絶招
山水がウィン家の領地に現れたことで、戦況は一気に傾いていった。
はっきり言えば、傾くを通り越して勝利が確定していた。
もとより、一国を攻め落とした男である。長期的な行軍によって疲労し、その上ヴァジュラの影響で動きが鈍い旧世界の怪物など、物の数ではなかった。
「なんだかよくわからん連中が多いが……」
山水は襲われている友軍へ救援を優先していた。
左手一本でも刀を振るう技に一切の乱れはない。
「普通に生き物だな、問題はない」
手に目的をもってつくられた『武器』を持てば、大体使い方はわかる。
一瞥の必要もなく、握れば材質や硬度が分かる、振るえばその武器の重心が分かる。
それだけわかれば、あとはもっとも速度を出した瞬間に、自分の体重も込めて重心の一点を相手の急所に当てればいい。
錆びている『なまくら』だろうと、鉄や木、石でできていれば鉄の兜越しでも十分な威力になる。
そもそも、料理をするならともかく、防具を着ている相手と戦うのなら武器に鋭利さは必要ではない。大事なのは重量と頑丈さだ。
それは重身功と気功剣で補える。
「ゴーストだのスライムだの、そういう訳の分からんのがいないのはありがたい」
まして、使っているのは仙人が長年かけて磨いた刀である。
仙人であるサンスイにとって、最高に使い勝手が良かった。
「首を切れば死ぬ。それに宿している気血も、知っているものが多い。そこまでおかしな生物でもないな」
完全に未知の能力や生態を持つ生物なら、流石に対応を考えなければならないこともあっただろう。
未知の怪物は、あくまでも『既存の世界観』から一歩も出ていない。
巨大な竜さえ、スナエの王気と同じ力を宿しているだけだった。おそらく、元になる生物はもう少し小さいのだろうと察しはつく。
「『旧世界』の怪物か、それがオセオと手を組んでいるとはな。思ったより状況は悪くないらしい」
先ほどまでは、竜を討つことに専念していたので何もわからなかった。
しかし、こうして地に降り立って長々と戦っていれば、流石にわかる。
オセオ兵のことは、うんざりするほど知っている。
彼らが旧世界の怪物と手を組んでいるのなら、今回の行動は訳の分からん原理で動く生物の、無思慮な原始的欲求によるものではない。
仙人としての経験上、そっちの方がよほど厄介なのだ。一応、得というものを考えてくれるのだから。
「さて」
山水は、大分楽観していた。
上空から見た時、ソペードの本家がある場所や王都は無事だった。
少なくとも、竜に襲われているということはなかった。
であれば、おそらくブロワもレインもファンもそこにいる。
ヒータやセンプがここにいるのは、きっと責任を果たすためだ。
だが山水の家族にそれはない、あえてここにいるということはないだろう。
「お待たせしました」
「……サンスイ君か?」
「サンスイ殿」
それを確認するつもりは、今はない。
仮に最悪のことになっていたとしても、今更自分にできることはないのだから。
それなら、今の自分にできる最善を尽くすしかなかった。
今の状況が、手遅れではないと信じて。
「白黒山水、遅れながら参りました」
既に十を切っていた手勢に守られながら、それでも何とか指揮を執っていたウィン家の当主とその子息。
それを包囲するのは、二百以上の軍勢だった。誰もが、山水を見て動きを止めている。
【……】
誰もが、黙っていた。
黙っていたので、周囲の音が聞こえてきた。
略奪の音や、領民の泣き叫ぶ声も聞こえない。
その代わり、無事を喜ぶ声や、山水をたたえる声が聞こえる。
さながら、四面楚歌。
残った二百の兵士たちは、自分たちが敵国で孤立したことを悟っていた。
目の前の死神が、友軍を絶やしてきたことも含めて。
【……武に生涯をささげた長命者か】
【長命者でありながら、魔力を宿す普通の人間に従うとはな】
【話には聞いていたが、信じがたかった。本人を見ても、な】
山水はその言葉を素直に聞いていた。
というのも、もうそこまで慌てていなかったからだ。
流石にここから唐突に、この地を救うことを放棄することはない。
