往診
町中から医者と薬屋が消えて、城に集められた。
そんな異常事態である、誰もが噂に縋る状態だった。
その中で、ある薬屋に凄腕の医者が現われたという話が城郭の中にあふれた。
皇帝が国中から医者やら薬師を集めている状況である、外国から医者が来たのだろうと考えれば自然だった。
その外国からの医者は、まず城下で自分の腕を民衆で実演し、それによって特別に皇帝へアピールしているのだろう、という推測が流れた。
それはだいたいあっているし、とくに変な話ではなかった。
「なあ、聞いたか。裏通りの薬屋に、とんでもない医者が来たんだと」
問題は、転売目的ですらない連中の耳にも、そんな話が入ってきたことであろう。
この街の暗い部分で生きる、いわゆる無法者集団。そんな彼らが、こんな状況でどう動くかなど考えるまでもない。
「ああ、なんでも偉い別嬪な助手の姉ちゃんもいるらしいぜ」
「ってことはだ、よっぽど腕が良くて、よっぽどいい薬を持ってるんだろうなあ」
わかりやすく悪人である彼らは、甘い考えに酔いしれていた。
悪いことに、成功すれば本当にそれだけのもうけが期待できる状況である。
「薬が無くて困っているのは、ここの奴らだけじゃねえ。もしもうまいこと手に入れば、それこそ一生遊んで暮らせるカネが手に入るぞ」
「それに、その姉ちゃんも売ればいい銭になるだろうな」
うまくすれば、使い切れないカネが手に入る。
かもしれない、ではあっても人が間違いを犯すには十分すぎる理由だった。
「なら急いだほうがいいな、早ければ明日の朝には皇帝が動くぞ」
「ああ、善は急げだ」
十人ほどの武器をもった男たちが、噂の薬屋を目指して歩いていく。
彼らの脳裏には既に、金銀財宝に変わる天上の薬と絶世の美女が浮かんでいた。
そして驚くほど簡単にその薬屋は見つかった。なにせ町中の人間がその薬屋を目指している、人の流れに沿えばそのままたどり着いてしまった。
怪我人や、病気の子供を抱えている大人、小銭を持っている子供。あまり金をとらない、という噂を頼って、それこそあり得ない数の人が並んでいた。
あるいは、そんな長蛇の列を見守っている野次馬も多かった。
同様に、その店から出て、足早に去っていく人々も多い。
なるほど、殆どの客は入ってすぐ出ている。
しかも、大怪我をしている者たちも、それこそすぐに元気になっていた。
これは本当に、大した医者が大した薬をもって来ているらしい。
「へっへっへ」
もちろん、荒くれ者たちは一々並んだりしない。
横柄に振舞い、刃物を見せびらかせながら、店の入り口へ直進していく。
薬屋に並んでいる面々が、あえて怪我をしたいわけもない。並んだまま、しかし大きく避けていった。
もう店の中の声も聞こえるほどに、悪人たちは店へ接近していた。
「サンスイよ、表に頭を患った客が来た」
「はい」
「相応の対処をして、お帰り願え」
そして、いよいよ店に入るという段階で、腰に『木刀』を下げている男が店の入り口から出てきた。
その眼はとても冷ややかで、一種しらけてさえいるようだった。
「ここは薬屋だ、用があるなら並べ」
「おい、兄ちゃん。悪いことは言わねえ、とっととどきな」
もちろん、そんな男が一人現れたぐらいで引き下がる男たちではない。
彼らは彼らなりに、自分の行動に正当性を感じているのだ。
「そもそもだ、兄ちゃんたちは誰に断ってここで店をしているんだ?」
「よそ者は、俺たちに挨拶をするのが筋ってもんだぜ?」
「この街には、この街の習慣ってもんがあるんだ。通すべきもんは通してもらわないとなあ」
なるほど、この街に入ってきたのは三人である。
確かにこの街の、明文化されていない暗黙の了解を守るべきなのだろう。
その掟に反すれば、それこそ反発をされるのは当然だ。
「……」
そんな彼らに対して、木刀を下げている男はとても冷ややかだった。
憤怒でも威嚇でも、恐怖でも勇気でもない。
ただ、とても単純に氷のような眼を向けていた。
その瞳に、彼らは一瞬ひるむ。
想像していた、どんな対応とも異なる状況。
それに対して、戸惑いを感じたのだ。
しかし、それでも予定に変更はない。
何せ小汚い店には、お宝があるはずなのだ。
であれば、こんな変な男にかかわっている場合ではない。
「おい、この男を……」
この男をどかせ、と先頭の男が部下に命じようとした。
