奇襲
再び、ディスイヤである。
※
一組の家族が、あたたかな晩餐を楽しんでいた。
もちろん、普通の家族ではない。上級貴族の、その家族である。
彼らは旅行の為に新しい服を作り、専用の船旅を退屈しながらも過ごし、その上で大きな料理店の個室で豪華な食事を楽しんでいた。
若く美しい妻、少々年上の夫、そして利発ながらも幼い息子。
彼らは正当な手続きでアルカナに入国し、ディスイヤに予約し、その上で食事を楽しんでいる。
彼らは、それこそ金が有り余っている『貴族』である。貧乏な名ばかりの貴族ではなく、一代で成り上がった商家でもなく、本当に裕福な貴族である。
彼らはそういう上流階級しか入店できない(というふれこみ)の店で、優雅に楽しく食卓を囲んでいた。
それはそれで、とても尊い一幕である。
少なくとも、利発な息子は大いに喜んでいた。
仕事を抱えて、愛人も抱えている、そんな父親がなんの気まぐれか母と己を連れて、観光旅行に出かけてくれた。
一緒に舟にのり、馬車に乗り、こうして食事をしている。
この街に来るまでは不機嫌そうだった母親も、この店で食事を楽しんでいるうちに笑顔になった。そんな母を見て、父親もしてやったりという顔になっている。
それはそれで、とても嬉しいことだ。
これから先、どんな長い人生が待っているとしても、この幸せな時間は忘れられないだろう。
「本当においしかったわ……癪だけど」
「そうだろう、そうだろう。この店は、本当にいい店なんだ」
デザートの甘い氷菓子を食べながら、三人は笑い合う。
少なくともこの一瞬、三人は普通の家族だった。
「ディスイヤは悪いところだと聞いていたけど、こういうお店もあるのね」
「ああ、私も若いころには何度も通ったものさ。結婚して、家督を継いでからはこれなかったんだが……」
「あら、女が出来たからじゃないの?」
「ははは、こういうときぐらいはよしてくれ」
「ここにもお気に入りがいるんじゃないの?」
「お前にはかなわないな……」
母親の言葉はとげとげしいが、そのとげに毒はない。
少なくとも、傍らで聞いている子供は、母親の表情から憤慨を感じられなかった。
「確かに行ってみたい悪所はいくつかあるが、今回の所は止めておくつもりだ。道中何度も言ったが、この街には家族向けの施設も多い。お前が喜ぶような店もたくさんあるのだぞ」
「あらあら、本当の悪所を隠すためのごまかしでしょう?」
「それが無いとは言わないが、この街は本当に『全力』だ。君もこの街が好きになると思うよ」
なるほど、この街は悪の巣窟だ。
だが、それだけではない。本当に『美しい』物も、この街にはある。
悪だけで、金が集まり続けるわけがないのだから。
「……シェフを呼んでちょうだい」
それはそれで悪くない、と思っていた彼女はこの料理を作った責任者を呼ぶことにした。
少なくとも、料理はおいしかった。
それを褒めるのは、貴人として当然の礼儀である。
控えていたウェイターはそれに頷くと、ほどなくして白い調理服を着た男を連れてきた。
味見をする関係でふくよかな体型だが、それでも表情には気品がある。
「とてもおいしかったわ。もしよかったら、私の邸にこない? 給金は弾むわよ」
妻が言ったその言葉を聞いて、夫は軽く噴き出していた。
なぜ笑うのかわからない彼女に対して、シェフは名乗っていた。
「奥様、私はフレスコ・ディスイヤと申します」
その名前を聞いて、彼女は硬直した。
一瞬、意味が解らなかったからだ。
「私だけではなく、厨房にはディスイヤ家の人間しかいません。おかげで名前を呼ぶのが大変でして」
「……失礼したわ、ディスイヤ様」
「所詮は分家ですよ、奥様。お客人に敬語を使われると、その、恐縮してしまいます」
オーナーであり、シェフでもある。
しかし、ここまでのオーナーシェフはそうそういないだろう。
