極意
実際の所、仙人の修業とは早く習得するとか遅く習得するとかを、一切気にしない。
何故なら寿命がないからだ。もちろん明日死なない命などこの世に無いのだが、そんなことと言い出したら、明日死ぬ命ならそれまでの命だった、というだけなのである。
世の中に対して諦めともとれる考え方しかできない、反発しようとしないのが我ら仙人なのだ。不快に思ったり不満に思っても、強烈に抵抗しようとはしない。それが俗世と縁を断つということだからだ。
なので、百年でどの段階に突入したとか、二百年でどの境地に達したとか、そんなことを一々目標にしたりしないし、そういう考え方をしている時点で未熟ともいえる。
「ははは! そう構えなくとも構いませんよ、ドゥーウェ殿。武人の端くれである私からしてみれば、納得できる事ばかりでした」
「そうですよお嬢様、こんなことを言うのもどうかと思いますが、既にトオン様は一定の水準に達しています。仙術を教えるわけでもない以上、流石に何百年も教える必要はないですし」
一国の王子が、その道の一流の指導者からきっちりと教えを受けて、国一番と称えられるようになったのだ。
それで変な癖があったり、或いは剣の腕で矯正しなければならない部分などあるわけがない。
彼は影降ろしの使い手として超一流で、剣士としても超一流なのだ。だから俺も師匠も、トオンに対して好意的だったのである。
もちろん、鉄の剣で岩を斬ろうとして斬った、エッケザックスの新しい所有者に対しては、また別の意味で好意的だったとは思うのだが。
「私がトオン様に教えることを渋っていたのは、実はそちらの理由も大きいのです。私がトオン様に剣を教えるとなると、我が流派における剣術における最終段階を、仙人としての知覚による部分が大きい部分を教えることになってしまうのです」
自分で言うのもどうかと思うのだが、というか師匠が俺達の剣術を仙術の延長と思っていることもそうなのだが……その辺りを仙人以外に教えるのはとても難しい。
もちろん、その前段階をおろそかにしていいわけではないのだが。
「それでは、一度お屋敷に戻りましたら、その辺りの説明をしましょうか」
トオンがとても期待しているが、そんな簡単でもないし画期的でもない。
多分、彼自身もしていることを、非常にハイレベルで行っているだけなのだ。
※
学園近くにあるお嬢様のお屋敷、そのすぐ前の庭。俺はバトラブとソペードの双方を前に、自分の流派の最終段階を教えようとしていた。
「あの、旦那様、ご隠居。お二人もそうですが、なぜ騎兵隊の方まで」
「仮にもこの国最強の剣士であるお前が、異国の最強の剣士に指導を行うのだ。お前の主である我らソペードが観戦して悪いということもあるまい」
「武人として極みに立つ者同士の指導だ。我らも興味ぐらいある」
ううむ、なんかとんでもないことになっていた。
お兄様とお父様、その御二人が率いていた騎兵隊の面々も武装をある程度解除したうえで、俺の指導を見ようとしていた。
「まあ構いませんが……」
「それで、俺が相手でいいのか?」
「ええ、お願いします」
さて、こういう説明をするときにほぼ素人である祭我がいるととてもありがたい。
なにせ、俺はトオンだけではなくお嬢様にもお教えしないといけないからだ。
素人にもわかるように説明できなければ、少なくともお嬢様は理解してくれないだろう。
「じゃあまずは『間』、『間合い』、距離について教えますか……」
そう言って、訓練用の木の『槍』をわたす。もちろん、その木の先は布でくるまれていて、当たっても死なないようにされている。
「祭我様。この槍をもって俺をついてみてください」
「あ、ああ……こうか?」
「ええ、大体それでいいです」
槍に関しては完全に素人だが、剣の練習をしていたからか、ある程度形になっていた。
もちろん、それっぽく踏み込みながら、それっぽく突くという感じなのだが。
身体能力は高いのでそれなりには強いのだろうが、技量はまさに素人である。
「槍で突く動作をすると、まあ分かりやすいですからね。さて、突いた状態で動きをとめてもらっています。こうしてみると分かりやすいと思いますが……基本的に、この槍を持っている祭我様の『間合い』は、これが限界です」
突き出した槍の先を、軽く指で触れる。そして、その槍のすぐ前に立つ。
