一殺
遡ること、およそ二千年前。
エッケザックスを手に武者修行の旅をしていたスイボクは、テンペラの里へ訪れていた。
目的は当然、テンペラ十拳という使い手たちと戦い、勝利することである。
およそ二千歳ほどのスイボクは、おおむね二十代の容姿だった。
お世辞にもまともな仙人とは言い難い精神状態であるためか、穏やかに若返ることはなく、しかし邪仙に堕することもなく、ある意味では肉体的な全盛を保っていた。
「いいところだな」
『そうか? 大分辺鄙なところだと思うが。まあお前は仙人だからな』
二千年前でも傾斜がきつく、商用もし辛い木が生い茂る山に存在したテンペラの里だが、空に浮かぶ花札出身のスイボクからすればなんのこともない。
そもそも自然の力を使う仙人からすれば、人里離れた地も居心地がいいのだろう。
「さて……この山を登りきったところがテンペラの里だ。今から楽しみだ。期待してしまうな」
『最近ろくなことが無かったからな、期待するのも無理はない』
基本的に、この時代のスイボクは下準備を怠らない男だった。
具体的には、錬丹法によって人参果や蟠桃の準備をしてから実戦に臨む男だった。
臆病で慎重、というわけではない。当時のスイボクにとって戦うとは、入念な準備をしてから行うものだったからだ。
「そうだな、この前なんてわけのわからん理屈で、せっかく作った蟠桃を全部取られるところだったしな」
『うむ、あるだけ全部よこせとは強欲な女だったな。それどころかずっと作り続けろとは……あんな女が君主をやっている国など、滅びて当然だな!』
準備していたらちょっかいをかけられ、一つの国を相手取ることになった。
そうなれば、スイボクも手段など択ばない。錬丹法を効率的に行うために、スイボクは周辺一帯へ仙気を定着させていた。
それが意味するところは、錬丹法を使うための森一帯を地動法で動かせるということである。
あとはがーっとやるだけだった。
地動法が使える仙人を怒らせると、国家など簡単に潰れる(物理的な意味)のである。
「ここではそんなことが無いといいな」
一方的に傷つけることよりも、お互いに傷つけあう方がいいと思っているスイボクである。
やろうと思えばこの地を潰すことも持ち上げて落とすことも海に沈めることもできるし、似たようなことをやってもいるが、初手でそれをすることはあり得ないのだ。
『そうじゃな、我も活躍できんし』
その辺りの価値観を、エッケザックスも共有できている。
そもそも森を浮かせて潰すとか、最強の剣要素が一切ない。
彼女も敵を斬って自分の錆にしたいのである。
「ほう、自分の剣と話す若い剣士。本当にしゃべる剣があるとは驚きだな」
そうしていると、森の中で一人たたずむ男と遭遇した。
見るからに筋骨隆々で、一切武器を持たず、最低限の防具さえ身に着けていなかった。
「……さて、まさかこの道なき道の先に、何があるか知らない、ということはあるまい」
値踏みするような顔でスイボクとエッケザックスをにらむのは、明らかな拳法家。
両手両足が大きく露出しており、袖も裾も殆どない服を着ている彼は、その佇まいだけで鍛錬を感じさせた。
スイボクは笑い、エッケザックスもまた喜んでいた。
「この先に、テンペラの里とかいう傭兵の集まりがあると聞いてな。道場破りに向かうところだ」
「ほう、しゃべる剣一つで挑むとは無謀極まりないな」
『言うではないか、しゃべるだけが取り柄かどうか、自分の体で試してみるか?』
体は鍛えられている。暗器を持っているようにも見えない。
おそらく見たままに素手で戦う傭兵なのだろう。
しかし、スイボクとエッケザックスを相手取るのは無謀極まりない。
『我こそは最強の神剣エッケザックス! その我を神の座へ至った最強の剣士スイボクが使うのだ! 素手で戦うなど無謀どころか無礼というものだ!』
およそ、二千年後の人間が聞けば卒倒しそうな組み合わせである。
しかし、その剣と剣士を前に、体一つで拳法家は貫手で構える。
「無礼かどうか、我が体で試せばよい!」
その堂々たる構えには、素手で剣士と戦うことへの恐怖は感じられない。
真剣を持つ相手への落ち着きようを見れば、彼が百戦錬磨だとわかる。
「それもそうだ……行くぞ、エッケザックス!」
『うむ、景気づけにいくぞ!』
向き合った男が二人。
双方ともに、一切敗北を意識していない余裕の笑みをしていた。
それが先にかげるのは、果たしてどちらなのか。
はっきりしていることは、双方が相手へ勝利することを確信しているということだろう。
「気功剣、豪身功!」
気によってエッケザックスが覆われ、その切断力が増す。
その上で、スイボク自身もその筋力をあげていた。
通常でも高い効果を発揮する組み合わせだが、今スイボクが使っているのはあらゆる術を増幅するエッケザックス。
そもそもの性能が高く、その上で強化されている。であれば、鍛えているだけの人体などたやすく切断できる。
「玉血、四器拳」
しかし、その攻撃はあっさりと受け止められる。
頭へ振り下ろしたエッケザックスの一撃は、あろうことか拳法家の腕で受けられていた。
