復活
久しぶりの山水視点。
皆さん覚えていますか、この作品の主人公は白黒山水です。
俺は師匠の元で五百年修業を積んだ。
それは師匠が至った最強の骨子を学ぶための期間であり、必要最低限のことはその期間で学んだ。
その期間で俺は人間から仙人へと変化したといっていいだろう。
俗人から、仙人へ。
それによって俺は多くのものをそぎ落としていった。
それは昔の俺が望んだものではないとしても、今の俺にとっては誇るべきことである。
加えて、今の俺の土台と言っていい。
逆に言って、それ以前のことはあいまいだ。
五百年以上前のことなんてほとんど覚えていない。
その上で、思う。
師匠は俺の人生の六倍の時間を経て、三千年ぶりに帰還した。
俺の人生の倍過ごした地に、千年お世話になった人の所へ帰ってきた。
それだけならば、俺はきっとここまで感慨深くならない。
この地に至った俺の知覚には、殺気以上に印象深いものが伝わっていた。
三千年間、師匠を待っていた男がいる。
スイボク師匠と、フウケイさん。その二人が崇める、慕う、偉大なる仙人カチョウ。
彼の温かい気配が、俺たちを包み込んでいる。
「サンスイよ、覚えているか? 儂は、お前に最初赤ん坊を一人前にするまで帰ってくるなと言ったな」
「はい、覚えています」
「その後で、己の未熟を感じればいつでも帰ってこいと言ったな」
「はい、覚えています」
「儂は、いつでもお前を待っていた。ああ、ほんの数年の間、儂はお前を待っていた」
心が動揺して憔悴していた薬屋の三人が、一瞬で心安らぐほどに。
俗人に伝わるほどに、とても穏やかで温かい空気が満ち足りた森の中。
人が頻繁に足を踏み入れた、人の暮らしと密接な関係のある森の中。
俺たちは大八州を動かしている仙人の元へ歩いて行っている。
「……儂のことを恨み続けたフウケイの三千年を思うと胸が痛む」
師匠は、見た目相応に泣きそうで、自らを責めていた。
「しかし……儂は、お前を弟子にしながら、己の師匠が自分を待っているとは、思いもしなかった」
四千年を生きた最強の男は、迷子の子供の様に道を歩いていた。
「すごいわね、集気法を用いなくてもわかるわ。これが大天狗の次に歳を重ねた仙人の、その集気。そして……」
フサビスも痛ましさを感じていた。そう、これは痛ましい。
大天狗セルや師匠には、無限の時間を生きるだけの異常さがある。
フウケイさんにはそんな師匠に追いすがるという、ある意味では必然の目的があった。
しかし、この気配の主は明らかに普通だった。
もうとっくに自然へと還ってしかるべき、まっとうな仙人。
その彼が、自然に還るまいとこらえている。
それは眠気をこらえることに似て、それを永遠に近い時間耐えていたことであり……。
「師匠、俺は席を外しましょうか」
「いや、いてくれ。お前には最期までみて欲しい」
それを思い知った師匠は、重い足を動かして、その庵に至った。
俺と師匠が過ごした小さな小屋に似た、粗末な家。
如何にも仙人が過ごしていそうな、そんな素朴な家。
そこへ、師匠は足を踏み入れた。
「ひ、ひぃ! 師匠、カチョウ師匠! 寝ぼけてる場合じゃないですよ!」
「うむ、どうしたゼン」
「師匠にお客さんです! ほら、なんかすごそうな人が!」
「うむ……」
幼い子供がそこにいた。
レインよりも小さいのではないか、という男の子がそこにいた。
寝ぼけ眼をこする、既に塵へ帰りつつある仙人がいた。
「か、カチョウ師匠……」
「うむ、うむ」
スイボク師匠が、庵の奥へ進んでいく。
その中へ進みながら、ゆっくりと存在感が薄れていく。
「よう帰ってきた、スイボク」
「師匠……!」
互いに消え始めている師弟は、固く手を握り合っていた。
存在感が薄くなっている手を、しっかりと握り合った。
「お前は昔から、修業となるとなかなか帰ってこなかったな」
「はい……!」
「他所の仙人の所へ新しい術を習いに行けば、文も出さずに居ついて……」
「はい……」
「山彦の術を学んだ時も、最初に儂へ話したっきりで……」
「はい……」
カチョウ様の目は、力が無い。
光を感じているのか、とても怪しい。
それでも、確かにスイボク師匠を認識していた。
「お前は、本当に、いつかん弟子だった」
「……すみません、カチョウ師匠。僕は……僕は、フウケイを、殺しました!」
「そんなことは、お前が気にすることではない。道を踏み外したのは、フウケイ自身の愚かさゆえ」
多少は気にした方がいいことも、しかしカチョウ師匠は気にするなと言っている。
