炎上
目の前に敵がいる。
見えざる敵ではなく、強大ではあっても敵である。
それを見て、ディスイヤの兵士たちはなんとか立て直す。
放たれるのは風の魔法。通常の人間なら、当たりさえすれば武装ごと切断できる疾風。それが大量に放たれ、猛牛の群れを切り裂いていく。
「な……!」
否、皮を断てても肉を断てず。
巨大にして頑丈な肉の塊が、猛烈な勢いで突進を継続させる。
死ぬどころか、ひるむことさえない。
その突撃に対して、誰もが風の魔法を継続して打つことしかできず……。
「奔れ、殺戮の歯車!」
迅鉄道、と呼ばれるべき術が発動する。
廟舞が十個以上はなった中型の歯車は、命中と同時に光の刃を放った。
それによって、当然のように猛牛の群れを歯抜けにする。
「おおお!」
「さすが!」
「いいや! まだだ!」
喝采をあげそうになる兵士たちを、廟舞は静止した。
彼女は見ていた、倒した猛牛が跡形もなく消えていく姿を。
「のびろ、如意金箍棒!」
歯抜けになった猛牛の列を、巨大化させた如意金箍棒で横薙ぎに振り回す。
普通の人間なら百人が相手でも吹き飛ばすその薙ぎ払いを、しかし数体が壁になることで受けきられてしまった。
残り十かそこら。しかし、人間をあっさりと殺しかねないほどの力をもつことが確かな、巨大な獣が十頭。
直進してくるそれに対して……。
「ビョウブ殿だけに戦わせるな!」
「残った敵に集中しろ!」
そこは、私服兵士。大量の風の魔法が、残った猛獣に集中する。
その弾幕を前にすれば、さしもの猛獣も進むことが出来ず、そのまま地面に倒れていた。
「皆! 注意しろ! こいつらは分身だ! 噂に聞く影降しだ!」
大量の猛獣は、しかし倒すと同時に姿を完全に消していた。
それの意味するところは、実体のある分身である影降しと同じ種類の術に他ならない。
「ということは……!」
「くるぞ、第二波だ!」
すべての分身が消えると同時に、猛獣の突撃が再開される。
再び同数の雄牛が出現し、奇声を発しながら猛進してくる。
「いかん……派手にやる! 避難は済んでいるな!」
それを前にして、彼女は迅速に判断した。
おそらく、多くの術者がどこかに隠れている。
それを探る時間が惜しい、その手に炎を生み出して、その周辺を焼こうとする。
「な! 町の中で炎を?!」
「いや、どうぞ! ここなら問題ありません!」
単純に、火事になる。
普通に考えて、火の魔法を防衛側が使うなど正気ではない。
しかし、それが必要な相手だと判断する。
「派手に! 燃えろ!」
如意金箍棒を持っていない手を、地面に殴りつける。
石畳に火が走り、炎上し、そのまま前方の家などを焼いていく。
この国一番の魔法使いとされる学園長でもそうそう使えない、広範囲と高火力の一撃。
石でできているとはいえ、さほど上等ではない街並みは、あっさりと大火に包まれていく。
「今ので術者が消えれば、それでありがたいのだが……」
少なくとも、その炎で分身は焼き払われた。
やはり、風の刃と炎の嵐では殺傷能力が段違いである。
如何に屈強であろうとも、生物が燃やされて無事で済むわけがないのだ。
「……これは!」
建物の内側から大量の水があふれてくる。
それを見て、兵士たちはそれが魔力による水だと確信する。
そう、水魔法。使い手こそ少ないものの、火の魔法に対する最上の対処法の一つである。
【感謝する!】
「礼はいい! 突破するぞ!」
崩れ始めた建物を破壊しながら、内側から大量の猛牛が出現する。
燃え上がった石畳を、その背に乗った人間たちが水の魔法で消火し、その上を猛進していく。
「人間……これは?!」
「余計なことを考えるな! アレは全員敵だ!」
「狙いはパンドラとシュンだ! 絶対に通すな!」
状況は単純である。
敵がだれであっても、この道の先には一人の男しか生きていない。
であれば、彼らの目的は余りにも明白だ。
「私がもう一度焼く! 皆は打ち漏らしを……」
【させん!】
控えていたのか、燃え盛る道を突破しながら二足歩行の犀が、群れとなって突撃してくる。
お世辞にも堅そうとは言えない、ただ大きくて広いだけの盾を構えて、壁を形成しつつ体当たりしてくる。
「側面を……!」
そちらに向けて、廟舞は石畳を焼き尽くす魔法を放つ。
それは当然のようにすべての敵を焼き払うはずだった。
【効かん!】
【我らが剛精は、竜の息吹さえ無為に帰すと知れ!】
「火の魔法をはじいた?!」
