死闘
思い込みは、何時だって恐ろしい。
目の前の彼らを、いつかの祭我と同じように思うことはないが、それでも俺は彼らに同情できなかった。
「弟子である俺が言うのもどうかと思うが」
未だに現状を理解できていない二人へ、俺は静かに語る。
今この場で切りかかることは卑怯でも卑劣でも反則でもないが、しかし勝利ではない。
俺は楽に勝つために鍛えてきたのではなく、傷つけあうために鍛えてきたのだから。
「お前たちは、大天狗や師匠のことを勘違いしている」
他でもない俺自身、師匠に対して理解が深いわけではない。
俺は師匠と五百年付き合いがあった。
五百年間、レインを拾うまで師匠とだけ接していた。
俺にとって『世界』とは師匠と過ごした森のことであり、それで完結していた。
しかし、師匠が昔何をしていたのか、ほとんど知らなかった。
詳しく聞いても教えてくれなかったし、あまり頻繁に聞かなかったからだろう。
エッケザックスも同じだった。
千年の付き合いがありながら、それ以前のことはほとんど知らなかった。
それでも人間関係が成立していたのは、それだけ俺たちが師匠を偶像化していたからだろう。
エッケザックスは『理想の使い手』として、俺は『師匠キャラ』として。
過去の無い、自分たちにとって都合のいい存在としか思っていなかったからだろう。
「誰もが認める最高の職人が、禁忌に手を染めるはずがないと思っていたんだろう」
少しだけ立ち止まって考えれば、それはすぐわかることのはずだ。
師匠も大天狗も、俺たち切り札と違って、神の気まぐれで生み出された『最高』ではないのだということを。
「最高を、最強を、それに至った先達を甘く見るな」
この世で一番の宝貝職人になりたい。
この世で一番強くなりたい。
そんな低い志で、あそこまでの高みに達せるわけがない。
一番になって、それで満足できるのならば。
それこそ、四千年も生き続けられるわけがない。
「如何に素養があったとしても、如何に仙気を宿していたとしても、如何に悠久の時を生きていたとしても」
フウケイさんを追った彼らは、確かに届き得る牙を磨いた。
しかし、だとしても。
スイボク師匠や大天狗セルに対して、勘違いをしている。
「最初から、今の力量に達していたわけではない」
あの二人は、一番である自負こそあっても、それに甘んじていない。
他の追従を許さない領域に達しているのは、本人たちが今の自分に満足していないからこそ。
「決して褒められることではないとしても、天井知らずの向上心こそが頂上をも超えた『神々』の領域に達する最大の力」
目の前の彼らに、狂気や執念が無いとは言わない。
しかし、それが自分たちだけのものだと思ってはいけない。
頂点を目指す、頂点に焦がれる、頂点を越えようとする心。
それは確かに強い推進力だ。
だが、それでも彼らは上を向いている。
たかが一番、たかが最強、たかが頂点なぞにこだわりなどない。
戦う相手も、競う相手も、殺す相手も、恨みも妬みも一切ないのに。
それでもひたすら上を目指す。
今の自分以上を、彼らは常に求め続けている。
「道を踏み外したぐらいで、優越感に浸るとは未熟の極み。我が師も大天狗も、外道さえとっくに極めている」
師匠も大天狗も、独走態勢に突入してなお全力で修業している。
特に我が師匠は術の研究もしていたとはいえ、千年間一日中ひたすら素振りばかりしていた男である。
そんな男がまともなわけがない。
まともではないからこそ、剣を極め術を修め最強にいたってなお、真剣に悩んで術を編み出しては放棄してきたのだ。
最初から誰の追従も許さなかったのではない。誰も追従する気が起きないほどの高みをひたすら一人で頑張ってもがいているだけなのだ。
はっきり言えば、頭がおかしい。
たまたま偶然最強になったわけではなく、誰かの好意で最強の座を与えられたわけではなく、達成したい目標もないのに最強以上を目指し続けている。
だから四千年以上生きているのに未練たらたらで、現在これだけの力を得ている。
その結果だけを見ていれば、二人の向上心に気づけるわけもない。
「……言いたいことは、それだけか」
ガリュウは、もう取り乱していなかった。
改めて、俺と向き合っている。
