客人
「つまり、ショウゾウ。お前の言う所の『回復魔法』は、お前には使えないのだ」
「なるほど!」
なぜこんなことをしているのだろうか。そう思いつつも、カプト家の専属魔術師は目の前の成人男性、あるいは青年に魔法の常識を教えていた。
字も読めない相手ではあるが不思議と言葉は通じるし、礼儀はなっていないが食器や厠を知らぬほどではない。
ある意味そこまで深刻に、知恵がないというわけではないようだった。
その一方で、どうしようもなく軽率で、どうしようもなく浅慮ではあるのだが。
「そうか~~それは残念だ……昔のゲームはそんな感じだったらしいな」
「とにかくお前は、規模の大きい攻撃魔法しか使えないのだ。それを理解しろ」
実のところ、教えている内容も目の前の彼の思慮の無さも、そこまで異常というわけではない。
少なくとも、自分が魔術師として優秀というだけではなく、一人の人間として知的であるという自負をもつ魔術師は、目の前にいる『頭の悪い男』を良く知っている。
パレット・カプトは余り会う機会がなかったから、彼らの頭の悪さを思い知る状態に無かったのだろう。
だが、むしろ世間にはこういうバカの方が多いのである。そういう意味では、比較的なマシな方であるともいえる。
少なくとも正蔵は、自分が馬鹿だということをよく理解しているようだった。
世の中には自分の過ちを認めずに、訂正を受け入れるどころか意固地になって攻撃的になる、という輩が多いのだ。
「そうか~~」
法術によって治療を済ませている彼は、全身に多くの傷跡を残していた。
死んでもおかしくない、あるいは長期の不便を強いられて当然の怪我ではあったが、カプトという国内で随一の医療技術の発達した場所での怪我だったため、その程度で済んでいた。
『うわあ、俺かっこいい!』
顔を含めて全身に木の枝が刺さった痕が残っているが、それを見ての第一声がそれだった。
なんとか治療を終えたパレットが心底脱力したことは、言うまでもないだろう。
「それじゃあ、その魔法ってどういう時に使えばいいんですか?」
「……戦争だろうな。とはいえ、その予定もないぞ」
「……」
つまらなそうな顔をしているが、しかし一応『戦争が起きてなくて残念』というほど無神経ではないらしい。
とはいえ、まだ何かできることがないか、と思っているようでもあった。
「それで、お前はどんな本に影響を受けたんだ」
「え?」
心底びっくりして、驚いたように魔術師を見る正蔵。
何故自分の考えていることが分かったのか、という顔をしていた。
「別に驚くことでもないだろう。世の中には、魔法の事を何も知らん作者が面白おかしく描いた作品と言うものが馬鹿みたいにあるのだ。そういう本を読んで、魔術を志す者も多い」
魔力を持たない者は少ない。つまり、魔法使いが活躍している本を読んだ子供たちの、その多くは魔法使いの素養を持つのだ。
もちろん、素養があるところで差は大きい。なまじ人数が多いだけに、需要が多くとも競争が激しいのだ。
そういう意味では、法術使いはその力がどれだけ弱かったとしても、相当の需要がある。
もちろんカプトの領地内は本場も本場なので隅に追いやられるが、どこの国やどこの地方でも就職に困ることは無いだろう。
「それで、どんな本に影響を受けた?」
「そりゃあ……主人公が凄いって言われるお話だ!」
やや恥じていたものの、語りたかった面でもあるのか、躊躇したものの話すことは止めなかった。
「今まで、どこにでもいる誰かだった自分が、新しいところに行って魔法を使えるようになる。自分が何気なく使えるようになった魔法は、実はすごい魔法で、皆が褒めたたえるんだ。君は凄い、君は凄いって!」
一つ決定的に、カプトにも彼にも幸運なことがあったとすれば、彼が憧れた主人公がとても『普通の英雄』だったことだろう。
これが世界に対して変に拗ねたところのあるダークヒーローに憧れていれば、彼の命は長くなかったに違いない。
「主人公が困っている人を助けると、その人はとっても凄い人で、その主人公の事をとても重用してくれるんだ! 主人公は新しい家を手に入れて、そこで可愛い女の子を沢山侍らせて過ごすんだ!」
この世界でも良くある英雄譚だった。
多分特定の何かの作品ではなく、複数の作品で行われている、一種の『王道展開』なのだろう。
「そうやって楽しく過ごしている主人公の所に、主人公を頼っていろんな人が来るんだ! 貴方の力が必要だ、力を貸してほしいって! そこで冒険をして、また新しい出会いをして、新しい力を得て、どんどん主人公は強くなっていって、どんどん周りから頼られて出世していくんだ!」
一種の呆れを感じないでもない。
おそらく彼の故郷では、魔法というものに対して具体的な知識が存在しなかったのだろう。
もしも存在していたならば膨大な魔力に自覚を持たないわけがないし、彼を国外に出すわけがないからだ。
「だから俺も、どんどんいろんなことができるようになりたいんだ!」
非常に興奮しているし、非常に夢を見ている。
おそらく彼は、物語の主人公と自分を重ねているのだろう。
「四大貴族の跡取りになるかというパレット様に助けていただき、こうして住むところを都合してもらい、なによりも不慮の事故とはいえ村を潰したお前の尻拭いをしてもらったお前には、当分無理そうだがな」
「う……だから、こう……もっといろいろ魔法を憶えて……」
「不要だ、お前はこの世界で最強の魔法使いだからな。例え八種神宝を持つ者が現れても、お前には遠く及ぶまい」
「そう! そのヤクサノカンダカラっていうのがあれば! 俺だって……もっとこう……」