普通なら貴族本人が直接料理を作るなどあり得ないことなのに、この街では大っぴらに店まで開いているのだから。
「驚いたわ……その、貴方が本当に作っているの?」
「そうおっしゃるお方も多いので、この店の厨房はガラス張りなのですよ。いかがですか、後で見学をなさるのは」
「……いいえ、結構よ」
なるほど、こういう街なのだ。
彼女はとりあえず納得することにした。
※
当たり前だが、カネが集まる街には活気がある。
世界中というと誇張だが、周辺諸国からカネが集まる街に、悪人が集まるのは当然だろう。
明確に区切られた線の中で、彼らは甘い汁をすすっている。
それこそ、法に保証された微温湯のなかで。
「この街は、君たちの視点から見てどうだ?」
少々広いだけの安宿に泊まっているオセオの将校は、誰もいない部屋でそうつぶやいた。
一般観光客、それも大所帯の為の、ただ広い部屋。
それに宿泊しているのは、オセオの決死隊である。
今は街に入り込んでいるが、彼だけは最後の確認の為に残っていた。
【……秩序があり、安定している。悪所というからには、もっと血気にはやった街だと思っていた】
「裕福だからだろうな。彼らは金銭的に余裕があるからこそ、己の縄張りを守ろうとするが……逆を言えばそれさえ守ればなにもしてこない」
【羨ましい話だ、我らにはそんな余裕などなかった】
二足猫の幻術は、人間のそれよりもはるかに高度である。
如何にこの街が、住人全体に対して通報を命じているとはいっても、足跡を残さずに姿を見せない連中を相手に、その捜査力を発揮できるわけもない。
【この街は、生きる膿に満ちている。君たち人類の繁栄ぶりが、この街一つでわかってしまう】
「おかげで、人間の敵が人間になってしまったがね」
【それでも、敵がいるだけマシだ。我らには敵がいなかった】
旧世界の怪物は、声だけでも感情豊かだった。
その言葉には、この世界へのあこがれが満ちていた。
【逃げても不毛、立ち向かうにも神は虚空の彼方、世界の衰退の前にはあらゆる術が無力】
「なるほど……それもそうだろう。傷をえぐる真似をして、申し訳ない」
【我らが君たちオセオに協力を申し込んだのは、とても単純な理由だ】
「お互い、後がないからだろう?」
【そのとおり、我らは必死だ。我らには時間が無い、戦力も十分とは言い難い。だが、必死だからこそ、奇襲は効果的だ】
戦争は、先制攻撃するほうが圧倒的に優位だ。
まして、こちらは関所を抜けて、多くの戦力を法的に守られた土地に送り込んでいる。
それがどういう意味を持つのか、それは語るまでもあるまい。
まして、アルカナ王国が誇る、五つの切り札の内一つが陥落するのだから。
「そうだな、我らは必死だ。その点だけは、価値観を全面的に共有できる」
【その上で、今回の奇襲では君たちにパンドラを抑えてもらう。その間の足止めは、我らが行う】
「負担はそちらの方が大きいので、申し訳ないよ。なにせこちらは、弾切れを起こしたパンドラの確保だけだ」
【そうでもない。なにせ、この街周辺はともかく、この街そのものには戦力がさほどいないからな】
もちろん、パンドラとその適合者には多くの護衛がついている。
しかし、それはこの街に入り込んだ、五百もの精鋭を止めるには、余りにも心もとない。
【パンドラの護衛は、あくまでも身内への対策だ。お前たち風に言うならば、家にかぎをかける程度。軍隊を迎え撃つつもりではない】
別に、相手の意識が薄いというわけではない。
そもそも、一万年ぶりに旧世界の怪物が殴り込んでくるなど、流石に誰も想定していないだろう。
それこそ、切り札たちがそうであるように。
想定外のことは、いつでも起こり得る。
「……お互い、全力で、死に物狂いで、勝とう。これはそのための第一歩だ」
【そうだな】
