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地味な剣聖はそれでも最強です  作者: 明石六郎
神の帰還と竜の侵略
282/497

秩序

 アルカナ王国、四大貴族、ディスイヤ。

 バトラブとソペードが武門の名家、カプトが法術と宗教ならば、ディスイヤは商家。

 国家の五分の一はこのディスイヤ領地であるわけだが、流石にディスイヤの全てがそう極端なわけではない。

 ディスイヤには普通の漁港もあるし、沿岸沿いでなければ田畑も普通に存在する。

 アルカナ王国内では悪名高いディスイヤではあるが、流石に誇張された悪評も大きい。


私はディスイヤ出身です。


 と名乗ると他の出身者からは、さも羊の皮をかぶった狼のように思われる。

 それは一種の通例であり、ディスイヤの人間もすぐに切り返す。


いやいや、ディスイヤと言っても田舎のほうだ。


 そう言われれば、まあそうだろうと誰もが納得してくれる。

 王家直轄領地も、全部が王都のように栄えているわけではない。

 バトラブもソペードも、全員が全員兵士というわけではない。

 カプトのいたるところに、無料で法術治療を受けられる施設があるわけでもない。

 であれば、ディスイヤもそうなのだろうと誰もが納得する。

 

 そして、ディスイヤの出身者は特区のおぞましさを良く知っている。

 それこそ、一切誇張されていない現実を、誰もが理解している。

 だからこそ、それこそ他の地方の住人よりも、更に忌避感が強い。


あそこは、地獄だ。金持ちにとっては楽園でも、貧乏人は命が惜しければ入ってはいけない。


 ただの事実であり、ただの現実だ。

 そこには怪物も魔物も存在しない、ただ悪人がはびこるだけの地獄がある。

 人間という動物の、悪性がそこにある。


 善は良いこと、悪はいけないこと。

 なるほど、そうかもしれない。


 人間は良いことを選ぶべきであり、いけないことから身を遠ざけるべきであろう。

 それも、そういうものだ。


 だが、ディスイヤの特区に足を踏み入れるものに、一切の同情をしてはならない。

 彼らを引き留めることは労力の無駄であり、彼らを憐れむのは時間の無駄だ。


 なぜか?

 それはそもそも、善悪の定義よりも更に遡る問題であろう。

 ディスイヤ家は、己の領地の悪評を決して隠さない。

 悪である、という看板を決してぼやかさない。

 特区で行われていることは、その領地の法律できっちりと明文化されていることであり、よってだれでも調べることができる。


 アルカナ王国も法治国家であり、ディスイヤもまた法の下に平等である。

 法とは厳正なものであり、同時に誰もが知ることができ無ければならない。

 調べようと思えば誰でも調べることができるし、役場にいけば字が読めなくても相談ができる。


 そして、その辺りディスイヤは非常に厳正だ。

 特に金持ちに対して、何から何までしていいのか。何の所有が許され、何の持ち出しが許されないのか。

 その辺り、事前にきっちりと説明する。


 悪ではあっても、違法ではない。そして、法を破れば罰せられる。

 ディスイヤの特区とはそういう町である。

 


