垂直
この都を海に捨てる。
あまりにも意味不明な言葉に、この国の人間たちはどう動いていいのかわからなかった。
しかしその一方で、若き天狗と仙人は来るべきものが来たことを察していた。
「言っておくが、皇帝よ。お主の妻が病に侵されたのは不摂生が原因である」
至って平常に、スイボクは目の前の皇帝へ事実を突きつける。
「お主は欲しいものは何でも手に入れたのだな? それは結構だが勘違いしてはいかん。欲しいということと必要であるということ、そして体によいということはすべて別である。美味なるものがすべて薬と思えば、それこそ身を滅ぼすだけじゃ」
傲慢不遜なる発言であるが、それはそれで必要な言葉ではあった。
彼という皇帝には、その言葉こそが必要だったのだ。
「何物にも適量はある。蟠桃や人参果さえ、食べ過ぎれば死に至る。肉や酒も同じこと、食べ過ぎれば臓腑が腐る。臓腑が腐れば、皮膚も腐るのは当然の帰結」
割と直球で、お前の嫁は腐っていると言う。
「薬に関しても同様よ、医者をどれだけ呼んでどれだけの薬を試しても、薬の飲み過ぎで体を損なうだけである。お主が妻を愛していることはわかるが、惜しみなく愛することと適量を考えずに与えることはまるで違う」
スイボクは、ゆっくりと手を動かした。
そのうえで、既に準備を終えていた術を発動させる。
「医療も同様、施術とは患者が気持ちよいものではない。むしろ、患者を縄で縛りつけてでも術を行わねば、命に係わることもある。皇帝よ、良薬とはな……」
皇帝の居城が、大地が、突如として震動する。
それどころか、わずかに傾きつつさえあって……。
「口に苦いものだ」
※
今更だが、山水は秘境セルで受け取った荷物をこの都に持ち込んでいない。
刀剣を腰に下げるのは問題に感じられるし、人間の部位など論外である。
なのであらかじめ、雲の高さに放置しておいた。
『外功法、投山』
加えて、場合によっては荒事になることも予見していたがゆえに、予め術の準備も行っている。
具体的には、フウケイの死体を都の上空に配置しておいてあった。
迅鉄道によって切断された、フウケイの四肢。それぞれがスイボクの合図によって、四角い城郭の角に落下していく。
そして、その四肢に膨大な仙気が集まっていく。
『禁仙術、仙人骨』
行を修めた仙人の遺体、それを別の仙人が『宝貝』として使用するのなら、生前の仙術をある程度再現することが可能である。
場合によっては、生前を超える規模で発現させることも可能だった。
『風景流仙術、集気法絶招。“斗母元君”我龍転生』
フウケイが到達した境地。
それは己の体に無尽の仙気を取り込み続けること。
それこそ、己の首がちぎれても、一瞬で絶命したとしても復元するほどの力。
もっと言えば、己が粉砕されても維持され続ける不滅の術である。
流石に、スイボクでもそれを完全に再現することはできない。
しかし、この術が集気法の奥義であるがゆえに、それを模倣することによって別の結果を引き出せるようになることも事実だった。
集気法は、仙術でも修験道でも基本中の基本である。
仙人の不死性そのものがまずこれに由来し、同様に他の術もこれに大きく左右される。
集気法の上位である錬丹法は言うまでもないが、縮地法も集気法によって把握できる範囲でしか使用できない。天地法も同様であり、術者が認識できる範囲でしか天候を調整できないし、大地をえぐることもできないのである。
『地動法、大動脈!』
そして何よりも。
集気法が究極まで極まれば、長い年月を費やさなければ発動できないはずの地動法さえ、一瞬で発動させることが可能だった。
フウケイの死体に集まる無尽の仙気によって、広大な帝国の中枢が大地から切り離されていく。
相応の振動が街を襲い、倒壊する建物さえ出てきた。
「ひ、ひぃいいい?!」
「嘘だ、こんなことが起きるわけがない!」
城壁の見張りたちは、大量の砂煙とともに都が浮上していく様を眺めて狂乱としていた。
ゆっくりと、しかし確実に都が浮上しつつある。
地震が大地全体の震えなら、此度の天変地異は極めて局所的だ。この都だけが、明らかに浮いている。
そう、浮いているのだ。
振動そのものは重要ではなく、この都全体が浮上していることが問題だった。
いいや、まさに異常事態というほかない。
大地に根を張るどころか大地そのものだった城郭が、切り取られて上空へ向かって言っている。
人間は空にあこがれる、鳥にあこがれる。
しかしそれは自由に飛翔を楽しみたいというだけであって、断じて意に反する形で高度を上げたいというわけではない。
