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地味な剣聖はそれでも最強です  作者: 明石六郎
神の帰還と竜の侵略
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百貨

 ディスイヤの特区では、悪事さえ合法である。

 自治権を認められている組織は、それこそ殺人さえ許されている。

 しかしそれは、合法であるがゆえにきちんと制限されている。

 一番してはいけないのは、きちんと組織へ報酬を支払っている上客、金持ちを殺すことである。

 その場合、それこそ組織を丸々潰すどころか、比喩誇張抜きで一族郎党皆殺しである。

 そこまでではないが、貧民であっても無法に殺すことは許されない。

 あくまでも、相手が違法行為をした場合にのみ、殺人が許可される。


 加えて、少々面倒なことに殺人で利益を得た場合税金が発生する。

 『今回』のように、身ぐるみ剥いで捨てた場合、それなりには利益が生じるので税をディスイヤに納めなければならない。

 これがそれなりに面倒なので、ただ身ぐるみを剥ぐだけで済ませることもある。

 それはそれで税が発生するが、流石に殺人よりは軽い。


 はっきり言って、賄賂を合法化し料金を定額化しているだけである。

 とはいえ、そんなルールを一々守る連中ばかりかという話になると、流石に疑問であろう。

 実際、守る輩ばかりではない。

 そもそも、ああしろこうしろと明文化したぐらいで誰もかれもが従うのなら、世の中に犯罪が蔓延することはないだろう。


 もちろん、罰則は非常に重い。

 それこそ、普通の地域での犯罪よりも、特区での犯罪は重罪となる。

 特に、申告の無い悪や脱税は、ことさらに重い。

 そして、その辺りディスイヤは甘くない。悪を合法化しているがゆえに、その『許可証』は安くない。

 

 とはいえ、悪の巣窟のトップたちを相手に、取引をしなければならないディスイヤのトップはとても難しい。

 歴代の当主たちは、それこそ苦労しながら維持に全力を賭してきた。

 そして、もう一つ。歴代の当主たちが苦労していることがあった。


「さて……その、なんじゃ、うむ」


 ディスイヤの当主。既に隠居しているソペードの前当主よりも、更に一世代ほど年長な彼は、一族の者に対して招集をかけていた。

 ディスイヤは商家であり、貴族である。それゆえに、一応各地を治めている。

 全員を集めて、色々と今後の方針を語り合いたい。そんなつもりだった老人は、分家も本家も一人も出席していない現実に涙をこらえていた。


 そんな彼の前に並んでいる『代理』たちは、申し訳なさで目頭があつくなっていた。

 なんでこのご老人が、こんなつらい目に合わなければならないのか。

 それこそ普通の話をしたいだけなのに、なんで誰も招集に応じないのだろうか。

 出席率が低いにも限度がある。はっきり言って、ディスイヤの会合に一度でも参加したことがある人間の方が稀なのだ。

 そう、ディスイヤの老体が当主の座を『曾祖父』から継承して『六十五年』ほど経過しているのだが、招集に応じた者はほぼゼロである。

 おそらく、ここまでないがしろにされている当主というのも、ディスイヤぐらいではないだろうか。


「その……代理で参りました。我が主は、その、今度のコンサートに向けて作曲中でして」

「我が主は、新しい楽器を製作中だそうです」

「我が主は、コンサートのパート練習で忙しいそうです」

「我が主は、指揮の練習中で……」

「我が主は、コンサートの参加者のスーツを仕立てておりまして……」


 素晴らしいことに、今度どんなイベントが起きるのか、この会合に参加しない言い訳を聞いただけで把握できる。

 そうか、ディスイヤ内部でそんなコンサートがあるんだなあ。

 もちろん、ご老体の寿命が嘆きですり減っている。


「我が主は、マジャンから入った絵を参考に、新しい境地を切り開くおつもりのようで……」

「我が主は、新しい美術館の建築に熱中しておりまして……」

「我が主は、新しい美術館に納品する絵を描いております……」

「我が主は、新しい顔料を求めて山を歩いていらっしゃるようで……」


 もちろん、貴族が自ら美術芸術に走ることは珍しくない。

 というか、そもそも生活に余裕が無いと、高額な楽器などを購入できないし、指導も受けられない。

 だが、何事にも限度はある。

 というよりも、とっくに限度を振り切っている。


 なにせ、当主以外の全員が統治を代官に丸投げである。

 もう乗っ取られていると言っていいだろう。

 むしろ、明け渡していると言っていいのかもしれない。

 いいや、放置というか放棄であろう。誰もが政治に一切興味がない。


「儂は……曾祖父が、多くの妾に子どもを産ませていたことを、一時期軽蔑しておったが……今にして思えば、もっと作っておけばよかったかもしれん」


 現実と長年戦い続けて、もうくじけそうな老体である。

 もう墓に入って眠りたいところであるが、ここでディスイヤが断絶するとアルカナ王国の国益に反する。はっきり言って、老体が死んだらそのまま遺族は全員ディスイヤの名前を捨てて、そのまま国外へ出ていくであろう。

