謝罪
今回の戦争は、極めて計画的なものだった。
それこそ、いつ始まっていつ終わるのかが、事前に双方で申し合わせていたに等しい。
それでも、ハイ終わり、とはならなかった。
山水の場合は既に戦闘が終わっていたが、そうではない場合は当然戦闘がしばらく続いた。
山彦は国土全体に鳴り響いたとはいえ、それを聞く余裕が全員にあったかと言えば否であろう。
仮に聞こえたとしても、引っ込みがつかなかった可能性はある。
山水とロイドの戦いが後を引いていないのは、結局死人が出ていないからであり、損得勘定を度外視していたからだ。
生死を賭した戦い、国家の存続がかかった戦い、殺し殺されている戦い。
それで、終了の笛に従えるかどうか。
国家の君主同士も同様である。
お互いに非があることはわかっているし、ここで引くのが正しいとわかっている。
その方が利益になるとはわかっていても、心底から納得できるかどうか。
だからこそ、オセオと旧世界の怪物は『それ以外の選択肢』を一切破壊していたわけなのだが。
両方滅ぶか、両方繁栄するか、そのどちらしか残っていない。
アルカナ王国に、オセオと共倒れするだけの覚悟があれば、今回の引き分けを反故にすることはできる。
共存共栄か、共倒れか。その決定権は、アルカナにある。
「……」
「……」
アルカナ王国の首脳陣、祭我を除いた切り札と廟舞、そして八種神宝。
オセオの国王と、各種族の長老である長命者、そして幼き竜の女王。
アルカナ王国の王宮、その来賓室で対峙した両陣営は、一触即発の空気が満ちた空間の中で沈黙を守っていた。
「……」
「……」
オセオの国王は、そもそもの発端であるゴーレムの投入を間違っていたとは思っていない。
もちろん誇れる手段ではなかったが、それでも国家君主として国家の利益になる行動だったと信じていた。
旧世界の怪物や竜を歯牙にもかけない、世界最強の存在ゆえに失敗しただけだったと思っていた。そんなことを一々警戒していたら、それこそ何もできないだろう。
アルカナ王国も、右京の提案した作戦が間違っていたとは思っていない。
山水を真正面から送り込んだことも、右京と祭我で破壊工作を行ったことも、どちらも国益の為に必要なことだったと信じている。
まさか一万年前に人類を追放した、旧世界の怪物が落ち目のオセオと手を組むとは思ってもみなかった。そんなことを警戒していたら、それこそ何もできはしない。
「……我々は」
オセオの国王は、割り切った。
体の一部が石化しているうえに、片腕を失ったままの山水。
己のあとを継ぐはずだった『息子』を、国王である自分へ暴行してでも押し付けた憎い敵。
指示したのがソペードであると知っていても、発端が息子であると知っていても、それでも割り切れるものではない。
しかし、出席している切り札たちの中で、唯一手傷を負っているのが山水ということもあって、溜飲は下がっていた。
もちろん誤解なのだが、訂正しても誰も幸せにならないので、誰もが黙っていた。
まさかオセオの国王も、今回の戦争とは完全に無関係なところで傷を負って、そのまま竜を蹴散らしたとは想像もしないだろう。
逆に腹が立つかもしれないので、やはり真実は伏せるべきである。
『私事で普通の人間と決闘したら、このザマです。二人と戦ったのですが、どちらも強敵でした』
『竜? いえ、普通にケガしたまま戦って、皆殺しにしました。ケガとかは特に……しなかったですね』
山水に怨恨があるアルカナ王家はそれを知って衝撃を受けていたが、オセオの君主は落差もあって憤死するかもしれない。
それを想像したドゥーウェは腹筋を抑えながら転倒し、呼吸困難に陥っていた。
「我々は、和睦を提案する」
和睦。
戦争を取りやめ、平和な関係を構築すること。
なるほど、双方が必要としていて、しかし嫌悪している結論であろう。
国家の利益を最優先で考えなければならない君主自身が納得しきれていないのに、家族を失った国民が納得できるだろうか。
書面でどう契約したとしても、それでもその紙切れに効力があるのかわかったものではない。
「承知した」
それでも、アルカナ国王は頷いた。
「……我々は、アルカナ王国に布陣している軍勢の全てを、人面樹の船で回収する。占領している街は無条件で解放する」