「十字受け!」
交差された腕は露出しており、籠手などの防具は一切見えない。
その両腕を頭上で交差させ、エッケザックスの一撃を受け止めていた。
「な?!」
『バカな?!』
「ふ!」
てっきり、回避するのかと思っていた。
それが受けに回っただけでも驚きなのに、あっさりと受け止められていたことに、スイボクもエッケザックスも硬直する。
「四器拳、足刀斬!」
そのスイボクへ、拳法家が蹴りで反撃する。
体重が乗っているようには見えない、軽やかな蹴り。
それをスイボクは本能的に回避していたが、体勢が崩れていたこともあって薄く斬られてしまっていた。
そう、露出している脚、つま先で蹴られただけにもかかわらず、スイボクは切創を負っていた。
「……ほう、避けたか。逃げ回るのがその剣の力か?」
勝ち誇る拳法家。その挑発に乗る余裕もなく、スイボクは己の剣を見て呆然としていた。
「刃こぼれしている……大丈夫か、エッケザックス」
『我は問題ない、この程度ならしばらく時間を置けば回復する。それよりも主よ、お前は大丈夫か?!』
「ああ、この程度ならすぐ治る……だが、今の手ごたえは……」
慢心はあったかもしれないが、それでも確実に人一人を股まで切り裂く一撃だった。
それが、あっさりと受け止められた。
骨を断つとか肉を斬るとか以前に、薄皮をへこませることさえできていない。
この結果を見れば、相手が如何なる術理を用いたのかは明らかだった。
「人体を硬質化させる……石工の技か?!」
『旧世界の怪物でもあるまいに、その力で戦うだと?!』
スイボクの長い旅の中で、人体を硬質化させる術はなんどか見たことがある。
自分の指を刃物やヤスリに変える、そんな術を操る石工や宝石職人を知っている。
その術を用いれば、宝石や鋼鉄さえ研磨できるとは知っていた。
だが、まさか最強の剣であるエッケザックスを、己の力で強化してなお斬れないほど固いとは思っていなかった。
「ふははは! これぞ我が一族に伝わる拳法!」
その驚愕に満悦の笑みを浮かべながら、改めて拳法家は名乗る。
「我が四器拳、即ち四肢を武器とする! それを成すは玉血、玉とは完璧であるという事!」
己の体を硬質化させ、無敵の矛にして盾とする術。
それを体術に組み込んだ拳法、それこそが彼の家が伝えてきた術理である。
「侮ったな、テンペラの里に挑む無謀な剣士よ! 我が拳足の切れ味、存分に味わうが良い!」
如何にスイボクが最上級の剣士であると言っても、いかにエッケザックスが最強の剣であるとしても、彼の四肢へ傷一つつけることなどできはしない。
『すまん、我が主よ……』
「いいやお前は悪くない、俺の未熟だ。受けに回った腕ごと切り裂くつもりだったが、押し切れなかった」
腕で受けられるとは思っていなかった。
押し切れなかった自分が未熟であり、防御を間に合わせた自分が未熟だった。
「エッケザックス、続けるぞ! 瞬身功!」
「何度来ても同じだ! 我らが手足こそ最強の盾にして剣! 口を利くだけが取り柄の剣に負けるものか!」
高速化したスイボクが四器拳の使い手へ切り込む。
剣士としても天才であり、同時に誰よりも鍛錬を積んだが故の連続攻撃。
しかしそれが、まったく通じない。
「四器拳奥義、球体受け!」
あてずっぽうで防御しているわけではなく、亀の構えで受けているわけでもない。
明らかにスイボクの高速斬撃を視認し、その上で確かに防御していた。
その動きは速いが、しかし人間の限界を超えていない。
あくまでも、ただの技術で受けきれている。
「ははは! 無駄だ、無駄だ! その剣が傷つくだけだぞ!」
『我のことを気にするな! お前は勝つことだけ考えろ!』
相手を斬れない現状に苛立つスイボクは、不覚にも相手の言葉を聞いてから己の剣がどんどん刃こぼれを起こしていくことに気づいた。
大きく飛びのき、呼吸を整えながら剣を確認する。
「……悪い、エッケザックス。俺のせいだ」
『違うぞ、お前は何も悪くない。悪いのは能力を制限されている我であって……』
「いいや、手数で誤魔化そうとした俺が、お前への気遣いを怠った結果だ」
自分のふがいなさに、スイボクは自罰したい気分になっていた。
確かに壊れない剣を求めて神の座へ向かった自分ではあるが、今の敵を斬れないのは剣の問題ではなく自分の問題である。
「ふははは! 笑えるな、弱いもの同士が慰め合っているぞ! 所詮剣士など、剣が無ければ何もできないのだ!」
弱い。
その言葉を聞いて、スイボクは己の頭があつくなることを感じていた。
「俺が、弱い、か」
その言葉を訂正させる気はない。
確かに今の自分の醜態は、弱者そのものである。
だから、訂正の必要はない。
「それがお前の、最後の言葉だ」
刃こぼれを起こしているエッケザックスを中段に構えて、スイボクは次の一撃で勝負を決める気合いを見せていた。
力任せでも、手数でごまかしても、決して倒せない目の前の相手を、確実に倒す表情をしている。
(挑発に乗り切らず、冷静になったか。だがどのみち我が防御を突破することなどできん!)
