解脱
翌朝、スイボク師匠とカチョウ様は朝から昔話に花を咲かせていた。
なにせ三千年ぶりに再会したのである、そりゃあ積もる話は山のようにあるだろう。
そんな二人を置いて、俺たち六人は表で草摘みをしていた。
深い山の中ということもあって、あたりには野草が多い。それをゼン君の指示の下でとっていた。
「サンスイ師匠がやってると一人で全部終わっちゃうんで、剪定をお願いしていいっすか?」
それゆえに、俺は他の仕事をしていた。
背の高い木が枝を伸ば過ぎているので、枝打ちをしている。
そうしないと背が低い草花へ日光が入らないのである。
植物は日光で栄養を得るので、これも生存競争の一環と言えるだろう。
「んで、これは食える草です。煮てください」
「名前は?」
「え?」
「んで、これは傷に効きます。火傷にも切り傷にもいい感じで」
「名前は?」
「え?」
薬屋の三人に説明するが、やっぱり固有名詞が無い。
こういうところをみると、ゼン君もまともな仙人のようだった。
もちろん、褒めているわけではない。
でも俺だって、五百年過ごした森の中の動物の名称を、いちいち把握しているわけではない。
そういう意味では、俺もまともな仙人なのだろう。
「それにしても、良いのですか三人とも。お疲れではないのですか?」
フサビスは薬屋三人のことを気にしていた。
嫁さんはともかく、夫さんと店主は過酷な環境で過ごしていたので、その辺りを気にしているのだろう。
とはいえ、既に二人は治療が済んでいる。健康状態はだいぶいいので、そこまで問題ではない。
というか、師匠やカチョウ様と一緒にいたくないのだろう。
片方は都を浮かして沈めるし、片方はそんな御仁へ怒鳴り散らすし雷まで落とすし。
「ええ、この通りです」
「動いている方が落ち着きますので……」
「どうかお構いなく」
確かに環境の激変が物理的にも社会的にも著しいからなあ。
先日まで天狗と取引をしていただけの薬屋が、なにがなんだかわからんうちに投獄されて、更に空へ仰ぐだけだった天界で暮らすことになったのだ。
都は都で空を飛んで海に沈められて、元の場所に戻されるし。
師匠は本当に、災害のような御仁だった。
とはいえ、流石に働き過ぎはよくない。
俺たちは少し遅い朝ごはんにすることにした。
昨日の残りを温めなおして、ゆったりと若い衆で愚痴を言い合うことになる。
まあ年齢層にえらい違いがあるのだが。
百歳以下が三人で、百歳以上千歳以下が三人である。
まあ残って話している二人は四千年以上生きているので、誤差みたいなもんだろう。
「……それにしても、私たちは本当に天界にいるんですねえ」
薬屋の嫁さんが、遠くまで来たなあと感慨に耽っていた。
つい先日までは大都会だったのに、いきなり森の中で暮らすことになったのだ。
その気持ち、実によくわかる。おれも五百年前はそうだったからなあ。
家族と一緒というのは救いだろう、少なくとも一人ではないし。
「一応聞くけれど、未練は?」
三人は半強制的に連れてこられたのだ、不満ぐらいあるだろう。
俺も神のせいで森に来たときは、かなり不満があったもんだが。
それでも一応、というあたり、フサビスも納得していると察しているようだが。
「ありません、本当に感謝しかありません」
代表して店主が応じる。
昨晩、カチョウ様は【話し合いで解決することなど、何一つない】という無茶を言っていた。
しかしその無茶を、理不尽を、店主もその息子も嫌というほどに味わったのだ。
皇帝への忠誠心がいかほどであっても、そんな扱いを受ければ愛想も尽きるだろう。
「確かに私たちの薬屋は、長くフサビス様と取引をしてきました。ですが、税を怠ったことはありませんし、皇帝陛下への忠義はくもりのないものでした。もし仮に『天狗や仙人を知っているか』と聞かれていれば、そのまま答えていたでしょう。いえ、実際、私も息子もそう言ったのです」
「ですが、誰も信じませんでした。私たち自身は天狗でもなんでもないと言っているのに、他の者と同様の取り調べを受けることになったのです」
責め苦を恐れて、虚偽の申告をした者たちがたくさんいたのだろう。
