殺法
勝てないと判断した時は逃げるに限る。
オセオの武人の判断は適切であり、よって旧世界の怪物たちも迅速に従っていた。
本来、強行軍は逃走するとなるととても弱い。
食料を現地調達するということは、持ち運ぶ食料の数が少ないということ。
補給もままならない状況では、一度負けるとそのまま壊滅の危機に至る。
とはいえ、逃走した猛獣たちは、二足歩行の猫科肉食獣。
彼らはこの豊かな世界では、少人数なら狩猟しながら移動できる。
【我らなら逃げ切れる……相手のなかに我らと同じ力を宿した術者がいることを、友軍へ伝えねば……】
【相手は人間、我らの隠形を見破れるものは我らに追い付けず、我らに追い付けるものは我らを見破れん!】
逃走に徹する分に、およそ問題はない。
二足歩行の肉食獣たちは、友軍を見捨てる罪悪感を振り切りながら目的の為に走っていた。
「……来たぞ」
とはいえ、それは予知するまでもなく予測できたことである。
その彼らに対して、有効な拳法家は既に広い範囲へ配置されていた。
「任せろ! 相手が幻影を操るとしても、我らにとってはなんのこともなし!」
一人だけ配置されていた霧影拳の使い手の言葉を聞いて、光血、無明拳の使い手は己の術理を解き放った。
「光血、無明拳! 蛍光散陣!」
光血、無明拳。それは文字通り『光』を操る術である。
光を操るといっても、火の魔法と違って攻撃力など一切ない。
はっきり言って、ただまぶしいだけである。
しかも光を操るといっても、光そのものを操るわけではない。
実際には『光る粉』をまき散らすだけである。
言ってしまえば、蛍光塗料を散布するだけの術。
それを使って格闘技を行うなど、正気の沙汰ではない。
しかし、少なくとも、彼らの先祖もまたスイボクをして仰天させるほどの使い手であった。
【な、鱗精だと?! 鱗精を宿す人間までいるのか?!】
【いかん、これでは丸見えだ! 幻で隠しきれん!】
一つの事実として、いかに幻を生み出すことに長じた二足猫たちと言えども、まったくの暗闇で視覚をだますことはできない。
彼らの幻影は、色を付けることはできても光を発することはできないからだ。
それはつまり、己自身に強烈な光がこびりつけば、それをごまかすことができないことを意味している。
また、彼らの体にこびりついた光る粉は、足跡さえ輝かせて目印にしてしまう。それは追跡を非常に容易にしていた。
無明拳は一切攻撃力がない代わりに、有効範囲は非常に広く発動も早く、持続力さえとても高い。そして目立つ。
一人が全力で発動すれば、それを見て周囲に配置されている他の術者も、それを合図として術を発動できる。
如何に高速で移動できるとしても、飛べるわけでもない。ただ周辺一帯を満たすだけで、幻影で隠れる以外に力のない猫たちは丸裸となっていた。
【く、来るぞ!】
【もはやここまで、迎え撃つ!】
【しかし、これは……!】
猛獣たちは、進退窮まっていた。
逃走が不可能であると判断したことは正しいが、しかし迎撃できるとも思えない。
なぜなら彼らの知る限りにおいて、鱗精、光血を浴びるということは戦闘が不可能になることを意味しているのだから。
「光血、無明拳! 白昼暗幕!」
案の定、無明拳の使い手たちは一瞬だけ最大出力で鱗粉を発光させる。
たとえ瞼を閉じているとしても、顔そのものにまで鱗粉が付着しているので意味がない。決して遮れない光量が目を焼き付けていた。
もちろん、失明させるほどではない。
しかし、それでも短時間視力は失われていた。
「見えたか?!」
「ああ、見えたとも!」
「よし、全速力で追うぞ!」
無明拳は攻撃力も防御力も一切ないが、その代わりにとても制御が効く。
周囲の木々や地面にこびりついていた鱗粉だけが一瞬で消え、『着色』した鱗粉だけがまばゆく輝いた。
それを目標にして、鮫噛拳の使い手たちは地面へ『着水』した。
大地や樹木、動物という個体の内部へ潜航し、その内部を泳ぐことが可能な力。
それが弾血であり鮫噛拳。
