初心
大八州では夜景も美しい。
静かに浮かぶこの島では、真横を見れば月や星の明かりで照らされる雲が見える。
そういう意味では、晴れた夜空よりも多少曇っている方がきれいな夜空なのだろう。
そんな中、師匠とカチョウ様は酔いつぶれて早々に寝ていた。
ま、まあ師匠は夜寝る派で、日が沈んだらずっと寝る人だったし。
あれだよ、仙人だから日が昇ったら起きるよ。
日が沈む前からぐーぐー寝ていたけど、まあ三千年ぶりの故郷だし。
またうっかり、その場の勢いで解脱されても困るし。師匠はともかくカチョウ様は、それこそいつ解脱してもおかしくないし。
ということで、俺は夜更かしである。
なんか妙に話が合う同世代(誤差五十~二百年)で、月明かりの下で話をしていた。
とはいえ、その内容は明るいものではないのだが。
「ゴクさんはジエズという仙人のお弟子だったんです。今は破門されちゃったらしくて……」
「彼は一時期秘境へきて大天狗の元で修業を積んでいました。ほどなくして大八州へ帰ったのですが、まさか邪仙になっているとは」
ゴクとガリュウ。
俺は明日、実質その二人を相手にすることになる。
いやあ、実に楽しみだなあ。
祭我と三回戦った時のことを思うと、びっくりするほどの差がある。
我ながら、相手を選り好みし過ぎている。
とはいえ、神様からスゲー力をもらってひゃっほーな男と一緒にされたら、むしろゴクさんもガリュウさんも嫌なのではないだろうか。
動機は似たようなものであり、実利や名誉よりも自己満足のための戦いである。
とはいえ、俺としては好ましい。
おそらくこの戦いが済んだらアルカナへ戻ることになるので、いい思い出にしたいところだ。
まあ死体を前に手を合わせるか、俺が死体になる可能性もあるのだが。
「ガリュウとはどんな人だ?」
「ガリュウは……俺の妹の息子、要は甥っ子です」
どうでもいいような情報だった、大八州は普通に狭いらしい。
とはいえ、妹の子孫と妹の息子では偉い差がある。
俺にとっては重要でもなんでもない無駄な話だが、彼にとっては大事なことなのだろう。
「俺は若い仙人なんで、俗世と縁がちゃんと切れてなくて……」
「そうなの……つらいわね。私にも経験があるわ、もう百年以上前のことだけど」
どうしよう、俺は同じ世代なのに一切話に入れない。
親のことなんて、どれぐらい思い出していないのだろうか。
いたことは覚えているのだが、家族構成すら怪しい。
「サンスイ師匠もそうなんですか?」
「あ、ああ……俺は故郷を捨ててスイボク師匠の弟子になったから、家族とは縁が切れていたな」
「ああ、そうでしたね。すみません、変なこと聞いて」
「サンスイは立派ね。私もゼンも故郷でそのまま天狗や仙人になったから、家族と別れたわけではないのに」
ごめんなさい。
事実ですが、そこまで立派なものではありません。
「まあとにかく、俺の妹の息子ですから、結構な高齢なんですよ。ぶっちゃけ爺さんです」
事実だが、文章にして話題にすると違和感がすごいなあ。
この場ではぶっちぎりで一番若いのに、妹の息子がおじいさんって。
「返景流の剣士で、武神奉納試合ではよく優勝してましたね。ああ、武神奉納試合なんですが、これはフウケイさんへの挑戦権をかけた試合でして。優勝するとフウケイさんに挑戦できるんです」
実にそそられる話だ。フウケイさんが生きてたら、俺も参加したいぐらいである。
「俺も出たかったなあ」
「何言ってるんですか、サンスイ師匠。アンタどっちかっていうと、挑戦を受ける側じゃないですか」
「どちらかとではなくて、現に挑戦を受けている側じゃない」
そうだった。
というかいきなりアンタ扱いされている。
初めての仙人の弟子なのに……こんなぞんざいな。
うむ、自分の未熟を受け入れよう。
「それもそうだな、うん」
記憶の端に、こうやって自分のことを勘違いして周囲に持ち上げられる話が合った気がする。
まさか自分がそうなるとは思っていなかった。
家族のことは覚えてないのに、こういうことを覚えているのが俺の人格を表している。
とはいえ、確かにレギュレーション的に問題があるだろう。
他の連中がキャリア数十年なのに、俺だけキャリア五百年だし。
どう考えても狡い、試合に出たら他の選手がかわいそうである。
「しかし、話に聞くフウケイさんは、そんな大きな催しを仕切る性格ではなかったと思うんだが」
「そりゃそうですよ、フウケイさんはそんなことしませんって。あのカチョウ師匠の弟子で、スイボク様の兄弟子ですよ? 周りが勝手に始めて定着したんですよ。まあ、俺が生まれるずっと前から続いてたんですけど」
スケールがでかいなあ。
まあ四千五百年ぐらいこの地で過ごしていたんだから、そういうものかもしれないが。
