窮神
コミカライズの三話は、7月の第1金曜日(7/6)を予定しております。
どうかよろしくお願いします。
「……」
スイボクは猛威迅鉄道という術の使い手に深い傷を負わされたことがあった。
もちろん、迅鉄道そのものが強いということもあるのだが、天狗の集落である秘境の統治者にしてこの世界最高の宝貝職人である大天狗が全面的な支援を行っていた。
だからこそ、スイボクを追い詰めた、といえる。
目の前の動輪拳の当主とやらは、宝貝や錬丹法の加護や、巫女道の支援もない。
あらゆる意味で、同列に扱うことはできない。
しかし、相手がどうであれスイボク本人の消耗が著しい。
八人の達人を相手に戦闘し、気血の多くを消費し、備蓄していた回復力も底を付き、骨折や裂傷などの傷を負っていた。
手にエッケザックスがあるとはいえ、あと一人の敵を倒せるのか。それは甚だ怪しいというほかない。
「動輪拳、滑走!」
そして、拳法家がスイボクへ手心を加える理由がない。
己の両足に車輪を生み出し、それを用いて山道を疾走し始めた。
その車輪は、お世辞にも大きくない。
迅鉄道では人間そのものが隠れるほど大きいものを使うが、動輪拳の場合支援が無いのでさほど大きいものを使えないのだろう。
しかし、当然ながら傀儡拳と巫女道ほどの明確な差はない。
スイボクは戸惑うことなくエッケザックスを振るう。
「甘い」
股を大きく開きながら体勢を低くし、エッケザックスを回避する。
それを見てスイボクはやや驚く。
迅鉄道はエッケザックスの攻撃を受けることができる術だった、この術も防御は歯車を用いて行うと思っていた。
しかし、拳法家は回避を行いながら攻撃する。
「動輪拳、伏龍」
「軽身功、虚芯転」
股を開いて地面についた状態で、大回転する。
足の車輪を使って、スイボクの足を狙っていた。
それに対して、スイボクは浮き上がりながら対応する。
「動輪拳、双回盾!」
腰の部分を軸にして、回転しながら切りかかる。
自分の体勢が不安定だからか、それに対しては両手の甲につけた歯車で受ける。
「重身功!」
「回盾、弾!」
エッケザックスを重くして押し切ろうとするが、受けている歯車を猛回転させて弾き飛ばす。
「動輪拳! 輪拳、縦切り!」
握り切れず、弾けるエッケザックス。
無防備になったスイボクへ追撃を行う。
しかし、この時拳法家は違和感を感じる。
剣を握っていない、宙に浮かんでいるスイボク。
彼の表情が平静すぎて、おかしいと感じた。
「気功剣法、十文字」
この時、スイボクはエッケザックスを握っていなかった。
「内功法、血足」
体からあふれていた血液、それがか細いながらもエッケザックスとスイボクを繋げていた。
「発勁法、裂破」
不安定な姿勢の拳法家を側面から衝撃が襲う。
地にしっかりと足を付けていない以上、踏ん張りようもない。
無様に上体を地面へぶつけていく。
「伏龍」
しかし、その上半身にさえ歯車が装着されていく。
決して動きを止めることなく、回転を続けながら『踊る』。
「登竜!」
地面に歯車を生み出し、その歯車へ両手を付ける。
その歯車の上で逆立ちをしながら、両足を拡げる。
「旋風!」
まさに、踊り。
両手両足に鋭利な刃物を生み出せるが故の、踏み込みも固定も必要としない軽やかな体術。
いったん手足が届かない高さへ移動したスイボクは、その体術を観察していた。
「動輪拳、挟弾!」
「気功剣法、縮糸!」
そのスイボクへ、小さな歯車を発射して攻撃する拳法家。
それを知っているスイボクは、自分とエッケザックスをつなぐ血の糸を縮めながら、剣の元へ移動し回避する。
「テンペラ十拳の中でも動輪拳はことさらに特殊なのだが……知っているのはうそではないようだ」
「なかなか特異な拳法ではあるが、大体わかった。俺に勝てると思わないことだ」
四器拳もそうだったが、エッケザックスと打ち合える拳法だった。
注意すべきは、歯車を使った変則的な動き。
迅鉄道は中距離戦に重きを置いていたが、動輪拳は特に間合いの近い接近戦が得意な様だった。
『見ていたが、俊敏性というよりは自由度の高い体術だな』
「かなりの実綸を出せるようだ。体につけて操作する分、数だけなら上だ」
迅鉄道は歯車を操作して戦っていたが、動輪拳は歯車をつけた全身を使って戦うらしい。
四器拳と違ってエッケザックスが刃こぼれすることはないが、十分な防御力と攻撃力がある。