四器拳は、防御に長じた拳法である。
相手が少々高速で動いたところで、剣士である以上剣を大きく動かさなければならない。その分、素手の利が生きる。
瞬身功をエッケザックスで増幅したところで、達人の反射神経を超えきることはできない。
(我が防御を、その剣で突破できるものか!)
両手両足が無敵の盾であり、それを達人が正しく防御に使用する。
間合いの関係上攻撃に転じるにはまだ無理があるが、このまま受け続ければエッケザックスと言えども破壊されるだろう。
そうすれば、盤石な勝利が転がり込んでくるのだ。
「……行くぞ、エッケザックス」
『うむ! 次で終わらせる!』
拳法家と剣士は、広い間合いで対峙していた。
それゆえに拳法家は文字通り手も足も出ない距離だが、それは相手も同じこと。
既に相手の最高速度は知れている、どう攻撃してきても受けるだけの自信があった。
いや、確信していた。
「縮地」
その確信が、彼の次への行動を遅らせていた。
遠くにいたはずのスイボクが、一瞬で目の前に移動していた。
中段に構えられたエッケザックスは、硬質化させることができない胸へ『既に』切っ先を触れさせていた。
「な?!」
一拍があった。
一瞬で移動したスイボクではあるが、そのまま瞬時に突き込むことはできなかった。
移動後に硬直があり、切っ先を触れさせながら、しかし攻撃できなかった。
「四器拳……」
『遅い!』
「発勁法、震脚!」
先に動くことができたのはスイボクだった。
足の裏から発勁を地面へ打ち込み、それによって反発力を得る。既に接触していたエッケザックスの切っ先を、拳法家の体へ深々と突き刺していた。
「……相手の戸惑いにつけ込むことになるとはな」
『そう言うな、強敵相手に見事だったぞ』
「慰めなくていいぞ、エッケザックス。それよりも、具合はどうだ?」
改めて、痛々しい刀身をみるスイボク。
そこには、己の未熟が引き起こした損傷があった。
「……すまん」
『気にするな、剣として使われて傷を負ったのなら名誉というものだ』
「おごり高ぶった結果を、お前に払わせた俺が悪いんだ」
謝罪しつつ、エッケザックスをしまうスイボク。
その上で、目の前で倒れている拳法家を見た。
「……ぐ、ぐ」
「さっきのを最後の言葉にしておけ、辛いだけだぞ」
「お、俺を殺したぐらいでいい気になるな……!」
未だに矜持は折れていないと、息も絶え絶えながら強くにらんでくる。
「テンペラ十拳は、まだ、負けて、いない……!」
※
「四器拳の当主が負けたか」
「剣士が相手なら自分が、と言っていたがな。情けない」
「しかし、たった一人で四器拳の当主に勝つとはな。あながち、亀甲拳たちのいうことも間違いではなかったか?」
「バカを言え。我ら当主が討ち取られ、そのまま全滅などあり得るか」
「とはいえ、このまま通すのはテンペラの里の恥だぞ。次は誰が行く?」
「では、私が行くとしよう」
「おお、傀儡拳か! ならば安心だな」
「相手が自己強化を行うらしいが、傀儡拳なら問題あるまい」
「では、油断しないようにな。必ずやあの男を討ち取ってこい!」
テンペラ十拳、残り九人。