願望
掛軸廟舞は、切り札として扱われていない。
それは弱点だらけの切り札である浮世春を守るための、隠し札としての意味がある。
同様に浮世春が倒れた時に、代理というか予備としての意味も大きいだろう。
とはいえ、彼女はそこまで不満が無い。
少なくとも廟舞は現状で満足している。
そして、浮世春のことを良く知っている。
(しょせん僕はファッション百合で、あんなガチの狂人じゃない)
現状で満足してしまうことこそが、自分と切り札たちを隔てているのではないか、と考えてもいる。
とはいえ、隠し札としての役割を放棄するつもりもない。
少なくとも、彼女も熱狂の中で戦いに命を燃やしていた。
(僕も春も、ディスイヤのご老体のことは結構好きなんでね!)
『うぉおおおおおおおあ!』
武術もへったくれもなく、巨体をいかして巨大な宝貝をフルスイングする。
狙うは半魚人の一団である。王気を全開にした今の自分にとっても警戒すべき、感覚を狂わせる力の持ち主たち。
見るからに、犀や牛よりもひ弱そうな、簡単に殺せる相手である。
【あ……】
【う……】
三階建ての建物と同じ大きさの大猿が、巨大な棍棒を振りかざして猛スピードで襲い掛かってくる。
それを前に、必死の覚悟が一瞬消えたとしても仕方がないだろう。
そして、それを他の面々が見逃すわけがない。
【いったん下がれ!】
【我らが隙を作る!】
殺しやすい相手、自分にとって有効な相手を殺す。
そんなことは当たり前だ、だからこそ牛も犀も全力でそれを遮る。
牛も分身だけではなく自らもその攻撃を受け止めることに参加し、半魚人の盾になる。
【ぬぐぅ!】
【よく止めた!】
猛牛の本体も分身たちも、その攻撃の重量に潰されていく。
しかし、攻撃は止まった。その隙をついて、犀たちが己の武器を振りかざして最強の宝貝そのものへ攻撃する。
如意金箍棒が如何なる素材で作られていたとしても、それは仙術の範疇。
四器拳と同種の力で強化された武器の前には、それこそ薄紙同然である。
犀たちが群がり武器をたたきつければ、最強の武器は音を立てることもなく破壊される。
『だぁあああああ!』
そんなことで怯む猿神ではない、足元にいる『小動物』たちを自らの足で蹴り飛ばす。
半魚人たちこそ難を逃れたが、多くの猛獣たちが宙を舞う。
弾丸のように炎上する建物に命中し、そのまま崩れる建物へ呑み込まれていく牛がいる。
蹴り飛ばされた時点で絶命し、無残に地面に激突する犀がいる。
【覇精を使っていても、相手は人間だ!】
【我らが殺せない道理はない!】
【怯むな、我らに退路などない!】
崩れていない建物から、猫科肉食獣たちが幻に紛れながらも大猿にしがみつき、手にした剣を突き刺していく。
如何に頑丈な怪獣と言えども、同様に屈強な猛獣が金属の武器を振るえば刺さらないわけもない。
皮を割いて、肉に刺さって、血があふれていく。
『ぐああああああ!』
背中に、腹に、足に、手に。
しがみついてくる、突き刺してくる。
それをもがいて振り払おうとするが、相手も爪を立てて抵抗する。
【続け!】
【竜の鱗ではない、斬れば殺せる!】
犀も牛も、それに続く。
もがいている巨大な猿に、果敢に立ち向かっていく。
(痛い、痛い、痛い!)
泣き叫び、投げ出して逃げ出したくなる。
みっともなく、女子供のように、あさましく逃走したい。
だが、それはできない。
自分は切り札ではないとしても、このディスイヤに雇われた兵士だ。
他の兵士が殉職したように、自分もまた最後まであがかねばならない。
『うわああああああ!』
炎上している建物に、自ら体当たりしていく。
燃え盛る炎の中に、自らとそれに群がる獣たちを投げ込む。
【ああああああ!】
【ぎゃああああ!】
お世辞にも格好が良くない、自分も痛いし熱いし呼吸がつらい。
それでも、彼女は建物を崩しながら、自分に群がる敵を殺していく。
(巨大な猿になっても、圧倒できていない。格好悪いが……それでいい! 美しい必要はない、大事なのは戦うことだ!)