(厄介なのは回転を使った防御。瞬身功を使えれば……いや、もう無理だ)
この時のスイボクは、比較的落ち着いていた。
相手がかつて苦戦した敵ということもあるが、ある意味では『猛威迅鉄道になら苦戦しても仕方がない』と心の中で言い訳が出来ていたのだろう。
それがスイボクに戦いの駆け引きをさせていた。
(さっきまでとは違って、ずいぶんと落ち着いているな……楽しいが、その分厄介だ)
それを、迅鉄道の当主も把握している。
連戦中はいら立ちを隠せていなかったはずだが、今の自分を相手にしている場合に限っては、とても落ち着いて立ち回っている。
その分攻防もごり押しや奇策による、一気に終わらせるものではなくなっている。
それは試合なら楽しいが、殺し合いとしては敗色を濃くさせるものだった。
(やはり、無属性魔法を多く使える。加えて、仙術……色々とできる拳法、剣法だな。こっちの手の内もある程度知られているらしいし……勝ちきれないか)
伊達や酔狂で九番手、実質の最後を飾っているわけではない。
如何に消耗しているとはいえ、スイボクと『攻防』が成立している。
相性や奇抜さで圧倒しているのではなく、戦闘としてかみ合っていた。
しかしそれは、スイボクに勝機を残している、ということでもある。
(惜しいな……俺は別に殺されてもいいが、これだけの剣士が狩猟で死ぬとは)
血まみれのスイボクを押し切れないことに、しかし拳法家は焦燥を感じていない。
その一方で、スイボクが自分に勝った場合のことを思うと、心が痛む。
「……!」
『スイボク?! わかるか、囲まれているぞ!』
気配に敏感な仙人としては不覚なことに、周囲に拳法家が集まりつつあることきに気付けなかった。
既に千人以上の拳法家たちが、殺気だって戦いを見守っている。
テンペラの里における千年以上の歴史の中で、ここまで抜かれたことは一度もない。
いや、仮にあったとしても、この場の彼らはけっしてスイボクを生かして返すことはなかっただろう。
「これは……」
「ああ、安心しろ。まだ手は出さないはずだ、まだな」
わかり切っている展開だった。
拳法家の里へ攻め込んで、最初から当主と戦えることがまず異常だったのだ。
順番が違うだけで、下の人間が出てきても当然だろう。
「俺とお前の戦いが終わるまでは、な」
「お前が死ねば、その限りじゃないと」
「ああ、テンペラの里の不敗神話は守られる。当主としてはそれで満足、ということにするさ。もちろん、勝てるならそれが一番だがな」
※
もう誰も酒を飲んでいない宴会場。
いよいよ本番、というところで祭我は己の剣へ訪ねていた。
「それで、どうやってそこから勝ったんだ?」
思いのほか、二千年前のスイボクは弱い。
勿論強いは強いのだろうが、でたらめに強いわけではない。
この調子では、それこそランにさえ劣るだろう。
もちろん、狂戦士にも勝ったことがある、ということではあるのだが。
「……」
周囲の誰もが、もしやテンペラの里を立てているのだろうか、とさえ思っていた。
もちろん、それはそれで嬉しいのだが。
「……」
「ど、どうしたんだよ、エッケザックス」
「今のスイボクを、お主は知っている。その強さを、どう思っている?」
「どうって……」
祭我は、今のスイボクが『戦った』ところを見たことがある。
今のスイボクはほぼ俗世と縁を切っているので、もしかしたらあの一度だけが最初で最後だったのかもしれない。
もちろん何度も手合わせをしたが、次元の差を思い知るばかりだった。
「まさに山水の師匠って感じだった。洗練された、究極の達人だった」
「であろうな、我もそう思った」
昔のスイボクと、今のスイボクは人格的にも差がありすぎる。
その心の在り方が、戦い方にさえ現れている。
「かつてのスイボクは、相手を深く探ることや周囲へ気を張り巡らせることを、未熟さだとか臆病さだと思っていた。しかしそれを極めた先こそ、今の境地がある」
山水を見た時もわかったが、本人を見た時は更に衝撃的だった。
あれこそまさに、スイボクが無意識に追い求めた、実体無き最強の具現だった。
「……昔のスイボクは、自尊心と実力が必ずしも一致しなかった。誰を何人相手にしても、絶対に負けないという自負心に満ちていた。実際には、苦戦することがあった。もちろん、稀であるが」
今のスイボクが落ち着いているのは、自尊心と実力が相応に釣り合っているからだろう。