「当たり前ですが、彼は今の突き方を何度繰り返しても、今ここに立つ私に槍を届かせることはできません。もちろん今の祭我様は素人ですからブレることは多少ありますが、ちゃんと威力をもって届かせるとなると、やはりこれが限界なわけです」
それを納得してもらったうえで、今度は構え直してもらう。
つまり、中段の構えというべき、ニュートラルな構えだ。軽く肘を曲げて、何時でもどこにでも突きこめるようになっている。
「さて、私が構えている槍の、その内側に立ったとします。もちろん、この間合いからでもやりようによっては反撃できますが、突き刺す、となると祭我様は一歩か二歩か下がらないといけません。つまり、間合いの内側に入り込まれた状態なわけです」
こういう状態になると、長物は弱い。だからこそ、槍兵は近づけないように牽制したり、あるいはその前に突き殺そうとするのだ。
「ですから、槍の間合いとはさっき私が立っていた槍が届かないところの少し内側から、今私が立っている槍の穂先の後ろの更に少し前までとなっています」
「そ、そりゃそうだ」
「そして、基本的に遠くから攻撃できる方が圧倒的に有利です。大抵の武器が素手よりも強いのは、殺傷能力もさることながら、遠くから攻撃できるからです」
そんなことは当たり前だ、とお嬢様はやや退屈そうだった。それはハピネやツガーも同様だった。
当たり前のこと過ぎて、中々難しさが実感できないところである。
「間合いの内側に入る、というのはある程度分かりやすいです。なにせ、武器を持っている場合その武器の内側に入ればいいわけですから。ですが、間合いの外を見切るのは難しい。例えば、俺がこうやって一旦間合いの外側に歩いて行って、そこから再度じりじり近づいてきて……間合いに入ったと思ったところで攻撃をしてみてください」
「あ、ああ……」
趣旨がわかっているらしく、占術は使用していないらしい。
一旦離れた俺がすたすたと歩いてくる。すると、今か今か、と迷いながら槍を揺らめかせている。
なんともわかりやすく、その不安が顔に現れていた。
そして、俺の目測でやや内側に入ったところで、彼は突く。それを、俺はあっさりと回避していた。
「お嬢様。客観視して、どうでしたか? 彼の攻撃は、間合いに入ってからできていましたか?」
「ええ、ちゃんと届いていたわね」
「ですが、それは客観視していたからこそです。相手も槍を持っていて、且つ中段に構えていれば槍同士の重なり具合で間合いを計ることもできますが、私の様に素手ですたすた歩いてくると、中々読みにくい。それでも、自分の槍の穂先とそこから先の距離を見て間合いを計れますが、逆に言えば私にも間合いを教えてしまうわけです。さらに言うと、槍の穂先にばかり集中してしまって、全体を見ることができなくなってしまいます」
うんうん、と武術の使い手たちは頷いている。
素手の打撃格闘技ならまだしも、互いに刃物を持っている状態での戦闘は、間合いを見誤るとそのまま死ぬ。
そして、間合いの外は安全圏であり、間合いの中は常に死中なのだ。
「要するに、攻撃が届く場所、それが『間合い』であり『間』だと思ってください。次は『機』、『機会』について述べましょう。祭我様、野球したことありますか?」
「え、まあ……」
「じゃあやりましょう。私がピッチャーしますので」
いきなり球技を始めることになったが、それでも祭我はそんなに困っていなかった。
そりゃそうだ、槍を持たされて人を突かされるよりも、野球する方が簡単に決まっている。
「バットは木刀で良いでしょう。ボールはそこいらに落ちている石ってことで……」
「い、いいのか?」
「そんなに強く当てなくていいですから。こん、と当てる程度でいいですよ」
野球をするのなんて、五百年ぶりである。
しかし、野球をするのが五百年ぶりという人間は、俺一人ではないだろうか。
そんなこと言い出したら、大抵の事は俺一人だろうけども。
とにかく、拳大の石を結構な速さで投げてみる。
もちろん、普通の野球同様に大きく振りかぶってからの投擲だ。
反射神経も強化されているらしく、祭我はそれを木刀で打っていた。
バットと野球用のボールを使ったわけではないので、ただ当たって転がっただけである。
それでも、彼は当てることはできていた。
「お見事、それでは次はちょっと遅く投げますので」
「あ、ああ……」
なにがしたいのかわからない、と思いながらも木刀でバッターの様に構える祭我。