自分の後ろに立っていた部下たちの方に振り向いて、暴行の指示をしようとした。
しかし、振り向いた先にいた部下たちは、用心棒であろう男の方を見て驚愕の顔をしていた。
なんだろう、と思ってその方向を向くと、そこには木刀を抜いた男が大きく振りかぶっていた。
普段の彼のことを知らない彼らにはわからないことだが、それはもうあからさまな大振りだった。
まるで野球のバッターのごとく、大きく振りかぶっていた。
そして一切躊躇なく、棒立ちしている先頭の男の頭を叩いていた。
「ぐへぁ!」
「敵から視線を逸らすな」
もちろん、手加減している。
防具を付けていない頭を木刀でフルスイングすれば、ド素人でも成人男性を殺せるだろう。
そうなっていないのだから、つまり相当気を使って叩いたのだ。
「て、てめ」
てめえ、よくもやりやがったな。
鼻が潰れて血まみれになった先頭の男は、膝から崩れて、顔を抑えつつうずくまっていた。
「転んだら、すぐ立ち上がれ」
大きく振りかぶって、足を振るう。
まるでサッカー選手がサッカーボールを蹴るように、PKでシュートするように、全体重を込めて頭を蹴っていた。
「ぐほぉお!」
「ほら、こうなる」
もちろん、手加減している。
普通に考えて、死んでもおかしくない。
それでも、先頭に立っていた男は前後不覚になって地面に倒れていた。
「お前たち、ぼさっとしているな」
他の襲撃者たちは、木刀の男があまりにも淡々と暴行していることに、唖然呆然としていた。
なので、更にスイングをしようとしている山水に対して、見守ることしかできなかった。
「早く助けないと、こうなる」
まるで、ゴルフ選手だった。
飛距離を出すために、ドライバーで最大に振りかぶっているようだった。
そのまま、地面に倒れている先頭にいた男の頭をゴルフボールのように叩いていた。
もちろん手加減しているし、殺してはいない。
それでも、彼はもちろん完全に気絶していたが。
「ほら、早く家に連れ帰ってやれ」
「て」
あまりにも冷淡な処理に対して、見物人も並んでいる人たちも全員二の句が無かった。
しかし、それでも荒くれ者たちはそうもいかない。ここでこのまま帰れば、それこそこの街で生きていけない。
だからこそ、彼らは己の保身のためにも、仲間の報復のためにも、全力で襲い掛かろうとした。
「や……!」
やっちまえ、という前に喉を突かれる。
「ぶ……」
ぶち殺せ、と言いきる前に頭を叩かれる。
「お……」
おらあ、と叫ぶ前に腹部を叩かれて悶絶する。
「な」
舐めるんじゃねえ、というより早く顎を叩かれていた。
そうして、瞬く間に四人が戦闘不能になる。
残る五人は、もう本当に何もできなくなっていた。
「最初の一人は、わかりやすく倒した」
用心棒は、腰に木刀を戻した。
「残り四人に剣は見せない、もう実力の差はわかるな? そいつらを連れて失せろ、邪魔だ」
誰もが、その男の強さに面食らう。
そして、その場の全員が逆らうまいと心に焼き付けていた。
「ち、ちくしょう!」
「てめえら、覚えてやがれ!」
残った五人は、痛めつけられた五人を担いで逃げ去っていく。
メンツがすべて、恐怖されなければならない彼らは、そのまま大慌てで去っていった。
それを見送った用心棒、山水。
彼の脳裏に、師匠の声が届いていた。
『聞こえるか、サンスイよ。今儂は、山彦の術でお前に話しかけておる』
大声を出せば聞こえるであろう距離でありながら、スイボクは仙術で弟子に話しかけていた。
『お前も察しているように、あ奴らのうち三人は援軍を呼びにねぐらへ帰る。残った七人は列に並び、儂らへ難癖をつけようとしておる』
スイボクは己の弟子が察しているであろうことを、重ねて伝えていた。
『お前はねぐらへ向かった三人を追い、仲間を打ちのめしてこい。こっちは任せよ』
「承知しました」
『ああ、現金があれば失敬してこい。少々足りんかもしれんのでな、帰りには度の強い酒を買ってこい』
往診し、処置し、診察料をもらってこい。
仙人は己の弟子に医療の指示を出していた。
※
怪我人五人、健常な男二人。
列の先頭に割り込むのではなく、列の真ん中あたりに入り込んでいた。
普通なら、それこそ周囲から反発を受けるだろう。
しかし、彼らはまさに怪我をしている。しかも、怪我を抜きにすれば屈強そうでもある。
