一生
結果は大事であり、実力もまた大事である。
いかなる過程を経たとしても、結果こそが重要なのだろう。
そもそも、同じ過程を経たとしても、同じ結果に至れるわけがない。
しかし、それでも過程は必要だった。
スイボクの人生にも、過程は存在した。
その過程の是非は本人も認めるところだろう。
必要だったかどうかはともかく、無関係ではない。
強さを求める者が誰かと戦うのは当たり前だし、実際に戦わなければ培った力の検証などできない。
そして、仕方がない。
戦えば死ぬのは、仕方がないのだ。
「あ」
当然と言えば当然。
二千年間積み重ねた研鑽が、百年も生きていない『敵』の前で終わる。
それを受け入れられるか、ということ。
「あ」
このままだと死ぬ。
そんな状況で、平静になれるわけがない。
そうすんなり結末を受け入れられるなら、とっくの昔に解脱している。
確かに拳法家の里を単身で襲えば、当主たちを殺していけば、こうなって当然だったとしても。
もうすでに二千年生きていて、天寿どころではなかったとしても。
今までさんざん悪事を働いて、死んで当然の男だったとしても。
未だに理想から遠いスイボクが、それを受け入れるわけもない。
「あ……」
許さない。
スイボクをこの場の誰もが許さない。
動輪拳の当主さえ、スイボクの助命も逃走も許さない。
しかし。
ああ、しかし。
許さない、のは。
許せない、のは。
スイボクである。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
許さない。
スイボクは絶対に許さない。
自分の敗北を許さない。
自分を負かせる者を許さない。
自分より強いものを許さない。
現実が自分の感情を裏切るのなら、その現実を破壊する。
ただの幼稚な癇癪が、二千年生きた仙人の中から吹き荒れる。
本来なら、ただ冷静さを欠くことによって、戦闘能力は結果的に下がるだけの状態。
しかし、エッケザックスを持っているというたった一つの要素がすべてをひっくり返す。
「……おい、今更」
みっともない真似はよせ。
勝負を挑んだのはお前だろう。
そう、迅鉄道の当主は言おうとした。
言おうとして、口を動かし続けていた。
しかし、突然声が出なくなる。
それが何を意味するのか、確認しようとするが何も動かない。
「----俺の、俺の命が欲しいのか!」
かろうじて、眼球だけが意志に従って動いていた。
「俺から、勝利を奪いたいのか!」
刀身が見えた。
今『自分』が、刀身に乗っていることだけが見えた。
自分の『大部分』が、どさりと地面に転がる音が聞こえた。
そして、『貧血』で意識が遠くなる。
「命は、要らないんだな!」
傀儡拳の使い手たちが、腰を抜かしていた。
スイボクの身に何が起きているのかを把握できてしまった彼らは、スイボクの変容を把握してしまっていた。
森の木々が、風もないのにざわめいた。
残っていた仙気が増幅され、スイボクの集気が増幅される。
周辺にある自然の力を吸い込んで、己の力に変える基本中の基本。
それが、常識の枠をはるかに逸脱して発現している。
禁式仙術、枯森。
厳密には、禁術ですらない仙術の失敗。
錬丹法を用いる際には己の仙気を満たした森などから力を集めるのだが、焦って吸う力をあげすぎると森全体が弱ってしまう。
短期的な利益は些細なものでしかなく、長期間かけて仙気をなじませた森が一気にやせ細ってしまう。
それが、スイボクが初めて訪れたこの森で発生していた。
常軌を逸したスイボクの精神状態によって、スイボクの仙術は常軌を逸した速度で山森全体へ波及していく。
木の一本が葉をすべて散らし、見る間に衰えてしぼんでいく。
木から吸い込んだ気を用いて、更に周辺へ仙気を送り枯らしながら吸収していく。
まさに、死の呼吸と言うほかなかった。
スイボクが呼吸をするたびに、周辺の木々がどんどん枯れ拡がっていくのである。