その彼に向かって、俺は拳大の石を、右手に持って前に突き出した姿勢のままで棒立ちしていた。
何をやっているのだろう、と全員の困惑が感じられる。
そして、祭我の気が緩んだ一瞬を狙って、俺は石を発勁で押し出していた。
ノーモーションで放たれたそれは、それでも普通に投げるよりも遅かったのだが、不意に放出されたそれに対して、祭我は木刀で打つ事ができなかった。完全に空振りである。
「打てませんでしたね」
「び、びっくりした……! 今のは?」
「ちょっとした遊びですよ、そんな大したものじゃありません。それよりも、さっきより遅い筈の石を、なぜ打てなかったんですか?」
「それは……いきなり投げてきたから……」
それは半分正解である。
確かに彼の気のゆるみを突いたことは事実。しかし、それでも普通に投げていれば当てることはできたはずだった。
「私が投げるときに、振りかぶらなかったからでしょう?」
「あ、ああ……」
「どれだけ速い、といっても攻撃が始まる前に長々と予備動作があれば、一応対応することはできます。ですが、予備動作が一切ないと虚を突かれやすいですし、何よりも気構えができない。『機』を読めないのです」
何時攻撃が始まったのか、何時攻撃が始まるのか。それを相手に悟らせなければ、攻撃側は圧倒的に有利である。
逆に言えば何時攻撃が始まるのか、を悟るのが機であり、機の取り合いになるわけだ。
「攻撃そのものがどれだけ速かったとしても、事前に相手に攻撃を知らせては当たるものも当たらない。まあそれも相手に冷静に判断する心の落ち着きがあれば、の話ではありますが」
気で負けていれば、機も間もへったくれもない。
殺意を持った相手と向き合って、それでも逃げずに対応できる『勇気』がなければ、鎧を着ていても剣を持っていても、身動きできずにそのまま殺される。
野生でも戦場でも、当たり前の話だ。
「では、それを極めるということがどういうことなのか、実演しましょう。祭我様、その木刀で、俺を大上段から攻撃してみてください」
「大きく振りかぶってから、か?」
「そうです。ただし……ものすごくゆっくりと、牛が歩くようにです」
やや困惑しつつも、ピッチャーとバッターの距離から、素手の剣士の間合いに近づいてくる祭我。
何気に彼の得意とする、鉄の剣で岩を斬るときの構えそのものだった。
全体重を一太刀に込める一撃必殺の構え、ではあるのだが、蠅が止まるような遅さで攻撃してもらう。
「ゆっく~~り……と」
「そうそう、そんな感じで」
当然、子供でも避けられる速さの剣なので、お嬢様たちにも避けられるだろう。
その上で、俺は普通に避けていた。当然、誰も驚かない。
「これで何がわかるんだ?」
「祭我様、貴方は何時攻撃が外れたことに、空振りしたことに、俺が避けたことに気付きましたか?」
「そりゃあ、見ればわかるよ」
そう、お互いがゆっくり動いていれば、動いた瞬間にわかる。そんなのは当たり前だ。
だが、互いが速く動いているとなると、それはとても難しい。
「ではまたゆっくり攻撃してください。俺もゆっくり動きますので、とにかく当ててみてください」
「お、おう」
また繰り返される、ゆっくりとした攻撃。それを俺はあえて、攻撃がまだ振り下ろされる最中で大きく回り込むように、しかしゆっくり動いて避けていた。
当然、祭我もそれを見ているので、それに合わせてゆっくりと、しかし俺を視認しながら軌道を変えて、当たるように木刀を動かして……そのまま当てていた。
「お見事」
「……だから何だよ」
「では次は、エッケザックスさん、ちょっと来てもらえますか?」
木刀を俺が受け取って、今度はエッケザックスに声をかける。俺の師匠が使っていた、最強の剣だ。魔法の力を増幅させることも可能だが、当然切れ味もいい。
その剣をもってもらって、再度同じことをしてみる。もちろん、条件は違うのだが。
「祭我様、エッケザックスで素振りをしてください」
「ああ……これでいいか?」
「ええ、いいです。その上で、さっきの様に急に軌道を変えることはできますか?」
「え? ああ、やってみる」
当然、素振りなので剣の軌道をいきなり九十度変えることはできる。
しかし、その素振りは、先ほどの様な岩を斬るようなものではない。
なんとも不自然で、振っている本人も今一納得しているようではなかった。