割り込みをするなと言いにくい空気に紛れて、彼らは周囲に溶け込んでいた。
「畜生、いてえよぉ……」
「あのやろう、よくもやってくれたな……」
恨み言を言いながら、順番を待つ。
はっきり言って、普通に医者が必要な状況だった。
なので、まったく不自然ではない。
むしろ、この列に並ばない方が問題であろう。
仮に見捨てられれば、それこそ自宅で寝るしかない。
「それにしても、本当に早いな」
順番待ちは、速やかに解消される。
それこそゆったり歩いていれば、そのまま前の相手にぶつからないペースである。
いったいどれだけの速さで処理されているのだろうか。
ほどなくして、彼らは店の中へ普通に入った。
当然とがめられることなく、三人の店員がいる薬屋で処置を受けることになった。
「すげえ美人だ……」
無傷な二人は、思わず見とれていた。
なるほど、変な格好をしているが、とても美しい女性がいる。
顔がよく、肌も美しく、髪も綺麗で、体形も肉感的だった。
高く売れる以前に、自分の相手をしてほしいところである。
「ぬ」
さて、そこには腕のいい医者がいる。
先ほどの男同様に、冷ややか顔をしている男だった。
それをみて、怪我をした面々は激怒する。
「おい、てめえ! お前の用心棒が、俺や俺の仲間にこんなことをしたんだぞ!」
と、当然のことを言う。
なるほど、一方的に暴力を受けたのは事実である。
正当防衛と過剰防衛の線の上で、危ういことになっている。
とはいえ、相手が複数で刃物を持っていたことを考えると、そこまで問題があるとは言えないが。
「ぬ」
「ぬ、じゃねえ! この落とし前、どうしてくれるんだ!」
難癖ではない、本気で怒っている。
怪我をした五人のうち一人は完全に気絶しており、それが深刻そうに見えている。
なるほど、怒って当然であろう。
「どうして欲しい、何が欲しい?」
それに対して、スイボクは呆れつつも希望を訪ねていた。
「まずは、薬だ! この店にある薬は全部もらう!」
「それから?」
「あとは、カネだな。有り金全部もらうぞ!」
「他には?」
「そこの女をよこせ!」
「ふむふむ」
要望を聞き終えたスイボクは、呆れつつも納得していた。
そうした態度が七人を怒らせるのだが、店の中で調合を続けているフサビスは逃げるどころか心を空にしていた。
もう、考えるまでもないことである。
スイボクという男は、万能である以前に世界最強の男なのだから。
「ずいぶん欲張りであるな」
「ああ、それからお前とその用心棒もぶちのめす!」
「下手にでてりゃあ勘弁してやるところだったが、ここまでなめられて、無傷で帰せるわけないだろうが!」
四人は怪我をしているが、それでも手には刃物がある。
おまけに、二人は完全に無傷だった。
なるほど、六対一と見れば、勝算はあるだろう。
彼らには通すべき筋があるし、そもそも暴力の前に道理は無意味である。
「薬が欲しい、金が欲しい、女が欲しい、報復もしたい。なるほど、わかったぞ」
スイボクは、掌に小銭をじゃらりと握った。
それが打撃の威力をあげるためなのか、と思わないでもない。
確かに固い物を握れば、殴る威力は上がるのだから。
「命は要らんのだな」
発勁、指弾。
握っているものを、親指で弾いて放ち、相手にぶつける。
ただそれだけの、たわいもない技である。
しかし、それをスイボクが使うとなると話は違う。
精妙に放たれたそれは、襲い掛かろうとした六人の鼻に刺さっていた。
「ふごぉおお?!」
「釣りは要らんぞ、とっとと失せよ」
彼らは、とりあえず最小単位の貨幣だけは得た。
血まみれで変形しているが、それでも銅貨を得た。
鼻に刺さっているので、そうそう盗まれることもあるまい。
「体を大事にな」
物理的に呼吸が詰まることになった彼らは、気絶している仲間を抱えて去っていく。
幸運だった、というしかあるまい。
なにせ荒ぶる神を相手に、この程度で済んだのだから。
「あ、あの! スイボク様、その、彼らが仲間を連れてくるかもしれません!」
「ああ、気にするな。嫁よ、あ奴らの仲間は『もういない』。今頃、健康の大事さを思い知っているであろう」
何事も、失われると尊さが分かるのである。
彼らは永遠に失われた健康な体を惜しみつつ、短い余生を送るのであろう。