町中から爆音が聞こえてくる。
この街を守るために、この街の住人が立ち上がっている。
自分は決して一人ではない。
【我らごとでいい! こいつを止めろ!】
【承知した!】
半魚人たちが己の術を使おうとする。
相手を行動不能にする術は、味方を遠慮なく巻き込める。
その上で、敵にとどめを刺すだけの状況にできる。
【いくぞ、全員であの女を……】
犀と牛を前衛に、半魚人たちは後衛に回っていた。
それは大猿から半魚人を守るための陣形。
そして、半魚人が大猿を止めるための陣形。
「んだらああああああ!」
「ぶち殺せええええ!」
つまりは、半魚人の背後には誰もいない、ということである。
彼らを守るものは、彼らの前にいるのであって、背後は裸だった。
そして、人間たちはこの街中から殺到してきている。
大猿を包囲する陣形は、街の住民から包囲される陣形でもあった。
(ほら、助けが来た)
「姉御を守るんじゃああ!」
「あの子を助けろぉお!」
「姐さん、今儂らがお助けしますぜええ!」
廟舞は王気を解く。
血まみれになりながら、炎上する建物の中に落ちていく。
巨体にしがみついていた猛獣たちは宙に浮き、傷だらけの彼女へ襲い掛かろうとして……。
「ブライトキャッスル!」
廟舞は聖力で法術を使う。
己を守る、光の城。それは壁や鎧よりも堅牢に彼女を守る。
それは炎と牛、半魚人から彼女の安全を確保していた。
しかし、犀の武器ならばそれを突破できる、そのはずだった。
「焼いちまえええ!」
包囲している、正気をうしなった人間たちの集中砲火。
味方に当たることも恐れない彼らの、やたらめったらの火の魔法。
それは無数の分身でも、絶対の盾でも防げるものでも、ましてや実体のない大波でも防げない。
旧世界ですら猛威を振るった、最も軍隊に適した魔力による魔法。
それが一万年ぶりに彼らを襲う。
【あきらめるな! 周囲の者と固まれ!】
【囲みを破れ! こうなっては周囲の者を殺すほかない!】
【封鎖はあきらめろ、相手は冷静ではない! 我らが敵兵を多く引き付けるのだ!】
だがそれは、だからこそかれらにとって想定している状況だった。
なるほど、魔法の攻撃力と殲滅力は脅威だ。接近すればその限りではないが、まずは体勢を整えなければならない。
少なくとも、相手は精兵ではない。しばらくすれば、少なくとも最前列の者たちは魔力が尽きるはずだった。
「みんな……ここは任せた」
光り輝く金色の城が消え去り、燃え盛る銀色の髪をした女性が現れる。
一瞬で怪我を回復させた彼女は、左の耳を叩いた。
右の耳から、もう一本の如意金箍棒が現れる。
それを地面に突き立てて、廟舞は叫ぶ。
「のびろ、如意金箍棒!」
【しまった! もう一本あったのか!】
【いかん、止めろ!】
【棒を倒せ!】
彼女はもともと、春の護衛だった。
彼がどの場所を襲撃するのか、最初から知っている。
その方向へ、彼女は跳ぶ。
今の自分にどれだけの気血が残っているのかわからないものの、同胞にして同僚の元へ飛んでいく。
「姐御が行ったぞ!」
「こいつらは全殺しじゃああ!」
「ぶち殺せ!」
自分の街を守ろうとする彼らを背に、敵の目標を阻もうとしていた。
※
なぜ、こうもディスイヤが全力でパンドラとその適合者を守るのか。
それは複数の理由がある。
まず、パンドラの制約。一度に百人までしか殺せず、一度使えば再び百人分充填されるまで使用不能になること。
次いで、パンドラの性質。エッケザックスに使用者を選ぶ性質があり、ダヌアに人間の味覚記憶と同調する性質があり、ヴァジュラに天候を予知する性質があるように、パンドラには災いを集める性質がある。
そして、一番厄介な点がある。
「----」
仕事を終えた、苦悶の死体に囲まれた、鎧を脱いだ春は賭場の椅子に座っていた。
彼は珍しく上機嫌で、珍しく安らかな顔をしていた。
もちろん、その耳には爆音と怒声が、その鼻には火と血の匂いが。
それぞれ、戦争が起きていることを伝えていた。
『----』
「----」
それでも、それだからこそ、彼は黙って待っていた。
己を殺しに来た、愛おしき運命を待っていた。
パンドラと最後になる語り合いをしながら、それを受け入れていた。
そう、これこそが一番の問題点である。