「剣とは重いものです、真剣ならなおのことに。その重い剣を振っている途中で止めて、更に軌道を変える、となるととんでもなく腕力がいります。加えて、速度も威力も下がってしまう。全身全霊を込めた渾身の一振りだからこそ、途中で曲がることができない」
「そうか……そうだな」
「だからこそ、渾身の一振りを行う前に、牽制や崩しを行うわけですが……」
それこそまさに、影降ろしの奥義『真影の舞』。
分身を布石にした、渾身の一太刀を浴びせるための技だ。
分身の精妙な操作もさることながら、本人の純粋な技量が求められる、まさに奥義。
「通常の戦場では、そんなことをしている暇はほぼありません。また同時に、する必要もない」
「え?」
「基本的に戦場では、程度の差は有れども防具を含めて武装している。その上人間の密度もありますから軽やかに回避する、ということはほぼないんです。ですから、相手が防げないほどの重い武器や、或いはそれを振り回す腕力、そして魔法が発達した……つまり、介者剣法。双方が完全武装であることが前提の剣術です」
腕力こそ全て、体格こそ全て、武装こそ全て、という武術である。
もちろん、まったく間違っていない。むしろ、適者生存の理屈から言えば当たり前の話だ。第一、口で言うほど簡単ではない。転んだら立てないほどの重装備で敵と戦う、それが楽なわけがない。訓練を含めて、容易でもなんでもないのだ。
「とはいえ、我が師が目指した境地は、介者剣法ではなく素肌剣法。自分がまったく防具を着ていない状況を前提とした、戦場の剣ではなく護身の剣。或いは、技量に重きを置いた剣です」
俺は腰の帯に木刀を差す。その上で、無防備に祭我の前に立った。
目に見えて明らかなほど、彼とエッケザックスの間合いだった。
「どうぞ、渾身の一太刀を」
「……いいんだな?」
「ええ、かまいません」
仮に木刀で受けても、エッケザックスならなます切りだろう。
祭我の剣が普通の鉄の剣だったとしても、俺の腕力では受け切れない可能性もある。
いいや、鉄の剣どころか木の棒であったとしても、そのまま死ぬ可能性が高い。
「じゃあ……行くぞ!」
短い期間とはいえ、確かな修行に裏打ちされた岩を斬る剣。
全体重を乗せた、渾身の一撃。それを前にしても、俺の心は涼しかった。
仙術を使わずに右斜め前へ進みながら、手のひらで軽く祭我の顔を叩く。
俺を両断するつもりで放った一撃は、スカをくらってつんのめっていた。
「お見事、正に岩を斬る渾身の太刀。武門の名家、バトラブの婿にふさわしい気合でした」
「……嫌味かよ」
「いえいえ、貴方の『剣』を見ることができましたから、嬉しいんですよ」
流石に技量は俺やトオン、ブロワには遠く及ばない。
それでも十分な一振りだった。法術で身を固められる彼にはぴったりの、勇気の一撃だった。
「さて、祭我様。貴方は『いつ』自分が空振りしたことに気付きましたか?」
「……そりゃあ……」
「さっきは当たらなかった瞬間には、私が動いた瞬間には気づいていたはずです。ですが今は、自分の剣が地面すれすれに行くまで気付かなかったはずでは?」
「そうだけど……」
「これが私の師匠が目指した見切りです」
文章として説明すると、とんでもなく無茶苦茶な話だった。
ある意味『素肌剣法』としては理想とするものだが、師匠が目指したのはそれが常に、普通にできるようになることだった。
「相手が攻撃を始めて、軌道を変更できないタイミングで身をかわしつつ、相手が攻撃を外したことに気付く前に攻撃を当てる。これが我が流派における『後の先』を取るということです」
仮に相手が雷の魔法を放ったとする。その雷そのものは、当然人間が見切れるものではない。
雷を受ける側にとっては、雷が光った瞬間にはもう命中しているのである。そんなものに、対処などできるわけもない。
だが逆に言えば、撃った側だって雷が命中したかどうかなど、命中した瞬間にわかるわけもないのだ。
「あるいは、敵がこちらを切るぞ、と思ってから実際に動くまでに当てる『先の先』をとる。これがスイボクの目指したものです」
「雷切……」
騎兵隊の誰かが、俺の心中を察したかのようにそうつぶやいていた。
「先ほどのようにお互いがゆっくり動いていれば、相手がどう動いても虚を突かれることはありません。ですが、お互いが速く動いているからこそ、相手がこちらの動きに気付く前に攻撃ができるわけですね」
「無理だろ……」
祭我が絶句していた。もちろん、他の面々も絶句している。
