思視
やはり、少し前の話である。
ソペードの本家とシロクロ家は集まっていた。
一国の存亡がかかっている状況で、切り札の不在。
そんな状況を誰もが面白くは思っていなかった。
「フウケイの時もそうだったけど、なんであの男は肝心な時にいないのかしらね」
ドゥーウェは露骨に不快感を示していた。
そう、スイボクの兄弟子であるフウケイが、ドミノ共和国を襲った流れでアルカナ王国の国境を越えようとした。
その時も、山水はブロワの実家へ行っていて、不在だったのである。
「も、申し訳ありません」
「ごめんなさい……」
ファンを抱きしめたブロワは、レインと一緒に申し訳なさそうに謝罪する。
実際、何なんだろうか。超ピンポイントで必要な時にいない。
「まあそういうな、ドゥーウェ。無断でどこかへ行ったわけではないし、必要な要件ばかりだったであろう」
前当主はそう言った。
実際、山水は無断でどこかへ消えたことはない。
前回も必要な礼儀であったし、今回も同じことだ。
結婚相手の実家へ挨拶をしない貴族などあり得ないし、世話になった師匠が自らの人生に決着を求めているのなら付き添うのも当然だ。
そのどちらもが、武門の名家としても通すべきことをしているだけである。
「ドゥーウェ、余り困らせるものではないよ。君にとって兄同然だったサンスイ殿が手柄を逃すのは面白くないだろうがね」
「あら、あんな汚らしい兄なんて、願い下げよ」
旧世界の怪物を相手に、武勇を示せる。
そのことに興奮を感じているトオンは、自分の妻をなだめていた。
確かに他の家から見て、一歩も二歩も遅れるのは面白くないだろう。
それが自分の第一の部下、と言っても過言ではない山水の不在によるものならなおのことだ。
「……アレがいれば、バトラブの要所の被害を抑えられるとは思うがな。さすがに竜を討つには力が足らんだろう」
竜を一刻も早く討ち取る。
それが今回の戦争の成否を分ける。
そういう意味では、山水は他と比べて大きく劣る。
現当主であるドゥーウェの兄は、そう口にした。
「普段なら、ショウゾウなどどこにいる誰とどう戦うのか、という話だが……今回はまさにそういう状況だからな……」
「とはいえ、奴自身が不在でも文句を言うものは首脳にはいない。サンスイがもたらしたものは、今もこの国全体に恩恵をもたらしている。それは決して、戦術的な成果に留まらん。戦略的な意味を持つ」
もしも、山水がいなかったらどうなっていただろうか。
祭我は今ほどに謙虚さを持っていただろうか?
スイボクと違って、常人は強くなりたいと思い続けることができない。
山水が剣の師匠として導かなければ、彼はきっと歪んでいた。
右京はアルカナに対して従属していただろうか?
彼がレインを保護していなかったら、アルカナ王国はドミノへ譲歩する理由も持たなかっただろう。
もしかしたら、旧世界の怪物は右京と手を組んでいたかもしれない。
もちろん、本人が意図したものではないだろう。
右京と違って、戦術的な視点や戦略的な視点を持たない彼は、そんな絵を描けない。
しかし、それでも彼は結果としてこの国にいいものをもたらしてきた。
「いないものはいないのだから仕方がないだろう。いつも言っていることだが、人間が一人いないぐらいで滅亡するのなら、その程度の国だ」
「父の言う通りだろう、ドゥーウェ。第一、サンスイはあくまでも武芸指南役だ。武芸指南役がいない程度で滅亡するような国なら、その責任は我らにある」
「それでも、他の家との差が付くじゃない」
アルカナ王国が長く維持されたのは、四大貴族と王家の緊張関係が大きい。
いざというときには一致団結するが、普段は競い合っているのだ。
もちろん今は非常時であり一致団結の時であるが、それでも他の家ばかり活躍している、というのは面白くないだろう。
「で、では奥様……」
「ブロワ」
私も戦いましょうか、と言いかけたブロワを、ドゥーウェは制していた。
「貴女、私に恥をかかせる気?」
「も、申し訳ありません……」
「まったく、夫婦そろって気が利かないわね」
引退して久しいブロワだが、今でも戦えば雑兵より数段上の活躍ができる。
しかしそれでも、もう正式に引退した身である。
そもそも、山水もよく言っていたことだが、戦場に出たら死ぬのが普通だ。
既に彼女の両親には、ブロワは戦場に出ないと伝えてある。
それを反故にするなど、それこそあってはならない。
「その通りだ。私からも頼むよ、師匠の妻を矢面に立たせては、男としてのメンツが立たない。信じてくれたまえ、他の戦士のこともね」
「旦那様……差し出がましいことを、口にするところでした」
お前馬鹿じゃないの?