「そんなバカな?!」
正面から牛の群れ、側面から犀の群れ。
その突撃を受けて、兵士たちも攻撃が分散してしまう。
「……っちぃ!」
戦術どうこうではない、明らかに敵の数が多い。
相手も全力だからこそ、こちらがどう対処をするにも限度がある。
「正面は任せた! できるだけ時間を稼いでくれ!」
直後、廟舞の髪が銀色に燃え盛る。
一瞬で自己強化を終えた彼女は、如意金箍棒を伸ばして棒高跳びのごとく跳躍した。
「でぃやああああああ!」
高速で、伸縮を繰り返す。
上空から刺突を連打して、並んでいる犀たちの頭部をとらえていく。
重量を込めた連打によって、武装している犀たちの頭が破壊されていく。
【高い!】
【頭上を防御しろ!】
「やっぱりそうか!」
盾を上に構えて、なんとかそれを防ごうとする犀の群れ。
それを見て、廟舞は相手の使っている術の原理を理解する。
「お前たち、噂に聞く四器拳と同じ術だな! 己の四肢だけではなく、持っている盾や靴にまで効果を及ぼせると見た!」
重量を込めた攻撃が、あっさりと受けられている。
勿論多少は効果があるのだが、盾が壊れないのは他に可能性が考えられない。
「明らかに、僕以上の術……こいつら、人間じゃない!」
地面に着地し、そのまま背を狙う。
格闘に適した大きさ、長さに調整しながら背を追う形で如意金箍棒を振るう。
人間を超える剛力を発揮し、人間が生み出した最強の武器を振り回す。
【ぬぐぅあ!】
【怯むな! 前進あるのみだ!】
【あの守りを突破するのだ!】
背をとられても、犀たちの突進は止まらない。
誰もが一心不乱で、私服兵士たちの囲みに突撃していく。
「くそ、このままだと……」
一瞬で銀色の髪を治めて、手を止める。
その上で、一端思考に没頭する。
明らかな隙であり、しかし必要なことだった。
「な?!」
少なくとも、彼女はすぐあとの攻撃に対応できた。
自分の背後から襲い掛かってきた、不可視の大波を前に光の壁を構築して防ぐことができたのだから。
「これは、噂の酒曲拳?! いや、あれは泡だった……だとすれば、これも人間の魔法じゃないのか」
【防いだぞ】
【おかしい、こいつは使う力がころころ変わる】
「今度は半魚人か……」
今度は、半魚人らしき二足歩行の生物まで現れた。
如何にこの地が悪徳の街とはいえ、こんな見世物はどこでもやっていない。
炎上している街の中で、彼女は人ならざる者に囲まれていた。
「ぎゃあああ!」
「ああああ!」
「ひぃいいい!」
遠くで同僚の悲鳴が聞こえる。
もはや彼らの命はないだろう。
ここは彼女のホームであるというのに、炎上する街の中で孤立無援だった。
そんな状況で、十回の鐘が鳴り響く。
街の非常事態を告げる鐘が、街全体を覆っていた。
【突破は完了した】
【こちらもだ】
【こっちもだ】
「自分で燃やしたので何とも言えないが……まさに派手な死にざまになりそうだ」
先ほど自分が殴った犀たちも復帰しつつある。
とても単純に、相手が人間よりも頑丈すぎる。
もちろん半魚人はそうでもないだろうが、犀も牛もそう簡単に死んでくれないようだ。
【相当な猛者だが、どうやらこの雌は同時に一つの術しか使えないようだぞ】
【武装も強力だが、倒せないほどではない】
「その通り……いやはや、どうやら見た目よりは賢いらしいな」
減らず口を言ってみるが、実際のところ廟舞は同時に一つしか術が使えない。その辺りが、複数の術を同時に平行して使える祭我とはまるで違う。
掛軸廟舞。
神からあらゆる資質を与えられた女性。
彼女は正蔵ほどではないが、ランと同等の気血の量を誇る。
それは祭我の気血の総量を越えるが、その一方で一度に一つの術しか使えない弱点を抱えている。
加えて、聖力が尽きても魔力は別で存在する祭我と異なり、一端気血を使い果たすとそのままあらゆる術が使えなくなる。
あらゆる術をその血統の始祖の様に修業せずに使えるのだが、その反面一つの術で対応できない状況に陥ると雪隠詰めになってしまう。
(応援が来るまで持ちこたえるか、あるいはこの囲みを突破して春を助けて離脱しなければ)
理屈から言って、個別に撃破するだけならそこまでは難しくない。
しかし、魔法を使って攻撃をしようとすると犀が突撃してくるであろうし、歯車で攻撃するにも数が多すぎる。
量が多いといっても有限の力では、必ず力尽きる。
(腰を入れて打ち込めば如意金箍棒でも倒しきれるが、そんなことをしている間に殺される)
