八殺
「……今度は二人か」
「そういうことだ」
「二人がかりで相手をさせてもらう」
馬鹿正直に二人の拳法家が現われたことに、消耗しているスイボクはやや警戒した。
いや、仮にどう出てきても警戒しただろうが、それでも怪訝だった。
もちろん、その臆病さへ憤慨していたのだが。
「光血、無明拳」
「幻血、霧影拳」
「仙術、スイボクだ」
テンペラの里に対して、今更期待外れなどとは言わない。
若き日のスイボクは、己のふがいなさに苛立っていた。
神の剣を手に憤慨している剣士を前に、拳法家の二人は敬意と殺意を隠さない。
人間は、よくわからないものへ憧れることはできる。
しかし、よくわからないものへ敬意を抱くことはできない。
自分たちの同類と認めたうえで、その上で殺す。
姿を見せたのも、必要な手順の一つでしかない。
「無明拳! 蛍火!」
顔が見えない、布で隠している拳法家が手をかざす。
その掌の先から、膨大な光が溢れた。
「な?!」
『……馬鹿な、あの虫と同じ鱗精だと?!』
「し、知っているのか?!」
『うむ……いいか、我が主よ! あの光そのものは害にならん! だが……目を潰されるぞ!』
「そうか……ん?」
光を出す術が使えるのなら、普通に考えて一番真っ先に連想するのは目つぶしだ。
人間にとって、視力を失うのは戦闘能力のほとんどを失うに等しい。
そもそも、光血だの無明だのと名乗っている。
にもかかわらず、本当にただ光る何かをまき散らしているだけだった。
「……?」
『どういうことだ?』
傀儡拳以来の、なにやらわけのわからない状況である。
酒曲、爆毒、鮫噛、嵐風と比較的わかりやすい拳法が続いたのだが、ここに来て戸惑うことになった。
周囲へ光る何かをばらまくことで、いったい何がどう役に立つのか?
「エッケザックス……」
詳しく教えてくれ、といおうとしたスイボクの側頭部を何かが叩いていた。
空気を裂く音がし、硬質な物体が命中していた。
「っ?!」
かろうじて、硬身功が間に合った。
それでも、スイボクの頭部から血が流れていた。
『見えない何かが命中した? だとすれば……虚精、猫どもと同じ力だ。いいか、幻影を生み出す術をもう一人が使っている!』
「どっちも、直接的な何かじゃないのか」
『人間が使う虚精では、音や接触した手ごたえまでは再現できん! それから、発光などは無理だ! 鱗精と一緒に出てくるとは……普通ではない!』
「……なぜ目を潰さない」
わからないが、スイボクには気配を探る術がある。
それを用いれば、術者が隠れていても把握は可能だった。
「無明拳、無灯!」
把握しようとしたところで、さらに訳が分からなくなった。
周囲へ散布した何かの光が消えていた。
これが爆毒拳同様になにがしかの攻撃力があれば別だが、光るしか取り柄が無い粉の光を消してどうするのか。
「霧影拳、他山石!」
その困惑へつけ込むように、スイボクの周囲に先ほどまでなかった大岩が出現していた。
それこそまさに、人間が隠れるには十分すぎる大きさだった。
それが何の意図を持つのかなど、考えるまでもない。
「ちぃ……うっとうしい!」
もはや隠す意味がない、とばかりに幻の石の向こうから鎖分銅が飛んでくる。
見えているのなら、それをわざわざ喰らうほどスイボクは間抜けではない。
確かに視覚でとらえて、エッケザックスで切り払おうとする。
「無明拳! 閃花!」
その分銅が、光り輝く。
確かに視覚でとらえていたからこそ、スイボクは見失いそうになる。
「舐めるな!」
それでも、一度は捕らえた分銅。
スイボクは視力を失いつつも切り払う。
「舐めてなどいない!」
その眩む一瞬を付いて、無明拳の掌底がスイボクの耳を打っていた。