という対応であるが、それを見てレインは一安心だった。
自分の母親が、怪物を相手に戦うなど普通に嫌だろう。
「それに……案外サンスイ殿も間に合うかもしれないだろう? エッケザックスから聞いたが、スイボク殿は秘境セルとやらにも立ち寄るそうじゃないか」
ディスイヤの老体が出した、スイボクの作った宝貝よりも数段強力で上等な宝貝。
エッケザックス曰く、世界最高の宝貝職人が作った代物であり、今山水やスイボクが向かっている場所で暮らしているらしい。
もちろん、二千五百年前の話ではあるので、今も生きている保証はないのだが、多分生きているだろうとのこと。
「案外そこで、最高級の宝貝を授かっているかもしれないだろう?」
※
「ですから! その好意は迷惑だと言っているんです! そもそもそれは好意ではないでしょう!」
「持っていけと言っているのだ! 師に従え!」
「師弟関係を破たんさせるようなことをおっしゃらんでください!」
「ええい、お前も昨日は大いに楽しんでいたであろう!」
スイボクと山水は、言い合いをしていた。
というか、押し付け合っていた。
世界最高の宝貝職人が作り上げた、人間が生み出した最強の剣。
しかし、それを山水もスイボクも、まるで必要としていない。
今回はたまたま、相手が最上級の剣士で、普通ではない剣を持っていて、しかも縮地を封じられていたから使わざるを得なかっただけだった。
ガリュウは山水を追い込めるだけ追い込んだ、稀有な強敵だった。
しかし、流石に今後も彼のような使い手が現れるとは思えない。
仮に現れたとしても、今後も継続して人骨の剣など使いたくない。
「いかんな……いよいよもって、何もないぞ」
その騒ぎを聞いていない、この大八州の長老であるカチョウは、どうしたもんかと首をひねっていた。
翌々考えれば、暇すぎて剣術ぐらいしか発達しなかった空の離島である。
外国の貴人に渡せるもの、となると本当にない。
ある意味理想郷といえるここだが、理想郷だけに娯楽や特産品が無かった。
「仕方ない……サンスイよ、とりあえず奉納されている宝貝を持てるだけ持って帰れ」
「いいんですか?!」
「良いも悪いも……大天狗も気にせんよ。置き場に困ってきたわけじゃし」
他に価値のありそうなものが無いとは言え、奉納されたものをほいほいくれてやっていいのだろうか。
周囲の天狗や剣士たちはどうかと思っているが、文句を言えないし実害もないので黙るしかなかった。
「そもそも、大天狗自身、秘境に置き場がないのでここへ保管させたのが始まりじゃったし。いい加減、あふれてきたし」
そう言えば、スイボクとフウケイの確執の中に、勝手にスイボクが奉納されていた宝貝を持ち出して、フウケイがそれをとがめたという話があった。
それに関しても、スイボクを他の仙人は許したというが、実際それが始まりだとしたら納得である。
形あるものをありがたがる、というのも仙人らしからぬことではあるが、それにしても限度はあるだろう。
なお、天狗であるフサビスは、バツが悪そうな顔をしていた。
世界最高の宝貝職人が宝貝を作りすぎて、置き場がないから他所に押し付けていて、しかも渡された側も押し付けたがっているのだと。
如何に世界最高の宝貝職人といえども、その傑作を好意的に受け取ってくれるとは限らないのだ。使う当てのない道具を大量に押し付けられても、邪魔なだけである。
「いいんですか、カチョウ師匠。それって大八州の土産じゃなくて秘境の土産ですよ?」
わりと常識的なことをいうゼン。
大八州の土産として、秘境セル産の道具を渡すのはどうかと思われる。
「ゼンよ。これは土産というか謝罪なのだ。片腕を失って体中が石になったサンスイ、その主の心中を思うと、変なものを渡せんであろう」
「もらいもんをそのまま渡すのはどうかと思うんですけど」
「ううむ……ではこうしよう。ゼンよ、お主は大八州が下界へ誇れる土産物を作るのだ。それを生涯の目標とせよ」
「俺の生涯を何だと思ってるんですか?!」
勝手に人生を決められそうになるゼンは、全力で抗議していた。
なんで特産品の開発に、人生を捧げなければならないのだろうか。
「そうはいうがな……他には葛餅、饅頭や団子ぐらいしかないぞ? あとは漬物か……」
「お茶もありますね」