しかし、この行動を別の地でも繰り返すつもりはなかった。
「俺も元は俗人、気持ちはわかる。だがそれでも、今の俺はソペードに仕える剣士だ」
【……その風貌から察して、毒されているわけではないようだな】
【にもかかわらず、武を極め人に仕えるとは……】
「その気持ちもわかる。確かに俺の知る限り、俗人へ仕える仙人も天狗もいないからな。どちらかと言えば、小数の俗人を従える村長だとか族長だとか、そういう位置にいる御仁の方が多い。俺の師匠はそうでもなかったが、そっちでもそうなんじゃないか?」
山水はこの地を救えば一度王都ないし、ソペードの本家のある場所へ向かうつもりだった。
報告をした上で指示を仰ぎ、それにのっとって行動するつもりである。
おそらく、自分の家族のこともそこで聞けるだろうと思っている。
多分であるが、竜を全部討った時点で、そこからは交渉になるだろうと読んでいる。
過剰に殺すことは、交渉の段階でこじれると思われる。
殺せ、と命じられればそれに従うが、自分の判断で行っていいことではあるまい。
そんな山水である、既に急ぐ理由を失っていた。
この場に領主がいるということも含めて、降伏を受け入れる気分にもなっていた。
怪物だけならまだしも、オセオの将兵もいるのだ。個人的に許される範囲なら、殺さずに済ませたいとも思っている。
「サ、サンスイ殿」
「ええ、わかっています。私はソペードの剣であり、武威。そこは間違えるつもりはありません」
いきなり世間話のようなものを始めた山水に対して、不安げなヒータ。
そんな義兄へ、山水は安心するよう語った。
「ご安心を、向かってくる敵は皆殺しです」
あえて、降伏を促すことはなかった。
仮に自分がそれを言えば、怨恨を残しているオセオの兵士は頑なになるだろう。
自分はそれだけのことをした、と自覚のある山水は戦うことを示す。
とはいえ、相手がおとなしく自分を狙うとも思っていなかったが。
オセオの兵士は山水の強さを知っているし、同時にウィン家との関係も知っている。
及ばずなら、せめて。
手にしていたボウガンで、ヒータたちを狙うオセオ兵もいた。
隠れて射殺しようとするその姿を、山水は当然捉えていた。
その上で、あえて攻撃することはなかった。
「……せめて、死神の家族を!」
放たれるのは、毒を塗った矢。
人参果や蟠桃を食べているであろう、ヒータやセンプにどこまで効果があるのかわからない。
しかし、それでも傷は残る。体に残らなくても、心に残る。
傷を負った人だけではなく、目の前でそれを見過ごしてしまった人にも。
そして、傷を負わせた、という事実だけでも喜びはある。
何かができた、という喜びがあるのだ。
「縮地法、織姫」
そして、それは叶わぬ夢である。
山水は手に持っていた石の脇差を縮地で移動させていた。
ボウガンから放たれた矢は、その軌道上に出現した石の刀によって弾かれていた。
「ひぃ?!」
「え?」
「な、なんだ?」
放たれた矢を、投げた剣で撃ち落としたとでも思ったのだろうか。
そして、その想像はさほど間違っていない。
狙われた自覚のあるヒータやセンプは、弾かれた音に驚きつつも、改めて山水を見る。
左の腰から、石の刀を抜く山水を見る。
よどみのない動きではあるものの、左の手で左の腰から長い刀を抜こうとしている山水を見る。
片腕ゆえに不自由で、しかしそれでもなんの憂いもない山水を見る。
表情や立ち振る舞いに、喪失を感じさせない強者を見る。
「……俺の女の、父親と兄。その領地を踏みにじったことを、後悔しながら死ね」
怨嗟を感じさせない声、憤怒の無い表情、素朴な立ち姿。
それらから見て、言葉はどこまでもしらじらしい。
しかし、それでも人間らしい言葉は、残っているウィン家の面々には心強く響いた。
高貴、高潔な言葉よりも、低俗な言葉の方が共感できる。
心中はともかく、山水は言動で優先順位を明確にしている。
【ぬううううああああ!】
幻覚を操る猫が、膨大な幻影を生み出して山水へ襲い掛からせる。
それはただ視覚的なものに限らず、聴覚や嗅覚にも訴えてくる。