「う゛ぅあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
傀儡拳の使い手たちは把握している。
満身創痍だったスイボクの体が、凄まじい勢いで回復していく。
既に万全を通り越して持て余すほどに気血があふれ出しており、更に吸い上げながら仙術を発動させていた。
「ぐ……怯むな!」
それを把握しているのは傀儡拳の使い手だけ。
もしや毒でも散布しているのか、と疑いつつも残る八家の使い手たちは立ち向かおうとする。
そう、相手が何をしているとしても、倒すべき敵であることに変わりはないのだから。
「玉血、四器拳! 足槍、破壁貫!」
「強血、嵐風拳! 下段投石!」
絶対的な強度を持つ四器拳の使い手を、瞬間的に強化される嵐風拳の使い手が投擲する。
単純にして強力な連携攻撃が、スイボクに向かって放たれる。
そして、その『刹那』を傀儡拳の使い手たちは『共有』していた。
指一本動かせない、高速化された認識の世界。
大幅に増幅された瞬身功によって加速したスイボクは、さながら停止した世界の中を動くように自分への攻撃を憎悪の視線で射抜いていた。
牽牛
投げられた四器拳の使い手を、運動量を消しつつ手元へ移動させる。
豪身功
それを掴んで、逆に投げ返す。
停止した世界の中で投擲されかえされた彼らは、己を投げていた嵐風拳の使い手たちを貫いてそのまま地面へ埋まっていった。
そして、瞬身功が解除され、時間間隔も元に戻る。
今更のように、周囲の拳法家たちが困惑していた。
「ど、どういうことだ傀儡拳!? わかるのか、何が起きたのか?!」
「あ、ああ……あの剣だ。あの剣が、力を大幅に増している……奴の術を増大させている……おそらく、精神状態によって性能が変わるんだろう……奴の身体能力をあげる術が、爆発的に強くなっていた」
「わかっているのなら、なぜ止めない?! これだけ傀儡拳がいるのだ、全員で奴の動きを妨害すれば……」
「無理だ、アレをどうにかすることなど、できるわけもない……」
今のスイボクは、さながら大嵐のごとき力を渦巻かせている。
人間をはるかに超えた自然災害のごとき力を、傀儡拳の使い手ごときが何百人そろっても狂わせることなどできはしない。
それを、精密な把握が可能な彼らは、手遅れになってから理解していた。
「爆毒拳……軍式、崩層落!」
それでも、怒っているのはスイボクだけではない。当主を殺された他の拳法家たちは、ひるむまいと猛攻を仕掛ける。
大勢の爆毒拳たちが連携し、侵血で染めた地面を爆破させスイボクへ襲わせる。
仮に土中でも問題が無いとしても、土そのものを爆破すれば殺せるはずだった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
絶叫し、爆発するスイボク。
放った技は、ただの発勁。
全身から周囲へ放つ、普通なら軽く風が吹く程度のもの。
火花を散らす程度の効果しかない、戦闘で使えない技。
それが、数千数万倍となって発現する。
崩壊した土砂によるがけ崩れが、爆風によって押し返される。
膨大な質量を逆に吹き飛ばす、膨大な風圧。
それは土砂を放った爆毒拳の使い手たちを逆に土砂で押しつぶし、それが無かった方向の拳法家たちを朽ちた木々へ衝突させ殺していた。
「う……ぐぅ!」
「はぁ……はぁ……」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
誰でも使える。
それなりに便利。
それが利点というだけの、威力に乏しい無属性魔法。
それが、人知を超えた規模で発動している。
それを、誰もが理解していた。
しかし、理解したところでもう遅い。
スイボクはエッケザックスを天高く掲げていた。
気功剣法、十文字。
本来なら剣の周囲に疑似的な刀身を生み出し、敵の剣をひっかけたり十字槍のように敵の首を狙うこともできる。
