兵士
日本は技術立国だとか技術大国だとか、そういう話もある。
しかし、全員が全員高度な技術に関わっているわけではないし、そもそもの問題として『素材から完成品』まで一人で作っているわけではない。
同様に、この世界の住人も曖昧でいい加減な『常識』の中で生きている。
この世界における『魔法』のルールを全員が熟知しているわけではないし、そもそもそんなに重要なことではない。
日本人がガス、電気、水道の仕組みを良く知らずとも利用するのと同じである。
重要なのは原理や製造方法ではなく、利用方法であり手順だからだ。
この世界、あるいはこの周辺では、法術、呪術、魔法が知られている。
法術は癒しの技、それを使うものは医者として認知されている。
呪術は刑罰の技、それを使うものは執行人として認知されている。
魔法は戦争の技、それを使うものは戦士として認知されている。
怪我や病気をすれば、法術使いにカネを払って治してもらう。
度を越えて悪いことをすれば、呪術師に呪われてしまう。
魔法が使える者と戦ってはならない、彼らは戦闘の専門家なのだから。
と、基本的な知識である。
子どもに言って聞かせるような内容だが、逆に言えば子供でも知っておかなければならない話である。
「まあ、呪術師はそんなにたくさんいるわけではないので、実際にはもっと短絡的な刑罰が多いですね」
「体を石に変える術は、そう簡単には治せない……いえ、人間には治せない」
山水は自分の顔に張り付けてあった『皮』を剥いだ。
日本から来たものを驚かせることはできないと、それなりに気を使った結果である。
顔の石化を治すことはできないが、その上に皮膚を張り付けることはできる。
その辺り、大天狗は本当に天才であった。
「これが、呪術……貴方は罰を受けたのですか?」
人間を石に変える力。
なるほど、古典的を通り越して神話の時代から存在するものだ。
だが、自分の目の前に、体の一部が石化している者がその部位をさらせば、恐怖が湧き上がってくる。
女子は当然のこと、男子さえ言葉を失った。
教師だけが、後ずさりながらも聞くことができた。
「私の場合は、そうですね……少々特例でした。とても、とても変わった呪術の使い手と戦い、体の一部を石に変えられました」
山水は、見た目が幼い。
それこそ、高校生から見れば年下である。
教師だけは彼が『大人』であると察していたが、それもなんと無しである。
ただ、今の山水の所作は、明らかに年齢を重ねた男の立ち振る舞いだった。
「今は治っていますが、腕を斬り落とされたこともあります」
山水の表情には、薄い恐怖や深い後悔はなかった。
確かにあるのは、自分の戦績を語るなつかしさだけだった。
「私の未熟であり、相手が上手でした。辛くも勝利を拾えましたが……危ういところだったと思っています。私はそれでもよかったとは思っているのですが、やはり家族は許してくれず……」
戦うのは楽しいですけど、それは周囲の人を不幸にしますよ、と教えている山水。
なお、クラスの皆は『絶対戦いたくない』とおびえていた。
「まあ、レベルが足りなかったと言われてしまえばそれまでですがね」
怯えさせてしまったことを感じ取って、山水は誤魔化すように笑った。
「いやあ、レベルをもっと上げないと駄目ですねえ」
なお、まるで誤魔化せていない模様。
「さ、祭我! そろそろ、新しい先生をお呼びしよう!」
「いや……俺が言うのもどうかと思うけど、この空気でバトンを渡されたら困ると思うんだけど……」
「だって、お前に比べたら軽傷もいいところだぞ?! 別に手足が利かないわけでもないし!」
見慣れてしまったが、よく考えれば祭我の衰弱具合も大概である。
チートがあるくせにそこまで追いつめられたのだから、当人に努力が足りないというのは真理だろう。
だが、もう一つ見方がある。チートがあっても、ぼろぼろに追い詰められることはあるのだと。
まして、チートが無ければ、どうなるかなど考えたくもなかった。
「……そのですね、私たちもそれなりに忙しい。加えて、私たちと接触しすぎるのもよくないでしょう。そこで、現地の方をお呼びしました。一応念のため注意しておきますが、貴族であり武人です。私たちへ敬意を払えとは言えませんが、その方には最大級の礼儀をお願いします」
「どうか、失礼のないように……では、あの、クローさん、どうぞ入ってください!」
呼ばれて部屋に入ってきたのは、二人とは違って明らかに『貴族』という感じの、金髪の男性だった。
服装も立派であり、体格も立派であり、顔にも気品と勇敢さがみなぎっていた。
「ご紹介にあずかった、クロー・バトラブという。ニホンの方々、初めまして」
ありていに言って、イケメンだった。