将官は、手を前に出した。
それが何を意味するのか知っている彼は、何もないはずの場所から握り返してくる。
とても、とても大きい手だった。
※
この世で絶対的な強さを誇る仙人、無限遠の体現者スイボク。
あるいは彼に及ばずとも、不死身にして無尽蔵に到達したフウケイ。
この二人は神から力を授かった者たちさえ超える、最強の生物である。
およそ、竜の大群であろうとも、この二人のうちいずれかがその気になればせん滅は可能である。
そんな二人を確実に殺せるのがパンドラであり、それの完全適合者である浮世春である。
しかし、パンドラもそれの使い手である春も、最強でも無敵でもない。
むしろ、それから一番遠いといってもいいだろう。
なにせ、手順さえ踏めば一番簡単に殺せるのだから。
ディスイヤ特区の夜、郊外の賭場にて。
脱税という、およそ最悪の違法行為を犯していることが判明した、木っ端マフィアのボスが追いつめられていた。
構成員が私服正規兵による奇襲によって殺されていき、もはや愛人と側近をのぞき、残っている兵隊は少数だった。
逃走しようにも、およそあらゆる道にいる浮浪者たちが、彼らの監視となっていた。
もはや、彼らはこの賭場を枕に死ぬしかなかった。
「なんか、静かになったな」
「そうですね……」
「まさか、あきらめたんじゃ?」
「そんなわけあるか!」
先ほどまで、魔法やら矢やらがこれでもかと打ち込まれていた。
それが突然終わり、周囲から人気が消えていた。
賭場と言っても、街の中の賭場である。
周辺には家がたくさんあるし、同じような賭場も大量に建っている。
だからこそ、周囲から人間の気配がなくなるわけがないのだが。
「……おい、待て」
賭場のトップが、呆然としながらある事実に気づいた。
周囲に向かって、指を向けて人数を確認している。
「まさか……おい、嘘だろ?!」
老若男女を問わず、この賭場には人間がかなりいる。
かなりいるといっても、流石に何百人もいるわけではない。
そう、怪我をしている人間や、ただの給仕、接客を担当する女性。
それらを合わせても、『百人』を切っていた。
「ち、畜生! あのイカれた男を送り込んできやがった!」
「――――」
心外だな、と言いながら男が入ってくる。
その眼は疲労と軽蔑に満ち、幾度となく見てきた光景に飽き飽きしていた。
「て、てめえは!」
「――――」
もう死ぬことが決まっている相手、今まで何度も殺してきた相手に、彼はただ決定事項として送り込まれていた。
そう、この場にスイボクやフウケイがいたとしても、この場ではただ一人の人間でしかない。
つまり、もうどうやっても、絶対に彼らは死ぬのだ。
「――――」
『惨劇職人』
「――――」
『退屈そうな死神』
「――――」
『歩 く 地 獄』
「――――」
『汚し屋』
「――――」
『誘蛾灯』
「――――」
『百殺円盤』
「――――」
『苦痛演出家』
「――――」
多くの二つ名でかたられる彼は、意外にもよく喋る。
本当に、心の底から不機嫌そうに、今更絶望した悪人たちを前に言葉を贈る。
いいや、独り言なのかもしれない。
馬鹿を相手に、愚者を相手に、ひたすら殺戮を繰り返してきた彼は、生きることにつかれている目を鈍く光らせていた。
「――――……」
ああ、いい。もう面倒だ。
彼は、己の鎧を呼んだ。
いつものように、見せしめをするとしよう。
目の前の彼らをむごたらしく殺すことが、この街を多少でもよくするのだと信じて。
※
「さて」
廟舞を含めて、ディスイヤの私服兵士たちが並んでいた。
大きな通路を封鎖し、パンドラの有効範囲に人が立ち入らないようにしていた。
既に周辺から住民を退去させているし、興味本位の観光客たちも帰らせている。
よって、後は春が仕事を終えるまでは待機である。
場に出せば、勝利が確定する。
