無駄
キャンバス・カプト。
言うまでもなくパレットの遠い親戚であり、それ故に法術使いであり、加えて婚約者でもある。
眉目秀麗、文武両道、質実剛健。とにかく悪いところなど一切ない男である。
ただ欠点らしい欠点がまるでないか、というとまた別の話ではある。
「久しぶりだねパレット。そしてお元気そうで何よりです、聖騎士隊長殿」
「久しぶりね、キャンバス。元気そうで嬉しいわ」
「ええ、武名はよく聞いておりますぞ、キャンバス様」
二人はやや落胆を隠せていなかった。というのも、二人が待ち望んでいたのは、彼を拘束できる呪術師だからに他ならない。
別に険悪な間柄でもないし、深刻な問題を先に片付けたいと思っていたのだ。キャンバスを軽く見ているわけではないが、正蔵の問題は国家の存亡にかかわるのだ。
「久しぶり……そう、久しぶりなんだよ、僕と君が出会うのは」
通信手段があるわけで無し、そこそこ広いカプトの領地に住んでいる二人は、そう頻繁に顔を合わせられるわけではない。
それは別にこの二人に限った話ではないが、それをどう思うかは各々次第である。
パレットはまったく気にしていなかった。本家である彼女の家には、婚約者が何をしているのか大体伝わってくるし、カプトの本家に婿入りする者として恥じることのないことをしていると信じていた。
その一方で、キャンバスはとても気にしていたのだ。
自分と結婚する女性の顔を、ほとんど見れていないという現実を気にしていたのだ。
「どうして、少し前のパーティーに顔も出してくれなかったんだい? 僕はとても楽しみにしていたのに!」
「それは、外せないことが起きてしまったからなのよ」
「それは聞いている。お互い責任ある立場だ、僕だって優先事項を間違えるつもりはないさ。でもね、その外せない要件に関して僕の耳に入ってこないのはどういうことだい? 確かに近くの村で建物が壊れているのは見つけたし、そこの復旧作業を行っていることも理解したよ。でも、それははっきり言って一度君が現場を確認して許可を出せば、それで済んだ話の筈だ」
キャンバスの不満ももっともだった。
確かにお互い仕事をしているのだから、なにか重要な問題が起きれば優先事項を間違えるわけにはいかない。
しかし、そんな重要な事件が起きた、それを解決したという情報が彼の耳に入っていない。
他の四大貴族や王家の様に、ある程度溝のある関係なら仕方がない。しかし、本家と分家の関係で、それはあんまりである。
「文書に残せないことだってあるだろう。そう思って、こうして来たんだ」
「そ、そうなの……」
一切やましいところは無いだろうし、言っていることもそこまでおかしくはない。
それでもパレットは申し訳なさそうに顔をそらすだけだった。
はっきり言って、真実が非現実的すぎて、説明しても信じてもらえるとは思えないのだ。
「はっはっは、お若いですなあ。しかしご安心を、遠からずカプトの本家から分家の皆さまへ報告ができるでしょう」
そこは年の功である、聖騎士隊長は問題を大きくすることにした。
ある程度周囲に説明できるようになれば、少なくともカプトの有力者たちには彼の事を伝えるつもり、或いは実演してもらうつもりである。
幸か不幸か、彼はとんでもなく派手である。一度千人分の魔法使いとしての力を発揮させれば、嫌でも彼のでたらめさを理解するだろう。
そのあたりは剣聖とちがって、分かりやすく全員に納得を与えるはずだ。
「では、口止めをされていると? 今はまだ、僕にも教えることができないのかい?」
「そうなのよキャンバス。もう少ししたら、貴方だけじゃなくてカプト全体で共有できると思うわ」
一流の魔法使い千人分以上の馬鹿魔力を持つ人間など、口で説明されても信じられるものではない。
仮に目の前の彼に『凄腕の魔法使いを確保した』というあいまいで常識的な範囲の説明をしたところで、絶対納得してくれないだろうし。
「ただ信じてちょうだい、カプトやアルカナ王国にとって不利益なことをしているわけではないわ」