 今の暮らしに満足できない、出世したい、才能を世に知らしめたい。

 そうした考えは、決して珍しいものではない。


「ここがディスイヤの特区か……」


 今日も夢を膨らませた若造が、ディスイヤの特区に足を踏み入れる。

 そして、大したことが無い、と拍子抜けして失笑した。

 なぜなら、街並みは大したことが無いからだ。


「貧民街と、そう変わらないな。噂は所詮、噂か」


 特区にはいくつかの入り口がある。金持ちしか通れない入り口が二つほどあり、それ以外は貧乏人のための入り口だ。

 当然、金持ちしか通れない入り口をくぐれば、それこそテーマパークが広がっている。

 贅沢に飽き飽きした金持ち、この特区にあふれる悪徳と芸術、何よりも刺激を求めてやってきた彼らの期待を裏切らない、全力の歓待が待っている。


 とはいえ、それはあくまでも表通り。

 裏通りには、普通の大きな町同様に貧民街が広がっている。


 なるほど、治安は悪いのだろう。だがそれはどこの貧民街も同じである。

 たいていの若者は、自分の知る貧民街と同じだと思って軽く見る。

 少なくとも、安寧な環境で過ごしていたわけではない、という自負心から背筋を伸ばして街の中を進むのだ。


 普通に宿をとり、住居を定め、そこで生活していく。


 例えば、いきなり襲われるということはない。

 例えば、寝込みを襲われるということはない。


 もちろん、あらゆる犯罪がこの町にはびこっている。

 詐欺、殺人、窃盗。それらが彼を狙う。

 しかし、それ自体は別に珍しくもない。

 この町でも、それをするのはたいてい弱者である。

 だからこそ、若者がそれなりの実力を持っていれば、反撃することで撃退できる。


「ぎゃあああ!」

「おいおい、人様の懐に手を突っ込むたあ、いい度胸をしているじゃねえか」


 当たり前だが、ディスイヤの特区に暮らしている人間の全てが、超一流の悪人というわけではない。

 どの街にも底辺はいるし、この町も例外ではない。


「ま、待て! まさか、腕を折る気か?!」

「そうだ、問題あるのか?」

「それは、過剰防衛だぞ!」

「……はあ?」


 まさに、失笑ものであろう。

 まさかケチなスリが、過剰防衛という難しい言葉を使うとは。


「ぎゃああああ!」

「お前、面白いこと言うなあ。お前みたいな雑魚が、どこにいる誰に向かって、助けを乞うんだ?」

「あ、あんた! ここがどこのファミリーのシマだってわかってるのか?!」

「はっ、てめえみたいな貧乏人なんて、どうなっても誰も取り合わねえよ!」

「!」


 若者は、一線を越えた。

 なるほど、確かにそうだろう。

 窃盗はいけないことだが、窃盗をした相手の腕を折っていいという法律もない。

 しかし、その法律をどこの誰が守らせるというのか。

 誰がこのスリの訴えを聞いて、誰が裏付けて、誰が罰するというのか。


「ぎゃああああああ!」


 彼は自分の経験則にのっとって、正当な行動をしていた。

 少なくとも、悪ではない行動だった。


「た、助けてくれ……腕を折られたぁ!」


 なんとも情けない悲鳴が上がる。

 なんともみっともない、ありふれた絶叫が、みすぼらしい貧民街に響いていた。


「はっ……」


 よくあること。

 彼は気分良く去ろうとする。だが……。


「おい、大丈夫か」

「ひでえな、本当に折りやがった」


 ぞろぞろと、スリ仲間が集まってきた。

 それこそ、いわゆる盗賊ギルドともいうべき組織に属する仲間たちが、同じ境遇の男を助けに来た。

 そのまま、普通に労いつつ、カプトから派遣されている法術使いが常駐する、無料の治療所へ運ばれていった。


「坊主、スリの腕を折ったっていう兄ちゃんはアイツかい?」

「うん、そうだよ」

「よしよし……ほら、謝礼の銅貨と、飴だ。とっとけ」


 そして、何やら明らかに若者の器量を越えた、荒事の専門家らしき男たちが集まってくる。

 貧民街の誰もが、若者を指さして彼の行動をその専門家に教えていた。


「え……」

「兄ちゃん……スリのおっちゃんの腕を折ったんだって?」

「ああ、ああ……やっちまったなぁ。ウチのファミリーのシマで、とんでもないことしちゃったねえ」

「え、いや、その……だって、俺は財布を取られそうになって……」


 そう、彼は勘違いをしていた。

 決定的に、思いあがっていた。


