情報
あわただしく、ドミノ共和国の主は働いていた。
またも非常事態である。しかも今回は、相手が国家ではなく異世界の怪物。
それの周知は既に始まっているが、しかし国民は楽天的だった。
なにせ風姿右京は国民にとって英雄である。
五つもの神宝をもち、その恩恵を国民へ広くもたらしている。
アルカナとの戦争にこそ大敗したものの、圧政を敷いていた皇族や貴族を皆殺しにし、そのうえ税金も大幅に軽減された。
勝っても負けても、最高の結果をだす為政者。それこそ神のごとく崇めても不思議ではない。
本人にしてみれば、その期待は重苦しいものではあるが、それなりにありがたく思っていた。
なにせ暴動がほとんど起きていないのだ、為政者としては楽な話である。
とはいえ、一万年前に人類を追い出した旧世界の怪物が敵である。
神宝のインチキさ加減を知っている彼にしてみれば、一切楽天できる要素が無い。
強いていい情報を探すなら、それは……。
「これはこれは将軍閣下、こうして直接いらっしゃるとは。お忍びとはいえ、恐縮の限りです」
「……思った以上に元気そうだな。それも神宝の恩恵か?」
今右京は、忙しい時間の合間をぬって非公式の会談をしていた。
相手は先日に人参果を求めてやってきた、他国の軍人である。
軍人といってもピンキリだが、彼はその中でも相当上位に食い込む男であった。
その彼が、非公式に他国の最高権力者に会う。
それが意味するところは、とても深い。
「いえいえ、これは側近や妻のおかげですよ。よく尽くしてくれて、支えられています。少し前なら自分が鼓舞し激励しなければならないところでした。いったい何度喉が潰れかけたことか」
「……なるほど。臣下も育ってきたようだ」
「ええ、ありがたいことです」
腰を据えるようになった。右京に対して、将軍はそう感じていた。
もちろん、苛烈さは収まり切ってはいないのだろうが。
だからこそ、この逆境に対して闘志が昂っている。
「……実は、先日我が国はオセオへ攻め込み、返り討ちに会った」
「オセオに攻め込むことはともかく……返り討ちですか?」
「国境沿いの貴族が暴走した、ということになっていたが、それなりに戦力を整えての侵略。そのまま、一時占領できたものの、投入した戦力の過半が殺され、半数は捕虜として捕まった」
なるほど、完全敗北である。
おそらく殺されたのは下っ端で、捕まったのは『お貴族様』だろう。
生かされていたのは、単に『身代金』になるからだろう。
「そこまでの戦力が、今のオセオにあるとは信じられませんね」
「しらじらしい」
「ええ、まあ。実は他のお方からも非公式ながら、既に何件かいただいています。ええ、これでもう完全に疑う余地は無くなった」
怒りではない。そんな感情をオセオへ抱くことはない。
ただ闘志が燃え盛っている。
「なるほどな、相手がもう戦争を終えた国なら、そうそう手を出せない。正蔵にたのんで国ごと焼き払うってのも、ひとまずは無理だ」
アルカナ王国は既に公式で『ソペードがやんちゃしてごめんね』と一応謝っている。
加えて、密約に近い形で『僕らはこれ以上領地拡げる気ないよ』と各国に話している。
これで『公式な先制攻撃』をしかければ、それこそ百年単位で遺恨を残しかねない。
もちろんそれもぶち壊せるものではあるが、今そんなことをしても無意味だ。
「楽しくなってきた……」
「それは結構だ。一応言っておくが、我が国もオセオとアルカナの戦争を傍観する」
将軍はそれを決定事項である、と言い切っていた。
「オセオの背を狙うことはないが、逆にアルカナへ助勢することもない。単に八種神宝と竜の激突に参加できるほどの戦力が無い、ということではない。はっきり言って、我が国も両者の共倒れを願っている」
竜が参戦せずとも、旧世界の怪物たちを相手にしただけでも精強さが分かるのだろう。
将軍は『自分の国』の判断を支持していた。