「……どうしても、今ここにいる僕にだけでも教えてくれないのかい?」
「ええ……そう、無理なのよ」
仮に事実を伝えれば、彼は確認したいと言い出すだろう。
もしもそうなれば、命の危険が生じるのだ。それも、彼一人の命ではなく国家存亡単位の命である。
試しに攻撃魔法を使え、と言われてその通りに行動されてしまえば、どれだけ人間が死んでも不思議ではないのだ。
その辺り、彼は全く躊躇いがないので困る。とにかく呪術師を雇用してある程度でいいから『行動を制限』しないと、おちおち人前に出せないのである。
「必ず、貴方にも納得してもらえる内容だから、もう少し待ってちょうだい」
「……わかった、君がそういうのなら、僕は引き下がろう。だが、僕が君を心配していることはわかってほしい」
どうやら尊敬している聖騎士隊長も知っているようだし、そう問題がある行動でもないのだろう。
そう理解したキャンバスは、引き下がることにしていた。
「ええ、ありがとうキャンバス」
パレットは安堵していた。
とりあえず、これで何もかもが解決していたのだから。
ただでさえ一切安全保障の無い爆弾を抱えているのだ、下手に刺激をしてほしくないのである。
去っていくキャンバスを見て、二人は安心していた。
実際のところ、一切やましいところはない。本当に繊細な問題であり、危険が伴う問題なだけだ。
彼を活かすにしても殺すにしても、今はまだ何とも言えない状況なのだから。
「……ふう」
「キャンバス様、報告に上がりました」
「どうだった」
「確かにここ最近、パレット様とその近辺の様子がおかしいとの報告があります」
ただ一つ、決定的な認識の齟齬が存在していた。
つまり、キャンバスという男の考え方である。
パレットにしてみれば、キャンバスはその内結婚する相手であり、尊敬のできる相手で不満の無い相手だった。
しかし、キャンバスにとってパレットは違う。容姿も性格も所作も、何をとっても理想の女性だったのだ。
つまり、べたぼれである。惚れた女性が自分に顔を見せなかったことで、不安に感じて探りを入れるのは当然だろう。
「具体的には?」
「なにやら、飛行を失敗した魔法使いに関して自ら治療を施し、安静にさせるどころか全く別の場所へ移送したとか」
飛行中に失敗して落下するという魔法使いは決して珍しくない。むしろ、大抵の魔法使いは飛行中に何度か墜落を経験するものだ。
加速しすぎて減速が間に合わず墜落することもあるし、上空で魔力を消費しすぎて落下することもあるし、空気の薄い高度で気分が悪くなってということもあった。
とにかく危険で、選ばれし世界といってもいい。
「ふむ……」
キャンバスも飛行訓練をする側の魔法使いではなく、墜落した魔法使いを治療する法術師である。
とはいえ、飛行訓練をするということは相当有望な魔法使いである、という認識は多少はあった。
問題は、なぜ態々別の場所へ移動させたのかということである。
「……危険な伝染病の患者だったのか?」
「それが、医療に使われた布なども通常の処理しかされておらず……」
難病、伝染する恐れのある病であること。それが一番ありそうな可能性だった。
それなら彼女の対応もそれなりに理解できる。とはいえ、それがカプトの利益になるかといえば話は別だが。第一、それなら一般の民衆に隠すならまだしも、自分にも隠す意味が分からない。
なまじ、彼女が優秀であり、加えてその辺りの信頼関係がしっかりしているからこそ、その対応に納得ができなかった。
「ただ、その魔法使いは、成人男性だったと……」
「……そうか」
その言葉を聞いて、少なからずありえない可能性が脳内をよぎったことを、彼は恥じた。
少なくとも、彼女一人でそんなことができるわけもないし、聖騎士の隊長がそんなことに手を貸すわけもないからだ。
仮に彼女が『乙女心の暴走』をしたとしても、カプトの利益にならないと、そう切り捨てるだろう。
