茶目
空中の大八州で、俺は朝陽ののぼる中神社に訪れていた。
一切流血が無い、しかし凄絶なる戦いが行われていた、この砂利の庭。
というとなんとも自慢げだが、自分としてはそれなりに満足のいく戦いだった。
その一方で、もう自分はガリュウと話すことができないのだと思うと、胸が少し傷む。
試合が行われていたとは思えないほどに、砂利はきちんと元通りだった。
翌日のこと、とは思えないほどである。
「これはこれは……サンスイ殿ではありませんか」
「貴方は、絶景流のクジャク殿」
先日俺を襲った、というか挑んだ剣客の内一人。
居合ないし抜刀術の使い手だった、ガリュウの手下らしき人である。
彼らが襲撃した結果、俺や師匠は『技量が高い』『縮地主体』であることが知られた。
とはいえ、それに恨みはない。彼らは命を懸けて、やるべきことをしただけだ。
事前に敵の強さを確かめる、それもまた兵法であろう。
「せ、拙者のことを覚えておいでだったので?!」
「ええ、貴方の剣も見事でした」
「そうですか……お恥ずかしい限りです。間合いをわずかに外した貴方に気づくことができず……」
恐縮して頭を下げるクジャク。
思った通り、なかなか愉快な人だった。
「……一番先に伺うことではないと存じていますが、なぜ私の剣を初見でああも見切れたのですか?」
俺はほんのわずか身を引いて避けた。
逆に言えば、それだけで完全に回避できる自信があるということだ。
仮に彼が俺の首を落とすつもりなら、それこそそのまま首を大幅に切っていただろう。
彼の剣は、軽く喉を裂く技である。それをなぜ見抜けたのか、ということだろう。
「握りですよ。抜刀術を使う時点で超高速の技と見当がつきましたが、ご存知のように刀とは早く振ればいいというものではありません」
簡単な話である。
仮にものすごく軽く剣を握ったとする。
それで丸太でも切ろうとすれば、どうなるだろうか。
すっぽ抜けて終わりである。
もちろんこれが人体で、場所が首ならそれなりには意味がある。
しかし、彼は俺が仙人だと知っている。硬身功が使える可能性があったのに、そんな軽く首に刺さる程度の技は使わないだろう。
であれば、喉を裂くのがやっと、という技だと察しがついた。
「しっかりと握らなければ、首を落とすことなどできるわけもない。しかししっかりと握って剣を振るえば、それこそ腕の動き以上に早く振れるわけもない。であれば……」
「刀を軽く握った高速の振り、それゆえに浅い太刀筋だと……御見それしました」
しっかりと頭を下げて、本当におじぎをしている。
なんというか、いろいろ思うところがあるな。
「おそらく、あの技は一太刀目を外すと不味かったのでは?」
「おっしゃる通り……刀の重さによって、体が流されてしまうのです。受けられても、それはそれで不味かったのですが……その分、間合いを見切ることは怠らなかったのですが」
たははは、と苦笑している。
なんとも気持ちの良い笑いだった。
俺に下段から打たれたのに、元気なことである。
「……拙者は絶景流を名乗りましたが、実は破門された身でして」
「それは、やはり……」
「ええ、ガリュウ様へ助力したが故です」
神社の本堂を見る。
大天狗が作った宝貝の多くが奉納されているそこには、今二体の石像も納められていた。
「私の師はガベイというのですが、ガリュウ様より少々若い程度の高齢です。もちろん、若き日にはフウケイ殿を追った身でしたが、ガリュウ様が賢人の水銀によって人の在り方を捨てたことに否定的でして……」
老齢の達人が、若返りに手を出す。
それはなんとも邪道感がある。
しかし修業によるものとはいえ、不老長寿の仙人が特に意味もなく作成した宝貝を使うのだから、邪道とは言い切れない。
というか、俺が言ったらだめだろう。
窃盗しているはずなので、それは確実に邪道というか犯罪である。
「私も別れの時にはフウケイ殿に挑むことも許されず、袖にされた身でして。まあフウケイ殿にしてみればいい迷惑だったとは思いますが……」
戦う必要が無いから戦わない。
なるほど、それは本人にしてみれば当然の理屈だろう。
だが、それを長命な仙人がやるのは如何なものか。
「……我らにとって、フウケイ殿に勝つことは悲願でした。ですが、だからといって邪道に堕ちては意味がない。それを言い出せば、それこそ複数でかかるなりなんなりすればいい。それは」