 なんとも嘆かわしいことに、全員自活できる。手に職があり、信頼も実績もあるからだ。

 死ねばいいのに。


「お前たちの献身がなくば、とうにディスイヤは終わっておる……うむ、お前たちには感謝しかない」


 お通夜のような空気が、会合の場所に満ちていた。

 それこそ、老人への哀愁であろう。


「どうしてこう、ウチの者は金儲けと政争に興味がないのか……こんなに楽しいのに」


 老人は老人で善人ではないが、少なくとも国家や領地に対しては誠実である。

 それは先代から引き継いで以降、この領地の繁栄具合が証明しているだろう。

 もちろん、一族総出でディスイヤの観光価値を高めていることも、決して無視できるものではないのだが。

 政治ゼロの、芸術百なのはどうかと思われる。


「まあよい……それで、我が孫娘はどうしたかな? 我が後継者、アクリル・ディスイヤは」


 四大貴族と王家は、それぞれ古典的な方法で『切り札』たちに誠意を示している。

 つまりは、各々の本家令嬢を、そのそばに配置しているということだ。


 王家とバトラブは、それぞれ切り札と結婚させている。

 カプトは呪術によってパレットを呪い、正蔵と一蓮托生の状態にしている。

 ソペードは少々事情が違うが、本家令嬢の護衛という形で最大の信頼を長期間任せていた。


 さて、ディスイヤである。これまた事情が少し違う。

 アクリル・ディスイヤ。

 現当主が、唯一見込みがあるとした、後継者候補。

 例にもれず嫌がっているが、ディスイヤの切り札である浮世春に対して恋愛感情を持っており、そこを老体がちょめちょめして釣り上げている。

 その彼女は、今現在この会合が行われている地に、春を目当てについてきているはずだった。


「その……お嬢様は、ご病気を」

「ああ、うむ……そうか」


 その言葉を聞いて、老体はがっくり来た。

 そう、あの娘には芸術的な病気があるのだ。


「……聞きたくないが、どうしている?」

「特区で奴隷を見つけまして……若い、幼い男の子です。その子に針金を通したスカートをはかせ、その中に頭を突っ込んでいます」

「詳細な情報じゃな……」

「今度絵に描くそうです」

「……なぜそれを芸術に、売り物に昇華できるのか、儂には理解できん」


 恋愛感情とは別で、童子を愛でる趣味があるということであり、それが原因で春に嫌われているのだが、それを改められていないということだった。

 まさに、不治の病であろう。


「まあ……シュン坊の『趣味』ほどではないか」



 浮世春。

 山水が仙気を与えられてスイボクの元へ送り込まれたように、パンドラと適合する資質を与えられてディスイヤへ送り込まれた男である。

 彼はほとんど他の切り札たちと交流が無かったが、その一方でうんざりするほど『日本人』に遭遇し、そのほとんど全員を殺してきた。

 その理由は、春としてもよくわかる。

 ディスイヤの特区は言い訳の余地がないほどに悪の巣窟であり、そこを『解放』しようというのはそれなりに正しいからだ。


 確かにこの街に虐げられている人たちは多いし、守られてはいるがそれは搾取の対象としてだ。

 幸せか、と言えばそんなことはないし、日本人の感性から言えばかわいそうな人たちだ。

 そして、この街には金が有り余っている。なるほど、『解放』しようと思うのは当然だった。


 彼らは悪徳の街を滅ぼすために、神から与えられた力を使って殴り込みをかけて……。

 全員、春に殺されてきた。正しく言えば、死なされてきた、というべきなのだろうが。


 事前情報なしでパンドラの能力に対処することは、ほぼ不可能と言っていい。

 特に完全適合者であり、まったくリスクなくパンドラを使える彼にとっては、どんな力を持っていてもまるで脅威ではなかった。

 とはいえ、本人にしてみればうんざりする話だったのだが。


 なにせこの世界でそれなりに常識を学んだ彼は、この街に行き着いた人間のほとんどが『選択の結果』この街に行き着いたと知っているからだ。

 というかそもそも、たいていの場合この街の底辺は出入り自由である。

 借金でもあればその限りではないが、借金というものは貸し手が借り手へ『こいつなら利子をつけて返してくれる』という信頼があって初めて成立する。

 ホームレスに銀行の融資が下りないように、この街のケチなスリや娼婦には誰も金を貸さない。

 せめて、もう一段階は上でないと、貸し手も金を出さない。どれだけ高利にしても、返してくれる見込みがないからだ。


 つまり、開放うんぬん以前に封鎖も閉鎖もされていない。出入り自由である。

 それこそ、日本や先進国でも『そういう商売』をせざるを得ない層があるように、この国でもそういう層があるというだけのことである。

 仮にこの街を『解放』しても、そのまま別の街で同じことをするだけである。

 盗んだ金をばらまいたとしても、利口なら拾うこともない。なにせ、普通に回収しに来るからだ。


 ディスイヤやその特区を開放しても、誰も得をしない。

 幼稚な正義感が満たされるだけで、誰も幸せになれない。

 だからこそ、春は多くの日本人を殺してきた。

 