「フウケイさんは剣術とか槍術の修業をしてたんですけど、ほら、相手がいないと試合にならないじゃないですか。それで俗人の達人を相手にしてたわけですよ」
「俗人の達人じゃなくても、仙人じゃダメなのか?」
「私が知っている限り、仙人や天狗で武芸に秀でているのは三人だけです」
俺とスイボク師匠とフウケイさんだけなわけね。
なるほど、そうとう少数派のようである。
「とにかく、フウケイさんも最初はいろんな人と試合してたんですよ。そうしたら評判が広がって、みんなが押し掛けてきたんです。邪仙っていっても、悪さするわけじゃありませんからね。ぶっちゃけ仙人になる前から俺も尊敬してましたし」
邪仙とはいったい……。
やはり師匠は退治されるべきだったのだ。
「でもまあ、フウケイさんもそこまで面倒見がいいわけじゃないですし、ぶっちゃけ仙術の修業もしてましたからね。相手を絞るように言ったんですよ。そしたらまあ、武神奉納試合の雛形が出来たんですよ……ってカチョウ師匠が言ってました」
カチョウ様はその後に、『スイボクに勝てるわけねえだろ。時間の無駄だな』とかつけてたんだろう。
俺にはわかる、ゼン君がそういう顔をしているから。実際、人生の無駄に終わったわけだし。
「とにかく、そういう試合があるんですよ。その試合で俺の甥っ子はよく優勝してました。でもまあ……当たり前ですが、勝てなくて」
「それはそうでしょう、私もフウケイ様が戦うところは見ましたが、地動法や不死性を抜きにしても相当な実力者でした。それこそ、大真面目に三千年を費やしたのです。その彼に、俗人が及ぶわけがありません」
「おっしゃる通りで、勝てるわけがなかった。というかまあ、みんな最初から勝てると思ってませんでしたからね。本当に一部だけですよ、張り合ってたのは」
例えるなら、ちびっ子が力士と土俵で戯れる的なアレだろう。
それよりは戦いになっていたとは思うが、それでも限度はあったはずだ。
なにせ相手はフウケイさん、ランや祭我とさえ戦えた御仁だ。王気や悪血を宿すならともかく、気功剣と発勁だけで勝負になるわけがない。
「ガリュウもその一人でした。でもまあ……それだけなら、まあ拗らせなかったでしょう」
「……老いね」
「そうです。妹の子ですからね、俺も多少は縁があったんですが……ある時以降、その、俺を見る目が変わった気がします」
俺たちは黙るしかない。
俺たち三人も、家の中で寝こけている長老たちも、とんでもない時間を生きている。
それこそ、『人間』からすれば永遠に近い時間だ。
「技量に伸びしろはあった、でも体がついていけなくなる。もちろん、フウケイさんだって肉体的に成長を続けていたわけじゃありませんが、それでも衰えることだけはない。ですが、ガリュウも他の奴も、どんどん衰えていく」
皇帝とかその奥さんと同じ、あるいはシェットお姉さんと同じ焦燥だ。
寿命ではなく、美しさでもなく、肉体機能の衰え。
それはどうあがいても仕方がない。
「……こう言っては何ですか、フウケイさんが最後に言った言葉だけは、俺もどうかと思ってます。スイボクさんの所へ向かうため大八州を出る時、俺や師匠が見送るなか、ガリュウを含めて何人かの剣士が呼び止めたんですが」
『待ってください! 私たちと戦ってください!』
『どうか、どうか最後の機会を!』
『及ばぬのなら、この命を奪っても構いません!』
『いえ、死ぬのなら貴方の手で!』
『もはや、お前たちと戦う意味がない』
『己は、真の高みに達した。もはや我が悲願を果たすのみ』
『……いや、最初からお前たちなど相手にしていない』
『俗人ごときが、のぼせ上がるな』
『己の『敵』はスイボクだけだ』
「……アレは、本当に、酷かった」
聞けば、祭我もフウケイさんにけっこうなことを言われたらしい。
そういう傲慢さが、少なからずあったのだろう。
もしくは、三千年かけて強くなった己をスイボク師匠にぶつけたくて、気が逸っていたのかもしれない。
いずれにしても、その言葉で傷ついた人はいたのだろう。
「しばらくして、ガリュウは大八州を出ました。宝貝はありますからね、それで下界へ降りたんです。その後十数年姿を見てなかったんですが……帰ってきたとき、その姿は明らかに若返ってました」
「賢人の水銀、大天狗が作った皇帝の至宝からでる妙薬ね。それを盗んだのは、ここのガリュウか」
「それからは武神奉納試合に出なくなりました。自分に出場する資格が無くなったと思ったのか、それともフウケイさんがいなくなって優勝してもとくに何もなくなった試合に出たくなくなったのか……」
そして、フウケイさんは死んだ。
俺の師匠が殺した。
俺と師匠が帰ってきた。