それによって、スイボクの平衡感覚が狂う。
「無明拳! 閃花三段!」
よろめきそうになるスイボク、その足を鉄板入りであろう靴で蹴る。
スイボクが復帰する前に、軽やかに幻影の中へ避難する。
「ぐ……!」
「霧影拳! 虚々転々!」
追撃の様に、霧影拳の使い手がスイボクへ向かっていく。
しかし、声はすれども足音が遠い。
スイボクは実体が虚像の背後に隠れていると見抜いていた。
「しゃらくさい!」
幻影を無視して、その背後の実体を狙う。
「な?!」
しかし、その実体は足音こそ出しているものの、その場で足踏みをしているだけだった。
ある種の呆れを感じるものの、その一瞬を霧影拳の使い手は逃がさない。
やはり鎖分銅を振り回し、スイボクへ命中させていた。
「こ、こんなもの!」
「そう、こんなものだ!」
苛立つばかりのスイボク、その後頭部に無明拳が放った鎖鉄球が命中する。
「侮るな、我らもまたテンペラ十拳!」
「伊達で名を連ねているわけではない! 貴様をこれ以上進ません!」
「……虚を突くことに特化した武術か」
無明拳の使い手が放った鉄球は、鎖分銅よりも数段重かった。
それが意味するところは、鎖分銅の威力を低めにして侮らせ、本命への警戒心を下げることだったのだろう。
「……だがっ?!」
視界の隅で、何かが光った。
それに対して、スイボクは本能的に目で追ってしまう。
視線は露骨に誘導され、その分正面にさえ死角が生じる。
「霧影拳! 陰弾!」
明らかに、何かが放たれた。
スイボクは視野を正面に戻して、それへ対抗しようとする。
だが、何も見えなかった。
そして、それが直撃する。
「ぎ、ギヤマンか!」
透明度の高いガラスの手裏剣、それが体に刺さっていた。
幻影でも何でもなく、素のままで透明な武器。
それを武器に使われていたが、流石にそこまで重くはなかった。
よって、威力はさほどでもない。
「だが、こんな……!」
「無明拳、雪月花!」
鱗粉の嵐が巻き起こる。
それ自体が髪の一本を揺らすことこそないものの、ただでさえ透明なガラス片を視覚的に見えにくくする無数の鱗粉がまき散らされた。
「合わせろ!」
「承知!」
今度は鎖分銅ならぬ、細い糸で結ばれているだけのガラスの塊だった。
二人の拳法家は、呼吸を合わせてスイボクへ攻撃を当てていく。
「本当に! 本当に! うっとうしいことに特化した流派か!」
再び、視界の隅から黒い何かが向かってくる。
そちらへ眼球が動きそうになることをこらえるが、それは再びの鎖鉄球だった。
不意を突かれたことで、スイボクは硬身功を使っているにも関わらず、意識が飛びそうになっていた。
「うあ……!」
「行くぞ!」
「応!」
二人がかりで、スイボクの関節を極めながら地面へたたきつける。
受け身をとれないように顔面から衝突させ、しかし再び後方へ下がる。
「ぐ……!」
『もう目を閉じろ! 相手の手管は厄介どころではないぞ!』
エッケザックスの言葉は正しかった。
相手は人間の目、それを欺くことに極めて優れている。
武器を使っていることも含めて、スイボクといえども対応しきれるものではなかった。
「ああ、わかって……!」
「無明拳! 開眼!」
地面へ撒かれていた鱗粉、それがスイボクの瞼そのものに付着していた。
それが眩く発光する。つまり、瞼そのものが発光する。
目を閉じるということは、ただ単に眼球を瞼で覆うだけのこと。
目を閉じたまま晴天を見上げれば、日光が眼球を焼くように。
瞼そのものが輝けば、それこそ目を閉じる意味がない。
「く……!」
「でぃやああああ!」
「だああああああ!」
鉄板入りの靴底、それがスイボクの体へ打ち込まれていた。