少なくとも、凶憑きとなって如意金箍棒を振るった相手でも、空中から当てただけの相手は復帰しつつある。
その一方で、地上で腰を入れて振るった相手は起き上がる気配がない。
倒せないわけではないが、その一方で数が多すぎる。
(所詮僕は、切り札ではない、か……対人で無敵を誇ったツケが回ってきたな)
神から力を授かった日本人たちは、ほぼ無敵を誇る。
それこそ、たいして鍛錬を必要としない。
相手が人間である限りは、だが。
(とにかく、急いで春を助けに行くか。多分、他は既に突破されている。僕に戦力が集中していることも含めて、他の私服兵士は全滅したと考えるしかない)
【……お前は、神から祝福されているようだな。そして、その上で長命者が作ったであろう武器を持っている。弱くはない、我らを相手に生き残っていることも含めてな】
こちらへの威圧か、静かに語り掛けながら包囲を縮めてくる人外の者たち。
彼らは一切油断なく、彼女を排除しようとしてくる。
【お前も噂に聞く切り札か? だが、神宝を持たぬ限り我らには勝てぬ】
【最後まで戦い抜いてみるか、それも良い】
【そして、お前さえ抑えればなんのこともない。後はパンドラを確保するだけだ】
その言葉を聞いて、彼女は笑う。
なるほど、相手の勘違いを理解できた。
「私もパンドラから話を聞いている、彼女たちはもともとお前たちと戦うために生み出された。だからこそ、人間を相手に発動させた場合と違って、お前たちがいる場合は一度に百人しか殺せない制限が外れる。お前たちは、それを恐れて人間だけを包囲の内側に突入させたんだな?」
おそらく、彼らは通路など通らなくてもパンドラにたどり着ける。
にもかかわらずこうして律義に守備を突破しようとしたのは、仲間である人間を通すためだ。
「だから、ここだけじゃなくて、他の封鎖している場所も逆に封鎖しているんだろう?」
【それがどうかしたか?】
【既に確認している。この街に、お前たち以外に戦力はいない】
【仮に応援が集まってくるとしても、翌朝以降になるだろう】
【我らはお前を抑えるだけだ】
「……バカめ」
ニヒルに、彼女は笑った。
己の中の気血を調整し、最大強化できる状態に変化させる。
「お前たちは、何もわかっていない。私は切り札ではないし、そもそも一番肝心なことを間違えている」
彼らの最大の失策は、この場所に戦力を集中させたことだ。
彼女は理解した、自分にとって最善とはこの場で敵戦力を足止めすることだ。
「お前たちは、このディスイヤ特区を舐めた」
直後、街全体が震えた。
戦争でも起こったのか、というほどの雄たけびが夜の街に響き渡る。
それは、戦士の叫び。この地を守るという覚悟を固めた、命を賭した戦士の叫びだ。
【馬鹿な?! いくらなんでも早すぎる!】
数名が隠れていたとか、近くの町から救援に来たとか、そういう量ではない。
明らかに、千や万を超えている。
それこそ、街全体に軍隊が出現したように、四方八方から突撃の奇声が聞こえてきた。
【一体どれだけの兵士が、この街に隠れていた?! 我らの襲撃は予想されていたというのか?!】
『そんなわけがないだろう、この街はいつだって臨戦態勢だ』
人間が持ち歩けない太さと長さになった、如意金箍棒。
それを軽々と担ぎ上げた、牛も犀も見上げるほどの、巨大な大猿。
王気、神降し。
それを発揮して巨大な猿神と化した彼女は、自分たちを包囲している人外たちを見下ろした。
『ようこそ、ディスイヤ特区、悪徳の街へ』
街のあちこちで、爆音が鳴り響く。
炎上し、明るくなり、そのまま煙が昇っていく。
そう、これは奇襲に対する迎撃である。
この街そのものが、外敵を排除するために動き出しているのだ。
この街は、決して違法を許さない。
この街は、決して無法を許さない。
この街は、決して脱法を許さない。
そして、この街の住人はみな知っている。
法を守るのは為政者ではなく、裁判官ではなく、憲兵でも軍隊でもないのだと。
そう、街を守るのはいつだって、そこで暮らす人々だ。
『そして、さようなら』
法律で決まっている、明文化されている。
十回鐘が鳴り響いたとき、その町の武装勢力の全てが総力を結集して立ち上がる時である。
この街を守るために、この街が立ち上がる。命を捨てて、あらゆる外敵を排除する。
たとえこの街が焼け落ちるとしても、侵入者を生かして返さない。