高所への恐怖。それは落下すると死ぬという、極めて単純な恐怖であろう。
※
「なななな?!」
「ひいいいいい!」
「伝説に聞く大地の怒りだ!」
「お助けください、陛下!」
「皇帝陛下! お助けを!」
「どうかこの怒りをお静めください!」
地震が頻発する地帯ならともかく、この地域では大地が揺れるなどありえないことである。
加えて、一瞬ないし数十秒で止まる筈の揺れが、数分経過しても一切収まる様子を見せなかった。
こんな状況ではどんな将兵も無力であり、まさに戦うまでもなくスイボクたちは行動が自由だった。
「ち、地動法! これはまさしくフウケイ殿の術! 如何に禁術とはいえ、ここまであっさりと……!」
「そんなことより、さっさと立て。これより薬屋の主とその息子を助けに行かねばならんのだぞ」
「俺が背負うんで、ご一緒に」
「ひ、ひいいい!」
薬屋の嫁を山水が背負い、そのまま謁見の間を後にする。
「ま、まて! これは貴様の怪しい術か!」
椅子にしがみつくが、しかし椅子も揺れている。
床にへたり込むが、しかし床も揺れている。
そんな状況でも、皇帝は尊大さを崩さなかった。
無断で退出しようとするスイボク一行に対して、大声で怒鳴りつけていた。
「その通りである」
スイボクは振動する城の中をすたすた歩いていく。
返事をすることはあっても、決して振り向くことはなかった。
「止めろ、この術を止めろ! これは皇帝である朕の命令だ!」
「断る」
返答をして、そのまま去っていく。
「皇帝よ、儂はお前の手下ではない。天狗かどうかを確かめるための茶番なら受け入れるが、命令に従うかどうかは我らの決めることである」
「な、なんだと!」
「口にしたことは必ずなしてきたのであろう? 自力でなんとかしてみせよ」
そうして、柱にしがみつく兵士たちの脇を通ってスイボクは去る。
残された者たちは、最も信じるに足る相手へすがっていた。
「陛下!」
「皇帝陛下!」
「皇帝、永世様!」
誰も彼もが己にすがってくる、自分が何とかしなければならない。
そんな状況は今に始まったことではないが、だとしてもこの状況はどうにもできはしない。
そう、結局皇帝など人間の集まりの一部でしかない。
人間がどうにもできないことは、皇帝がどう頑張ってもどうにもできないことだった。
「き、貴様ら……!」
そして、皇帝は言ってはいけないことを口にする。
権力者、というものの、本質を口にする。
それはつまり、彼が言ってはいけないことだった。
「誰か、何とかしろ!」
なるほど、これが権力である。
皇帝の発言だけに、なんとも説得力があった。
※
当たり前だが、仙術で浮かせている地面がそうそう揺れ続けるわけはない。
スイボクは極めて意図的に、あえて城郭を揺らしていた。
そのほうが流血が少なくて済むし、荒事を起こさずに済むからだ。
もちろん、大地を揺るがすことは荒くないか、というと話は別だが。
「下らん男であった。アルカナ王国の貴人を見て、多少は俗人も成熟したと思った儂の未熟である」
心底呆れかえっていたスイボクは、埃が落ちてくる場内を悠々と進んでいた。
自分で揺らしているので当たり前だが、その足並みに一切の乱れはない。
「為政者やら軍人としてはどうだか知らんが、呆れかえるほどの幼稚さであったな。謙虚さが足りん」
スイボクが憤慨しているのは、皇帝本人よりも周囲との関係性だった。
絶対君主制と言えば聞こえはいいが、他人を無能と見下している政治家など無知の知を知らぬ愚か者であろう。
権力者とは人間を動かすのが仕事であって、決して世の中のことを好き勝手にできるわけではない。
医者に治せと命じて駄目だったなら、それはもう駄目なのだ。
そのあたりのことが、彼にはわからなかった。わからないくせに、横柄にふるまっていたのだ。
「宮廷料理人はともかく、宮廷医師はあの女の病が不摂生であることを見抜いていたであろう。しかし、節制をせよとは言えなかった。言ったのかもしれんが、取り合わなかったのであろうな。馬鹿々々しい、権力で人を動かせても自分の体は動かせぬ」
皇帝も周辺諸国を平定したのだから、それこそ政治や軍事には明るいのだろう。
きっと平民が政治や軍事に関して偉そうなことを言っても、反論するかどうかはともかく内心では『愚か者め、政治も軍事もお前如きにわかるものではない』と思うだろう。
それを自分に反映できないのが、客観視できていない証拠である。