触った感触や、体温さえ感じさせる死霊の群れ。
それが山水に襲い掛かる。
ほんの一瞬でも相手の動きを硬直させれば、と襲い掛からせる。
それに呑み込まれた山水は、ただ棒立ちのまま受け入れていた。
できのいい幻術だ、と思いながらも眉一つ動かさない。
なにせ、幻血を宿す猫が、力を昂らせてはなったのだ。それが実体を持つわけがない、とわかっていた。
【う……】
【消せ! ここは我らに任せろ!】
盾と槍を手に、犀が突撃する。
それこそ、昨日山水を極限まで追いつめたガリュウ同様に、手足ではなく武器にまで玉血を巡らせることができる、無敵の槍と盾をもつ猛獣。
その戦闘能力は激しいであろうし、数値的には大きく上回っているであろう。
そんな彼らと、ガリュウを重ねることはない。
山水は一切脅威を感じず、腰の双右腕に手を伸ばす気も起きなかった。
列をなして突撃してくる犀。
そんなものは、ここに来るまで多く殺してきた。
そもそも、盾や槍だけ硬いなど脅威ではない。
それより法術の鎧の方が、よほど脅威と言えるだろう。
「軽身功」
軽やかに浮かび、向かってくる槍のうち一本の上に立った。
ただそれだけで、隊列は戸惑い、次の動きに困る。
想定外の状況に対して、集団行動はとても弱い。
しかし、それでもなんとか向かおうとする。
【包囲しろ!】
【槍にのせたまま、くし刺しだ!】
山水を槍に乗せたまま、犀たちは円を作る。
四方八方から山水を包囲しようと、隊列を変えていく。
「重身功」
四方八方から、山水へ刺そうと巨大な槍が迫る。
全員が盾で身を守りながら、その隙間から槍を突き出す。
視界は、極限まで狭まっていた。
その機を得て、山水は槍から降りた。
自分の頭上を数多の槍が交差する中、山水は身をかがめたまま次の行動に移る。
「軽身功」
盾の隙間から、槍を突き出す。
その行為によって、槍を握っている手も盾の隙間から出ていた。
それを掴んで、軽くする。
【ぬぅ?!】
巨大な犀と言えども、周囲へ体重を拡散されれば浮かび上がるほかない。
もちろん、四器拳同様に最も強い効果を持つ犀の剛精をもってすれば、仙術の影響など簡単に弾ける。
しかし、それにはまず『自分が触られている』ことに気づき、更に『自分が術を受けていること』に気づき、そこから『自分の腕を剛精で覆う』ことが必要になる。
四方八方から山水を攻撃している、という認識がある上に、軽身功は攻撃ではなく苦痛が無かったため反応がどうしても遅れていた。
そして、その遅れは機と呼ぶにはあまりにも長すぎる。
まさに隙と言うほかない。
山水はその犀を浮かせて、包囲に穴をあけ、その隙間を抜けていった。
手にした石の刀を振るい、包囲陣の外側から攻撃を行う。
「発勁法、震脚」
犀のことはこの場で何体も斬ってきた。
そして、脊椎動物としての性質が共通であることも理解していた。
人間と、骨格的にそこまで大きな差が無いことも、立ち方や歩き方から察することができる。
であれば、肋骨の位置もそう変わらない。
そして、そこまでわかれば『調理』は簡単だ。
骨の隙間から渾身の一刺しを行い、内臓をえぐる。それで、簡単に殺せるのだ。
【ぐぁ!】
【ぬぅ?!】
短い脇差では巨大な獣の急所に届かないはずだが、本来両手で扱う刀なら十分であろう。
山水は腰を入れて、体重を込めて、地面から反発力を得ながら突き刺していた。
「さて……」
流石に、そんなじっくりとした殺傷法では、十数体を一息で殺す、とはいかない。
【ぬぅ?!】
【いつの間に背後へ!】
しかし、相手も馬鹿ではない。
山水と己で、相性が悪いことも理解していた。
そう、玉血、剛精は端的に言って硬くする力である。
決して身体能力が向上するわけではない。
山水が身軽に回避できる上に、背後をとれば殺せるならば、相性が極端に悪い。
陣形を整えつつも、しかし手を出しあぐねていた。
「すごい……」
そうつぶやいたのは、ヒータだった。
いや、アルカナ王国の人間は、素直にそう思うことしかできない。
曰く、最高の技量を誇る剣士だという。