「このディスイヤではねえ、窃盗も合法なんだよ。もちろん、盗られないにするのも合法なんだけどねえ」

「でだな、お前さんが腕を折ったおっちゃんも、ウチの傘下なんだよ。わかるだろう?」

「この街はねえ、スリから身を守ることは許されても、捕まえたスリへ暴力をふるうのは許されないんだよ」


 この街では、スリさえも合法。

 合法ゆえに、厳格にルールも定められている。

 例えば、その地域を治めている『ファミリー』に法律で定められた上納金を治めなければならない。

 例えば、刃物などを所有してはいけないし、万が一それを用いて恐喝などを行おうものなら重罪となる。

 例えば、賭場などへの参加の制限、酒量などの制約……果ては、就労時間なども定められている。


 そして、そうした法律をきちんと守っている限り、手厚い保証が受けられる。

 具体的には、法律を守っていれば法術の治療を受けられるし、ファミリーから『違法行為』への保護も得られる。


「ま、待ってくれ! 知らなかったんだ!」


 そして、およそあらゆる世界で言えることだが……。


「へえ」


 知らなかったで、許される罰はない。


「じゃあ兄ちゃん、ちょっと裏へ行こうか」


 その若者がどうなるのかなど、この街の住人はよく知っている。

 およそ、この街は無知に優しくなどない。


 この街も、この街なりに弱者を保障している。

 スリや物乞いという、およそ一切生産性のない者にも、それなりには気を使っている。

 暗黙の了解などという身内のルールではない。

 きっちりと法律として、明文化されているのだ。


「ま、待て!」

「ああ、兄ちゃん。仮に衛兵がいても助けてくれないぜ」

「袖の下とかそういう問題じゃあない。なにせ俺たちがしていることは合法だ。仮に衛兵の詰め所へ行っても、こっちに引き渡されるぞ」


 許される、とはこういうことだ。

 法律を守るからこそ、暴力から守られるのである。



 ディスイヤに向かう若者を、止めるのは野暮である。

 なにせまあ、誰もが『悪人と暇人しかいない』という街へ、率先して向かうのだから。


 なるほど、悪とは避けるべきものではある。

 しかし、その悪の巣窟へ自ら向かうものは、それこそバカで救いようがない。


 悪が許される街に行きたい、というのは、自分が悪いことをしたいということであろう。

 流石にそこは、弁解の余地などあるまい。


 夢を見る権利は誰にでもあるし、もちろん若者にも存在する。

 成り上がりたい、のし上がりたいという思いは、誰にでもある。

 しかし、それは『貴方』だけに許されているわけではない。


 他人を押しのけてまで成功したい、という思いは、決して『貴方』にだけあるわけではない。

 自分は成功したいが、他人が成功するのは許せない、というのは通らない。

 自分が利益を得て、それを守りたいと思うのは当然だ。だが、それは『貴方』だけが想っていることではない。


 ここは、悪徳うんぬん以前に『街』である。

 大きい街、カネの集まる街には、当然既に街を大きくした組織が存在し、街を維持するために尽力している。

 既に富も権力も得ている大人は、富や権力を求めている若者などよりも更に恐ろしい。

 なにせ実体として自分の掌中に、それが収まっているのだ。それを逃したくないと思うのは当然だろう。


 既存のルールに反さない範囲なら仕方ないとあきらめるが、それを一歩でも出れば自治権を行使する。



 『貴方』が他人にしてほしいということがあるのなら、それは『貴方』自身が率先して他人へ行わなければならない。

 『貴方』が他人をないがしろにするのなら、『貴方』は他人からないがしろにされても仕方がないと思わなければならない。



 悪徳の街で大金を求める『貴方』は、まず街の法律を良く知らなければならない。

 悪徳の街で生まれたならともかく、悪徳の街に自ら赴くものに、悪徳の街は決して甘くない。


 自分を特別扱いするのは、自分だけだとよく戒めなければならない。


 悪徳の街は、決して悪に寛容ではないのだから。




 翌日、若者は魚の餌になっていた。

 もちろん、誰も気にしない。


 ようこそ、悪徳の街へ。

 そして、さようなら。

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