「アルカナには異常な戦力が集まっているが、その一方でドミノを既に併合している面が大きい。確かに革命を起こしたばかりの国を整理している最中で、これ以上領土の拡張は困難だからな。だからこそ、少なくとも今は周辺諸国にとって脅威ではない。そして『今』が過ぎれば戦力は削がれるからな。だがオセオは違う」
実情がどうあれ、オセオと旧世界の怪物は完全に手を組んでいる。
であれば、膨大な戦力を得たことを意味している。
それに反して、オセオはお世辞にも大きい国ではない。
「誰もが安心しているとも、アルカナ王国を真っ先に狙ってくれたことをな。オセオはアルカナを落とせる自信があるのだ、他の国では一日と持つまい」
「くっくっく……なんともお利口な怪物さんたちだ」
「そう、それが大きい。旧世界の怪物たちは、話が通じる相手だ。それゆえに我が国は楽観している」
おそらく、この世で一番たちが悪いのは、話す気が一切ない相手だ。
威嚇とか恐喝とか交渉とか、労力を割かずに目的を達成するという考えが一切ない相手。
つまり無言で殴り掛かってきて、こちらをぶち殺した後で何もかもを奪っていく敵。
言葉が通じない相手、未知の価値観を持つ相手、というわけではない。
少なくとも、袋叩きに会うことを恐れている、賢明さを持っている。
身代金を要求することも含めて、まともにルールを守る気があるのだ。
そういう意味では、どこぞかの仙人より大分マシである。
仙人の場合、無益なことをしたくないとか、自分が得をしたいと思っていないことさえある。
「共倒れになってくれれば、こんな簡単な話はない。どちらが勝っても、戦力の損耗は大きいだろう。自分が一切損をせずに、誰かが損をする。なるほど賢明だ」
「将軍閣下は、それを望んでいないので?」
「議長よ、私は軍人だ。国家の判断に異を唱えることはない。そんな私のことよりも、そちらはどうなのだ?」
「もう半分負けてるな。どんなに頑張っても、引き分けが関の山だろう」
闘志を燃やす最高責任者は、しかし敗戦を悟っていた。
全力で引き分けを狙う、その前向きさに将軍は敬意を向ける。
勝ち戦で笑うのは誰にでもできることだが、負け戦で笑えるのは強者の証である。
「負けるのには慣れている、最後に笑えばそれでいい」
「なるほど、流石は神に最も愛された英雄だな。勝利の女神がいるのなら、きっと君を誰よりも愛しているのだろう」
「神の名を出すな。俺たちの前ではな」
一種、敵意さえ向ける。
神の名を聞いて、神の宝を得た男はいら立ちを発する。
「とはいえ閣下、貴方にはお礼申し上げます。情報は多ければ多いほどいい、その出所が確かならなおのことです」
「では、対価を期待してもいいか」
先日、将軍はたらい回しにされたとはいえ、ほぼ無償で治療を受けた。
それに対して、今回の情報は借りを返すものではないという。
「……もちろんです、どうぞ」
「では、貴方がたが引き分けを得た時は、私をドミノで雇ってもらおうか」
負けた時、アルカナとドミノは消滅するだろう。
あり得ないが勝った場合、オセオが消えるだけであろう。
しかし引き分けた場合には、アルカナとドミノ、オセオが等しく国力を下げるだけだった。
そんな落ち目の国へ、他国の将軍が仕官を希望するなど尋常ではない。
「もちろん、私だけではない。一族を亡命させた上で、側近もまとめて養ってもらう。相応の役職を用意してもらうがな」
「……驚いた、実は他の方からもそんな話をいただいています」
演技抜きで、意外そうに驚く右京。
右京としては嬉しいが、正直びっくりである。
ただ情報を流してほしいと思っているだけなのに、誰もがこぞってこの国を目指している。
もちろん、出し得る最高の結果を掴んだ後の話ではあるのだが。
「愛国心とかないんですか?」
「無いわけではないが、心中するほどではない。戦争のさなかで国を売ることはないが、戦争が始まる前なら話は別だ。それに……軍人をやめてしまえば、国家に従う義理はない」
「なんとも……いい言葉だ。最高に気に入りましたよ」