「どうしてこう、偉いと言われている人間は勘違いをするのであろうな。どこかに凄い医者がいてどんな病気も治してくれるとか、どこかに凄い鍛冶職人がいてどんな道具でも作ってくれるとか、どこかに素晴らしい鉱脈があって無尽のカネを生むとか。なぜそんな都合のいい妄想を心底から疑わぬのか」
もっともすぎる発言だった。
その一方で、フサビスも山水も微妙に同調できない。
セルも言っていたことであるが、他でもないスイボクがその一人だからだ。
「自分で生み出せない人間ほど、結果を欲しがる。基礎をひたすら軽んじ、実利になった物だけ搾取しようとする。己に忠義を誓っていない者に対して、己の言葉を押し付ける。本当に呆れるほど何も変わっておらん」
そのあたりが、スイボクと独裁者の違いだろう。
スイボクは万能である。万能ということは、自分でなんでもできるということ以上に、様々な技術の問題点や限界を知っているということである。
だからこそセルを捕まえて『もっと強い武器を作れ』とか、フサビスを捕まえて『人参果を大量生産しろ』とか、そんな無茶を言わないのだ。できないと知っているのだから。
もちろんそれは、仙人の長寿があってこその万能さである。千年費やしてあらゆる学問を学んだ、天才にして秀才であるスイボクゆえの、理論値の極みというべき万能さゆえの謙虚さである。
とはいえ、そんなことは少し考えればわかる筈なのだ。
想像しようとしないことこそが、まず無能なのである。
人間は確かに怠慢をするものであるが、成果を出せない部下は無能で怠慢である、と決めつけるのは無理解の極みだろう。
「欲しいものが手に入らないのなら、完成品を探すことよりも自分で生み育てることのほうが重要であろうに」
「ははは……耳が痛い話です」
「そうであったな、サンスイよ。お主も昔は勝手に仙術を憶えて最強になれると思い込んでおったな」
埋蔵金を探すのはいいが、それを当てにしてはいけないということだろう。
確かにどこかを探せば都合よく何かが見つかる、というのはひたすらご都合主義である。
ここほれワンワンで大儲けできるのなら、それこそ犬を飼っているだけの爺さんでも成功できるだろう。爺さんが有能なわけではない。
そして、山水が知っている物語は、大体そんな感じだった。
それに需要があるということは、人々はそれを望んでいるモノなのかもしれない。
「さて、そろそろであるな」
城内を悠々と進む一行。
彼らは華々しい道を抜けて、だんだんとまがまがしい通路へ入っていった。
つまりは、牢獄。
極めて不衛生なにおいが漂ってくる、極めて悪い環境の牢にたどり着いていた。
「正気を疑うな。これでは流行り病が蔓延し、牢の番人を介して城の中へ飛び火するぞ」
「そうですね……その、この辺りにいるのでしょうか?」
「見つかるまで探せばよかろう。まだ当分揺らしておくのでな」
最悪の事態を覚悟しながら、四人は鉄の檻に閉ざされた人々で探し人を求めていた。
「あなた~~! お義父様~~!」
ここで、ようやく薬屋の嫁の出番である。
なにせ彼女が一番よく探し人を知っているのだ。
フサビスも知っているが、やはり彼女が見つけるべきであろう。
牢に押し込められた人々も、牢の番人同様に大地の震えでおびえている。
明らかに五人程度が適正であろう檻の中には、二十人ほどが押し込められていた。
「満員電車みたいだな……」
薬屋の嫁を背負っている山水は、どうでもいい懐かしさを覚えた。
明らかにやつれて、明らかに風呂に入っていなくて、明らかに栄養状態が足りない、睡眠も満足でなさそうな、汚臭のする人々。
そんな彼らを見て、なんとも言えない気分になる。
いや、ここまで酷くはなかったけども。
「おお、おおい!」
「ここだ、ここだ!」
しばらく歩いていると、おびえている人たちの中で薬屋の嫁を見つけた声が聞こえた。
「ああ、あなた! お義父様!」
女官の服を着ている彼女をみて、しかし義理の父と夫はそれと気づいていた。
人が詰まっている檻の中をもがきながら、何とか前に出た。
「ああ、フサビス様。我らを助けに来てくださったのですか?!」
「なんという……申し訳ありません」
「二人とも、元気そうではないし無事でもないけど、良かった。ええ、確かに助けに来たわ」
当然、檻には錠がついている。
中の二人をこのまま出す、というわけにはいかないだろう。
しかし、フサビスは疑わない。なぜならここには最強の仙人である……。
「ふん!」
スイボクの、豪身功。檻の出入り口をつかんで、手前にひっぱりこじ開ける。
思いのほか力業だが、とりあえず開錠に成功していた。
