
だから、どちらでもよかった。あきらめなくても、あきらめても。
「……さて、女性たちに私が講義をするのもおかしな話だが……」
男子たちは全員、戦場に出向かないという決断をした。
極めて正しい判断であろう、野球が嫌いなのにプロ野球選手を目指すようなものである。
「サンスイ殿やサイガ様とのつながりを求めて、二ホン人と結婚したがる者もいるだろう。ありていに言えば、玉の輿だな」
なるほど、あり得ない話ではない。
山水の弟子を欲しがった領主も多くいたが、その理由の一つにはそうした下心もあったのだろう。
「止めた方がいい。できることなら君たち同士、あるいは国外の働き者と結婚することを勧める」
自分より格上の相手と結婚するな。
それは女性たちには少々酷な話だとは分かっているが、それでもクローはそう言わざるを得なかった。
なにせ、この世界のこの時代、この地方である。
格上の相手に嫁ぐと、たいていいびられる。
「男子が陽気で、正々堂々としている、というわけではない。ただ、女性が陰湿ではない、とは君たちも知っているはずだ。それが、今までの数倍になると思ってくれ」
それを聞いて、教師も女子生徒も青ざめていた。
このクラスに『イジメ』と言えるものはないが、それでも集団で生活していれば『そういうこと』とは無縁でいられないのだ。
「格上と結婚した場合、周囲の女性全員が敵になると思った方がいい。義母や義姉妹だけではなく、給仕さえ君たちへ憎悪を向けるぞ」
それはわかる。
シンデレラストーリーは、周囲から見れば嫉妬の対象以外の何物でもない。
彼女たち自身は身寄りがなく、切り札たちと同じ国の出身というだけである。
簡単な話、彼女たちをイジメても誰も怒らないし困らないのだ。
そして、男性が味方になればなるほど、女性は敵意を燃やすものである。
「ご忠告、ありがとうございます……」
「こんな言い方はどうかと思うが、幸せは自分の手でつかんだ方がいい……」
とても後ろ向きな応援だった。
同じ言葉は聞いたことがあるが、こんな使われ方をしたのは初めてではないだろうか。
「……異世界なのに、夢が無いね」
「ま、まあね……異世界でも女の子だもんね」
「私たち、友達だよね?」
「そうだよね、いじめはよくないよね……」
異世界に迷い込んだクラスメイト達、その結束は固く結びつき合う。
そう、困った時ほど、お互いを助け合うのだ。
「……そう言えば、クローさん……様は、バトラブの貴族なんだよね?」
女子生徒はふと気になったことを聞いてた。
異世界の人間からの嫉妬というのなら、他でもない切り札たちはどうなのだろうか。
特に武芸指南役総元締めとやらではなく、次期当主になっている祭我に対しては。
「この世界の人たちって、祭我のことをどう思っているの?」
「お世辞でも何でもなく、バトラブの当主として認めているとも。以前には不満もあっただろうが、今となってはそんなことを口にする者はいない」
やはり本人たちが言えないことではあるが、チート能力で大活躍したから英雄になれた、である。
本人たちがチート能力や武装相応に活躍し、アルカナ王国を滅亡の危機から救ったのだ。
であれば、民衆も貴族も、王家でさえも彼らを称えるのは当然だった。
「もしも、仮に、彼らを侮辱する者がいれば」
憎悪をにじませ、彼は独り言のように忠告した。
「その周囲ごと、アルカナの敵となるだろう。諸君らも気を付けるべきだ」
「は、はい! わかりました!」
「そうした方がいい、どこに耳があるのかわからないからな」
女性陣は、なぜ山水や祭我が二人で自分たちの前に現れたのか理解していた。
考えてみれば、自分たちはほぼ全員で二人を罵倒していたのではないだろうか。
あの二人はそれを察していたので、己たちのことを慕っているアルカナ王国の面々にその現場を見られないようにしていたのだ。
「これは教師がいるのならあえて言うことではないが……故郷の知識というものを過信しない方がいい。諸君らはこれから農業の指導を受けるが、基本的にはその通りにするべきだ」
これから、彼らは労役を経て農村へ行く。
それはなれない新天地での、なれない農作業である。
いろいろと大変であろう。
しかし、それでも新しい気分になるべきだと言っていた。
「これはサンスイ殿からの忠告だが、この世界で日本の知識を活用しようとすると、絶対にろくなことにならないそうだ。専門家ではない者の『知識』には中身が無い、実体験の伴わない知識はただ危険なだけだ」
※
一方その頃、ドミノでは。
「お前が右京だな!」
アルカナ王国は戦火に焼かれたが、幸運にもドミノはほぼ無傷だった。
既に革命からの復興を終えていたドミノは、革命を主導した右京が皇帝へ即位することによって、新生ドミノ帝国へと変化していた。
とはいえアルカナ王国の属国のままであり、右京の頭の上に新しく作られた皇帝の冠が輝いているだけなのだが、それでも共和国から帝国へ戻っていた。