それは無理ではないだろうか。
カチョウ様は、こう、自分の指導力不足だとは思わないのだろうか。
「既にこの地に、儂の他にお前の知る仙人は一人もおらん。それどころか、お主が去った後に仙人になったものも、多くが自然へ帰っておる」
仙人にとって、強いということや仙術が巧みだということは、決して素晴らしいことではない。
本来の意味では、仙人は自然に帰ることを究極とする。
であれば、何時までも修業に明け暮れ、高みを目指す。それはむしろ、邪道と言えるだろう。
「フウケイはお主への執着ゆえに邪に落ちた。しかし、それは本人がそう思っているだけのこと。アレは、お前を言い訳にした。お前への嫉妬が強かったがゆえに気づかなんだが、アレはお前がおらんでも、他の者に抜かれる焦燥で堕ちていたであろう」
「ですが……」
「お前は、なにも気にするな」
二人が、一緒に消えていく。
語り合いながら、未練を捨てていく。
もう何も思い残すことはないのだと、何もかもを脱ぎ去っていく。
「これが、悠久の時を生きた仙人の、解脱」
フサビスが感動するのも当然だ、そうそうみられるものではない。
ここまで穏やかで、人間らしい解脱など、俺たちには遠すぎる。
「それで、何があった。三千年で、何があった」
「……出会いがあり」
師匠は、全てを置いていく。
語ることで、捨てていく。
「別れがあり」
永遠の時間、人生を脱いでいく。
「至った場所があり」
それを、俺は……。
「……それを、伝えることが出来ました」
見ているだけではなかった。
「カチョウ師匠、紹介します。僕の、たった一人の、自慢の弟子です」
消えゆく師匠が、俺を呼んだ。
「僕の、唯一誇れる、修業の成果です」
「そうか、そうか」
満足げに、カチョウ様は頷いていた。
師匠が満足していることが、本当に嬉しそうだった。
「名前を聞かせてくれぬか、スイボクの弟子よ」
「白黒、山水と申します」
「うむうむ……そうか、よき仙人だ」
いよいよ、希薄になっていく二人。
それはこの世界に忘れたものが無いことを意味している。
「では、後のことを任せたい。ゼンよ」
「は、はい!」
「これより儂ではなく、そこのサンスイを師と仰げ」
「……はいっ!」
俺やフサビスよりも若い仙人が、大慌てで応じていた。
「スイボクの弟子、サンスイよ。これは我が最後の弟子、ゼンである。未だに幼く見どころもない、スイボクやフウケイと違い才能の欠片もない男だ」
「し、師匠?! カチョウ師匠?! 最後の言葉がそれですか?! 最後に俺をそんな風に言わないでください!」
最後の最後で、笑いを忘れずに、カチョウ様は朗らかに笑う。
「お主と同じにな」
初めて会った俺を見抜いた上で、スイボク師匠の弟子であるというだけで、何もかもを信じて託していく。
「よき仙人に育ててくれ」
「……承知しました、お任せください」
「それから、若き天狗よ」
「あ、あ、はい!」
「大天狗セルへ、謝っておいてほしい。一人残して、申し訳ないと」
幸せそうに消えていく。
本当に、本当に幸せそうで……。
引き留めることはできなかった。
「では、ともにフウケイの所へ行くか」
「はい、カチョウ師匠」
もう、姿も朧気で……。
「ふふふ……」
「……」
いよいよ、消えていった。
※
「なんか、あの、その……えっと、いきなり師匠が変わっちゃんたんですけど?!」
ものすごく混乱しているゼンとかいう仙人。
俺もなんか流れで安請け合いしてしまったが、いいのだろうか。
よく考えたら、俺は仙人としては半人前もいいところなのだが。
「っていうか、荒ぶる神のお弟子の、その弟子に?! さっきまで荒ぶる神の弟弟子だったのに?!」
「いや、少しは落ち着けよ」
「す、すみません! つい、こう、怖くてですねえ……」
この地では師匠は、いったいどう伝えられているのだろうか。
まあ、つい昨日やったことを思えば、そんな偉そうなことは言えないのだが。
「……あ」
「ちょっと、どうしたのよサンスイ」
「いや、その、ものすごく不味いことを思い出した」
俺はこの上なく露骨に青ざめていた。
それを見て、フサビスも何かを察して取り乱している。
いや、本当にまずいぞ。
「どうしよう、俺は師匠から地動法を習ってない。だから表の都を戻せない」
「は?」
「え?」
「ん?」
それを聞いて、都を捨てた三人は硬直していた。
そりゃそうだ、今都は海に半分沈められている。
そんな状況で停止されても、それこそ誰も喜ばないだろう。