結局正解を取りこぼしているので、皇帝のやり方はまったくもって不合理だった。
多分調べている連中も、うんざりするほどの相手を取り調べすることになったのだ。右京同様にイライラしていたと思われるので、誰も幸せになっていない。
「なんでも過激に徹底すればいいというものではないのにね……」
「はい……本当に、誰も話をきいてくれませんでした……」
「だいたい、薬だってそんなに早く効くものが作れるわけではないのに……」
蟠桃や人参果を知っている身で思うことではないが、薬とは飲んだらいきなり劇的な効果があるものではない。
俺が生きていた日本でも、薬とは継続的に服用するものと相場が決まっていた。
まして大ヤモンド帝国で処方している薬は、体の体調を整える漢方薬に近かった。
そんなもんをオブラートに包まず大量に飲んでいたら気分が悪くなるだろうし、薬だけ服用しても生活習慣を整えないと治療なんて不可能だ。
人間、知らないことほど『プロなんだから簡単にできるだろう』と軽く見るものである。
少なくとも、昔の俺はそうだった。
「安心しなさい、ここにはスイボク様も定住なさるようだし、カチョウ様も御口添えしてくれるわ。何があっても大丈夫よ」
「はい……」
「そうですね……」
「ええ……」
「私もここに残るし」
「そうですか! それはよかった!」
「いやあ、安心です!」
「本当に、フサビス様には感謝しかありません!」
すごいなあ、三人とも師匠やカチョウ様のことを欠片も信じていない。
事情がよくわからないとしても、あれだけ自分の弟子をこき下ろしていれば、そりゃあ怖いだろう。
三人ともフサビスとは付き合いが長いのだし、安心できる面は大きいに違いない。
「……三人とも、私が面倒を見るわ。貴方たちの寿命が尽きるまでは、ここで勉強させてもらうでしょうしね。たまには秘境へ帰るけども、その時は一緒に来ればいいし」
「秘境って、虚空法で作った天狗の里ですよね? 俺いったことないんですよ」
俗人が天界と呼ぶこの地で生まれ育ったゼン君は、フサビスの故郷に興味津々だった。
確かにあそこは興味がわくだろう。少なくとも俺にしてみれば、とても幻想的な光景だった。
「なんでも空が無いらしいんですけど、暗いんですか?」
「暗くはないけど、閉鎖的で息苦しいわ。少なくとも、ここよりはね」
「いやあ、ここはここで閉鎖的ですよ? なんたって、軽身功が使えないとどこにも行けませんから」
争いごとから隔離された、仙人や天狗の治める地で生まれ育った二人。
安定した世界で過ごしている二人は、しかし不満があるようだった。
というか、他でもない俺だって、安定している日本に不満があったし。
「サンスイ師匠は軽身功が使えるんですよね? それをまず教えてくださいよ。内功法が使えれば、そのまま天地法に通じますし」
「そうだな、俺も一応多少は外功法も使えるし、そっちを教えよう」
「いやあ、楽しみだなあ」
「と、言いたいんだが、俺は俗人に仕えている身でな。師匠も当分解脱しないみたいだし、一旦雇い主の所へ帰るんだ。雇い主が死んだらまた戻ってくるから、五十年ぐらいは待っててくれ」
「俗世で仕事しているんですか?! いいなあ、俺も連れてってくださいよ!」
目をキラキラさせているゼン君。
うむ、俗世へ無用な憧れを抱いているなあ。
もしかして、レインを拾った時の俺も似たような顔だったのだろうか。
「やっぱりどっかの国を攻め落としたりしてるんですか?」
「それは一回しかやってないぞ、普段は剣の指導だな」
「一回はやったことがあるの?!」
フサビスが驚いてるし、薬屋の三人も驚いていた。
どうやら俺は師匠と違って、一国を攻め落とすような男には思われていなかったらしい。
まあ率先して滅ぼしたわけではないのだが、それは師匠も同じだろう。
「どこの国でも、貴人に仕えるのは大変なんだ……」
「……ちょっと考え直した方がいいような気がしてきました、サンスイ師匠」
「ああ、よく考えておけ」
しかしこうして千年以下の仙人と話をしていると、千年以上生きている仙人との世代間ギャップを強く感じる。
