足軽
簡単に強くなれる方法があるという。
であれば先ほどの持久走はなんの意味があったのか。
男子生徒も女子生徒も、誰もが不満を抱いていた。いや、不満と言うよりは疑問を抱いていた。
なぜわざわざ、先に疲れるほうを紹介したのだろうか。
もちろん、悪戯心と言う可能性もある。
しかしどうにも、彼にはそんな邪気があるようには見えなかった。
変な言い方だが、彼には不信感を抱けない。
相手が日本人ではなく現地人ということなのか、それとも生粋の貴族だからなのか、とくにひがむこともなく受け入れることができていた。
彼の行動には、特に裏表はないだろう。そう思えてしまうし、疑う自分を恥じる気持ちさえ湧いてくる。
「さて、場所を変えさせてもらったのだが……注意しておかなければならないことがある」
王都の外からそれなりに移動した彼らは、いくつかの道具が準備されている城の運動場へ案内されていた。
そこでクローは、とても真剣な顔になる。遊びがない、大事なことだと分かってしまう。
「これから諸君らに、アルカナ王国で運用が検討されている『特別な武器』について説明をする。これははっきり言って、知る必要のないことだ」
全員が生唾を呑んだ。
顔のいい男、体格のいい男が真顔になると、迫力が凄まじかった。
「そのうえで、先に言っておく。仮に諸君らがこれを盗んだ場合、あるいはこちらの指示に従うことなく触った場合」
当たり前で、とても普通のことしか言わなかった。
「殺す」
あくまでも忠告だった。
クラスの全員に対して悪意はかけらもなく、むしろ善意によるものだった。
その一方で、ためらわずに殺すという雰囲気が、彼の言葉からにじみ出ていた。
「仮に私を返り討ちにすることができたとしても、異常を察して現れた誰かが殺すだろう。そうした気持ちをもって、私の説明を聞いてほしい」
人を簡単に殺せる武器を、どんな気持ちであれ盗み出す、あるいは勝手に触る。なるほど、殺されても文句は言えまい。
別におかしなことを言っているわけではないし、難しい注文をしているわけでもない。
普通なら言わなくてもわかることではあろうが、一応言っておかねばバカが出ると考えたのだろう。
「もちろん、それ以外は許すとも。別に秘密兵器と言うわけでもないし、先日の戦争では一般の兵士も見ているからな。言いふらしても咎はない、と思ってほしい」
危害を積極的に加えたいわけではない、と笑っている。
まあここまで労力を割いたうえで、あえて殺したいとは考えにくいのではある。
それでも、殺す、と言われてしまえば緊張するのは当然だろう。
「怖がらせてしまったが、実際にその力を見れば誇張ではないとわかるだろう」
考えてみれば、この世界に来てから実際に『魔法』や『武器』を使うところを見るのは初めてである。
クラスメイトたちは悪ふざけのないように気を引き締めつつも、クローの行動を見守っていた。
「これはスクロールと言う道具だ。使い捨てではあるが、封じられた魔法を使用することができる」
目標らしき、運動場に立たされている鎧を着た人形。
それの周囲に誰もいないことを確認してから、クローは巻物を縛っていた紐をほどいた。
すると一気に巻物は広がり、その内側から人間一人を飲み込みそうな、巨大な火の玉が発射された。
流石に銃弾ほどではないが、放たれた矢にも匹敵する速度で直進し、鎧を着ている人形へ着弾していた。
金属の鎧そのものを溶解させるほどの温度はないようではあるが、それでも人形そのものを構成していた木や布は燃え盛り灰になっていった。
仮に人間へ直撃していれば、どうなるのかなど考えたくもない。
火。
何の変哲もないそれが、どれだけの破壊をもたらすのかを全員が驚嘆しつつ見守っていた。
「もう十分だろう、火を消せ!」
クローの指示の下で、軽めの鎧を着た男たちが現れる。
そして、己の掌から水を放出し、燃え盛る炎を消していた。
「さて、諸君らに再度問う。これを盗む、勝手に触るものが殺されるのは残酷かな?」
真剣な問いだった。
誰もが言葉を失いながらも、首を左右に振っていた。
「この道具は本来とても貴重で高価、製法も国家機密として扱われ、呪術師の家系同様に製作者は保護されている。しかし現在ではウンガイキョウによって量産が可能になっており、一般の兵士にも渡せるようになった」
誰でも使えるが、決して安全ではない。
新米兵士へ言い含めるように、クローは丁寧な説明をしていた。