完全適合者うんぬんを抜きにしても、パンドラを使う者には前提条件がある。
意志の聖杯エリクサーは生きる意志を持った者にしか使えず、生存の箱舟ノアに乗っても死にたくないという弱さが無ければ効果を万全に発揮できないように。
「ーーーー」
破滅の災鎧パンドラは、破滅願望の持ち主にしか使えない。
「----」
その彼にとって、この状況は待ち望んだ光景である。
悪人が、その報いを受ける瞬間。
強力な呪いの武器に対して対策を練り、その上で命を賭して襲い掛かってくる敵。
それこそが、彼の求めた破滅。
残虐の限りを尽くした自分が、相応の結末を迎える一瞬。
死ぬべくして、死ぬ。
殺されるべくして、殺される。
ひたすら安全に囲われていた残虐非道の迷惑な男が、その囲みを破る知恵と勇気によって……。
「いたぞ!」
「パンドラだ!」
「考える男だ!」
このディスイヤ特区に踏み込み、騒動を起こし、戦争のさなかで、自分を殺すために送り込まれた刺客。
敬意と感謝を表したくなる。満願成就の一瞬が、今まさに訪れる。
「……これは」
「これが、パンドラの機能か」
「おぞましい……」
自分が散らかした死体を見て、彼らが一瞬足を止める。
自分が生かしておく価値のない男だと認識してもらう。
ああ、だが些細だ。
彼らは復讐をしに来たのではなく、自分を殺しに来ただけなのだから。
だから、さあ。
「いいから殺せ! 彼らの犠牲を無駄にするな!」
「剣だ、剣で殺せ!」
「パンドラの完全適合者だ、魔法は一切通じないぞ!」
その、殺意を。
悪名をとどろかせた男に、必然の結末を……!
「春~~~!」
必然の結末は、必然の援軍によって阻まれた。
酒曲拳と同質の『泡』を広範囲で展開しつつ、空から舞い降り屋根を突き破ってきた廟舞。
春を殺そうとした彼ら全員を転倒させて、春を守るべく立ちふさがっていた。
「----」
「おい! 春! お前はいったい何を考えている! いや、考えていることはわかるが、僕たちのことも考えろ! お前はどうしてこう、自分勝手なんだ!」
露骨にがっかりする春。
パンドラがそうであるように、まるで酒曲拳の影響を受けていない彼は、うんざりしながら廟舞に礼を言っていた。
言っただけであるが。
「戦えとは言わん! お前は弱いからな! だが、せめて逃げるか隠れるかしろ!」
「----」
「なんだその顔は! お前を守るために、どれだけの人間が死んだと思っている! ええい、くそ、お前もお前だぞパンドラ!」
『----』
「ああ、うん! 緊張感が無いな!」
酒曲拳で行動不能になった、勇敢な刺客たち。
おそらくこの場にたどり着いた数名だけではなく、ここを目指していた別の集団もいたのだろう。
だが、この賭場近くは不可視の泡で包まれた。
もはや、入ることはできない。入ればそのまま倒れるからだ。
そして、彼女は目に映っている相手だけでもとどめを刺していく。
彼らの知略と勇気、そして実力は買う。しかしこちらにも守るものはあるのだから。
「おい、二人とも私につかまれ! とにかく一旦如意金箍棒で町の外へ離脱する! 気血があとどれぐらい余裕があるのかわからん、本当に余裕がないんだ!」
「----」
「残念そうな顔をするなぁ! ああ、もうお前は本当に面倒だな!」
『----』
「お前もぶつぞ、パンドラ! 気の抜けることを言うな!」
自分が負わされた傷を思い返しつつ、彼女は最悪の兵器とともに街を離脱する。
再び如意金箍棒を伸ばして、街の空を飛ぶ。
その瞬間、敵のあらゆる思惑が失敗したことを示していた。
その一方で、二人の日本人は燃え上がる街を見た。
そこには、たった一人で何十人もの人間を引き裂いてく旧世界の怪物がいた。
「……これが、旧世界の怪物、モンスターか」
『----』
竜は、こんなものじゃない、とパンドラは語る。
『---ー』
この街の人間がどうあがいたところで、全滅するしかない、と彼女は語る。
「……お前はそうでもないかもしれないがな、春」
遠くなっていく街から目を背けながら、廟舞は語る。
「これは、きっと、昔の僕たちが望んでいた展開だ」
強大なモンスターに脅かされる街。
なるほど、相手が旧世界の怪物ではないとしても、こうなっていたかもしれないが……。
「お前ではないが、死にたくなるよ。己の浅ましさと、馬鹿らしさにな」




