奇跡
取り立てて語るほどのことがあるわけでもない。
祭我は普通に療養し、普通に棺桶から抜け出ることになった。
花が咲くように、というと誇張が過ぎるが、祭我を格納していた棺桶は役割を終えて割れた。
桶を繋いでいた縄がほどけ、中に納まっていた土もパカリと割れて、祭我は大気に首から下をさらした。
「お、おおお……」
周囲には、バトラブの面々がいる。
トオンを含めて、他の家の者は一人もいない。
しいて言えば、大天狗とフサビスが医療の責任者として立ち会っているぐらいだろう。
文字通り、裸で放り出された祭我は、その肉体を己の義父や女たちにさらしていた。
もちろん、バトラブの当主もフサビスも、祭我の全裸など見たことがない。
しかし、それでも確実に言えることがある。今の祭我は、確実に不健康である。
「や、やっぱり……目にすると、きっついなあ……」
まるで子供のように、涙ぐみ始める祭我。
その眼には、確かに衰え切っている自分の体が映っていた。
一切痛みはないが、そのかわり力がまるで入らない。
つるつるとした肌には生命力がみなぎっているが、その下には丸いぜい肉しかないようだった。
赤ん坊のような肉体、といえば大体合っているだろう。
肌に張りがあるのでだらしないとは思えないが、それでも戦う男の肉体ではなかった。
「おおよしよし。流石俺が作った宝貝だ、よく治ってるじゃないか」
「そうですね、ロースはいい治療をしました」
とはいえ、そこは医療従事者たちである。
祭我の治療がひと段落したことを視覚でも確認して、一安心であった。
セルとフサビスは祭我の体を見て、素直に喜んでいる。
祭我につられて泣きそうになっていたバトラブの面々も、涙が引っ込んでしまった。
けっこうひどいことを言っているような気もするが、蟠桃の症状から回復していることは明らかなので怒るに怒れない。
そう、みるからに命に別状はなさそうで、ある意味では健康そうな体である。
少なくとも、やせ細って皮と骨だけになっている、という感じではなかった。
「さて、となると……次は体にゆっくりと筋肉をつけていかないとな」
「そうですね、『適度』な運動を行って、正常値に近づけましょう」
そうして、どんどん診断が続いていく。
泣いて、そのまま抱きしめて、慰めるつもりだったハピネたち。
しかし彼女たちを置いてけぼりにして、ずいずい話は進んでいく。
感動よりも診察、慰めよりも処置である。
そんなことは、セルが来た時からわかっていたことだ。
「本当は全部宝貝にとっかえるのが一番なんだが、それは断られたしな。やはりここは、骨肉羽織で何とかしよう。客の本当に求めているものを作るのが超一流だ」
「体を全部代替することをどこの誰が求めているのか知りませんが、確かにおっしゃる通りですね。私が補助しますから、体に固定してください」
ぷっくりと筋肉の落ちている祭我の体は、見るからに歩行が不可能そうだった。
その体へ、木でできた骨組みや分厚い布などを巻いていく。
しばらくするとそこには、素肌に布を巻き付けられている、局部がむき出しの男がいた。
確かにそこには、筋肉は最初からないのであろう。だが、隠してほしいのが祭我の心境であった。
「これは骨肉羽織という、呼吸する宝貝だ。つまり祭我本人の気血を消費することはない。再現している術は、軽身功や気功剣だな。効果としては、見ての通りの運動補助だ。もう立てるだろ?」
言われるがままに、祭我は立ち上がろうとしてみた。
局部はむき出しのままだが、何とか立ち上がることができる。
まるで水の中にいるようで、体がとても軽くなっている。
その一方で、体の重心も安定している。まるで姿勢を制御されているようだった。
「どうだ、自力で立てるし歩けるだろ?」
「あ、はい……」
「一応言っていくが、走るなよ。走ろうとしたら転ぶからな。そのまま骨折と言う可能性もある。体勢が急に変化したら、全身を空気よりも軽くする機能はつけているけども、過信するなよ」
祭我は思い出していた。
地球に自分がいたときは、まだ開発段階だった介護用パワードスーツのことを。
これは介護する側ではなく、される側が着るものだが、分類としては介護用パワードスーツだろう。