それを受けて、スイボクは損傷を蓄積させていく。
「人間を殺すに、魔法など必要ない」
「鉄をも切断する手刀、巨木をも破壊する腕力も不要」
対物破壊力など必要ない。
攻撃力など、それこそ少々の武器で補える。
「相手の動きに些細な乱れを生み出すのなら、それで十分」
「人間は、感じ考えなければ動けない」
卑怯、姑息、非力。
なるほど、その通りである。
それを極めることこそ、武術であろう。
「なるほど……そういうことか」
それに対して、スイボクは我知らず笑っていた。
目の前の相手が、いかに小技を修めたのか理解して笑っていたのだ。
「お前たちの術は、どちらも相手の目を惑わすことで攻撃の基点にする。だとすれば……相手を失明させることはむしろ悪手というわけだな」
いっそ、全面的に何も見えない方がましだろう。
遮二無二攻撃した方が、まだ当たる可能性がある。
広範囲を攻撃できる普通の魔法使いなら、そっちの方が恐ろしい。
それをさせないために、あえて相手の目を生かしている。
目を生かしているからこそ、術が活きるのだ。
「気付いたところで」
「もう遅い!」
確かに二人の攻撃力は低い。
しかし、だからこそスイボクはうかつに攻撃をもらい過ぎていた。
相手を侮り、危機感を保てなかった。
だからこそ、傷を蓄積させてしまっていた。
「霧影拳! 瞳黒!」
そのスイボクの周囲を、黒い闇が覆っていた。
もちろん、幻覚である。暗い、というよりはただ黒いだけだった。
それでもスイボクの視界を完全に隠しているし、なによりも次への行動の布石になっている。
「無明拳! 閃花!」
黒が一瞬で解除され、今度は一瞬の光が走る。
目の前の黒に対して瞳孔が開き、しかし閃光によって閉じる。
人間の目は、暗所から日向へ出れば眩む。
それは目を閉じていても、思考をひるませる。
「瞬身功、気功剣」
そう、それは。
目が見えていてこそ。
「……かろうじて、足りるか」
両目から赤い血を流しているスイボクは、物理的には無力な二人の拳法家を一息で斬り殺していた。
相手が自分を失明させないなら、自分で失明させればいい。
とはいえそれは、この二人を倒すことこそできても、残る二人の当主を倒せなくなることを意味していた。
『主よ……もしや』
「ああ、もう完全に備蓄分は使い切った。切り傷一つ治せない」
人参果の再生能力は、本来自動的なものである。
しかし仙人ならば、傷を治すか治さないかを選べる。
どの傷を治すのかさえ、選べるのだ。
「目は戻ったが、体の傷はそのままだ……」
念のために残していた備蓄分の治癒力。
それをあてにして、自分の目をガラス片で切り裂いた。
それをしなければならないほどに、追いつめられていた。
「あと、二人」
「いいや、あと一人だ」
そのスイボクの前に、『最後の一人』が現われていた。
その男の気血を感じて、スイボクは己の腕を抑えていた。
「猛威、迅鉄道……!」
「ほう、知っているのか。まあここでは牙血、動輪拳だがな」
かつて、スイボクを追い詰めた、およそ最強の希少魔法。
それを宿す男が、単身現われていた。
それに対して、スイボクは不信感を覚える。
この場には巫女道と同じ気血を宿す、傀儡拳なる流派が存在していた。
にもかかわらず、その支援をまるで受けていない。
「あと一人、というのはだ。お前と戦うのは、俺が最後というわけだ」
十拳を名乗りながら、九人で打ち止め。
それに対して、スイボクもエッケザックスも疑念を抱かない。
それよりも、わからないことが多すぎた。
「……なぜだ」
「なにがだ」
「さっきの二人は、暗器を武装としていた。普通の武器を使っていれば、それこそ俺を殺せたかもしれないだろう」