「諸君らがもしもこれを使うようになっても、上官の指示に従い厳重に扱うように。使用済みのスクロールは、こうして裏表を反対にして巻き取るか、あるいは切断してわかりやすくすることだ」
とはいえ、女子も教師も納得する。
男子たちは克土に限らず、全員が羨望のまなざしを向ける。
まさに魔法の道具であり、ある意味ではよく知られているものだ。
空に島が浮かんでいるわけではあるが、実際に異世界の道具を見ると興奮してしまう。
「このスクロールを大量に持ち、これを専門的に使用する兵科をスクロール兵と呼んでいる。もちろんスクロールそのものの扱いには注意が必要だが、訓練の必要性は大幅に下がっていると言えるだろう」
この道具があれば、自分たちもド派手な魔法が使える。
すぐ支給されるわけではないと知っていても、鼓動が早くなってしまうだろう。
「さて、今のスクロールほどではないが、やはり危険な武器についても説明しよう」
そう言って手に持ったのは、非常にシンプルなデザインの槍だった。
どこか中華風の印象を受ける、錐のような穂先をしている槍。
それを西洋の騎士がもつと違和感があった。
「これは如意金箍棒の一種であり、宝貝と呼ばれる長命者の作った武器だ」
「如意棒?!」
「……いや、ニョイキンコボウだが……」
西遊記でとても有名な、孫悟空のもつ武器。
もとは海の深さを測るためのモノサシだったというそれと、仙人の武器だという宝貝。
つながっているようなつながっていないような、何とも言えない奇妙な気分である。
「本来なら耳の穴にしまえるほどに小さくできるのだが、それでは逆に紛失しやすく盗難もされやすいのでな、あえて通常の槍より少し短い程度にしてある」
そう言って、新しく設置された鎧人形へ穂先を向ける。
当然、その人形との距離は大いに開いており、普通に考えれば投げでもしない限り届かないだろう。
だが、教師でさえこの後何が起きるのか察していた。
「伸びろ!」
先ほどの炎よりも速く、流星のように槍が伸びる。
踏ん張っているクローの腕から遠く離れた標的に命中し、そのまま貫いていた。
「縮め!」
一瞬で元に戻る槍。
なるほど、伝説に聞く如意棒そのものだった。
「これを装備した槍兵が並べば、まさに槍衾となるだろう。今回の戦争では大いに疲弊したので、再度の大戦争など冗談ではないが……備えとしては必要なのでな」
とん、と如意金箍棒を元の場所に戻すクロー。
彼は改めて説明を再開していた。
「この道具もまた、訓練期間が短くて済む武器だ。君たちも使う機会が訪れるかもしれないな」
さて、いよいよわからない。
祭我や山水の指示で指導を行っていたはずなのだが、なぜ生徒たちを戦争へ駆り立てるような情報を教えているのだろうか。
「もちろん、兵士に体力は必要なのである程度、持久走の訓練を課すこともある。しかし、そこまで重い装備でもない。よって、短い訓練でも十分と言えるだろう」
「それじゃあ、俺はそれになりたいです!」
克土は目を輝かせながら手を伸ばしていた。
ようやく、ようやく自分でも戦場で輝ける『都合のいい展開』に出会えていた。
これなら今の自分でも頑張れる、やり遂げられる、武勲を上げられる。
そう信じていたし、実際にそうだったのだろう。
「そうかそうか、ではその時が来たときはよろしく頼むぞ」
「……いえ、今すぐにでもなりたいんですが」
「それは無理だな、私の裁量でもどうにもならない」
全員が首をかしげていた。
量産が可能な装備ばかりであり、一般の兵士にも渡すことができる。
であれば、それを雇うことになんの問題があるのだろうか。
「今説明した二つの兵科には利点がある。ウンガイキョウのおかげではあるが、装備が簡単にそろえられること。資質や適正に左右されず、訓練期間も短くて済む」
とても素晴らしい、合理的な兵科であるように思える。
「つまり、常備軍として雇う意味がない」
それを聞いて、いよいよ男子たちはあきらめるしかなかった。
克土でさえ、今の説明に抗議することなど考えもしない。
「……おっしゃる通りですね。長期の訓練が不必要なら、正規兵として雇う意味がない」
女教師は納得していた。
最初に『給料のいい兵士』を紹介したのは、正規兵として雇われるにはこれだけの訓練に耐えなければならないと教えるため。
次に『訓練の必要ない兵科』を紹介したのは、『簡単に強くなれる方法』を聞かれたから。決して『給料がいい上で簡単な兵科』を説明したわけではないのだ。
「つらく苦しい訓練が必要な兵士だからこそ常備軍として、正規兵として雇うのであって、そうでないのなら戦時徴用で十分だと……」