てっきり車椅子やら松葉杖やらが出てくるかと思ったが、想定をはるかに超えるオーバーテクノロジーが祭我を包んでいた。
作成された年代を考えればオーパーツなのかもしれないが、とにかく日常生活に支障はなさそうである。
「後でつけ方をお教えしますので、皆さんで支えてあげてください」
フサビスがハピネたちにそう進言した。
確かに一人で脱着をするのは難しいだろう、親しい女性がいるのならお願いするべきである。
(貴族なんだから女中にでもやらせればいいとか、そもそもフサビスが雇われてやればいいとかは禁句である)
しかし、思ったよりも支える難易度が低くなっていた。一人でやるならともかく、三人でやるのなら負担も分散されるであろうし。
いいか悪いかで言えば良いのだろうが、それでも拍子抜けと言うかあっけにとられてしまう。
流石一万年以上技術革新を起こし続けてきた男、大抵のものは作ったことがあるらしい。
「サイガ、よく聞け。お前の体は、蟠桃の食い過ぎで焼き付いている。仙人なら自力で治せるし、そもそも焼き付くようなへまはしないが、お前は仙術を修めていなかったからな。体の衰え同様に、時間をかけてゆっくり治せ」
「はい……」
「術は使うな。まあ使おうとしても発動さえうまくいかないだろうが、使おうとすること自体が完治から遠ざかると思え」
「はい……」
「護衛は多めにな、最悪のことも考えて動けよ」
スイボクもそうなのだが、まじめにまともな話もできるのが長命者の長命者たるゆえんであろう。
言っていることはとてもまともなので、訂正の余地がどこにもない。
「では、専門的な話ですが……できるだけ、継続的に全身を動かしてください。少し動いただけでもすぐ疲れるでしょうが、こまめに休憩を取りながら、無理のない範囲で、生活習慣として数年間実行してください」
フサビスからも、比較的常識的な指導が入った。
祭我も初めて見た、女性の長命者。
仙人ではなく天狗だという彼女は、見た目に合わないきびきびとした口調をしている。
大天狗の方が子供に見えるのだが、それでも見るからに年下の少女からそういわれると違和感が強い。
「蟠桃の副作用が一番濃く出るのは、消化器官です。長く棺桶に入っていたのでその分良くなっているとは思いますが、逆に衰えてもいるでしょう。食事のときは、意識をして噛む回数を増やしてくださいね。歯と舌は、立派な消化器官だということを忘れないように」
「はい……」
考えてみると、仙人やら天狗やらは、基本的には普通のことしか言わない。
元は日本人である山水でさえ、そういう面があった。
長命者は長く生きているのだろうが、専門的な分野に関しては合理主義者なのかもしれない。
「それから……」
「ああ、その、すまないが……」
説明を続けるフサビスへ、バトラブの当主が声をかけた。
別に軽視しているわけではないし、特に倫理的な問題が生じているわけではないのだが、話をもう少し後にしてほしいのである。
「私の息子に、服を着せてほしいのだが」
息子の息子を見ても、だれもなんとも思っていない。
なにせ相手は病人であり、近くにいるのは親族と医療関係者だけである。
そこでやましい何かを疑うのは、それこそ邪推に他なるまい。
でも、パンツぐらいは履かせてもいいのではないだろうか。
バトラブの当主は、少し恥じらいながらもそう伝えていた。
※
あらかじめ準備されていた、ゆったりとした病人服を着た祭我。
非常に薄手で、脱がしやすく着やすいそれは、ある意味当然ながら山水の着ている服に似ていた。
「……しょうじき、当分は一人で歩けないのを覚悟していたんだけど」
思いのほか、すたすたと祭我は歩けていた。
もちろん、途中で息が切れるので何度か椅子の世話になったのだが、それでも長期的に固定されて拘束されていたのだから、驚異的と言っても過言ではあるまい。
とはいえ、考えてみれば蟠桃の副作用に関しては、仙術だの修験道だのの本場の方が詳しいのは当然である。
同様に、その術後の運動補助に関しても、手立てがあるのは当たり前だろう。
つくづく、持っているのと使いこなしているのは、全く別の話だと思ってしまう。
「でもまあ、やっぱり自分の足で歩けるのは気分がいいよ。ずっと動けなかったからなあ……」