この世界で多くの男と出会った山水や祭我をして、トオンに並ぶ質実剛健な美男子だった。
「お忙しいところ、すみません」
「いやいや、次期当主殿。こういう時に頼っていただけるのであれば、これに勝るものはありませんよ。貴方たちお二人のお役に立てるのであれば、光栄の極みというものです」
椅子に座ったままの祭我に対して、クローは敬意をこめてにっこりと笑っていた。
「ちょうど王都へ呼び出されておりましたし、いい機会でした。どうか私に任せて、気を楽になさってください」
如何にもいい人、という雰囲気である。
女子は目を輝かせ、男子も憧れの目を向ける。
女教師でさえ、顔を赤くしてしまっていた。
こういう時、美男子は得である。顔を出すだけで、周囲の空気を一変させてしまうのだから。
「さて、諸君。聞くところによれば、男子として成り上がりたい、という野心を持つ者がいるとか?」
体格からしてわかりやすく強者である。
その彼は、威風堂々たる威厳を放ちながら仕切り始めていた。
「今は国外から正規軍を雇うことはないのだが、私の裁量で許される範囲であれば雇用しよう」
いきなり、何もかもの前提を覆す発言だった。
今までの説明はなんだったのだろうか。
そう思わないでもないが、ありがたい話であった。
特定の一名に限らず、男子たちの多くは嬉しそうな顔をしてしまう。
「あ、あの?! 私たちは農村で働くのでは?」
「教師の方か……確かに、お二人であればそうするのだが……それは二人が慎み深いからだ」
どこまで行っても、山水も祭我も、新参者でしかない。
実績があり実力があったとしても、そう無茶はできないということだろう。
「二人が無理を言っても、誰も止めることはできない。この場の三十人を貴族としての地位を与えることも、一生遊んで暮らせる金額を渡すこともできる。誰も文句を言わないだろうが……それは不満が無いというわけでもない」
どうにかできるが、実際にはどうにかさせている、ということであろう。
上が無茶を言えば、負担は下にのしかかるのだ。
「お二人には権力も権威も、武勇も実績もある。だが、私財がないのだ。自分の自由にできる現金がない。加えて、同じ故郷の人間を優遇しすぎると悪目立ちしてしまうからな。だが私には私財もあるし、それなりには無茶を言っても許される」
二人には無理でも、自分にはできる。
そう語る彼は、全員へ雄弁していた。
「やる気のある人間であれば、環境を整えさえすれば大成できると私は信じている。君たちにも、そのチャンスがあるべきだ! どうだろうか、私の元で鍛錬を受ける気はないかな?」
「やります、やらせてください!」
そう叫んだのは、誰だったのだろうか。
一人だけではなく、男子の多くが挙手していた。
なんだかんだ言って、チャンスがあるならやってみたい、というのが男子の本音であろう。
いままであきらめろとか無理だとか、そんなことばかりだったのでなお嬉しそうにしていた。
「あ、あの……私の生徒は……」
「安心して欲しい、危険なことなど何もしないことは保証する」
子供たちを戦場へ送りたくない、あるいは人殺しなどさせたくない。
そう思っていた教師へ、クローは安心するように笑っていた。
「農村の仕事に精を出して欲しいのだろう? であれば、一度実際に体験してみればいいだけだ」
※
「農民と言っても、様々な職業がある。もちろんそれを一々説明するのは私としては不本意だし、そもそも専門家というわけでもない。だが、農民だからといって、全員が爪に火を点すような、つらく苦しい生活をしているわけではない。同様に、兵士と言っても全員が裕福なわけではない」
とても当たり前の話である。
兵士といっても、ヒラであればそんなにいい暮らしをできるわけがない。
農村からはじき出されて兵士になる、というパターンもある。
そんなに好ましい仕事、というわけでもないのだ。
「諸君らが成る予定の『農民』は、少し大きい街の警備兵より確実にいい暮らしだそうだ。もちろん、周辺のもろもろは違うがな。とはいえ、それ以下の『兵士』に君たちを就職させるのは心苦しい。そこで、それなりにいい暮らしが約束される基準の『兵士』としての訓練を体験してもらおう!」
王都の外、開けた草原。
そこで男子生徒たちが、兵士に交じって『走っていた』。
兵士たちはある程度武装しており、男子生徒たちは服を着ているだけである。
にも関わらず、その長距離走に遅れる生徒が多かった。
「がんばれ~~!」
「負けるな~~!」
「ほら、鎧を着ている兵士の人より遅いよ~~!」
見学している女子たちは、その光景を見ても能天気だった。
なにせやっているのは普通にマラソンである。まあ距離が違うのでマラソンではなく持久走なのだが。
女教師も、それを見て安堵している。