切り札たちはそういう触れ込みではあるが、春はとにかく使いにくい。
なにせ彼にとって『場』とは、敵が百人以下で、周辺に死んだら困る相手が一人もいない状態でなければならない。
だからこそ、彼を場に出すには、まず敵を百人以下まで減らして、そこから更に周辺の人間を避難させなければならない。
「毎度のことながら、不便なものだな」
はっきり言って、そこまでおぜん立てできるのなら、そのまま残り百人も殺せばいいはずであろう。
実際、ディスイヤはやろうと思えばそうできる。
それをしないのは、パンドラのもたらす死が、この上なく凄惨だからに他ならない。
ただ殺すだけでいいのなら、普通に兵士で殺せばいい。
春を使うのは、春が殺せば惨たらしい死体になるから。
他の理由は一切ない。
考える男とは、『できるだけむごたらしく殺す』ためにはどうすればいいのかを考える男に他ならない。
今でこそスイボクやフウケイ、あるいはほかの切り札たちを殺すための役割りを持つが、本来は闇の伝説として語られる程度であるべきなのだろう。
「はっはっは、まあそう言わず。ビョウブ殿、退屈でしょうがこれも仕事ですぞ」
「そうだな……警備とはもともとそういう仕事だったか」
「その通り、警備とは何もさせないのが理想。こうして武装している我らが集団で立っている、それが重要なのですよ」
景観を守るため、あるいは偽装するため、エレガントな服装をしている私服兵士たち。
彼らは防具を身に着けることなく、ただ槍などで武装していた。
それでも、彼らの体つきを見れば、ただの案山子とは思うまい。
他でもないディスイヤが、高給によって待遇している精鋭である。
パンドラとその所有者を守るために用意した、最高の環境を与えられた面々である。
「やはり、この仕事が終われば、綺麗どころを集めて楽しく過ごすのですかな?」
「うむ、僕はガチではないが、それでも同性からもてはやされるのが好きでねえ。春の奴がそういう待遇を受けているというから、それに憧れてディスイヤに就職したのさ」
「はっはっは! ビョウブ殿はどの街でも人気ですぞ。なにせ、顔がよろしいですし、トークも上手ですからな」
彼らは、この街を極力壊さずに制圧する技量を求められ、それをこなしている。
相手が悪党程度なら、市内での対人戦闘という面で後れをとることはない。
「それに、黄色い声をだしてあげるだけで満足だから、だろう?」
「はっはっは! 仕事が楽な方が、好まれますからなあ」
緩んでいた空気の中で、談笑している二人。
自分たちが張っている網の内側はともかく、その外側はいつも通りなのだから当然だろう。
「私も若いころは……」
「おい、待て」
しかし、他でもない廟舞は、何もない空間をにらんで全員に警戒を促していた。
「どうしましたかな?」
「敵襲だ! 上空へ合図を送れ!」
廟舞は、持っていた剣を放り捨てた。
そして、自分の頭を傾けながら、右の耳を叩く。
【なぜバレたのかはわからんが、行くぞ!】
【そうだな、もともと力づくの予定だったからな】
通路の暗がりから、誰もいなかったはずの場所から、大量の巨大な牛が現われた。
通路だけではなく、石の壁を破壊しながら建物の中からも、大量の牛たちが突撃してくる。
あまりにも現実離れした光景に対して、私服兵士たちの動きが止まる。
この場に配置された三十ほどの兵士、彼らの人数としても体格としても数倍に達する猛獣を相手に肉体が硬直する。
「怯むな!」
凛々しく、勇敢に、廟舞が左の耳の穴に仕込んでいた武器を手にとって構える。
暗器でありながら、一気に長物へ変化したそれは、巨大な柱のような鉄の棒だった。
「迎え撃て!」
それこそは、ディスイヤの集めた宝の一つ。
如意金箍棒。重量自在、伸縮自在。大天狗セルの作り上げた傑作、最強の戦闘用宝貝である。