「では我らも、捕虜を解放する。それでいいだろうか」
「……今後両国は、互いの利益を侵害しない。これも文章に入れていただきたい」
とてもふわふわとした、曖昧な和睦だった。
もう少し、期間や期限など、詳しくまとめても良かっただろう。
しかし、それでも双方は完全に、それで良しとしていた。
両国に火種が残り、それが他国に利用される可能性は確実に存在する。
だが、そうならない確信が、両国の首脳にあったのだ。
この話し合いがうまくいった結果、『みんな』が幸せになれるからだ。
だからこそ、両国の主は様々なものを呑み込んで、『話し合い』を終えていた。
そう、結局のところ。
話し合いで解決することなど、何もない。
どちらかか、あるいは双方に利益が生じなければ、和解などできないのだ。
「……ん?」
同席していた、各種族の長老たち。
仙術や修験道の源流ともいえる術を修めた彼ら全員が、まったく同時にまったく同じ方を向いていた。
それにつられる形で、その場の全員がその方向を見ていた。
そこには、大きい窓しか存在していない。
長命者たちが何を見たのか、確認しようとした直後である。
窓の外で何かが起きていた。
光が屈折し、何もないはずの空間が変化していく。
それを見て、警戒していた近衛兵たちが動いた。
如何に切り札たちがそろっているとはいえ、何かがあれば冗談にならないからだ。
彼らは風火綸によって飛翔し、その周囲を包囲していた。
「ぬ?」
そして、その空間から出現した姿を見て、空中で腰を抜かしそうになっていた。
「ぬう……騒がせてすまんな」
縮地とは違う方法で、しかし『彼』が現われていた。
旧世界の怪物を知り、竜を知り、制限が解放された神宝を知り、双右腕さえ知ったアルカナ王国の面々。
悠々と窓を外から発勁で開錠して入ってきた彼に対して、戦慄を禁じえなかった。
旧世界の長命者たちもまた、同様に目を疑いつつも、しかし信じざるを得なかった。
その男は、あろうことか虚空を通じてこの場所に出現したのだ。
本来なら、ノア以外では通過できない場所。旧世界の怪物は、この世界へ至るために人面樹を素材とした舟を作らざるを得なかった。
それを、いかに樹精を宿すとは言え、裸同然の格好で通過してきた男を見て心穏やかなわけがない。
「スイボク師匠!?」
「サンスイ、すまんが邪魔するぞ」
ありとあらゆるものを台無しに出来る、しかも台無しにすることへ一切拒否感を覚えない、存在そのものが諸行無常にして盛者必衰である最強の男。
彼はいつも通りに、なんでもなさそうに、自然体で飾り気なく部屋の中へ降り立った。
「す、スイボク殿?!」
「うむ、アルカナの国王殿、しばらくであるな。それからオセオの国王に旧世界の者ども……失礼、先人であるな。そこなサンスイの師である、スイボクである。少しばかり用事があって参上した」
この場の中で、山水だけが気付いていて気にしていることなのだが、スイボクの左手首から先だけが、今も虚空の彼方に消えたままだった。
左腕の筋肉から見て、明らかに何かを掴んでいる。
「用事があるのは、儂ではなく」
「おい、お前、本当に止めろ!」
「こちらの御仁である」
こちらの御仁、と呼ばれた男。
白髪に髭を生やした老人は虚空の中で踏ん張っていたものの、世界最強の男によって部屋の中に転がされた。
その彼を見て、一部の者が反応した。
「は?」
神から恩恵を受けた、切り札と廟舞たち。
「え?」
神によって生み出された、八種神宝。
その彼らが、その老人を見て驚愕していた。
「スイボク殿……そちらの方は?」
「神だ」
アルカナ国王から尋ねられたので、スイボクは素直に答えていた。
特にもったいぶる気もないし、隠すつもりもないらしい。
「二千五百年前、神の座まで行ってエッケザックスをもらい受けたのに、途中で放り出してしまったからのう。そのことで謝罪に行っていたのだ。すると、そちらの戦争が終わったうんぬんで、伝言を頼まれてな。罰を与えた、旧世界の者たちにな」
伝言を頼んだ相手を、無理やり連れてくるとはこれ如何に。
スイボクは謝罪をしに行ったはずなのだが、謝罪する内容を増やしていた。
「儂が伝言を告げても意味がないであろうし、こうして連れてきたのだ」
「お前は儂の所へ何をしに来たのか、もう一度言ってみい」