それは薬屋の三人も同じようだった。カチョウ様と師匠を見て少し不安になっていたかもしれないが、あんなのはごく一部なのだろう。
もちろん、仙人としてはあちらの方が成熟しているのだろうが。
「まあ、仙人は世俗の価値観に縛られるもんじゃない。というよりは、そういう柵を越えていくのが修業なんだろう。だから年長者ほどそういう傾向が強いのは、ある意味では健全だ」
「そういえばカチョウ師匠も、仙人とは『楽』であることが大事だって言ってましたね」
この場合の『楽』というのは簡単に済ませるとか、面白おかしいとかではなく、リラックスしているということだろう。
確かにセル様もカチョウ様も師匠も、全員『楽』そうである。
不満があれば、はたから見てみっともなく思われても、素直に心中を明かす。
変に気取っていない、ということだな。
「フウケイ様は確かに楽しそうじゃなかったというか、抱え込んで辛そうでした。邪仙に落ちるってそういうことなんですねえ」
「大天狗セルも楽しそうだったわね。もちろん『楽』でもあるけど」
「師匠はいつでもリラックスしてたなあ……まあ俺の方が解脱に近いらしいけど」
そこまで言って、ぶっちゃけ気になることができた。
そう、正直流されるままに流してしまったが、本来死を意味する解脱から師匠もカチョウ様も復帰している。
アレはギャグではないのだとしたら、どういう原理なのだろうか?
「そういえばカチョウ様はあっさりと天動法で雷を起こしていたけど、アレはなに?」
「ああ、あれですか。アレはカチョウ様の絶招ですよ」
「……そう、絶招なの。さすがはフウケイ様とスイボク様のお師匠ね、絶招ぐらい会得していて当然か」
「一旦解脱して、大気と完全に同化して、そこから雷を落とすんです」
「なに、その、一旦解脱してって……」
解脱ってなんだっけ。
おかしいなあ、解脱って仙人にとっては完全なゴールで、そこから戻るなんてありえないんだけども。
「カチョウ師匠はずっとフウケイ様の修業の完成と、スイボク様が帰ってくることを待ってましたからねえ。寝るように解脱する手前で踏ん張ってたんですけど、時々本当に解脱したらしいんですよ。で、そこから戻るのを繰り返しているうちに、解脱から戻れるようになったらしいんです」
「本当に、流石としか言いようがないわね」
「一時的で可逆な解脱を花鳥流仙術解脱法絶招一切衆生悉有仏性”胡蝶の夢”っていうらしいです」
なんだ、解脱法って。
師匠が俺に託したのも総兵法の奥義だけども、解脱の奥義って……。
解脱って最終的な境地ではなかったのか……。
「んで、そこから雷を落とすのは花鳥流仙術天動法絶招草木国土悉皆成仏”登竜門”だそうで」
解脱してから術を使って復帰とは……。
というか、解脱から復帰できるようになって、そこからそれを術に昇華するとは。
流石師匠の師匠、無駄に前向きだ。
「凄いなあ、ゼン君は」
「え、なんで俺が褒められるんですか?」
「俺なんて、未だに師匠の絶招を言えない」
「そこは覚えましょうよ、そこだけは」
「伝授されてるし習得もしているんだけど、名前が長くて……」
「なおさら覚えましょうよ!」
だって師匠の必殺技って、全部で五つもあるんだぞ。
そんなの一々覚えてられないし。
「大事なのは技や術の名前じゃなくて心だと思うぞ」
「心が大事なら、それこそちゃんと覚えるべきでは? っていうか、スイボク様の術が使えるんですか?! すげえ!」
「どんな術なの?」
「言葉で説明するのは難しいから、実践しよう」
そう言って、俺は座っていた石から腰を上げた。
さっきからずっと俺たちに張り付いている、複数の気配へ向けて視線を送った。
「何者かは問わないし、何が目的かも聞かない」
伝わってくるのは、攻撃的な気配と断固たる覚悟。
未だに森の陰に潜んでいる『曲者』は、明らかに俺へ敵意を燃やしていた。
「我こそはスイボクの弟子にして、ゼンの師。アルカナ王国四大貴族ソペード家武芸指南役総元締め、白黒山水」
全員が、明らかにトオン級。
彼らに向かって、俺は木刀を抜いていた。
「俺を誰かと間違えていないのなら、遠慮なく挑んで来い」