「おっしゃる通りだ。そもそも訓練の必要がないのなら、普段は何をするのかという話になってしまう」
世の中そんなに甘くないということであった。
「ちなみに、如意金箍棒を装備した兵科は『棒足軽』だそうだ」
※
改めて、男子生徒たちが寝泊まりをしている大部屋に移動する。
この部屋を出る前の、希望たっぷりの表情をしたものは一人もいない。
「さて、どうだったかな? 兵士の訓練を体験したり、強力な武器を目にするのは」
クロー・バトラブに対して批判的な目を向ける男子はいなかった。
彼の行動に嫌味さを感じている女子もいないではないが、咎める気にはなれなかった。
持久走をして体力の差を教え、便利な道具を見せて努力をしなくてもいいと教えただけだ。
今からでも男子たちが『兵士になりたい』と言い出せば、今からでもクローは兵士として迎え入れるだろう。
だが、それには当然のように、過酷な訓練が待っている。
「察しのように、私は君たちへ戦場の現実を教えるために参上した。今回の体験を経たうえで、私はさらなる講義をしなければならない」
切なそうな、寂しそうな、憂う表情になった。
「諸君らは、兵士に最低限必要なものを知っているだろうか。もちろん、知らないなら知らないでそれに文句も不満もないのだが」
「強さ、ですか?」
意気消沈している克土は、それでも一応挙手していた。
当人にとっては真理であろう言葉を、しかし真理ではないと否定するクロー。
「違う。私も一時期勘違いをしていたのだが……兵士に『最低限』必要なものは、強さではない」
強ければそれにこしたことはないが、最低限必要となると違う。
それを、山水や祭我から教えられたことを思い出していた。
「『命令』への忠実さだ」
先日の戦争で任務を全うした、部下たちを思い出していた。
「上官の命令に従わなければ、それは兵士ではない。そういう意味でも、切り札の五人は見事に兵士だったと聞いている」
切り札の五人。それがチートを持つ日本人のことだと察するのは簡単だった。
「よって、兵士が戦場で死ぬのは『弱いから』ではない。戦場に赴き、任務を全うしたからだ」
決して譲れない一線だった。
自分の部下たちを侮辱する発言に対して、クローは怒りをにじませていた。
何も知らないとはいえ、何もわかっていないとはいえ、あの彼らを侮辱したことは許せなかった。
それを飲み込んで、彼は語る。
「君たちが兵士になり、正規兵として認められたとしよう。その次の日に戦争が始まったとしよう。その場合、当然君たちは訓練が足りているとはいいがたい。だがそれでも、自分の努力が足りないからと、実力不足だからと、戦場に立たずに安全な場所へ残れると思うか?」
努力を語る者へ、残酷な真実を語る。
努力を美化し神聖視し、努力をする者こそ至上とする世間知らずへ、現実の過酷さを語る。
「答えは否だ。兵士にそれを選ぶ権利はない、あくまでも作戦決定権は将官にある。拒否すれば、敵前逃亡として処刑されることもあるだろう」
現実はゲームとは違う。
自分の力量に合わせて戦場が構築され、適正な判断をすれば生き残れるというものではない。
そもそも、そんな選択肢は『兵士』にはない。戦場も判断も、行動さえも上官が決定するのである。
「努力をすれば強くなれる。それは確かだが、そんな『贅沢』が許される兵士は稀だ。国家が兵士を雇用するのは、兵士を強く育てるためではない。それは手段であって目的ではないからだ」
身の程を知らないくせに、自分のことしか考えていない生徒たちへ、甘えるなと語っていた。
「そして常備軍に属している正規兵たちも、別に鍛錬が好きなわけではないし、命知らずばかりでもない。彼らにとっても鍛錬は過酷であり、死んでもいいと思っているわけではない。その彼らと同じ扱いを受けたいというのなら、相応の覚悟を持って臨んでほしい」
切り札二人が言いたくても言えなかった、言う資格がないと思っていたことを口にする。
「どれだけ過酷だったとしても、自己鍛錬は他人の利益にならない。あくまでも自己投資であり、本来であれば自活しながら合間を縫って行うものだ。誰かに保護されながらでは、どれだけ努力しても諸君らへの評価につながることはない」
山水も祭我も、自覚しているからこそ恥じてしまうのだ。
「こうして異邦へ来てしまったのだ、いい加減自覚するべきだろう。君たちが今まで『してきた』と思っていた努力は、誰かに『させてもらっていた』ということを。今までは努力『できた』としても、これからは努力をする『暇』もないということを」