 切り札たちとは別で、彼が殺さずに済ませた日本人はただ一人。


『仮に奴よりも優れ、奴よりも信頼できる切り札がいるのならば、既に明かしているだろうな。そうであろう、ディスイヤの御老体』

『さて……どうであろうな。晒すばかりが切り札ではあるまい。臭わせるだけでも意味はあるであろう』


 即ち、不測の事態に対する最大の備え。

 表の切り札が抑止力である春ならば、裏の切り札である保険もまた存在する。


「……さて、春の奴はどこにいるんだか」


 掛軸(かけじく)廟舞(びょうぶ)

 貴族服ではなく、家令や執事に近い、動きやすい恰好。

 昔のブロワとはまた違う男装(・・)をしている彼女(・・)は、特区の中にあるディスイヤの邸内を歩いていた。


 表向きには存在しないことになっている彼女は、同僚である浮世春を探していた。

 何分護衛されることを『死ぬほど』嫌っている彼は、それこそ好き勝手に屋敷内をうろついしている。

 場合によっては街に繰り出して、酒を飲んでそのまま道で寝ていることもしばしばだ。


 普通ならそんなバカはスリやらなんやらの餌食なのだが、何分春は名前が売れすぎていて、本人にとっては不本意なことに誰からも襲われない。

 仮に身の程知らずが彼を襲おうとした場合、まず巻き添えを恐れた街の住人が総出で止めるからだ。


 ということで、最近はもっぱら自分の『女』の部屋で寝泊まりをしている。

 元日本人の男はたいていの場合『自分の好きに出来る女』を大量に抱えることを夢見るものだが、文章だけ切り取ってみればその夢を一番かなえているのは春だろう。

 もちろん、本人はちっとも楽しそうでも誇らし気でもないのだが。


「おい、『灰皿』、入るぞ?」


 ノックをして、部屋に入る。

 春の女の一人である『灰皿』の部屋に入ると、そこにはベッドで煙管を吹かせている妙齢の美女がいた。

 目が死んでいる、という点を除けば色気に満ちた下着姿の彼女は、一人でまどろんでいた。

 いつものことである。


「おう、灰皿。おはよう、春の奴はいるか?」

「……見ての通りさ」


 灰皿、と呼ばれた彼女の部屋は、一種異様だった。

 確かに彼女は喫煙中だが、その部屋には灰皿がありすぎた。

 一つや二つではない、無数の灰皿がこれでもかと置かれている。

 流石に床やベッドの上にはおかれていないが、机やタンスの上、それどころか壁にまでかけてある。

 そのすべてが『凶器』と呼ぶに十分な大きさと重さを持っていた。


「ああ、そうか。邪魔をしたな……」

「ふん……」


 いささか、情婦と呼ぶには歳を重ねている彼女であるが、それでも春にとっては女である。

 そんな彼女に対して、既に慣れ切った対応で廟舞も去っていく。

 そう、別に彼女だけが特別扱いをされているわけではないのだから。


「おい『釘』、入るぞ!」


 次に入った部屋は、もっと異様だった。

 なにせ、釘がこれでもかと壁に『かけて』ある。

 本来床や壁に打ち付けるべき釘が、それこそ無数に壁に設置されている。

 どれもが、とても大きい。それこそ、人間が握って、そのまま凶器に使えるほどに。

 その部屋の中で膝を抱えている少女は、それこそ春の年齢から見ても、あり得ないほど幼かった。


「釘、春は来たか?」

「き、きてない、です」

「そうか、邪魔をしたな」


 おどおどしながらが返答をする『釘』にかるく謝罪をすると、廟舞はまた別の部屋に行った。


「おい、『椅子』。入るぞ」


 三番目の部屋。

 それこそ、あり得ないほど大量の椅子が床に置かれている部屋。

 ソファーのような一人で持ち上げることができないであろう、大型の椅子はない。

 それこそ、一人で持ち上げることができるうえで、人間を殴り殺せそうな大きさと重さがありそうなものばかりが並んでいる。

 それこそ、一種病的なほどに。

 いいや、今までも十分病的であったのだが。


「うう……来てくれたか、ビョウブ」

「ああ、ここにいたのか」


 ほとんど裸の、薄地の布で体を隠しているだけの、とても筋肉質で鍛えられた姿の女性が、おびえながら感謝を示していた。

 そう、その部屋に大量に置かれた椅子を二つほど使って、巨大な鎧が座り込んで動かずにいる。

 その鎧の主が、ベッドで眠っていた。


「早く連れて行ってくれ……正直、とても怖い……。寝たまま運んでくれると、とても嬉しい……」

「そういうな、椅子。ここで起こさないと、私が後で怒られる」


 『百貨』の二つ名は伊達ではない。

 ディスイヤの切り札である『考える男』は、膨大な家具の中で顔をしかめながら目を覚まそうとしていた。


「いいかげん起きろ、春。ご老体が愚痴を聞いてほしいそうだぞ」


 また、忌々しい一日が始まる。

春君の今回の出番は、ここまでです。

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