先ほどまでの優越感や憤慨はすでになく、ただ俺を殺す殺意をみなぎらせている。
容易ならざる相手を、真正面から切り殺す。その覚悟だけが、彼の中にある。
極上の剣士が、全力で殺しに来る。
なるほど、なかなか体験できることではない。
「ごちゃごちゃと、無駄なことを言ったものだ。塩を送ったつもりか?」
「いやいや、塩は受け取っただろう」
「ならば、ぶつけて返そう」
再び、対峙する。
「これは誓いだ」
改めて、俺は相手の戦力を計算する。
いままで戦ってきた相手と比べて、その度合いを測る。
「この刀で斬った傷は石となる」
はっきり言って、そこまで極端に強いわけではない。
雷霆の騎士と戦えば、高確率で敗北する。
「そして、この刀を持っている者の傷もまた石となる」
ロイドにも勝てないだろう。それらはほぼ確実だ。
なにせ遠距離攻撃手段が無く、空を飛ぶことができず、瞬間移動もできないからだ。
だがそれでも、俺にとっては強敵だ。
他の武器はまあともかく、神便鬼毒がまずい。
おそらく原理としては、騒鐘とそう変わるものではないだろう。
周囲に『波』を放ち、かき乱す効果がある。
作った本人も言っていたが、もともとはフウケイさんの集気を乱すための宝貝だったのだろう。
集気には二つの段階がある。普段から無意識に行っている周囲から気を集めるもの、その上の段階として周囲の気配を敏感に感じるもの。
フウケイさんは前者を極めており、無尽蔵の仙気を常時補給していた。
それは膨大な川の流れを止めるようなもので、実現させられなかったのだろう。
しかし俺や師匠が極めた、周囲の気配を感じる集気に関しては効果が高い。
例えるなら妨害電波、妨害音波を発しているようなもの。
繊細なソナーが、騒音でかき乱されている。
ただそれだけで、縮地が不可能になる。
師匠が褒めたのも当然だ、労力は些細なのに効果が絶大すぎる。
というか、これを量産されたら俺たちはお手上げである。
これは対策が必要であろう。
とはいえ、今はこのまま戦うのが礼儀だ。
彼らの『歓待』に、今のまま戦う義務がある。
「それでは、再開しましょう」
「……そうだな」
明らかに骨で作られた刀身と、闇が形となった刀身。
黄泉戸喫と双右腕だが、実のところ対人に限るなら前者の方が上だろう。
そう察しながら、俺たちは弾けるようにぶつかっていた。
「発勁、震脚」
「発勁、震脚。内功法、重身功」
虚空を形にしたはずの刀身は、しかし人骨の刀とぶつかり合っていた。
そう、最高の宝貝職人であるはずの大天狗だが、玉血に関しては何も知らなかった。
やはりと思うしかない。玉血による硬化は、空間の断裂さえ耐える。
それどころか、こちらが当たり負けてしているようにさえ感じた。
「ぐ……!」
「ふぅ!」
それでも、吹き飛んだのはガリュウだった。
力では勝っていても、重さで負けている。それゆえに踏ん張りがきかず、大きく後ろへ吹き飛ぶ。
重身功は平凡な仙術である。それこそ、師匠でも重身帯という形で再現できる。
専門家が全面的なバックアップをしているにも関わらず、それを装備していないのは余りにも不自然だった。
しかし、その理由を既に俺は察している。
「瞬身功」
追撃を開始する俺に対して、ガリュウは毛むくじゃらのまま応戦する。
神降しを再現している彼は、瞬身功と豪身功と硬身功の同時使用の上を行く力を発揮していた。
しかもその燃費は非常にいい。短時間でも連続使用すればすぐに疲れ切る仙術の自己強化とは雲泥の差だ。
「おおおおおお!」
「ああああああ!」
らしくもなく咆哮し、俺は虚空の刀を振るう。
刀と刀がぶつかり合い、握っている剣士同士が押し合う。
こちらが大きく吹き飛ばすのだが、それでも相手の方が動作が早い。
おまけに力は相手が数段上、師匠の骨でできた刀を握っている手が痛い。
それでも、こちらには分がある。
長期戦になれば、生き残るのは確実に自分だ。
それを避けるために、俺は全力で短期決戦に臨む。
相手もそれを察しているからこそ、歯がゆい思いをしながら短期決戦を受けている。
ちらりと、視界の隅に拳を固く握っているゴクが見えた。
そう、彼は己の無力を呪っていた。
あと一押し、あと一押しガリュウへ支援できていれば、俺に対して圧倒的な優位を得られた。