本当に、それだけの技。普通なら、無属性魔法ゆえの威力の低さによって、少々の防具で受けきれてしまう弱い『魔法』。
それが、スイボクがエッケザックスを使うことによって、まさに天を衝くような柱となってそそり立つ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
それを、振り下ろす。
大地がめくりあがり、血しぶきが上がる。
「ぐぅ……!」
かろうじて、四器拳の使い手たちは腕を硬化させて受けていたが、それでも地面へめり込んでいた。
しかし、その彼ら以外は全員、枯れた地面への肥やしとなって散っている。
包囲されている状態で一直線を斬っただけだが、それでも十数人が死んでいた。
「鮫噛拳! 土中電光石火!」
相手は強大、というのはわかった。
先ほどまでは手を抜いていたのかもしれない。
しかし、それでも拳法家たちはひるまない。
そもそも外の戦場では、魔力による魔法が飛び交うものだ。
目の前の相手が無属性魔法にしては強力な術を使うとしても、それは今更だ。
火力で劣るとしても、戦場を駆ける拳法家たちは勇敢にも立ち向かっていく。
「あ゛あ゛!」
発勁。
ただの無属性魔法が、とびかかってくる鮫噛拳の使い手を迎撃する。
本来なら急所に当てても即死に至らないその術が、しかし、触れた相手を粉微塵に粉砕する。
それどころか、その周辺の地形を大きくへこませていた。
増大したスイボクの術の波動は、人間の肉体では受け止めきれない。
瞬身功も相まって、接近戦は完全に無謀だった。
「嵐風拳! 朽ち木投げ!」
「動輪拳! 挟弾!」
遠距離攻撃で対抗しようとする拳法家もいた。
それらが無理でも、投石やその補助をする者も多い。
それでも、傀儡拳の使い手たちは動けない。
彼らは精密にスイボクの心中や行っている術を理解していた。
激情にかられながらも、大地へ己の仙気を浸透させていっている。
呼吸を繰り返し、周辺一帯へ仙気をまき散らすことと、周辺に元々あった生命力ごとかき集めることを繰り返していた。
いいや、更にもう一つ段階がある。エッケザックスによる増幅だった。
そう、スイボクが吸収した自然の力は、仙気として周囲へ拡散する際に、エッケザックスによって増幅されている。
周囲の自然を枯渇させつつ、しかしスイボクの放つ自然の力は元の力をはるかに超えていた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
地動法、浮遊群島。
地動法、石牢。
地動法、砂上楼閣。
周辺の地形が、スイボクの意志に応じて変化していく。
狂乱しているスイボクの心中をそのまま受け取って、無作為かつ無秩序に変化していく。
命が尽きた大地が、浮き上がって壁となり、土が石となり砂になる。
「う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛!」
発勁。
気功剣法、数珠帯。
外功法、投山。
砂が糸となり、周囲の浮いた地面とエッケザックスをつなげていく。
それの重量が変動し、高速で移動しながら拳法家たちへ襲い掛かっていく。
「こ、こいつこんな術を?!」
「落ち着け、要はあそこにいる一人の男を……!」
「四器拳! 塊打!」
「爆毒拳! 背破!」
「動輪拳! 飛走! 綸拳!」
「嵐風拳! 上段剛砲!」
破壊力に自信のある拳法家たちは、友軍をかばいつつ巨大な礫を攻撃し破壊する。
所詮は大きいだけの土くれや、岩の塊。破壊できないわけがない。
高速で動いているし数も多いが、こちらにも人数の理がある。
著しい地形の変化に対応しつつ、スイボクを狙おうとするが……。
「がああ!」
瞬身功。
縮地。
ごく普通の、縮地。それを瞬身功と併せることで更に高速で行えるようにする。