曰く、霧か霞の如く実体が捉えられない剣士だという。
その彼は、明らかに万全とは程遠い姿でなお、一切不安さを感じさせなかった。
そのあとも、多くの猛獣たちが襲い掛かるが、山水は危なげなく一体ずつ殺していく。
童顔の剣聖、その技を誰もが見つめることしかできなかった。
一人一人、切り殺しているだけなのに、気付けばほぼ壊滅している。
まさに武の極み、技の極みだった。
しかし、それをいつまでも、指をくわえてみているわけにはいかなかった。
【もう我慢できん……我が行く!】
己の中の気血を解き放ったのは、狼だった。
狂精、悪血、そう呼ばれる力を発揮した、一体の狼。
同志同胞が討たれていくことに我慢ができなかった彼は、狂気に己をゆだねていた。
さて。
山水はその力を知っている。
その厄介さも知っている。
なにせ、大抵の傷は自己修復できてしまう上に、身体能力は自分を大きく超えている。
その獣が、おおきく間合いのある状況で、こちらへとびかかろうとしている。
そんな状況で、山水は【判断】をしていた。
正しく言えば、判断だけをしていた。
山水は、この時誓って、何もしていなかった。
ただ、狂気に身をゆだねた狼を、棒立ちで見ているだけであった。
【ぬぅがああああああ!】
咆哮し、足をまげ、大きく飛び出そうとしている。
その時になっても、山水は何もしていなかった。
「……え?」
【は?】
それを、だれもが見ていた。
決して目で追えない速度で、それが行われていたわけではない。
むしろ、それこそ武の才能がないヒータやセンプですら、現象そのものは視認できていた。
石の刀を持っているだけの山水は、微動だにしていない。
そして、実際に何もしてない。一切、仙術もなにも使っていなかった。
それに対して、狂気を解放した狼は飛び出そうとしていた。
大きく口を開き牙をむき、両手を広げて爪を見せていた。
そして、首が横回転しながら飛んでいった。
身体能力の高まりによって、血圧が上がっていた。
それだけに、首の切断面からほとばしる血流は、とんでもないものだった。
一瞬どころではない。
およそ一秒ほど、山水は何もしないまま立っていた。
一秒である。それは戦いの時間の中では、あまりにも長かった。
山水はゆっくりと倒れていく胴体と、落ちてくる首を眺めながら、悠々と腰に石の刀を収めた。
そのうえで、双右腕に手を伸ばす。
「縮地」
ここでようやく、目にもとまらぬ動きが発生した。
とても短い距離ながら山水は一瞬で移動して、さきほどまで狼が立っていた場所の前に立つ。
そして、居合切りを行った。
先ほどまで狼の首があった場所を、狼が倒れてから斬っていた。
双右腕の刃は、鞘に納めるまでもなく消失し、山水はそれを腰の鞘に納めて終わりとした。
「……は?」
絶句だった。
目にもとまらぬ早業どころではない。
何もかもが目に映っていたのに、何がどうしてこうなったのかわからない。
【なんだ……なにが起きたんだ?】
誰もが、士気を失っていた。
それこそ、アルカナ王国の兵士さえ、茫然として現実を理解しようとして、思考停止していた。
しかし、理解できまい。
これぞまさに究極の仙術というほかないのだから。
「つまらん剣だ、まったく」
双右腕は、『水墨』を『風景』に収めることで効果を発揮する刀である。
しかし唯一、八つの技の中で一つだけ、刀に収める前に効果を発揮する技がある。
正しく言えば、刀を鞘から抜く前に効果を発揮する技である。
「しかし……それは剣士としての話。まったく、よくこんな刀を作れたもんだ」
仙人として、先人に敬意を。
山水は帯にはさんでおいた紙を取り出し、書かれてあった口上を読み上げる。
「朝に道を聞かば、夕べに死すことも可なり」
それは、不可避の攻撃。
まさしく異次元の斬撃。
「大天狗流修験道」
「虚空刀法、抜刀術」
「絶招」
禁忌を冒してでも、成し遂げたかった理外の絶技。
誰もが知っていて、しかし誰もが向かうことができない『方向』への斬撃。
「瀟湘八景」
「煙寺晩鐘」
「有耶無耶」
数秒前を斬る、過去へ遡る斬撃である。