知識と経験のある医者から、適切な医療を受けられるのは幸福だ。
いわゆる医療チート持ちが、自分の力がどう作用してどう回復につながっているのかわからない状態で、とにかくなんとかしてみようというのとは安心感が違う。
そう考えると、昔の自分がどれだけ無責任で不安定で、周囲を不安にさせていたのかよくわかるというものだ。
戦闘というのは、最終的に相手を殺せばいいのであって、なんだかよくわからない術がよくわからない理屈で作用しても、相手が死ねば成功である。
しかし、医療だとそうもいかない。少なくとも今の祭我は、医療チートに対して一種の軽蔑さえ感じていた。
医療行為は、教育機関で適切な指導を受けて、正しい知識と技術を持つ人にだけ許された行為である。少なくとも、アルカナ王国もそうだった。
「本当に、大天狗にもロースさんにも、フサビスさんにも感謝だよ」
歩ける、動ける、進める、座れる。
最低限のことではあるが、それがとても嬉しいのだ。
誰かの介助を得ることなく、自由に動ける。
諦めていただけに、この技術には感動さえしていた。
「ええ、本当に……本当に……」
今まで何度も泣いていたツガー。
先ほども泣きそうになって、しかし涙がひっこんだツガー。
それでも、こみあげてくるものは噴出していた。
「本当に、良かったです……」
泣きじゃくる彼女は、祭我の袖をつかんでいた。
あのまま祭我が生首同然のまま生活をしてしまうのではないか。
少なからずそう思っていた彼女は、それに対して何もできない彼女は、ようやく安心して泣くことができていた。
「ツガー……」
「サイガ様……お役目、ご苦労様でした……」
「うん、ありがとう。とんでもなくしんどかったけど、なんとか乗り切れたのは……」
守るべき誰かがいて、頼れる誰かがいて、助けてくれる誰かがいる。
あらゆる魔法を習得できる力を授かった祭我は、あらゆる人がいたからこそやり切ることができたのだと悟っていた。
「みんながいたからだ。本当に、ありがとう……」
「礼を言うのは私の方だよ、息子よ……」
一行は、城の中のバルコニーに到着していた。
祭我が希望していた、外の空気を吸うこと。
それを果たすために、五人は途中休憩をはさみながらも歩いてここへ来たのだった。
「さあ、これが君が守ってくれた光景だ。君の守った国だよ」
「……俺の、新しい故郷」
外の空気が、体をなでる。
埋まっていた時は感じることができなかった、心地よい風。
いまだに体は包まれているけれども、それでも感じる楽しみを味わえる。
「俺が守った、アルカナ王国」
王都を一望できる、城のバルコニー。
そこに立った祭我は、ツガーを慰めながらも、視界のすべてをゆっくりと確認していった。
「こんな国じゃなかったような気が」
そこには、比較的低空飛行している大八州があった。
いくつもの巨大な浮遊島が並んでおり、さらにそこから大きい船が離着陸を繰り返していた。
「おかしい……こんなに幻想的な世界観じゃなかったような気が……」
「……ああ、そのなんだ、聞いているとは思うが、スイボク殿とそのお師匠様がだな……」
「聞いてましたけども……おっかしいな~~全然感動できない」
自分が棺桶に埋まっている間、世界は大きく変化していた。
少なくとも、自分の視界には大きすぎる変化があった。
まるで異世界へ来たような、一種の疎外感があった。
「剣も魔法もあるけど、モンスターも冒険者ギルドもダンジョンもない、そんな世界だった気がするんだけど……」
「今は、この周辺に全部そろっているよ。冒険者ギルド以外は……」
「なんで戦えなくなってから、こんなドキドキワクワクが……」
ものすごく残念な気分が、祭我の中に満ちていた。
やたらと活気のある王都も、素直に喜ぶことができない。
自分のことなど忘れて、新世界を楽しんでいるように思えた。
「……疲れました! 今日はみんなで横になって寝よう! 横になって! ベッドの上で!」
こんなことで闇に落ちては笑えない。
気分が沈みかけた祭我は、切り替えていくことにした。
そう、こんなかわいい女の子が三人も慕っているのだ。
他のことはまあ、余裕ができてから考えよう。
祭我は、本当に強くなっていた。