「もう一度言うが、引き分けた場合に限る。負けた場合国は残らないだろうが、勝った場合もそちらへ行くつもりはない」
まともな戦争なら、大国同士の戦いに首を突っ込まないのは正しい。
もちろん大国から要請されたのならその限りではないが、要請されていないのなら何もしないのも一手だ。
というか、その大国から何もするな、と言われればそうするべきだろう。
だがそれは、まともな戦争に限る。この戦争はまともではないし、だからこそ引き分けなど願うべきではない。
「だが引き分けた場合は別だ。我が国の連中は喜び合うのかもしれないが、私はそんなバカな騒ぎに付き合うつもりはない」
「そうですか……軍人だからこそわかることもあるんですねえ。実際、大声で抗議しても文官に封殺された方もいたそうですよ。せめてどっちかに助力するべきだとか進言して、それを鼻で笑われて却下されたとか。その人はもうこっちに亡命する準備を進めてるそうです」
「……それで、そこまで旗色が悪いのか?」
引き分けた場合、周辺諸国の未来は暗い。
もちろん、両国も深刻な被害を受けることになるのだが。
「実際、手の打ちようがない。ディスイヤの当主は結構な高齢だが、妖怪じみた老獪さを失っていない。そのご老体が長年治めてきた街に、いきなりそこそこの数を送り込めた。つまり、実質防ぐ手段がない。山水の気配察知ならどうにかできるかもしれないが、範囲が広すぎる」
どこに潜んでいるのかもわからない軍隊、なるほど最悪と言っていいだろう。
もちろん、見えない軍隊だとしても飯は食うので、まったく見つけられないということはない。
しかし、こちらが広大な国家であり、相手の数も知れない状況では手の打ちようがない。
まして、通信設備も何もないこの国では、更に不可能だろう。
「だが、相手に人間の味方がいること。それがオセオであること。なによりも周辺諸国への根回しができることはわかった。そこまで理解できれば……作戦はいくらでも立てられる」
「私には無理だな。それも八種神宝の恩恵か?」
「いいや、反則行為が大好きな日本人の、特有の悪知恵だ」
何も考えていない、どこにいるのかもわからない相手なら、それこそ手の打ちようがない。
しかし相手には、確実に知恵がある。戦術と戦略をもって、アルカナとドミノを攻略しようとしている。
それなら、手の読み合いができる。
「しかし、相手は真剣だぞ。本気でお前たちを滅ぼそうとしているぞ」
「そんなことは当たり前だ、それを特別に考える方が間違っている。相手が間抜けであることや、真剣じゃないことや、本気ではないことを祈ることほど馬鹿なことはない」
少なくとも、滅亡寸前のドミノ帝国にさえ、革命を本気で抑えようとしていた気骨ある文官や武官はいた。
皇帝は最初から最後まで侮っていたし、皇族もぎりぎりまで楽観していた。
しかし、現場やそのすぐ上の人間は、いつでも必死だった。
全員が有能だったわけではないが、自分の命をさらしている人間が必死でないわけがない。
「都合よく全員間抜け、なんてことはない。間抜けだとしても、必死になればこっちへ食らいついてくる。効率が悪かったとしても、人数が多くて士気が高いなら、それだけで俺は怖いね。そういう連中を馬鹿にするやつの神経が知れない」
作戦が成功したら自陣が一切損害を受けずに、敵だけが勝手に自滅する。
そんな都合のいい展開などあり得ない。相手も命がけだからこそ、全力であらがう。
都合よく戦意喪失して、こちらへ投降する人間ばかりではない。
もちろん、まったくいないわけではないのだが。
「同感だ、盤上の駒遊びと現実を混同するべきではない」
「鮮やかに犠牲を抑えて勝つことよりも、犠牲を払いつつ堅実に勝つことの方が後々のことを考えればいい。そして……今回はどうあがいても多大な犠牲が出る」
こちらも犠牲を恐れるつもりはないが、相手もまた犠牲を恐れずに戦うだろう。
それはどこにでもある、普通の戦争になるはずだ。
「引き分けられるか?」
「引き分けるさ、それが俺の役割りだ」