それらによって、スイボクは居場所を一つの場所に固定しない。
「なっ?!」
重身功。
重量を膨大に込めた一撃が、大上段から拳法家を叩ききり、そのまま地面を切断する。
本来なら明らかに不要な力を込めて、一人一人殺している。
「傀儡拳! お前たちなら場所が分かるはずだ!」
「無茶を言うな! 移動を繰り返しているぞ!」
「とてもではないが捉えられん!」
今のスイボクが瞬身功と縮地を併用すれば、場所の特定などできるわけがない。
一時的に仙気が増大し続けているスイボクならば、これを繰り返すだけで殲滅できるだろう。
だが、そんなことにはならなかった。
そう、ならなかったのだ。
彼らは不幸なことに、仙人や天狗のことを知らなかった。
地の利を得た仙人や天狗は、それこそ神のごとき力を発揮する。
エッケザックスによって仙気を増大させたスイボクは、その場を速やかに支配できる。
それが意味するところは、周辺の大地を切り取って浮き上がらせ、それを支配する程度にとどまらない。
「な、なんだ?!」
「どうなっている?!」
「か、体が……!」
その地にいるすべての拳法家たちの体が、浮かび上がり始めた。
わずかながら飛行能力を持つ動輪拳の使い手たちを除いて、全員が無様に手足をもがかせる。
地動法、大干潮。
それは周辺の物体の重量をすべて大地へ押し付け、結果としてその地の人間などを浮かせる術である。
大地を支配している仙人にしか使えない術なのだが、その発動は空を飛べない者を決定的に無力化させる。
如何なる術を扱えるとしても、地に足がついていなければどうにもならない。
「いいいいいいいいいいい!」
まさに、怒髪天を衝く。
怒り狂ったスイボクは、エッケザックスを歯で咥える。
両手を大きく広げ、その掌をゆっくりと近づけていく。
その動作に合わせて、『大地』が割れた。
その場の拳法家たちの足場、どころではない。
彼らの視界、その及ぶ限りが割れて、浮かび上がっていく。
※
星血、亀甲拳。
その術を伝える者たちは、拉致同然に各家の子供たちを連れて避難していた。
避難、という言葉が極めて適切なほどに、彼らの背後では天変地異が起きている。
「おっとうが!」
「とうちゃんが!」
「かあちゃ~~ん!」
泣きじゃくる子供たちをひっぱたき、夕暮れの中を走る大人たち。
彼らは決して振り返らない。
夕暮れの中で、はるか後方に見える故郷とその周辺一帯が浮かび上がっていく。
文字通り、大地が割れながら浮かんでいく。
チリほどにも見えない、浮かんでいるであろう拳法家たちを、二枚に分かれた大地がゆっくりとした動きで挟んでいく。
鮫噛拳の使い手ならば回避できるであろうが、その術が終わった後にその大地が神剣によって切り刻まれることが分かっている亀甲拳の使い手たちは、生存者がいないとわかっていた。
「む、無理だ!」
「無茶だ!」
「勝てるわけがない!」
結論から言って、スイボクに勝つにはエッケザックスを手放させるしかない。
手放させたうえで、それを縮地や牽牛で回収できないようにするしかないのだ。
しかし、エッケザックスには認めた相手以外を拒む機能がある。
仮に奪い取っても、握った瞬間に弾かれてしまう。四器拳の使い手でも、どうにもならない。
もちろん一瞬なら掴むこともできるが、一瞬だけ掴んでも意味がないのだ。
その性質も相まって、テンペラの里の戦力をどう動かしても、最終的には『荒ぶる神』に到達する。
縮地に対応できないこともあって、スイボクが決定的な敗北を悟る前に殺しきれないのだ。
地動法、合掌。
大地と大地が上空でぶつかり合い、はさみ合う。
その上で、スイボクは大地の中で泳ぎ逃れようとする鮫噛拳の使い手たちを、その大地ごと切断していっている。
切り離され、浮かび上がり、そのまま更に切り刻まれる故郷。
それを背に、唯一全員が生存した亀甲拳の使い手たちは、同朋の遺児たちを抱えて逃げ続けていた。