「民衆を扇動しこの国を転覆させ、それどころか皇帝を名乗った!」
それをこの世界へ来た日本人が聞けば、どんな極悪人なのかと思うだろう。
皇帝の一族や貴族を皆殺しにし、隣の国の力を借りて自らが皇帝に即位した独裁者。
義憤に燃えて、文句を言ってやろうと思っても不思議ではあるまい。
「どんなチートをもらったのか知らないが、恥ずかしくないのか! 日本人なのに皇帝とか、ぶっちゃけ痛いんだよ!」
とはいえ、今までも国家の最高権力者だった右京である。
その彼に対して、いかに日本人とはいえ軽々と接触できるわけもない。
「この国を、この国の人たちに返せ! 民主主義にするって約束したんだから、ちゃんとやりきるんだ!」
しかし、この国へ訪れたばかりの彼は、すんなりと城の奥へ案内されていた。
「なにか、言ったらどうなんだ!」
「……俺は右京さんじゃないんだが」
とはいえ、その彼より先に来ていた『先輩』に会えたというだけで、右京に会えたわけではないのだが。
「……違うの?」
「ああ、違う。右京さんは今、別件でこの城を離れている。そのことを言おうと思っていたんだが……」
応接室で机を挟んで椅子に座って向き合う『先輩』と『後輩』。
二人の間に、妙な沈黙が流れていた。
「少しは落ち着け」
「……はい」
それなりの紅茶が机の上に置いている。
それへ手を伸ばすことなく、二人は話し始めた。
「なあ、右京って、本当に日本人なのか?」
「ああ、俺と違ってチート持ちだがな。お前は?」
「俺はチートをもらってない。ただ、何もしないわけにはいかないと思って、こうして城に来たんだ」
同じ日本人が、異世界の国をのっとっている。
仮にも民主主義を掲げたのに、それを翻して皇帝になったのだ。
それはよくないことであろう。
「気持ちはわかるが、落ち着け。右京さんは確かに皇帝になったし、それ以前から独裁者だったらしいが、この国の為に頑張っているよ」
「……いや、駄目だろソレ」
「いやいや、あの人が皇帝になった方が、この国には良いことなんだよ。民主主義は、この国には早すぎる」
達観したようなことを言う先輩。
それに対して、後輩は苛立っていた。
「アンタ! まさか右京に懐柔されて、うまい汁をすって、それで味方になったっていうのか?!」
「右京さんの部下になった、というのならそうだな」
「この国の人を支配して、搾取するつもりだな!」
「……その場合、お前はどうする?」
声を荒げる後輩へ、先輩は静かに訪ねていた。
「決まっている、この国からお前たちを追い出して、民主主義を今度こそ成立させてみせる! チート持ちが勝手に政治をするんじゃなくて、選挙で選ばれた人が政治をするようにするんだ!」
「そうか、それじゃあそうしてくれ」
「……え?」
「別にいいぞ、と右京さんは言っていた。選挙がしたいなら、手を貸すとも言っていた」
「……それって、得票数を操作する気じゃないだろうな」
「そんなことはない。少なくとも、選挙のやり方は任せてもいいと言っていた」
なぜこの場にいない右京が、過去形で許可しているのか。
それを疑問に思いながらも、後輩は声を更に張り上げていた。
「いいんだな、俺が選挙のやり方を決めても! 絶対に不正がないようにするぞ、俺が決めたとおりにやってもらうぞ!」
「ああ、どうぞ」
先輩は白い紙とペン、インクを机の上に置いた。
「……なにこれ」
「筆記用具だ、これに書け」
「本当に、俺が一から書いていいんだな?」
「ああ、勿論だ。だが、いきなり書けと言われても困るだろう。物は試しだ、百人ぐらいの小さな村の、その村長を決めるという前提で書いてみたらどうだ?」
確かに何もない状態からいきなり国家全体の選挙を決めるのは、想像することも難しいだろう。
小さい村という前提は、選挙のとっかかりとしては想像しやすかった。
「……わかった」
「それじゃあ、しばらく席を外す。書きあがったら、部屋の外にいる衛兵に声をかけてくれ」
明らかに、先輩は後輩を見くびっていた。
どうせ何もできはしない、適当にあしらって追い返そう。
そんな魂胆が、余りにもあけすけだった。
「……絶対に、なんとかして見せる」
そうやって突き放されたからこそ、後輩は燃え上がっていた。
日本で学んでいた知識をもとに、不正がないように選挙の方法を書いていく。
そうして、しばらくして。
彼は数枚の紙に、選挙の方法を書き上げていた。
何度か見直して、不備がないと判断する。
その上で、衛兵に声をかけて、先輩を呼び出していた。
「おお、書けたのか」
「ああ、ばっちりだ! この通りにやってもらうぞ」
後輩が渡してくる数枚の紙、それを受け取った先輩は一切読もうとせずに机の隅に置いた。
「な、何するんだよ!」
「読む必要が無いだろう」
「なんでだ!」
すっかり冷めていた紅茶を飲んだ先輩は、後輩へとても根本的なことを訪ねていた。
「お前、村長の仕事知ってるの?」