というか、祭我の場合予知能力があるからこそ、逆にその難しさがわかるのだ。
一々敵に対して『思考』していたら、自分の動作に『集中』していたら、そんなことできるわけがない。
脳と体は自分の思惑通りに動いてくれないのだ。何もかもが自然にできなければ、実行不可能な境地である。
「完全武装をしている相手は、こちらの攻撃に対して盾や武器で防御しようとする。だからこちらは体を鍛え上げて、相手が防げないほど重い武器を振り下ろして倒す。或いは敵の渾身の一撃を防げるように、重い盾や鎧で身を固める……それは己を固い石に変えて、相手という柔らかい石を砕くに等しい」
それは引き算に等しい。
自分が十の力を持っていれば、五の敵をたやすく倒せる。
しかし、その分自分は消耗する。どれだけ自分を強くしても、どんどん崩れていく。
もっと言えば、一しか持っていない相手でも、二十人もいれば殺されうる。
それは『最強』ではない。最強の腕力をもち最強の武装をもち、最強と呼ばれるまでに己を鍛えても、至る境地がそれでは哀しすぎる。
「我が師が目指した『最強』は、こちらが一方的に攻撃する境地。相手が防げない『力』で攻撃するのでもなく、相手が届かない『間』でもなく、相手が追いつかない『速』でもない。相手が気付かない『機』を常に我が物とする。それが実現できたならば、例え何千何万という敵を前にしたとしても、傷一つ負うことなく涼し気に勝利できる」
少女の姿になったエッケザックスが、改めて俺を見る。
俺に指導してくれた、師匠の『剣』の理合いを理解する。
「そこには、牽制も崩しも必要ない。すべての太刀が必殺となる、否、必殺である必要さえもない。それがスイボク流の剣術です」
素振りをするということは、自分の肉体を理解するという事。
自分の体を動かして、人の意志に対して人の体がどう動くのかを理解するということ。
その時に、自分の重心が何処にあるのかを理解し、どの瞬間に力が込められるのかを理解するという事。動作全体における重心や姿勢、筋肉の変化を完全に理解するという事。
そして、それは基本であり、盤石の基礎となる。
相手がどんな武器を持っていたとしても、或いは人間であろうが獣だろうが、相手の体つきや呼吸からその動きを察することができる。
長い時間をかけて自分を知ったからこそ、初対面の他人を知ることができる。
「これを完全に我が物とするのに、我が師は千年、私は五百年を要しました」
運が良ければできるようになる、調子が良ければできるようになる、殆ど失敗しなくなる、常にできるようになる、意識する必要もなく自然に体に染みつく。
それが可能になるまで、それだけの時間が必要になる。
「そして、師匠はさらに先を見ている。とはいえ、それは仙人の理屈。トオン様ほどの剣の才能が有れば、経験を重ねて目的意識を得れば、或いは数年である程度の段階に達することはできると思います」
「無理じゃないかしら……」
お嬢様、それを言い出したらキリがないです。
「なるほどな……そう極めたか」
師匠に捨てられた、といっていたエッケザックスはそれを聞いて術理を理解していた。
というか、今言っていたことは仙人なら感覚として自然にできることである。師匠や俺の場合、それを完全に極めているというだけだ。
つまり、基本自体は当時の師匠も可能だったはずである。
「しかし、だからこそなのだな。お前やスイボクは、虚を突いて敵を打つことを極めたが、その一方で虚を突いて尚倒せぬ堅牢さや、触ることも近づくこともできぬ相手に対しては無力だ。それに関しては諦めている」
「ご明察です」
祭我と戦った三回目では、彼の防御力はこちらの攻撃力を越えていた。
エッケザックスによって強化されているとわかったからこそ、そしてエッケザックスが『鎧』ではなく『剣』だったからこそ、転がせて奪うことができていた。
純粋に法術を極めて防御力を上げていた場合や、或いは容易に奪えぬ胴や籠手、兜などであればあの勝ち方はできなかった。
というかそもそも、仙術とは魔法と違って、攻撃力そのものは高くないのだ。
「だからか……お前達の『最強』では、災鎧パンドラには触れることもできまい」
ディスイヤが所持しているという伝説の鎧。
その所有者と敵対することがあったなら、その時は俺ではなく祭我が戦うことになる。
最強の神剣は、落ち込む新しい主を慰めながらそう言っていた。