動物の内部へ潜れると言っても内臓などを内側から攻撃できるわけではなく、泳げるとは言っても内部で呼吸できないので潜り続けられるわけではなく、潜っている間は外部を見ることができるわけでもない。
しかし、それでもなぜわざわざ『泳ぐ』のか。
「弾血、鮫噛拳!」
答えは単純、ひたすら速いからである。
「土中、電光石火!」
高速で移動する、移動できるようになる術はそこそこの数がある。
魔力による魔法でも風や火で飛行し、高速移動ができる。
王気による神降し、あるいは銀鬼拳による狂暴化。それらによって、単純に身体能力を向上させることで高速移動が可能でもある。
強血による瞬間的な速度も相応のものであるが、継続的に長距離を走行できるわけではない。
迅鉄道もやりようによっては高速移動が可能であるが燃費の関係で難しく、同じ気血を使う動輪拳も走るよりは早いが魔法や神降しに比べれば格段に遅い。
もちろん、高速移動を越えた『瞬間移動』である仙術による縮地こそが最速であるが、長距離移動に向くわけではない。
「おおおおおお!」
「ああああああ!」
「だあああああ!」
単純な速度、その一点に関して弾血、鮫噛拳に比肩するものはない。
最速にして低燃費、敏捷性はともかく機動力で他の追従を許さない。
隠密性もへったくれもなく全速力で一流の使い手が泳いだならば、飛ぶ鳥さえ一瞬で見失うとまで言わしめている。
水しぶきならぬ土煙をあげて、光り輝く標的を追う鮫噛拳の使い手たち。
既に旧世界の怪物たちが悟っていたように、一度標的として発見されてしまえば、空を飛ばない限り逃走することは不可能である。
「弾血、鮫噛拳!」
獲物との距離を確認して、彼らは高速で『潜水』する。
一瞬にして暗黒の土中へ潜った彼らは、上方に角度を変えて再発進した。
加速は一瞬で終わり、速度は最高へ達する。
呼吸できない息苦しさを感じることさえない、土中をあり得ない速度で上昇する彼らはそのまま地上へと発射される。
「三人式!」
視覚を奪われた猛獣たちの体を『捕食』する。
高速そのままに体へ腕をからめ、上空へ向かって離陸する。
猛獣一頭に対して、三人ずつ。
その両腕や足、頭などを捉えながら離陸していった。
【ごふぁあ……!】
人知を超えた速さ、あるいは人外さえ及ばない速度。
身体能力を強化したわけでもなければ、予知能力や感知能力を持つわけでもない、ただ猛獣というだけの猫。
視界を奪われ身動きが取れない彼らは、呼吸することもできずに舞い上がる。
否、拘束されたまま押し上げられる。
その姿は、サメやイルカが獲物を捕らえて海上へ出るがごとく。
それゆえに、鮫噛拳。テンペラの里最速、人類最速の体術である。
「腕絡め、投身墜殺!」
相手の体を捉えたまま、三人は重力に身をゆだねる。
上空で推進力を使い切った四人は、ゆっくりと静止し、当然落下していった。
受け身がとれぬように、急加速で失神寸前の獣の体勢を制御する。
そして、自分たちは加速したまま土中へ『着水』し、弾血を持たぬ獣は四人分の体重を頭蓋骨で受け止めさせられていた。
「縦横無尽に弾ける球の如し! ゆえに弾血、鮫噛拳!」
「白き光こそ真の闇! ゆえに光血、無明拳!」
※
日が暮れつつある中、テンペラ十拳は集合していた。
一方的な殺戮ではあったが流石に無傷とはいかず、負傷している者たちも少なからずいた。
特に接近戦を行った四器拳や動輪拳の使い手たちはひどく、包帯などをまかれていた。
とはいえ、どちらも防御に秀でてもいる。相手が人外とはいえ、その対処には十分である。
致命傷には程遠く、あくまでも負傷しただけである。
「ううむ……我らが嵐風拳が、ほとんど石やらなにやらを投げるだけで終わってしまったぞ……」
「旧世界の怪物を相手に、一勝負をしたかったのだが……」
本来嵐風拳は相撲に似た体術であり、狭い試合場の上で戦い短い時間で決着を付ける流派である。
当然立ち技主体であり、瞬発力と馬力を生かした投げ技や打撃技などを得意としているのだが……。
接近戦の誉は四器拳と動輪拳に譲る形になってしまった。