これで妙に好成績を出していたら、それこそへんにやる気を出す生徒がいたのかもしれない。
しかし、『普通の男子高校生』しかいないクラスの男子である。
クローが言うところの『いい給料をもらえる兵士』に勝てるわけがなかった。
「どうした、諸君! まだまだ訓練は始まったばかりだぞ!」
誰よりも重武装をしているのに、全体の先頭を走るのはクローだった。
彼は余裕さえ見せながら、後方へ向けて鼓舞していた。
「ぜぇ……ぜぇ……」
運動部に所属している生徒たちは、まだついていくことができた。
舗装されていない道ではあるが、普通の長距離走なので何とかなっている。
だが、徐々に離されていった。無理もないだろう、普段から高いレベルで鍛えている者と、緩い部活を楽しんでいる者では鍛錬に開きがあって当然だ。
「ひぃ……ひぃ……」
まして、普段から運動不足の男子では、女子よりも体力が無くて当然である。
そんな彼らが、持久走でついていけるわけもない。
「はぁ……はぁ……」
肺が熱い、喉がつらい、足が痛い。
この世界に来て、初めての長距離走だった。
地球にいた時と何も変わらない、普通につらい作業だった。
「ううぅうううう……」
普段から努力をしている兵士やクラスメイトに置いて行かれている。
追いつこうと踏ん張るが、どうにもならない。
自分の後ろにはすべてを諦めて座り込んでいる生徒も多いが、自分はそんな根性なしとは違うのだ、という意識を持って前へ進む。
前へ進んでいるが、這うような遅さだった。
「……も、もう……」
自分で言ったことを思い出す。
努力している者が強い、努力している者がエライ。
才能よりも、努力の方が大事だ。
それを、身をもって経験していた。
「もう、駄目だ……」
当たり前である。
気合いと根性だけで持久走ができるのなら、逆説的に言って誰も努力などしない。
いくら若いと言っても、運動不足では長く走り続けることなどできるわけもないのだ。
「ち、ちくしょう……」
※
「どうだったかな? 兵士の訓練を体験してみて!」
持久走を終えたクローは、流石に汗をかいていた。
兜を外している彼の笑顔は、それだけでも男の魅力が溢れている。
とはいえ、他の生徒たちはへたり込んでいた。
本気で鍛えている大人との差を痛感した運動部の生徒もいるし、そもそも運動していない生徒は『現実』を思い知っていた。
世界が変わっても、自分が変わっていないという現実であった。
「彼らはこの後にも訓練を行うが、それは少々危険を伴うので、ここまでにしよう! 彼らの邪魔をするのも心苦しいのでな!」
クローの言葉を聞いて、女教師は安堵していた。
持久走をしただけでへばっている生徒たちをみて、この世界がつくづく現実なのだと安心する。
地球に比べてこの世界の人間がひ弱とか、この世界に来たら日本人は皆強くなれるとか、そんなことは一切ないのだ。
チートさえなければ、一流の兵士にはなれないのである。
「それなりの給料をもらっている兵士は、それなりにつらい訓練に耐えているということだ! 今後は彼らに敬意を持ってほしいな」
考えてみれば、この世界の兵士とは警察官であり警備員であり、普通の兵士でもある。
その全員が同じぐらいの強さというわけがないし、同じぐらいの給料であるわけがないし、同じぐらいの訓練に耐えているわけがないのだ。
「もしも君たちがこの訓練に耐える自信があるのなら、私の責任の下に兵士として雇おう! もちろん、君たちの才覚次第では更なる上も約束するぞ!」
クローの笑顔に嫌みはない。
実際、この訓練に耐えられるだけの気骨があれば、それはそれで厚遇するつもりだった。
とはいえ、それは難しいということも、見るからに明らかだったのだが。
「私の生徒は、皆が農村への就職を希望しているようです」
無邪気な女子たちに笑われている男子たち。
彼らはすっぱり、すんなりと諦めることができていた。
ごく一部を除いて、ではあるが。
とはいえ、その彼も『努力すれば』という言葉を口にできないようだったが。
「そうか……それは残念だ」
「ええ……私としては、安心ですが」
農民をやっているうちに、やっぱり兵士になればよかった、と考える男子は結構出ただろう。
だが、実際に訓練の一部を体験してみれば、そんな気分は失せただろう。
この世界でも農家は3K、汚い、キツイ、危険なのだろう。まあ、危険だけは違うかもしれないが。
だが、兵士は更に過酷である。3Mである。つまり、もっと汚い、もっとキツイ、もっともっともっと危険なのだ。
「ねえ、あの……えっと、クローさん」
女子生徒の一人が、まぜっかえす発言をした。
「もっと簡単に強くなれる方法とか、楽な兵士の訓練はないの?」
「もちろん、あるぞ!」