「えええ?! なんでカチョウ師匠の弟子の弟子が、地動法を使えないんですか?! 駄目じゃないですか、この大八州もカチョウ師匠が動かしてたんですよ!? てっきりサンスイさんがなんとかすると思ってたのに!」
「いや、そんなこと言われても……そんなこと言われてないし」
師匠もカチョウ様も、なんか感極まりすぎて忘れ過ぎていたようだ。
俗世から去るとはいえ、やり残しがあるのはよくない。
「ど、ど、どうするんですか?!」
「そうです、都をあのまま海に残すんですか?!」
「そんな、もうおしまいだ……」
絶句する三人。
確かに一番問題なのは、都をどうするかだろう。
どうしようかなあ。
「フサビス、秘境セルに地動法の使い手っている?」
「いるわけないでしょう。あんな閉鎖空間で、天地法の練習なんてできません」
「そうか……どうしよう」
困った、他に仙人や天狗のあてなんてないぞ。
このままだとヤモンドの首都とこの大八州がピンチだ。
「なんでそんなに能天気なんですか?!」
怒り出す新しい我が弟子ゼン君。
ごめん、正直どっちにもそこまで思い入れがなくて……。
いや、師匠の故郷を滅ぼすのを看過できないけれども。
『な、なんだと?!』
今しがた消えたばかりの、カチョウ様の声が聞こえてきた。
というか、拡散した二人の気配が濃厚になってきている。
もしかして、こう、俺たちのことを割と近くで見守っていたのだろうか?
『スイボク』
『は、はい』
『お前まさか、弟子に天地法を教えなかったのか?』
『……』
『スイボク』
おかしいな、自然に帰ったら自我とも消えるのではないのだろうか?
なんでさっきよりも自我がはっきりしているんだろうか。
『すみません、カチョウ師匠。そっちは何も教えてません』
『お、お前……儂の弟子なのに、なんで儂の術を伝授してないの?!』
とても尤もなことで怒っているカチョウ様。
確実に、フウケイさんを殺した時より怒っている。
というか、初めて怒っている。
自分が教えた術を、俺に教えていないことでだけ怒っている……!
もっと他に怒ることはないのだろうか。
『あ、あんなに教えてやったのに……!』
『す、す、す……』
『この……師匠不幸者!』
比喩誇張抜きで、空から雷が落ちてきた。
まさに晴天の霹靂、なんの突拍子もなく雷が降ってくる。
それが仙術であることは余りにも明らかで……。
「す、す、すみませんでした……」
「まったく、お前という弟子は……!」
庵は一瞬で全焼し、そこには焼け跡しか残っていなかった。
そして、つい先ほど自然と一体化したばかりの師匠とカチョウ様が復活していた。
さっきまでの感動はいったい……。
「ともかく、都だかなんだかを海に沈めたのなら、とっとと戻してこい」
「はい……」
「今生と別れるのなら、後を濁すような真似をするな」
死ぬ前じゃなかったら、都を沈めてもいいのだろうか。
俺は悩んだ。
師匠は言われるがままに浮かび上がり、そのまま都の方へ飛んでいく。
その姿は、哀れなほどにみっともなかった。
「スイボクの弟子、サンスイよ」
「は、はい」
「自分の流派ぐらい、きっちりと聞いておけ」
「はい……」
一気に復帰したカチョウ様。
そんなにショックだったのか、自分の術が断絶することが。
それはそれで、どうかと思う。
「この人も、大天狗と同じ種類の人だったのね……」
頭を抱えるフサビス。
そうだな、その通りだ。
多少マシだけど、考えていることは大体同じである。
というか師匠も、俺に骨子は伝えているから安心してこの世をされたわけで。
やっぱり長生きには図々しさが大事なんだな。
「あ、あの、カチョウ師匠……俺は?」
「ゼンか、お前はそのままサンスイの弟子になればいい。儂はスイボクを鍛えなおす」
「え、ええ……俺天地法を習いたいんですけど……」
「そういうな、これも修業と思え」
凄いなあ、流石スイボク師匠の師匠だ。
とんでもなく強引である。
俺もじきこうなるのだろうか。
「戻してきました~~」
「おう、流石に早かったな」
本当にパパっと終わらせて帰ってきた師匠。
そんなに猛スピードで終わらせて、本当に良かったのだろうか。
中の人は大丈夫だったのだろうか?
「あと、これも忘れてました」
「フウケイの手足か……弔わねばな」
師匠忘れっぽすぎませんか?
確かに感動の対面でしたけれども。
「フウケイの墓は僕が建てます」
「そうか、お前はそういうことも得意だったなあ。儂も手伝うか」
ノリ、軽いなあ。