「で、どうなんですか? 明日本当に戦うんですか? ぶっちゃけ戦わないといけない理由なんてないんじゃないですか?」
と、かなり残酷なことを言うゼン君。
その顔には、ある種の呆れがあった。
なんとも仙人らしいことである。
俺よりもずっと、まともな仙人だった。
「サンスイ師匠、どうなんですか? 弟子としては、甥っ子と師匠が戦うことが既に嫌なんですけど」
「そうね、ゴクも穏やかではなかった。それこそ一切恨む理由がない貴方にも敵意を隠さなかった」
フサビスも、大分警戒している。
ただ戦うだけなら、そこまで真剣には止めないだろう。
少なくとも俺とロイドの戦いは、どうかと思う一方で止めていなかった。
だが、明日の戦いは違うのだ。確実に、試合ではない。
「まさか、怒っているの? 貴方の修業を馬鹿にされて、否定されて」
「まさか、俺は怒ってなんかいない」
本当だ。
戦いたいとは思っているが、怒っても憎んでもいない。
まあそりゃそうだろう、とは思っているからだ。
「そもそも、俺とゴクは全然本気さが違う。多分ガリュウとも全然かみ合わないだろう」
ぶっちゃけ師匠ともだいぶ違う。
俺はあそこまで本気で、全力で、最強を探求したわけではない。
ゴクの言うように、俺はただ師匠に最強の骨子を授かっただけだ。
それこそ神の言うままに、スイボク師匠に従っていれば最強になれると思っていただけだ。
そして、俺にとっての最強とは……。
「最初の俺はただ、その強さを誇示してでかい顔をして、周囲から賞賛されたかっただけだ。もっと言えば、女にモテたかっただけだ」
「普通ですね」
「普通だわ」
そうか、普通なのか。
確かに普通だとは思うのだが。
でも五百年だからなあ。
「正直、コスパに合ってない。もっと言うと費用対効果に見合ってない。ぶっちゃけ五百年修業しろって言われた時点で既に心が折れてた」
「そうですよね」
「そうよね」
仙人と天狗のあるあるねた。
最初は結構俗っぽい理由。
「俺は大八州の生まれで、ぶっちゃけ憧れてたんですよね。で『ちょっと』修業すれば仙人になって、空飛んだりできると思ってたんです。ちょっとって……長いんですよね。まだろくに術が使えない……」
「私もお肌の曲がり角の時に天狗になって……これ以上歳をとるのが嫌で……でも、挫折しかける日々が続いたわね……百年単位で……」
そうなのだ。
はっきり言って、人間の感覚で言えば天狗も仙人も、まるで割に合わない。
天動法も数百年修業して会得して、数年単位で発動させる面倒極まりない術なのだ。
地動法など更に面倒を極める。はっきり言って、人生を無駄にしている。
無駄に長い人生を送っているだけなのだ。
「でもまあ、五百年も修業すると色々気が楽になるんだよ。俺はほら、まともな仙人になれたし。ぶっちゃけ精神構造がだいぶ変わったし」
「そうですよね、俺も変わってきた感じがあるし」
「私も初心を忘れたおかげでまともになって、いろいろ苦しくなくなってきたのよね。もちろんまだまだ未熟だけど」
初心忘れるべし。うむ、至言だな。
俺たちからすると、初心が純粋で尊いというのはただの幻想である。
初心なんて、たいていろくでもないもんだ。
むしろ、何時まで経っても初心のままというのは、一種未熟な証なのだろう。
というか、初心にこだわってはいけない。
初心なんてものより、今自分がどうするべきか考えるほうがいい。
「だから、ゴクに何を言われても気にならない。彼にはとても信念があるし、彼が手を貸しているガリュウにも信念がある。浅はかな言葉じゃなくて、重く熱い言葉だ。俺はそんな人と戦えることが嬉しいね」
そう、俺は確かに師匠を越えたいと思っていない。
俺は師匠を見送ることに迷いはなく、逆に言って師匠に勝てないまま終わってもいいと思っている。
それが甘い、というのならそうなのだろう。
その上で最強を語ることは、きっと妥協と諦念だ。
「ゼン、俺は君の甥っ子と戦うよ。彼と戦って勝ちたいから、戦うんだ」
だがそれでも。
「勝てるんですか? ガリュウはきっと強いですよ、あの三人よりもずっと」
「それでも、俺が勝つ」
俺が負けたら、悲しむ人がいるのだから。
俺の最強は、俺の独りよがりではないのだから。
『サンスイ……お前が最強であることは、一つの目標だ。お前がそうもすんなり悟ってしまえば、皆が悲しむ。師の言うように祭我やトオン、ランと張り合ってくれ。それが本当に我らが望む、誠実ということなのだ』
「お前も信じてくれ、俺が勝つって」
『儂の弟子よ、愛弟子よ。お前は儂と違って正しいが、正しいだけだ。もっと全力で、真剣に、己の人生を賭した剣に誇りを持て。矜持を持ったうえで勝とうとするからこそ……』
『剣は、楽しい。そうですね、師匠』
『然りである』