「謝罪です……エッケザックスのことは、改めてすみませんでした」
「もっと無礼なことを現在していることに、何も思うところはないのかのう……」
「伝えるべきことは、口で直接言うべきでは?」
「……お主は、謝罪の意味を学べ。いやまあ、儂が言っても仕方ないが」
謝罪とはなんだろうか。改めて神は思いにふける。
少なくとも謝罪に来た男へ伝言を頼んだら、『お前が直接言え』と返答されたあげく腕を掴まれて実際に連れてくるのは間違っていると思う。
もうここまで来ているのだから、そのまま言ってくれればいいのに。
「……そのなんだ、祭我はいないが……日本人のみんな、すまんかった」
空虚な謝罪が、しかし真摯に伝わっていた。
五人は正直『今更謝られても』という気分ではあったが、『あの時はもうちょっと真剣に謝るべきだったなあ』という気分になっていることは理解できたので、とりあえず受け取っておいた。
「謝って済むことと、謝って済まないことがあるのじゃなあ……」
因果応報であろう。
謝ってきた相手に、別の世界へ放り出されたのだから。
まさに神も恐れぬ所業である。
傲慢なる神は、更なる傲慢を見て己の過ちを認めていた。
「それを言いに来たわけではないでしょう?」
「ああ、うん。そうだけれども。そうだけれども。お前に促されたくないのじゃが……」
旧世界の面々、及びオセオの国王は硬直していた。
なにせ、相手は一万年かけて旧世界を滅ぼした、文字通りの神様である。
竜が神に何をしたのかと言えば、神よりも自分が偉いと誇示したこと、侮辱したことである。
神は罰として、竜とそれを指示した怪物たちの住む世界を見放した。
また怒らせてしまえば、それこそ人間ごとこの世界を滅ぼしてしまうかもしれなかった。
「……先に言っておくが、このバグキャラが何を言っても、儂は気にせん。こいつ一人が何をやったところで、人間全体を罰することはない」
一番気にしているであろうことを、全員へ開示していた。
一万年前の竜は、種族全体がそういう思想を持っていたので罰を与えた、というだけの話。スイボク一人に腹が立っても、スイボク一人にしか罰は与えないのだろう、多分。
「だいたい、こいつ本当に人間なんじゃろうか……」
「何を馬鹿なことを。少々長く生きていますが、私は人間ですよ」
「……とにかく、伝言を頼むはずじゃったが」
立ち上がった神は、そのまま旧世界の面々を見た。
その上で、とても『残酷』なことを言っていた。
「許す」
伝言を頼むにしても、短すぎる言葉だった。
「一万年前、お前たちの先祖は儂を侮辱し、儂を不要と断じた。あるいは、そう主張する者を諌めなかった」
当然のように、なぜ許すのかも語っていく。
「一万年間、お前たちの先祖は苦しみ続けてきた。それを罰とし、満了とする。ゆえに、もう許す」
あっけにとられている面々へ、言質を与えていた。
「この世界でお前たちが何をするつもりなのかは知っている。それも許す」
神の許可、それは旧世界の怪物たちにとって、如何なる宝よりも価値があった。
「ここ一万年間、人間を甘やかしすぎた気もする。儂は確かに人間を己の似姿として創造したが、別に世界の主とすべく生み出したわけではない。もしもそうなら、最初からお前たちなど作っていない」
逆に言って、この世界の住人にとってはこの上なく残酷だった。
「人間たちへ何をやっても、儂は許す。まあまた同じことを言い出せば、その限りではないがのう」
世界の管理者は、かつて反逆した被造物を許していた。
人間の為に生み出した世界で、好きに振舞うことを許していた。
「忘れるな、誰が最強かを誇ることなんぞよりも……誰もが生きる世界そのものこそが重要なのだという、当たり前のことをのう」
神への感謝とは、奇跡への感謝ではない。
吸う空気、飲む水、食べる餌。
そんな、ごく当たり前の、無くてはならない世界への感謝である。
神はそれを嫌というほど思い知っている者たちへ、改めて神託を告げていた。
「おお、流石にいいことを言いますね」
「……最悪お前に皆殺しにしてもらおうかとも思ったが、まずお前を殺すべきではないかのう。のう、パンドラと春よ」
次回から新章が始まります。
追放されたおっさんが転職して成功するの巻。