「勝利ではない、ですね」
「おっしゃる通りです。もちろん、数でかかってもどうにかなる相手ではありませんでしたがね」
それでも、勝ちたかったのだろう。
俺にそれは共感できない、出来てはいけないことだ。
「ガリュウ様が若返って帰ってきたとき、ゴク殿と怪しげな何かを準備しているとき。拙者も止めるべきとは思いつつ……流されてしまいました」
彼は自分の手を見る。
俺の手と同じ、剣を振り続けた手だ。
「スイボク殿に挑んだニカワ殿はまあ、呪われた剣を使おうとしたのでやむなしでしょう。ですが、貴方は私たちと同じ土俵で戦ってくださった。おかげで、正直救われました。それはきっと、ガリュウ様も同じでしょう」
「だといいのですが」
「俗人が、仙人に勝てないことなど誰もが知っています。ですが、それでも……同じ剣で戦うとき。私たちは改めて先人として尊敬し、慕うことができたのです」
確かに嵐が突然起こって吹き飛ばされるとか、雷で感電死するとか、人間と戦ってる感じじゃないよな。
正蔵もそうだが、戦っている感じが一切ない。何が何だかわからんうちに死ぬだけだ。
負けるとしても、楽しくないのだろう。そもそも戦いにならないし。
「楽しい負けもある、ということですか。それは共感できますね」
「サンスイ殿であっても、ですか?」
「ええ、師匠には負けっぱなしです。一度でも及ぶ、と思えたことさえない」
「……それほどですか」
もしも師匠がその気になれば、ガリュウさえ殺さずに抑えられただろうか。
いいや、それはないだろう。師匠は相手の意思を汲んで、そのまま殺していただろう。
「サンスイ殿がガリュウ様への決め手としたのは、その右腕と聞いています。戦う前に、既に斬られていたのですか」
「ええ、貴方と戦う前に、ここへ来る少し前に。凄まじい使い手によって、片腕を切り落とされました」
「それに気づくこともできなかった、己の未熟を呪います」
「義手を作ったフサビスに言ってあげてください。きっと喜びますよ」
「……貴方は、本当に超然としていらっしゃるのですね。不覚傷さえ、とても楽し気に語る」
「不覚傷など……名誉の負傷ですよ。石になったこの傷も含めて、すこし嬉しく思っているぐらいです」
なんというか、戦った、感がある。
剣で戦っているとしても、一方的に殺すばかりでは楽しくないしなあ。
「小技、暗技、邪道、隠し武器。そういう領域で、貴方はガリュウ様に勝った。それはつまり、それらさえ貴方は習得しているということ。それを使わねば、勝てなかったということ。それが嬉しく、我が事の様に誇らしくさえ思えます」
彼もきっと知っているのだろう。
本来の剣の技ではない、卑怯ともいえる小技。それさえ、一流へ成功させるには尋常ならざる修練が必要だと。
というか、俺自身よく破っていたしな。
「拙者はその戦いを見ることができませんでした。貴方に負けて、寝ていましたので。それでも、我が師は見ました、剣の最果てと言える凄絶な死闘を」
「ははは……それはまた」
俺も師匠とフウケイさんの戦いを見ていない。それこそ、空前絶後の戦いだったという。
四千年間武に人生を捧げた仙人同士の戦いである、そりゃあ空前絶後だっただろう。
正直、俺も見たかった。でもあの時は、ブロワの実家に行ってたしなあ……。
「昨晩、破門を解かれました」
「……前後がつながっていないのですが」
「え、いやそのですね、我が師であるガベイ曰く、修業がしたくてたまらないと。お前も復帰して、自らを高めて後進を鍛えろと」
それは、俺も同じ気持ちである。
あの場にいた剣士たちは、きっと剣が好きなのだろう。
だからこそ、それこそ少年の様にあこがれを抱いたはずだ。
いや、そうしてくれたのなら、俺は戦いがあった。
「私もですよ。これだけ傷を負ったあとなのにここへ来たのは……」
他でもない、俺の体に刻まれた消えない傷。
それが、あの戦いの証明だった。
「あの戦いを思い出すと、とても胸が躍るんです。もっと強くなりたい、もっと修業したい、もっと戦いたいと」
ままならないものである。
別に弱い者いじめをしたいわけではなく、強くなり過ぎれば競い合うことができなくなるというのに。
それでも、もっと強くなって、もっと強い敵と戦いたい。
そんな想いが、胸で確かに燃えている。
「拙者もですよ。いやはや、正直一端の剣士になったつもりでしたが、貴方に負けて心が若返りました。こりゃあ極めてつまらない気になっていてはいかんと!」