「お前に必要なのは増幅器ではなく拘束具だ。しかし八種神宝にそんなものはない」
所持者の魔法を増幅する神剣エッケザックスは存在する。しかし、仮に正蔵がそれを得ればとんでもないことになるだろう。
ただでさえ使いどころのない魔法の使い手を、これ以上強くしてどうするというのだ。
「そんな~~」
「新しい力か……確かに物語では新しい力が好まれるであろう。それに、ある意味では自分に足りないものを見つめているともいえる。だがな……お前には新しい力など必要ない。それどころか、そんなものは余分が過ぎる」
なまじ、法術によって怪我の医療が迅速だからこそ『痛い目』を見ていないと言える。
彼は自分がしでかしたことを、本当の所ではよくわかっていないのではないだろうか。
いいや、それは彼だけではない。彼がどれほどの存在なのか、一体だれが計れるというのか。
「お前に足りないものはない。あるとすれば、それは思慮だろうが……お前は一旦、自分が今どれだけのことができるのかを知るべきだ」
「今の、俺?」
「そうだ。困っている人を助けて感謝されたいと簡単に言うが、実のところお前は今の自分にどんなことができるのか、把握しているのか」
「だから、こう、練習をし、しちゃいけないんじゃ?」
「私の言う通りにすれば、その限りではない。私はお嬢様からお前の魔法の実験に関して権限をいただいている」
この小屋の中には、一応専属魔術師と正蔵しかいない。
しかし、小屋の外にはとても生真面目に『死を覚悟している』聖騎士の護衛が四名、この粗末な小屋を守っていた。
守っていた、というのは誇張抜きで『傷だらけの愚者』から『アルカナ王国』を、である。
仮にこの小屋に山賊が押し入って彼に攻撃魔法を使わせた場合、その山賊と彼自身が死ぬ程度では済まないのだ。
秘密任務ではあるが、国家防衛の任を受けていた彼らは、小屋の前で行われる『訓練』を目の当たりにして、その事実を確認するのだった。
※
「とりあえず、あの一件以降は大人しくしているようで何よりです」
「ええ、本当でございますな」
魔法の才能と引き換えに学習能力をどこかに置き忘れたのではないか、と疑われていた正蔵も墜落して以降は大人しくしていた。
大人しくしていた、というのは、教師として付けている専属魔術師の指示に従って、適度に魔法の訓練をしている程度に収まっているということだろう。
「彼が純朴で良かったですなあ……」
「ええ、彼は素直ですから、それが救いです……」
例えば、彼が自分の魔法をほぼ完全に理解していて、自分に何ができるのか把握していれば交渉ができる。
彼が自分の能力を知り、その上で判断ができるのであれば、最終的な切り札として猛威を振るうこともあっただろう。
彼の人となりを理解し、危険ならば殺し、好色なら女をあてがい、名誉を求めるなら祀り上げればいい。
しかし、彼はまだその段階にない。それこそ、魔法を覚えたばかりの子供同然なのだ。
「それに、あそこまで愚かだと利用するという段階にもない……自分の中の浅ましさを見つめ直す機会を得られたと思います」
「ええ、そうですなあ……言ってはどうかと思いますが、彼は悪人『では』ないですからなあ」
ひとつ、村を壊滅させ国家さえ揺るがしかねない正蔵の命を保証するものがあるとすれば、変な話だが彼自身がいつでも殺せるからだ。
彼を殺すのは簡単である。適当に魔法で自滅させて、放置すればいい。彼はそのまま死ぬだろう。
現状コントロールできるのであるし、何時でも殺せるどころか放置すればすぐ死ぬんだし、隔離して学習させればいい。判断はそれからでも構わない。
「改めて、サンスイ様の素晴らしさがわかります。ショウゾウとは対極的に過ぎますが……というか、比較対象としてふさわしくないと思いますが、彼は本当に優れた護衛なのですね」
「さようですな。ソペードをして、安心して使える護衛です」
安心して妹を任せることができる『護衛』。そんなものから、正蔵は余りにも遠い。
彼の場合、まず彼の魔法からの護衛を付けなければならないのだ。
「最強の剣士と最強の魔法使いで、こうも違いがあるのですね……良い事ではありませんが、ソペードがうらやましいです」
「それが妬みでなければよい事です。それは敬意、尊敬ですからな。改めて、彼の良い面が見えるようになったのでしょう」
最強とは最も強いことを意味している。
しかし、最強の剣士である山水と、最強の魔法使いである正蔵では差がありすぎた。
はっきり言って、強大な力を持つことに無自覚な馬鹿など、悪人よりも質が悪い。
「ですが、これも神が我らカプトに与えた試練なのでしょう。彼が今生きているのは、良くも悪くもカプトの領内であればこそ……」
「そうですな……」
「ソペードは最強の剣に信を置いています。ならば私達も、最強の魔法使いを育て上げるべきなのでしょう」
ソペードは最初から完成している、完璧な剣を手にした。
それは羨ましい、実に羨ましい。替えて欲しいところである。
しかし、それは出会いの縁をないがしろにすることであるし、そもそも怠惰だ。
彼は彼なりにこちらの指示に従ってくれているのだし、このまま育てればきっと心強い切り札になるだろう。
彼を育成できるのも、彼を運用できるのも、カプトだけなのだ。そういう思し召しである。そう思ってないと、やってられない。
「お嬢様、お客様がいらっしゃいました」
メイドの言葉を受けて、聖騎士隊長とパレットは喜んでいた。
このカプトの屋敷に招いていた客など、一人しかいないのだから。
「セイブの呪術師がいらしたのね?」
「いいえ、お嬢様。その、婚約者様です」
二人は、物凄くがっかりしていた。