彼らの先祖は傭兵であったが、今の彼らはほとんど拳法家である。
一応儀礼的に『古式』としての技を伝えていたし、今回もそれを使ったのだが、好ましいものではなかった。
「そんなことを言ったら、我らなど卑劣な手に従事していたのだぞ?」
「そうだ、爆毒拳の名が廃る! 暗技などに頼らずとも、四器拳同様に近い間合いで戦えたのだ」
一番大活躍した爆毒拳の使い手たちも、当然大いに不満だった。
殺した数こそ一番であろうが、ほぼ土木工事のような作業である。
仮にも拳法家が、地雷を埋めたり土砂崩れの準備をしたり、手投げ爆弾の作成をして楽しいわけがない。
「そんなことを言ったらだな! 我ら無明拳はどうなのだ!」
「ただじっと待って、目くらましと目印を付けただけだぞ?!」
「そうだそうだ! いいところは鮫噛拳に持っていかれてしまった!」
各々の特色を生かした分業こそ、十もの希少魔法を守り続けたテンペラの里の最大の利点である。
しかし、得意分野が即ち個人の気質に合うかと言えば否であろう。
誰だって、華々しい仕事をしたいものである。
とはいえ宝貝も何も装備せず、一切の強化抜きで旧世界の怪物を相手に接近戦ができるのは、それこそ四器拳と動輪拳、爆毒拳、嵐風拳ぐらいであろう。
そのどれもが、確実に勝てるとは言い切れない。であれば、余計なリスクは避けるべきであった。
「まあ待て、先祖に倣って傭兵殺法に徹するとは事前に決めたことであろう」
そう言ってなだめるのは、やはりまったく戦っていない亀甲拳の使い手である。
彼らだって、幼少のころから鍛えてきた拳法家である。ただ予知して指示するだけなど、楽しいわけもない。
しかし彼らこそが、一番『最悪の未来』を見たのだ。うかつな判断などできるわけもない。
「それにだ、今回のこれはあくまでもアルカナ王国へ、高く技を売るための試金石。本番でも何でもなかろう」
「そうは言うがな、亀甲拳の。お前たちの言うがままに幾つかの集団を襲い、これを撃破したが……本当にいいのか? ただ働きにならんだろうな」
「ならんならん、高く買ってくれること請け合いである」
亀甲拳の使い手たちは絶対に口にしないことであるが、テンペラの里が真価を発揮するのは今この状況である。
天の時、地の利、人の和。それらを揃えて、自分たちとさほど数が変わらない相手を、個人の武力に物を言わせて一方的に打ちのめす。
優劣うんぬんではなく、今やっていることこそが正しい運用法である。
仮に会戦、つまり真正面からぶつかり合うのなら、同数の魔法使いの方がよほど強い。
十もの特異で奇異な『魔法』を習得した集団がいるということは、逆に言って全員がぶつかり合う状態が苦手ということである。
もちろん、テンペラの里の拳法家たちは全員が精鋭である。幼少のころから切磋琢磨してきたのだ、弱いわけがない。
しかし、それでも魔法の射程と攻撃力は脅威である。会戦で魔法に勝てる道理はないのだ。
(最強である必要などない、無敵である必要もない)
(一息で倒せる程度の数を相手に、有利な地形で待ち気が抜けている時に襲い、短時間で片づけて味方の損耗を抑える)
(それこそが兵法の本質、複数兵科の利点)
(個の練度が高く、戦法が徹底されていれば、同数相手に負けるわけはない)
(皆よくやってくれている。これで我らも『最悪の未来』は避けられそうだ)
それでも、テンペラの里は極めて有用な集団である。
誇張を抜きでも精鋭ぞろいで、兵力の損耗が少ない戦法によって長期間戦える上に、確実に敵へ打撃を与える。
これに誇張が加われば、高く評価されるのは必然だろう。
「それに、予知によればアルカナではランや嵐風拳ほどではないが、地力を底上げできる道具や薬が多数あるらしい。それらをいただければ、傀儡拳であっても前線で戦えるであろうさ」
そう、まだ彼らは強くなる。
戦術的な範囲に収まるが、彼らの参戦はアルカナ王国にとって意味があることだった。
すべては、最悪の未来を避けるために。
二千年以上もの沈黙を破って、語られることさえなくなった傭兵集団は世に姿を見せていた。