強さとは、生きるためにある。では、その先の最強とは。
憧れこそが本質、カチョウ様も師匠も言っていたことだ。
だとすれば、憧れてもらえるからこそ、最強とは価値があるのだ。
「拙者は、そこまで若くありませんが……また戦えますか?」
「ええ、もちろん。私もまたここへ来ると思います、その時は修業の成果を見せてください」
そう言って、俺は左手を出す。
それがなんなのか、彼にはわからないようだった。
なので間合いを詰めて、彼の左手を握っていた。
「再会の約束です」
「……ははは! では約束ということで!」
固い手で、固く握り合う。
彼の手が老いきる前に、また会いたい。
俺はそう思った。
「さて……」
「おや、本堂に何か御用で?」
俺は多くの宝貝が並んでいる神社の本堂の中へ入った。
もちろん、その宝貝を盗む気は一切ない。
「ここに、私も刀を奉納しようかと」
ちょうど、ガリュウの刀も奉納されている。
都合がいいことに、彼の刀の台には空きがあった。
そこに、俺も自分の腰に差していた刀を置く。
「それは……大天狗が作ったという、禁式宝貝ですか」
「ええ、もう私には無用の剣です」
もしも、この刀が生み出されたことに意味があるのなら。
それはきっと、同じく禁忌の刀を帯びた剣士と戦うためだ。
この刀があったからこそ、あの戦いは剣士同士の戦いになれたのだ。
もしも、この刀が無ければ、それこそ果たし合いの体をなさなかっただろう。
「……スイボク殿とフウケイ殿の骨を使って生み出した、最強の刀」
「思えば、最強の刀というのも変な話です。持っているだけで相手に勝てるのなら、それは刀ですらなく。誰がどう使っても勝てる、というわけでもない」
最強の剣士しか使えないのなら、そもそも存在する意義が無い。
それはとっくに俺がエッケザックスを相手に証明したことで……。
祭我も、大分前にその境地へ達していた。
「人間を殺すには、木刀で十分。これはここに置いていきます」
俺は、刀と一枚の紙を、そこに置いた。
「……サンスイ殿、その紙はいったい?」
「これは、この刀の使用法を書いたものです。大天狗からいただきましたが、これがないと後で誰かが使うとき不自由でしょう」
八種の使い方がある、虚空の刀。
この次元の外から、ありえざることを成し遂げる、理外の刀。
「正直、これは私の手に余る。あまりにも……」
「あまりにも、なんでしょうか?」
「演出過多がすぎる、というところです」
この刀、ヤバすぎて使いどころがない。
仮に持ち帰ったら、それこそ奥様の指示でろくでもないことをさせられるだろう。
だいたいコレ、刀の形をしている意味がない。機能的に、刀の要素が無い。
なんでも切れる刀って、刀の形をしている意味があるのか?
これもまた、矛盾であろう。
「……その、良いのですか? 片腕を失い、消えぬ傷まで負って、刀を捨てて。それで何が残るのですか?」
「命があります。生きている限り、修業はできますから」
本堂の中で、二体の石像が鎮座している。
俺は、その二人の前で、寂しく思いつつ笑った。
もう少し、彼といろいろと話したかった。
一切小細工なく、剣の腕だけを競いたかった。
たとえその決着が運の偏りでしかなかったとしても、俺の死を意味していたとしても。
それでも、よかった。
あ、駄目だ。
いかん、いかん。
「ま、まあ! あれですけどね! 俺が死んだら、嫁さんと娘ふたりが泣きますけどね!」
「……あ、ああ! 結婚なさってるんですか?!」
「ええ、そうなんですよ! 今回は師匠の見送りできただけなのに、腕を斬られるわ顔がこんなになるわ! こりゃあ怒られますね!」
お茶目に笑いながら、なんとか誤魔化そうとする。
しかし、仮に娘やブロワがこうなっていたら、俺はとんでもなく驚いて嘆くだろう。
なので、何を言われても仕方がないところである。
「はは、あはははは!」
「……そ、そうですなあ! 拙者も所帯を持っているのですが、嫁さんや息子にえらく怒られておりまして! 年甲斐もなく、はしゃぎ過ぎだと!」
「そうですかそうですか! 剣の道は険しいですなあ!」
「なにせ拙者、絶景流の師範代だったもので、破門になったら浪人だったのです。破門を解かれてよかったよかった!」
笑っていいんだろうか。
いや、俺の方が笑えないのだろうけども。