それが分かっているからこそ、彼は己を呪っていた。
「あの、もしやゴクは、蟠桃や人参果を用意できなかったのでは?」
フサビスの声が聞こえた。
そう、俺と師匠には最初から分かり切っていたことだが、ガリュウは蟠桃も人参果も食べていない。
「そっか、ゴクさんは邪仙……破門された身だから、都合してもらえなかったんですね」
ゼンの言うとおりである。
秘境セルでも大八州でも、蟠桃や人参果は貴重品だ。
作れるとは言っても、いくらでも手に入るわけではない。
であれば、最高権力者である大天狗ならともかく、自分で作れる師匠ならともかく、宝貝職人でしかないゴクが調達できるわけがない。
だから、今使っている宝貝だけで立ち回っている。
如何に燃費がいいと言っても、並行して『四つ』の宝貝を使用すれば気血はすぐに底をつく。
この上で他の宝貝を使うわけにはいかなかったのだろう。
神降し、呪術、四器拳、仙術。それらを同時に発動させる。
祭我でも可能なことだったが、アイツは体の中に複数の気血を宿していた。
一つ一つは特筆して多くないとしても、複数種類の術を使う分には負担が分散されていた。実質一つの術を使っているだけなのである。
しかしそれは祭我の理屈。技量はともかく、人並みの気血量しか宿していないガリュウには無茶な話だ。
あるいはランや正蔵のように膨大極まる気血を宿していれば、あるいは無数の宝貝を同時に使用できたかもしれない。
もしくは俺のようにフウケイさんの骨を使った宝貝を製作すれば、あるいは。
とはいえ、それこそないものねだりである。
「そのとおりだ、長くは続かん」
師匠の声が聞こえた。
しかし、正確に気配を感じることはできない。
「どちらが勝つとしても、な」
だがわかる。
師匠は俺の勝利を確信していない。
俺は師匠と似ている部分がある。
特に戦術的な判断は、ほぼ模倣できている。
だからこそーーー。
「返景流」
この戦いの、その先が見えない。
「皮剥」
ホホを薄く、撫でるように斬られた。
普段なら血が流れるところだが、幸か不幸かそれはない。
黄泉戸喫は『斬った』部位を石化させる刀。
その上、玉血によって抵抗なく万物を切断できる。
であれば、腰を入れて体重を込めて斬る必要が無い。
そして、それを念頭に置いて、ガリュウは剣術を磨いていた。
対するに俺はこの刀を得たのはつい先日であり、なおかつこの刀は当たりさえすればそれでいいという武器でもない。
同じく万象を切断できる刀であるがゆえに、相手の刀に触れさえしなければ腰を入れる必要が無い。
そして、俺の腕は既に限界が近かった。
「死線をくぐるのは初めてか?」
ガリュウは険しい顔のまま、俺を追い詰めていく。
「確かに剣に費やした日々はお前の方が上だろう。だがわかるぞ、お前は死に物狂いで戦った経験が浅い」
百戦錬磨を誇る剣の鬼が、俺の刀を弾いていく。
俺の腕が、どんどんしびれて重くなっていく。
「わかるか、濃度だ。お前の薄い修練では、俺の熱い戦績を越えることはできん!」
拮抗しているからこそ、短期決戦だからこそ。
俺は彼と比べて明らかに劣っていた。
「お前の師はどうだか知らんが、お前の戦績は俺に劣る!」
実戦での経験値、それが勝敗を分ける。
これはそういう戦いだった。
「返景流、笠子!」
額に、一文字の線が走る。
本来なら出血して前が見えなくなるところだが、幸いにも石化によって逃れている。
しかし、どんどん体が刻まれていく。
自由度がどんどん落ちていく。
短期決戦ではあるが、崩しに入っている。
削って削って、焦らずに決着へ布石を張り巡らせている。
俺以外なら、きっととっくに切断された石像になっているだろう。
そう思うと、笑いがこみあげてくる。
「……いやあ、強くなった甲斐があった」
傷つけあうために修業を重ねたのだとしたら、きっとそれはこの時の為に。
俺は運命を感じていた。
これはきっと、とても奇跡のような一瞬で……。
敵と出会うことなく過ごす退屈よりも、得難い刹那なのだろう。
「死んでもいい」
俺は自分の体を把握している。
俺の顔の一部は石化しているものの、それでも表情はまだ作れる。
そして、俺は。
普段通りに笑っていた。