確かに鎖分銅や手裏剣は、人間を殺すには十分な武器だ。
しかし、そんなものを戦場に持ち込む者はいない。
練度を要することもさることながら、単純に弱いのである。
「暗器は携帯性と奇襲に優れた武器だ。それを正面から使う意味がわからない。適切な運用ではない」
「……」
「伊達で気取って、格好つけで操っていたわけではない。他の連中もそうだった、練度は高いが、高い意味が解らない」
「……」
「なぜ、素手やそれに近い状態にこだわる?! お前たちは、傭兵のはずだ!」
その質問に対して、動輪拳の当主は呆れながら答えていた。
「なぜ、そんなくだらないことを聞く。そちらの方が分からない」
今この場には、お世辞にも主体的な戦闘には向かない気血の持ち主が二人、屍をさらしている。
それだけではなく、わざわざ一人で迎え撃った六人も、既に獣の餌だろう。
「何か、勘違いしているようだな。俺たちは確かに傭兵として雇われているが、そもそも好き好んで傭兵をやっているわけではない」
それは、傭兵、という職業そのものへの誤解、と言っていいのかもしれない。
「確かに我らテンペラの里は、先祖代々、千年にわたって傭兵を生業としてきた。十の家が連携し、あらゆる戦場で勝利を重ねてきた」
それが誇張ではないことを、二千年生きているスイボクは痛感していた。
まさに痛いほど、体に刻まれた傷の数ほど、理解せざるを得なかった。
「だが、それはただの金目当てだ。我らにとって傭兵とはな、他の連中同様にただの小遣い稼ぎだよ。そもそも、大真面目にやるような仕事ではない」
もっともすぎる言葉だった。
確かに傭兵とは非常時に雇われるだけのチンピラであり、お世辞にも定職ではない。
それを千年やっていた、というのは確かに矛盾だ。
普通の価値観から言えば、どこかへ仕官するべきなのだろう。
実際、勧誘が無かったとも考えにくい。
「確かに、傭兵という仕事は得意だとも。だが我らにとって戦争とは狩猟だ。手抜きはしないが、ただ生活の糧を得るためだけの戦いでしかない」
生活するための糧。
それを得る必要が無いスイボクは、黙って聞いていた。
「我らは徒手空拳ないし、それに近い技を極めることを先祖代々やってきた。それが先祖から受け継いできた文化であり、生活の一部だ。それを使って日銭を得るには、傭兵稼業が一番簡単だということ」
「……つまり」
「そうだ、我らは『傭兵の為の拳法』をしているわけではない。『拳法を極めているから傭兵』をしているだけなのだ」
それは、ただの事実を通告しているだけだった。
「……」
「お前もそうなんじゃないか?」
返答はない。
スイボクは、無言だった。
「なぜわざわざ一人でここへ来た。それに対して、お前は何と答える」
それには、答える。
「俺が、最強だからだ」
相手が何者であっても、絶対に負けず勝利する。
その証明の為に、ここに訪れていた。
「俺以外が、最強だの不敗だのを名乗るなら、それを倒さなければならない」
「……テンペラ十拳、牙血、動輪拳、当主」
スイボクが勘違いをしていたように。
動輪拳の当主も勘違いをしていた。
「いざ、勝負」
彼こそが、最後の壁だった。
スイボクを殺せるのは、今を置いて他になかったのだ。
テンペラに存在する十の家、その子どもたちを連れて亀甲拳の使い手たちが全力で逃走している。
その彼らが予見した、この里の終焉。
それは、スイボクの『覚醒』によるものだった。
スイボクは本気で全力だった。
しかし、未だ、荒ぶる神と呼ばれるには程遠い。
今、この時代のスイボク。
彼はまだ、真の力を発動出来ずにいた。
「いくぞ、エッケザックス!」
『うむ!』