それに、それは彼女を疑う事であり、彼女を信じないということだった。
しかし、当のキャンバスはどんどん思考の迷路に閉ざされていく。
「この目で確認するまでだ」
なんだかよくわからんので、とにかく安心したい。
信じて待つと言った身ではあるが、若いキャンバスは自重することができなかった。
そして、今この国で最も危険な場所へ馬を走らせることになってしまったのである。
※
「先生! 何を練習するんですか?!」
「そうだな、まずは氷を出してもらおうか。ただし、私が指定した場所へだ」
魔法を使いたくてうずうずしているし、変に押さえつければ逃げ出すか、勝手に練習しかねない。
そんな最悪の事態を防ぐためにも、専属魔術師はとりあえず魔法を使わせてみることにした。
しかし、下手に放出する魔法を使うと洒落にならないので、ある程度の指定をすることにした。幸い、彼の魔法は極めて安定している。威力と規模と射程がイメージ通りにならないだけで、方向と性質そのものはイメージ通りなのだ。
少なくとも、西に撃たせて東に飛んでいくことはないのだ。
「表に旗を立てた、見えるな?」
「うっす! 四本見えます!」
「その範囲を氷で満たせ」
百メートル四方を氷で満たす。そんなこと、それこそ一万人でもいないと成立しない、無茶極まりない注文だった。
しかし、逆に言って彼の力を計るには十分だし、なによりも『成功』しても自分達に被害は及ばないのだ。
「よし……凍れ!」
ものすごく適当な魔法行使に閉口するが、その一方で目の前で行われた魔法には息を呑んだ。
本当に一瞬で氷の塊が出現し、そそり立っていたのだから。
「うお、すげえ……どうかな、実際のところ、ちゃんと旗の内側に収まってるかな?」
背後で見ていた聖騎士たちが絶句している。目の前の光景は、まさに人間技に思えないものだったからだ。
百メートル四方の土地に、高さ二メートルほどの氷が埋め尽くしたのだ。そこに人間がいたら、法術で守ろうとしたとしても、一瞬で凍り付いてしまうだろう。
そして、正蔵は実際にそうなってしまっていたのだ。
「やった! ちゃんと旗の中に納まってる!」
そして、自分が作った氷の周りを無邪気に走って確認している正蔵は、自分の魔法がはじめて『成功』したことに大喜びだった。
そう、成功である。彼は自爆も自滅もせずに、狙った通り『四つの旗の内側』きっかりに氷の塊を生み出していた。
立方体と呼ぶに値するほど、見事に『カット』された氷塊だったのである。
「すっげええ! 俺すげええ!」
大喜びしている正蔵に対して、初めて共感した専属魔術師は精度のすさまじさに唖然としていた。
確かにこれなら、有用性を証明できる。指定する範囲を広めにして、使う魔法を上位属性にすれば、一応戦場に投入できるようだった。
しかも、本人はまるで疲れていない。彼はあくまでも『軽く』魔法を使っただけで、まだまだ連発が可能なのだ。
「ああ、そうだな……だが……」
「そうだ、先生! 俺、指先から沢山氷を出してですね! それを暑い日に配るんですよ! 氷が解けるころには消えてると思いますし、それってすごくないですか?!」
「……少しやってみろ」
一番小さい単位で氷の魔法を使う。失敗しても、本人が氷漬けになるだけなので、それはあっさりと許可していた。
すると、正蔵の指先からそこそこ大きな氷塊が出現し、それが地面に転がっていた。
氷柱と呼ぶにはやや小さいが、確かに部屋の中に転がせておけば涼しさを得ることができそうである。
「そうだな、公園辺りでお前がそう働くのもありかも知れんな」
「やった! あそうだ! それじゃあ魔法でお湯作って、温泉にするっていうのは……」
「馬鹿か、今のは氷の魔法だから範囲も狭く済んだのだ。もし仮に、お前が水を出そうと思えば、それこそ湖ができるほどの水が出るぞ。それに……」
足元で転がっている氷が、段々消えていく。
有効時間が過ぎて、ゆっくりと消えていったのだ。
しかし、巨大な氷塊はそのままである。