それこそ、この世のあらゆる存在の全てを敵に回したとしても、涼し気に勝てるだけの実力が備わっているからだろう。
だからこそ、落ち着くことができているのだ。
「苦戦した時、スイボクは当然苛立つ。自分のふがいなさに腹を立てるからなのだが……それも度を超えると、一線を越える」
「は?」
「わかりやすく言えば、自己否定ではなく現実を否定するのじゃ」
それを聞いて、祭我も周囲の大人たちも、全員が呆れている。
確かに自分たちもそういう心中になることはあるが、品位とは程遠い未熟さだった。
「スイボクは天才であり秀才であり、純粋で努力家じゃった。強くなるためならいくらでも修業したし、実際負けたことなどなかったであろう。だからこそ、許せなかったのじゃろうな。故郷で千年かけて仙術を学び、五百年で神の座へ至り、その後五百年間武者修行した己が後れを取るなど」
祭我は恥じ入る。
スイボクは四千年の人生の中で二千五百年を修業に費やしている。
二十五世紀もの間努力し続けていたのだ。
そんな彼が『こんなに努力した俺が負けるなんておかしい』と思うのは、確かにそうだろう。
スイボクと比べれば、山水と戦った時の自分など怒ることさえ許されないほどだろう。
「それとこれと、何の関係が?」
「まだわからんのか……」
「いや、なんかすごい必殺技でも使ったんじゃないのか?」
「違う」
何言ってるんだ、こいつ。
その場の誰もが、拳法家たちも含めて、全員が理解に苦しむ顔をしていた。
「スイボクは癇癪を起こして、大暴れして皆殺しにしただけじゃ」
エッケザックスは懐かしそうに、遠くを眺めながらそう言った。
「どうあがいても絶対に勝てない、その現実を否定するべく、力の限り大暴れしただけじゃ」
「いや、それじゃあ勝てないだろう?」
「普通ならな」
「普通じゃないってことは、それこそ何か技とか術とか使ったんだろ?」
発狂したぐらいで強くなれるわけがない。
そんなことは、ランがスナエに負けた時に否定されていたことだ。
拳法家の誰もが、祭我の言葉に頷いている。
「サイガ」
普段とは違う呼び方で、最強の神剣は己の主を呼ぶ。
「な、なんだよ」
「さっきも言った気がするが、我はスイボクの心にほれ込んでおった。スイボクの心は、常に正しく最強へ向かっていた。そう、心は正しかったのじゃ。我を使う、という一点に置いてスイボクの心は正しかった」
「強くなりたいと思っていないと、お前を使えないってことだろ?」
「それもある。というよりも……それしかない」
無尽蔵に食料を生産できる、恵倉ダヌア。
この宝はわかりやすいのだが、村一つに対してしか施しの心を発揮できない使い手では、村一つを賄える量しか生産できない。
国一つへ供給できるのは、今の使い手である右京が国家全体へ施しの心を発揮できているからに他ならない。
「スイボクの中の最強への意志が、『普通』だとでも思っているのか?」
かつてスイボクの弟子になる時、山水は五百年修業すれば最強になれる、と言われて心が折れていた。
それでも修業を続けてきたのは、ひとえに他に選択肢が一切なかったからだ。
かつて山水が五百年修業していたことを知った時、祭我は勝てるわけがないとあきらめていた。
自分にも仙気が宿っているとわかっていても、五百年修業しようなどとは思わなかった。
かつて公共の場で山水と戦った時、勝ち目がないことを悟ったランは年相応に泣いてしまった。
己の中の膨大な気血でくるっていただけの彼女は、突き付けられた絶望を前に泣いてしまっていた。
「千年術を学び、千五百年武者修行をした。その間一度も負けたことが無いのに、誰に指摘されたわけでもないのに、千年一人森にこもった男が、普通だとでも思っているのか?」
最強の神剣エッケザックスは、使い手が最強を志す心に応じて『魔法』を増幅させる。
この場での最強とは、ただの克己心だけではない。
生涯不敗への執着、己を脅かすかもしれない者への憎悪、ふがいない自分への憤慨、あってはならない現実への否定。
「テンペラの里は、強かった。強かったからこそ、スイボクを追い詰めた。そして……荒ぶる神の逆鱗に触れたのだ」
星血、亀甲拳の使い手たちは遠くで聞いていた。
そして、思い出すのだ。
ありとあらゆるものを破壊する、人間からかけ離れた神の形相を。
「今思い出しても、心が震える……あの時のスイボクが発揮した、心の高まりを」
スイボクの幼稚な癇癪は、国家どころか現実さえも破壊する。
 