「もうそれでいいですから! それもらって帰りますから!」
本当にただの土産物をもらって帰ろうとする山水。
このまま長居したら、それこそ『武器庫』ごと渡されそうである。
それは避けたいところだった。
持ち帰っても誰も喜ばないだろうが、人骨を持ち帰るよりはマシだろう。
「何を言うか、酒ではないのだぞ。そう日持ちするものではなかろう」
返ってくるのは、非常に常識的な言葉だった。
確かに普通の食べ物が、そう長く持つわけがない。
「無いんですか! 鮮度を保つ宝貝とかは!」
「そんなもの作ってどうするのだ?」
心底から不思議そうに、『そんなもん』の存在意義を問うカチョウ。
確かに仙人らしからぬ発想の宝貝であろう。
必要は発明の母というが、必要だと誰も思っていないので仕方がないと思われる。
「ううむ……どうしたものか」
「サンスイ! ここで双右腕だ! その刀を使えば速やかに、その土産が腐る前にアルカナへ帰れるであろう!」
運送会社のキャッチフレーズのようなことを聞いて、多少嫌な気分になる山水。
師匠のみっともないところを見たくない、そんな気分を素直に認めていた。
「わかりました……じゃあこれは持っていきます」
山水は、改めて双右腕を右の腰に差した。
左の腰には石の宝貝、右の腰には木刀も刺してある。
一気に四本も刀を差すことになった山水は、腰の帯が緩むのを感じていた。
四本も刺すと、普通に重い。軽身功を用いて、重量を調整する。ちょうどいい塩梅になったので、一安心する。
これで帯が脱げたら、それこそ笑えない。
「うむうむ、儂も若いころは大量の刀をもって歩いたものじゃ……懐かしいのう」
刀剣は消耗品、というのはスイボクも一周回って到達した境地である。
しかし、今の山水は敵が使っている者を殺して奪ったり、腰に差しているものを奪ってそれを使って殺したり、とまあ適当である。
なので猶更、この人骨を使う意味が解らない。
スイボクは天蓋乃刃を習得した後で忘牛存人と名付けた。
つまり、必要性もないのに強力過ぎる術を作ってしまった、という後悔をした証である。
牛もいないのに牛刀を買ってしまった、という感じだろう。別に牛を殺したいわけでもないのに、一種の好奇心で牛刀を買ってしまった。
実際には、天蓋乃刃は牛刀どころではないし、買うのではなく一から試行錯誤しつつ編み出したのだが。
「サンスイ師匠! そこいらの茶屋へ行って包んでもらってきました!」
大急ぎで戻ってきたゼンは、大きい葉を乾燥させた包を持ってきた。
流石にそこまで大量ではなく、抱えられる程度の大きさだった。
「ああ、ありがとう」
帰ったら奥様から何を言われるのだろうか。
山水は今更ながら心配になってきた。
片腕を失って、体のあちこちが石になって、しかも団子や葛餅や饅頭を持ち帰ってくるとか。
絵面としては、最悪に近い。そのまま解雇もあり得そうだった。
「……最悪、ブロワと娘二人を連れて、ここに移住するか」
生活水準が大いに下がるが、まあ仕方あるまい。
「では、改めまして……スイボク師匠、私はアルカナへ戻ります。また顔を見せますので、どうか息災で」
「うむ、お前も元気でな」
仕切りなおして、別れの挨拶をする。
永遠の命があるとしても、これが最後の別れになるかもしれない。
その上で、剣士の師弟は今までのことを全部忘れたかのように、あたたかな挨拶を交わしていた。
「フサビス、ゼン君、カチョウ様。貴重な体験をさせていただきました、またお会いできればと思います」
「……切替早いわね」
「すげえ……」
「うむ、達者でな」
挨拶を終えると、山水は腰の骨刀を抜いた。
暗黒の刀身を、はるか上空へ向ける。
「思うが儘に、阻む物なし」
刀身の示す先に、神経が及ぶ感覚。
縮地と同様に、己の場所をそこへ動かせる確信を得られていた。
「大天狗流修験道」
狙いを定めると、目標をにらんだまま刀を納めていく。
「虚空刀法思動術」
それは縮地ではない。本来虚空法は、縮地法を極めた者が習得する仙術。
異なる『方向』へ干渉できるその術の前に、上下左右など何の意味持たない。
「瀟湘八景洞庭秋月」
視界が及ぶ限り、思考の及ぶ限り、月にさえ手が届く。
「融通無碍!」
刀を納めた時、山水は大八州から姿を消してアルカナ王国の方向、はるか上空へ移動していた。