「確かにお前の魔法は非常に有効時間が長い。しかし、それでも規模の大きい魔法でなければ持続時間が短いのだ。風呂を満たすとなると、数時間は維持しなければなるまい。それに……待てよ?」
上位属性の魔法は、有効範囲が狭い。だからこそ、今氷塊を出す魔法もこの『程度』の高さに収まったのだ。
もしも今の魔法が『百メートル四方を水で満たす』だったならば、それこそ天まで届くかという巨大な水の柱となって、『下流』まで甚大な被害が生じていただろう。
そう思っていると、ある実験の事を思い出していた。
つまり、融合魔法、或いは混成魔法と呼ばれる実験の事である。
「お前、右手の指から土を出して、左手の指から水を出せるか? もちろん、一瞬でいいぞ」
「あ、はい」
よくよく考えてみれば、先日自分たちの前で魔法を使わせるにしても、一々現場の検証をするために火を出させることはなかった。
人間、自分の指から水が出るのと、火が出るのでは慌て様には違いがあるものである。
少なくとも、水の魔法で失敗しても溺れるだけなのだから。故に、火を出させるのではなく土や水を出させるべきだったのである。
「……あれ?」
そして、出させてみると結果は明らかだった。
右手の人差し指からは土があふれてきて、左手の人差し指からは水があふれている。
しかし、その威力は普通に水を出させたときより大分勢いが弱かった。
「……そうか、当然だな。如何にお前の魔力が常識外れの威力とはいえ、魔法の大原則に沿うものであることに変わりはないのか」
魔法の常識の一つとして、一人の魔法使いは一つの属性を極めるべきだ、というものがある。
魔法は原則として『攻撃魔法』であるので、風の刃で攻撃しようが火の塊を飛ばそうが、人が死ぬことに変わりはないからだ。
複数の系統を学ぶ、というのは極めて不合理なこととされ、実際労力に見合うだけの価値もない。
そう、それは実際に過去確かめられていたことなのだ。
「どういうことですか、これ」
「いい加減止めろ。説明はしてやる」
足元にこぼれていく水と土。その泥がたまっていく光景に困りながら、正蔵は専属魔術師の指示に従っていた。
「例えば、複数の火の弾を出す魔法がある」
「あるんですか?」
「やるなよ?! 絶対に使うなよ?! 試すなよ?!」
「そんなに大きな声出さなくても……」
「今までの所業を顧みて言え……とにかく、複数の火の弾を出す魔法はある。しかし、火の弾と水の弾を同時に出す魔法はない。なぜなら、一人の人間が複数の属性の魔法を同時に使うと、どうしようもなく威力が落ちてしまうからだ」
実演するように、専属魔術師は自分の指先からも水と土を同時に出そうとする。
しかし、それは水が出るというよりは湿る程度、土が出るというよりは砂がわずかに出てくる程度だった。
如何に最小単位とはいえ、威力が小さすぎる。まともに成功しているとは言えなかった。
「二つの属性を一人の魔法使いが同時に使うと、それぞれが半分どころか四分の一以下に落ちてしまうのだ。三つなら八分の一、四つなら十六分の一だという」
それを実証するために、ある一人の魔法使いが『半ば自棄になって』人生を奉げたという記録が残っている。
「それじゃあ、俺も四つの魔法を同時に使えば!」
「ああそうだな、やり様にもよるだろうが……」
「空飛べますか?!」
「それは諦めろ」
普通ならあり得ないことだが、彼にはとにかく魔力をとことん無駄にさせて、威力や範囲を抑えさせなければならない。
そうした方が、結果として『使用できる範囲』の魔法は強くなるのだから。
「それに、混成魔法も結局は攻撃魔法がほとんどだ。いいか、間違っても使うんじゃないぞ? お前がどうしても魔法を使いたかったら、騎士達の前で水を出す魔法や土を出す魔法を使ってろ。間違っても火や風は使うな」
「はい!」
「……信用できん」
元気いっぱいに、嬉しそうに返事をする正蔵。
その声を聴いて、護衛の聖騎士も専属魔術師も、その不安を拭うことができなかった。