それを通して、中の医者や薬師たちが、よろめきながらもはい出てくる。
「お前たち、これは助言だ」
そうして出てきた医者や薬師に対してスイボクは語り掛ける。
年長者の意見は、いつだって貴重である。
「もう一度檻に戻れ」
「そ、そんな!」
「我らも助けてくれ!」
「お願いします!」
スイボクは、一度指を鳴らした。
すると揺れが徐々に収まり、ついには停止する。
「戻れ」
もう一度指を鳴らす。すると揺れが再開する。
それを見て、目の前の男が超常の存在だと悟った彼らは、そのまま大慌てで檻の中へ戻っていった。
「ふ、フサビス様……こ、こちらの方も天狗なのですか?!」
「いや、その……仙人の方だ」
自分と一緒にされては困る、という感じでフサビスは微妙に否定する。
「さて、薬屋の主にその跡取りであるな? 勝手で申し訳ないが、おぬしら二人を助けに来た」
「あ、ありがとうございます」
「感謝の言葉もありません……」
ここで牢をすべて開放しないあたり、仙人という生物の価値観があるだろう。
助けられる相手だけ助ける、責任が取れないことに手を出さない。
仮に彼らを解放しても、きっとろくな目に合わないだろう。
「とっととこの城を出るとしよう。そろそろ目的地へ近づくころであるしな」
※
四人に加えて薬屋とその息子、六人は表へ向かう。
城を出る、というよりは屋根がないところに一行は出た。
すると、月明かりの空であるはずなのになんとも暗かった。
「さて、では故郷へ到着したことであるし、おぬしらも花札へ参ろうではないか」
そう言って、スイボクは山水以外の全員へ術を施す。
すると一行の体はふわりと浮かんで、揺れている大地から解き放たれていた
「きゃあ?!」
「おお?!」
「ぬぁ?!」
地面が揺れている中を歩いていたところ、いきなり浮かび上がる。
そんな異常事態の連続に、しかし彼らは一切意見が許されなかった。
ふわふわと浮かび高度を上げていくと、突如として『下』が入れ替わる奇妙な感覚を味わった。
「ここが、大八州ですか……」
フサビスは『眼下』に浮かぶ岩山を見て、そうつぶやいた。
その言葉を聞いて、俗人の三人は慌ててもと来た方向を見る。
そう、自分たちは確かに高度を上げていたが、天空に浮かぶ島を見下ろすほどに高く飛んだわけがない。
「そんな、都が……」
自分たちが暮らしていた都が見えた。
そう、地面に対して垂直になり、そのまま上空へ浮かんでいる帝国の首都がそこにあった。
中原を平定した皇帝が治める、永遠の帝国。その輝かしき首都が、空に浮かんで傾いている。
これを震天動地と言わずしてなんというのだろうか。
いや、文章としては正しいが、この状況を震天動地というのは正しく伝わらない気がする。
なぜなら、比喩ではなく実際にそうなっているからだ。
「丁度良いと思ってな、こうして大八州に近づけてみた」
「師匠、そんな自家用車を横付けしたみたいな……」
「おかげで手間が省けたのう」
うむうむ、と頷きながらスイボクは指を振るう。
すると、宙に浮かんでいた都がまたしても動いていく。
重力さえも九十度傾いたままに、ゆっくりと遠くへ移動していく。
空高くではなく、横軸移動だった。
「……あの、そういえば、その、スイボク様。貴方はたしか都を海に捨てるとか……」
「ああ、そんなことも言ったのう」
薬屋の嫁に対して、気にするなと明るく笑う。
「そんなことをするわけがあるまい、冗談に決まっておろう!」
酒の席で冗談を言った相手への、少し小ばかにしたような笑いだった。
いや、ありとあらゆる意味で、まったく冗談ではない。
浮かんでいる一行にはわからないことだったが、あの都は現在海の方向へ進んでいるのだから。
「じょ、冗談ですか?」
この場合、そんなことをするわけがない、という言葉には二通りの意味がある。
不可能だという意味と、実行可能だが倫理的に問題があるという意味だ。
普通、都を浮かべて傾けて、地盤ごと海へ運ぶなどできるわけもない。
「しかり、そんなことをすれば先日の医療が無為になろう? このまま海へ運び、都の半分ぐらい海に沈めて、反省を促すだけである」
それはちっとも冗談ではない。
海に捨てる、ということが冗談であっても、海に沈めるのは半分本当である。
いや、全部本当である。
「半分海に沈めるって、どういう……」
「ああして傾けたまま、海へ落としていく。すると半分沈むわけであるな」
彼にとって都とはクッキーか何かなのだろうか。
「世間知らずには、世間の荒波にもまれてもらわねばなぁ」
 




